艸砦庵だより

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小ペン画ギャラリー 8 「常夜燈-浄夜燈」

 「小ペン画ギャラリー」は、ここのところ人物を描いたものが続いた。いや、蝶も蝸牛も登場はしているが、画面上の主役はやはり人物である。少しそれに飽きたというわけでもないのだが、なんだか少し私らしくもないような気もして、今回は人物の登場しない絵にした。自分でも少し驚いたのだが、ここ一年の小ペン画では圧倒的に人物の割合が多く、人物が描かれていない絵をさがす方が難しい。

 

  ↓ 238 「ビルマ浄夜燈」

  2020.3.17-19  13.6×11.9㎝ 和紙にドーサ、ペン・インク・アクリル

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 それはそれとして、お盆である。私の田舎ではお盆は月遅れの8月だったが、現在住んでいるあきる野市では多くは旧暦7月でやっているようだ。まあどちらでも構わないが、最近は何となくまわりに合わせて旧暦でやることが多い。といっても迎え火と送り火を焚いて、3日間だけ仏壇にお供えをするぐらいのもの。

 もともと、私は宗教行事や祭事、季節の行事などにはあまり関心がないのだが、一応本家の長男ということで、祭祀関係の最低限(?)のことはやっているということだ。

 

 話は変わるが、ここのところ石仏探訪にハマっている。それには2月にミャンマーに行ったことが多少影響しているのかもしれない。

 ミャンマーでは、地域的なこともあり、多くの寺院とその廃墟を見た。そして多少は予期していたことではあるが、そこでの、若い人も含めた信仰心の篤さには、やはり少し驚いた。同様なことはモンゴル仏教圏やイスラム圏やヒンドゥー圏でもあったが、特に今回は日本語の話せるミャンマー人が同行してくれたおかげで、事情もわかり、仏教についても多少ではあるが、いろいろな話ができた。

 

  ↓ 2月22日 バガンの某寺院 おそらくここの一画に下記の常夜燈があった。

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 その仏教とは、われわれの慣れ親しんだいわゆる大乗仏教(=北伝仏教≒改良的)とは違う、小乗仏教(現在はこの言い方は不適切との理由で、上座部仏教と呼ぶ=南伝仏教≒原理的)であった。同じ仏教と言いながら、その違いから、かえって私たちが当たり前だと思っている身近な仏教(大乗仏教)とは何かを省みる良い機会になった。

 今さらあえて強調することでもないが、私自身は無宗教者である。しかし画家である以上、絵画や芸術の成り立ちからしても、宗教や信仰といったことを無視するわけにはいかない。つまり、宗教を求める、必要とする人間の心のありようについて。

 ミャンマーから少し時間を置いて再び持ち始めた石仏に対する興味も、同根であろう。

 

 今回紹介するのは、直接仏教や信仰にかかわるものではない。ミャンマーのとある有名な寺院で見た、小さな常夜燈にインスパイアされた作品である。

 

 

 

 ↓ 239 「浄夜

  2020.3.17-19 14×12.3㎝  和紙にドーサ、ペン・インク・アクリル

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 ↓ 240 「浄火」

  2020.3.18-19 18.3×15.3 インド紙にドーサ、ペン・インク・鉛筆・アクリル・顔料

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 一応、常夜燈と書いたが、仏像の置かれた本堂の前に置かれた小さな火を灯す装置である。常夜燈は日本の寺社にもあり、灯篭ともかなりの部分で重なり合うものだが、要は一晩中火を絶やさないようにするもので、ミャンマーのそれも意味としては同じだろうと思う。

 

 ↓ あきる野市岩走神社の常夜 天明2年(1782年)

 「風雨以時 國豊武安」「天下和順 日月清明」等と刻まれている。

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 ↓ あきる野市金毘羅山山頂 金毘羅神社の常夜灯 寛政6年(1794年)

 宝珠・火袋欠 「願主 常州茨城郡 中郡郷士 萩原衛守」等と刻まれている。なぜ茨城の住人が奉納したのだろうか。「この形のものはあまりない」とのこと。

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 単なる蝋燭立てもあるが、私が興味を引かれたのは、火袋がそのままごく小さな御堂とされたようなものであった。御堂全体と同様に白い塗料を分厚く塗り重ねられた、おそらく鉄製の透かし彫りの扉部分がなんとも魅力的だったのだ。遺憾なことにそこにだけ興味を惹かれ、全体を写真に撮り忘れてしまったので、はっきりしたことは言えないが、どうも他ではあまり見かけなかったように思う。

 見た瞬間に美しいと思い、そのままで絵になると思った。実際、ほぼ忠実な写生である。別にネタばらしというわけでもないが、実物の写真もあげておく。

 

 ↓ 上述のバガンの寺院にあった常夜燈の火袋。なんとも言えず美しい。

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 常夜燈、ジョウヤトウと何回か口にしてみると、ジョウヤ―浄夜という文字に変換された。浄らかな夜、浄められるべき夜。常夜と浄夜、あながち無関係とも思えない。そして浄夜から浄火への飛躍。これらの変換によって、このモチーフが作品として成立する骨組みができたように思えた。

 

 現在、田舎には法事の時にしか帰らないし、毎年盆前に行われる墓地組合(わが家の墓地は寺にはなく、宗派とは関係ない墓地組合の管理する共同墓地にある)による墓掃除も、不参加料を払ってお願いしている。その法事も今年はコロナのせいで近くに住む姉に頼み、墓掃除も中止となった。

(記:2020.8.13)