艸砦庵だより

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小ペン画ギャラリー―10(石仏探訪-7) 「石仏から」 

 石仏探訪にハマって約4カ月。長梅雨、猛暑にもかかわらず6月からの四カ月で45回だから尋常ではない。爺臭い趣味のように趣味のように思われるかもしれないが、まあ、それはどうでも良い。なぜ石仏なるものにハマったのかは、未だ自分の中でも十分には説明できない。

 だが、絵のモチーフとしてでないことは確かだ。石仏そのものを描いても、民芸風の、あるいは情緒的なものにしかならないように思われるし、そうではない作品というものは未だ見たことがない。

 石仏が信仰の対象であることからしても、その意味的な面を無視してモチーフとすることは、ふつうはありえないだろう。だが、石仏というものに籠められた意味合いと言ってみたところで、石仏には数多くの種類があり、儀軌的な面、信仰史的な面、民俗学的な面のいずれをとっても、実際のところは錯綜を極めており、妙な手前勝手な誤解に陥ることは避けがたいのである。

 そもそも私は、世界の事象のあらゆるものを参考にはするが、描くべき対象としての固定した、いわゆる具体的現実的なモチーフというものを、基本的には持たない。

 

 私が無宗教者あるいは無神論者であるということは、何度も公言している。そして無宗教者であるがゆえに、そうした視座から、宗教および宗教心というものに対して関心を持っているということも。したがって、石仏への興味は、私自身の宗教的共感の現れとしてではない。だから私が石仏を描くということはありえないと思っていた。

 

 「宗教的対象」(偶像)であるはずの石仏を見ていると、制度化された宗教のもう一つ基層に在る、民間信仰とでもいうべき存在を認識せざるをえない。民間信仰、民俗や習俗や時に迷信と呼ばれるそれは何であるのか。

 それは体系化され政治化された、完成された制度・装置としての寺社宗教以上に、人々の生活実感の深部に根差したものであるがゆえに、人々の個人的な欲望や願望をあからさまに照らし返している。それらは、とりあえずは「二世安楽」の語に代表されるだろう。

 換言すれば、民衆の求めるものによって、信仰の対象物すなわち石仏は、その意味合いを変える。仏教であれ、キリスト教であれ、その初期において偶像を造ることを厳しく禁じたというのも、その点で故あることである。

 

 私は人々の欲望や願望を否定する者ではない。それこそが結局は世界を動かすものだと思っている。人々が宗教という制度の中で、仏であれ神であれ、とりあえず尊いとされるイコンを供養することによって、自分と社会の日々の暮らしの折り合いをつけるのは、正しい生活習慣であると言えよう。

 

 そうした観点を持つと、石仏の中に、それを造立し供養する人々のそうした欲望や願望、あるいは悲しみや希望までもが次第に見て取れるように思われてきた。であるならば、私はそれを読み取ってみようと思う。

 かくして気がつけば、石仏にインスパイアされた作品を描くようになっていた。それは石仏に籠められた、信仰や民俗的要素の現代的再解釈、あるいは翻案であるとも言えよう。そこには、そうした人々への多少の皮肉もこめられているかもしれないが、哀惜と共感の気持ちもまた在るのである。

 

 とりあえず今回は石仏の中でもポピュラーなものである如意輪観音道祖神、月待塔(二十三夜塔)、五輪塔庚申塔に対応するものを一つずつ上げてみる。

 

 

● 如意輪観音

 

  如意輪観音半跏思惟座像舟形光背(墓標仏) あきる野市玉林寺

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 まず初めは如意輪観音。石仏の中でも観音は地蔵に次いで多い。現世利益を旨とする観音菩薩には多くの種類(33の変化身)があるが、石仏としては、女性の墓標仏とされることが多いせいで、如意輪観音が最も多く、次いで聖観音が多い。また、かつての生活に欠かせなかった馬の供養や、そこから発展しての運送や交通安全の目的で、馬頭観音も多い。十一面観音や千手観音等も多少はあるが、他の観音はあまりない。

 

 310 「如意輪のをみな-メランコリア(右)」

2020.6.25-27 和紙にドーサ ペン・インク

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 要は「半跏思惟座像」というポーズ自体に、官能性というか強い魅力を感じたのである。本来はインド風の衣をつけているわけだが、現代のイメージでとらえ直してみれば、レオタード風のものがイメージされたのである。

 

 

 如意輪観音は、堂内仏などでは一面六臂が多い。右足を立てて、宝珠・法輪・念珠・蓮華を持ち、一手を頬に当てた半跏思惟座像。石仏では省略して二臂のものが多い。

 代表作としては、密教の最盛期平安中期の観心寺如意輪観音が有名。長く秘仏とされていたため、彩色等も極めて良い。その妖しいまでの官能的な美しさのかなりの部分は、いかにも女性的な半跏思惟座像という、アンニュイなポーズのゆえであろう。そのためか、江戸中期以降の庶民の女性の間で大人気を博し、墓標仏とすることが流行した。

 

 ↓ 参考:如意輪観音観心寺

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 ちなみに尼寺である中宮寺の国宝の菩薩半跏思惟像は、伝如意輪観音とされている。本来は広隆寺のそれと同様、弥勒菩薩であったが、その後の如意輪観音人気の中で如意輪観音であると寺が喧伝するようになったとのことでる。神仏の素性さえ容易に変更されうるのも、東アジア的宗教性か。

 

 ↓ 参考:菩薩半跏思惟像(伝如意輪観音) 中宮寺

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● 道祖神

 道祖神についてはここで詳述する余裕はないが、記紀以前や以後の神道民間信仰、また中国の道教系の由来やら、相当に複雑な出自の要素を合わせ持つ。古くは村への厄災の侵入を防ぐ賽の神(遮る神)としての、未加工の自然石や丸石であったが、時代と共に文字塔へ、さらに子孫繁栄や夫婦円満など様々な祈願の対象としての二体像・夫婦像へ、特に信州や北関東に多く見られる神像的男女双体像へと、形態的にも意味的にも多様な変遷をとげていった。

 また農民や庶民の日常生活と深く結びついたために、その過程で遮る神とは別系統の、潜在していた性信仰・金精信仰・子安信仰などとも結びついた、よりリアルな形態のものも現れた。

 

  316 「道祖神

2020.7.9-12 和紙に膠 ペン・インク

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 本作は信州の神像的男女双体像の中の、女(神)が瓢箪や銚子などを持って男(神)に酒を注ぐタイプのものを直接のイメージの源としている。ただしそうしたタイプのものは東京には少なく、石仏に興味を持ち出してからは信州に行っておらず、まだ納得のゆくものを実見する機会を持てずにいる。本作のもとになったのは、書物に掲載された図版からのもの。夫婦和合、子孫繁栄、二世安楽といった願望の端的な表現。

 

 ↓ 双体道祖神 山梨県甲府市 路傍

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 ↓ 参考:信州の双体道祖神

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 画中手前の球は、日本の仏教的であると神道的であるとを問わず、かなりの割合で宗教的な場に見ることのできる奉塞物としての丸石。最も単純な形での日本的宗教性の心情的シンボル、原型。

 

 

● 月待塔・二十三夜塔

 石仏の中でも日待・月待信仰のものは、一般的にはあまり知られていないだろう。古くから日本各地広く行き渡っている民間信仰だが、その由来はあまり明確ではない。

 日待ちという、一定の日に決まった場所に集まって夜を徹して日の出を待つという行事が基本にあったようだが、月待も同様に特定の月齢の夜に集まり、念仏等の行事を行うものである。そうした形式としては、後述の庚申待・庚申塔も同様の性格を持っている。

 二十三夜塔が最も多いが、他にも十三夜、十五夜十六夜、十九夜、二十二夜、等々、いくつもある。石仏としては刻字だけを自然石に刻んだ文字塔が多い。

 

 ↓ 廿三(二十三)夜塔 あきる野市横沢 路傍

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 主尊は月天子やその本地仏である勢至菩薩神道系では月読命(月夜見命)など、あるいは如意輪観音聖観音、子安観音などもあるが、そうした作例はそうは多くないし、一見して月待塔とはわかりにくいだろう。

 私が見たもののほとんどは文字塔であり、シンプルな「二十三夜塔」とだけ刻まれた文字に魅せられた。ただしそれ自体としては絵にならないので、「廿三(二十三)夜」とか「十九夜」とだけ刻まれた自然石を観想して、勝手にイメージしたものでる。

 

 ↓ 324 「月待の碑」

 2020.7.26-27  11.9×8㎝ ファブリアーノ? ペン・インク・水彩

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 ほとんで文字塔しか見たことがないので、かなり自由に解釈(?)して、庚申塔の要素など、さまざまな要素を盛り込んだ。

 

 

庚申塔

 青面金剛を主尊とする庚申塔は、その構成要素の多様さと面白さ、そして本来路傍に多く親しまれてきたということもあり、石仏の中でも最も興味を持たれ愛好されているのではないか。

 

 ↓ 庚申塔 青面金剛一面六手ショケラ持ち 邪鬼 三猿笠付角柱 八王子市美山町 路傍

 いつかはもう一度見たいと思っていたショケラ持ちだったが、わが家から二山越えた八王子市美山町でこの日は二つも出会うことができた。

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 庚申待という行事については、中国の民間信仰に由来する道教の三尸説が源流とされ、平安貴族の間で流行した。

 三尸説というのは、人体に棲んでいる三尸という三匹の虫が、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に体内から抜け出して、天帝(帝釈天とも閻魔とも言う)のもとにその人の60日間の行状を報告し、天帝はその度合いによって、その人物の寿命を縮めたり、死後に地獄・餓鬼・畜生の山悪道に堕とすという。したがってその夜は三尸が身体から抜け出さないように、眠らないようにしなければならない。その長い夜を眠らずにやり過ごすために、念仏を唱えたりするのだが、次第に飲食などを楽しむなど娯楽的要素が増していった。そうした年6回の庚申待を三年続けた記念に、または60年に一度の庚申の年に庚申塔を建てたという。

 時代とともに仏教やその一部の源流であるヒンドゥー教や、神道とも習合し、多様な要素を取り込み、江戸時代半ば以降、青面金剛が主尊とされるように至って、庶民階級へと広まり、レクリエーション的要素を強めていった庚申講と相まって、最盛期を迎えた。

 青面金剛はもともと仏教にも神道にも存在しない。古くインドの夜叉=疫病を流行らせる悪鬼であったが、のちに改心して病魔を駆除する善神になったという。

 基本的図像としては上部に日・月天、一面六手憤怒相の青面金剛、二羽の鶏、足元に邪鬼を踏み、下に見ざる言わざる聞かざるの三猿である。二羽の鶏は省略されることも多いが、全体として要素が多く、視覚的にも楽しめる。

 青面金剛の各手には剣や宝珠、羂索など様々なものを持つ。その中で、作例の割合としてはそれほど多くはないが、ショケラ(商羯羅)というものがある。この半裸の、多くの場合女性とわかる長い髪をつかまれて哀願するように合掌しているショケラの正体が長いあいだ不明とされてきた。

 

 ↓ 庚申塔 ショケラ 東京都台東区 大行寺

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 このショケラの起源と意味については、「ショケラについて---『青面金剛オリジンを探る』追補 『日本の石仏No75(1995秋号)』 (大畠洋一 『青面金剛進化論』 (「CD版 石仏ライブラリ」)

( http://koktok.web.fc2.com/hom_page/sekibutu/libr_index.htm )に詳しい。

 要約すれば、青面金剛の起源は、仏敵から仏教を守るための護法尊としての、ヒンドゥー教の最強神であるシヴァ神の化身であるマハーカーラ(大黒天)だということ。当初の仏敵はヒンドゥー教であり、その最強神はシヴァ神である。したがって護法尊(大黒天=マハーカーラ)がシヴァ(大自在天)を屈服させるということは、つまり結果として、自分が自分自身を退治するという論理になる。このあたりが仏教・ヒンドゥー教道教神道と無節操に集合させる民間信仰のおおらかというか、いいかげんなところではある。

 そしてこの退治された証に髪の毛をつかんで吊るされた半裸の哀願する女人が、仏敵=ヒンドゥー教シヴァ神=ショケラ(商羯羅天)=三尸虫、ということなのである。

 かつての初期の石仏研究家であった武田久吉若杉慧をして「ところで、最後までわからないのは、裸の赤ン坊をつりさげていること」と悩ませたショケラの正体は以上である。

 

 ↓ 330 「商羯羅もち」

2020.8.4-6 15.1×10.7㎝ 水彩紙にペン・インク・水彩

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 私はその髪をつかまれ哀願する半裸の女人というサディスティックな図容に、インスピレーションを受けたのである。私にとって、その半裸で哀願する女人像とその意味をどう翻案し、イメージ化するかが問題だった。必ずしも成功しているとは言えないかもしれないが、少なくとも自分自身からは出てきようのない発想で絵を描くというのはスリリングな経験であった。

 

  ↓ 322 「商羯羅(ショケラ)」

2020.7.22-23 15.3×9.4㎝ インド紙に膠、ペン・インク・水彩

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五輪塔

 ↓ 五輪塔 あきる野市林泉寺跡 路傍 

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 五輪塔は主に「供養塔・墓として使われる塔の一種。五輪卒塔婆とも呼ばれる(Wikipedia)」。古代インドの地水火風空の五大説を反映し、方形(地輪)、円形(水輪)、三角形(または笠形・屋根形、火輪)、半月形(風輪)、宝珠形または団形(空輪)を積み重ね、それぞれを象徴する梵字種子を刻んだもので、今日でもお寺などで目にする機会は多い。

 基本的に像はなく、絵画的要素はないが、彫刻的、形体的魅力が強く、その点で心惹かれるものがある。

 

 329 「ゆらぐ五大」

2020.8.4-8 13×9.5㎝ 水彩紙?にペン・インク・水彩

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 五輪塔を描きたいという気はあるのだが、観音やショケラと違って人物像を結びにくい。そこで地水火風空という元素を感覚的に表わしてみたということ。説明的にではなく、象徴的に。

 

 

 石仏には今回取り上げたもの以外にも、最も数の多い地蔵や、愛すべき像が多い馬頭観音など、その他興味深いものもある。それらに対応した作品もまだあるが、また機会を見て紹介したいと思う。             (記:2020.10.4)