艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

「小ペン画ギャラリー-11 風景の中の人物」

 ファイルをパラパラとめくっているうちに、「風景の中の人物」という視点を思いついた。「風景を背景とした人物」ではなく、「ある風景の中にいる」人物。

 

 小画面で描くということは、ややもすると、閉じた絵画的空間とならざるをえないところがある。だから、風景という自然な広がりのある空間を扱うのは難しいと思っていた。描いているうちに、その閉ざされがちな絵画的空間に、少々息苦しさも覚えるようになっていった。その息苦しさに飽きて、とりあえず風景を描いてみると、そう無理なことでもないように思えた。

 

 今回取り上げた作品の「風景」は6点中の3点は完全に想像である。2点はテレビの映像にインスパイアされたもの。ビデオを制止させて描くわけではないから、内容とはあまり関係ないものになっているが。もう1点はネットで拾った画像から。

 かつては写真や、ましてやテレビの映像を見て描くなどということはありえなかった。邪道だと思っていたし、今でもある程度はそう思っている。だが、古典的な感情的なところをのぞけば、そういうのも現代ではありかなとも思う。現場での一回性としての写生が絶対的な優越性を持っていると断言する理由はない。写真やバーチャルということもまた一つの現実、素材でありうるのだから。

 

 もともとテレビはあまり見ないのだが、最近はときどき自然系、旅系のドキュメンタリーなどを見ながら、そこに映し出された光景に心を奪われ、気がつくと鉛筆を走らせていることがある。それは例えば、海外の旅を重ねた自分自身の体験に裏打ちされた、照応というかシンクロできることが多くなってきたということがあるからだと思う。

 

旅の写真-1 2015.2 モロッコ・フェズのメディナ(旧市街)

 迷ってすぐ近所のはずのホテルになかなか戻れず、1時間ほどさまよった。

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旅の写真-2 20116.9 

 グルジアから国境を越えてアルメニアへ。ホテルの前から谷を隔てての景観。

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 画家としての古典的な倫理的敷居を少しゆるめてしまえば、作品世界は少し広がる。そもそも、見たことのない風景までもイメージ=発明しなければならないというのは、確かに頑なに過ぎるだろう。

  以下、作品篇。

 

 

 48 「風景の中のをみな」

 2019.9.25 7.6×11.7㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク

 

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 小ペン画を描き出したはじめの頃のもので、風景を扱った最初の作品。

 小画面ゆえのいやおうなしの絵画空間性に少々息苦しさを感じだしていた頃で、反発するように、明確な構想もなく、風景を描き出した。まとめ切る自信もなく、われながら無謀なことをするなあと思いながら。人物を入れる予定はなかったが、途中から勝手にミニスカートのお姉さんがあらわれ、手前の茂みに腰を降ろしたら、絵がまとまった。

 

 

136 「南島の星の巫女」

 2019.11.27-28 15.3×12.3㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク・修正白

 

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 背景の山はどこかの火山島の風景。手前の女性もネット上で拾ってきたもの。何であれ、参考資料になりそうなものは、時おり拾っておく(こともある)。そうした、だいぶ前にイメージ資料として拾っておいた無縁な両者が、ある日、何かの縁で邂逅する。イメージのコラージュと言えば、そう言えるかもしれない。

 (行ったこともない)南方の島の別荘の廃墟のような、神殿跡のような、そんな場所にたたずむ巫女、といったイメージ(何のことやらわかりませんが)。

 

 

271 「辺境の温泉」

 2020.429-5.1 9.1×12.9 雑紙にペン・インク・水彩

 

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 BSで見た北欧(アイスランド?)の情景が引き金だった。行ったことのあるスカンジナビア三国とは多少違うが、風土的共通性はある。

 まさか露天風呂の絵を描くことがあるとは思ったこともなかったが。妙なテイストだ。

 

 

284 「遊牧する母」

 2020.5.19-20 11.9×8.3㎝ ファブリアーノ紙?にペン・インク・水彩

 

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 これもBSで見たイランの羊飼いの一家を取材したドキュメンタリーから。イランには行ったことがないが、青海省ウズベキスタンやトルコなどの体験から、シンパシーを感じた。

 

 

314 「花盛りの樹の上で」

 2020.7.4-6  12.8×9.5㎝ 水彩紙にペン・インク・水彩

 

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 すっかり忘れていて、今思い出したが、これもBSの中米(行ったことはないが)あたりの旅系ドキュメンタリーが引き金となったのかもしれない。ただし、テレビを見ながら描いたのではない。何となく残っているシチュエーションの記憶に基づいて、といった程度。

 

 

359 「旧市街の蕾卵売り」

 2020.9.27-10.1  15.9×11.8㎝ ファブリアーノ紙?にペン・インク・水彩

 

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 これは全くの想像というか、いくつもの主に中東の旅の体験の記憶が、発酵し変容し融解した街並み。色を着けるかどうか迷って、部分彩色としたが、まあ一応の効果はあったように思う。蕾卵は私の造語。

 ああ、エルサレムとかイエメンとかキルギスとか、行きたいなあ~。

 

(記:2020.10.18)