艸砦庵だより

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石仏探訪-16 「福生市千手院の三陸海嘯供養塔」

 3・11。当時、キューバからメキシコへの旅(3.1~3.15)の途上にあった私は、3・11を体験していない。最初に知ったのは、IT事情のきわめて悪いキューバハバナで。新聞や画像を初めて見たのは、翌日のメキシコシティの空港で。

 日本にいなかった私の感じることは、多くの日本人と微妙に違うようだが、それについてはここでは置く。

 

 昨年9月に訪れた福生市の千手院にあった石碑を思い出した。

 

 

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 高さ70~80㎝ほどの自然石の文字塔。中央に「三陸海嘯死亡諸精霊等」、右に「明治二十九年七月十九日」とある(「~諸精霊等」の「等」は「塔」の意。)。左にも一行あり、おそらく建立者であろうと思われるが、撮影した写真では判読しづらい。

 

 明治29(1896)年6月15日の三陸地震は、観測史上最大の海抜38.2mの津波により、2万人以上の死者が出たとのこと。120年以上前に、遠隔地での惨事を、一か月後には遠く離れた福生市の寺で供養するというのは、驚くべきことのように思われる。少し不思議に思い、少し感動する。何か理由があるのかと思い、調べたが、わからない。こうした遠隔地の供養塔は、他にも在るのだろうか。

 福生市郷土資料室のサイトには「福生市の指定文化財」として「9件17基の石造物が、〔千手院の石造物〕として登録されています。」とあるだけで、詳しいことはわからない。文献でも石仏・石造物を中心とした入手しやすいものは、今のところ見当たらない。

 

 それはそれとして、供養が寺院の務めであるということはわかる。ではもう一つの務め、特に密教系の真言天台宗における、「国家安全」に代表される、「国難」や疫病(コロナ禍)や災害を防ぐための積極的能動的な「加持祈禱」は、現在はどうなっているのだろう。

 仏教は国家統一のためのシステムとして輸入された。その後、末法思想下での貴族階級個人の救済(成仏)システムの段階をへて、「国家安全」の御利益をもたらす「加持祈禱」を強力なツールとする真言天台密教が国家体制の一部となった。さらにそれを推進しつつ一般民衆を取り込んでいった鎌倉仏教以降も、「国難」や「防災」のための「加持祈禱」というシステムは存続しているはずである。例えばこのコロナ禍において、それらの寺院は疫病退散のための加持祈禱を行っているのだろうか。行っているからこの程度で済んでいるのだろうか。それとも住職もまた、ただ外出自粛を事としているだけなのだろうか。

 私は、加持祈禱が現実に有効であるとは、むろん思っていない。だが、宗教というものが、本質的に現実よりも非現実(幻想)に根差しているものであるのだから、幻想(=信心)としての加持祈禱という作法を全うしないことには、自身の存在理由を見出せないのではないかと、思うのである。

 

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(かつて高尾梅林と呼ばれた名残の梅の花は、供華の意味で載せました。)  

 

(2021.3.11)