艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

石仏探訪-17 「花と新発見(資料未掲載)の石仏三体」

 3月14日。女房につき合って、横沢入にヨゴレネコノメソウを見に行く。まだ早すぎた。入口にある大きなコブシ(木蓮?)は満開には少し早いが、豪華なくせに静かな印象で、毎年見るのを楽しみにしている。

 

  ↓ 横沢入入口に咲くコブシ(あるいは白木蓮)。

f:id:sosaian:20210315154624j:plain

 

 そのすぐそば、民家というか作業所の入口に石仏を発見した。何百回も行き来しているのに、これまで気づかなかった。頭部の様子から馬頭観音かと思ったが、手や衣の様子などを見ているうちに、わからなくなった。刻字はない。手持ちの資料にも出ていない。正体追求はいったん保留にしておく。

 

   ↓ 頭部を見ると馬頭観音のように見える。場所的にもあって不自然ではない位置。だが、全体の象容や持ち物などを見ると馬頭観音とは思えない。光背右に文字があるようにも見えるが、読めない。神像にも見えなくはない。結局、今のところ正体不明。手持ちの資料には出ていない。

f:id:sosaian:20210315154715j:plain

 

 次いで、日の出町肝要方面に向かう。高原社(たかはらしゃ)はふんいきのある神社だが、石造物としては弘化2年/1845年再建の石祠と、明治昭和の二つの手洗石ぐらい。おりからの椿の落花が、神寂びた神域にあって、息をのむほどなまめかしい。

 

   ↓ 高原社。神寂びた良い雰囲気。祭神は天照大神月読命。右の御神木の杉は樹齢300年ほどで町指定の天然記念物。

f:id:sosaian:20210315154748j:plain

 

    ↓ 御神木の根元の椿。

f:id:sosaian:20210315154829j:plain

 

  ↓ 古きものと落花の対称。

f:id:sosaian:20210315154855j:plain

 

 

 慶福寺には、向かい合った二つの石仏群に、一般的だが、よく見るとなかなか面白いものがあれこれと並んでいる。

 

  ↓ 慶福寺入口左側の石仏群。経典供養塔、馬頭観音、万霊塔など。

f:id:sosaian:20210315154935j:plain

 

   ↓ 慶福寺入口右側の石仏群。子安地蔵を中心とした六地蔵かと思ったが、必ずしもそうではないようだ。珍しくほとんどの頭部が壊されておらず、当初のまま。地蔵丸彫像にしては、バロック的と言いたいような、肉厚な立体表現がユニークである。

f:id:sosaian:20210315154955j:plain

 

 

 奥の小さな墓地に登ると、すぐ近くに小さな神社(岩本稲荷社=個人持ちの社か?)と、小さな御堂やら、寛政10年/1798年の石祠などがあった。石祠には穴の開いた石灰岩=姫石(女陰石)。

 

  ↓ 岩本稲荷社とその左に小さな御堂がある。さらに写真に写っていない左に石祠と九層の層塔がある。

f:id:sosaian:20210315155042j:plain

 

   ↓ 寛政10年の石祠。側壁に「十一世浄眼氏建之」とある。本来は何を祀ったのか不明。

f:id:sosaian:20210315155116j:plain

 

    ↓ 石祠には穴の開いた石灰岩が置かれている。姫石(女陰石)。

f:id:sosaian:20210315155146j:plain

 

 稲荷社傍らの小さな御堂には思いがけず立派な石仏がある。一面八手、浮彫座像櫛型。壁には「疱瘡乃神・山末之大主神」の木札。これで正体がわからなくなった。ともあれ、見ごたえのある像だ。『日の出町史 文化財編』には未記載。

 

 ↓ 「疱瘡乃神」は疱瘡=天然痘を防ぐ神で、住吉大明神があてられることもあるが、要するに民俗神。「山末之大主神」は「古事記」にのみ出てくる大山咋神のことで、いくつもの系統がある「山の神」の一つでもある。いずれにしても石仏としては容像は数少ないく、また儀軌と参照しても当てはまらない。「日の出町の関連文化財群(平成23年)」挿図中の「弁財天(弁才天と書くこともある)座像」がふさわしい。『日の出町史 文化財編』は平成元年発行で無掲載だから、それ以降にこの像の存在が認識されたということだろう。

f:id:sosaian:20210315155243j:plain

 

  ↓ 一面八手。頭上にはとぐろを巻く蛇。弁才天には二手から八手まで、座像立像といくつかのバリエーションがある。水辺に置かれることが多いが、この場所にあるのは少し不思議なきがする。

f:id:sosaian:20210315155306j:plain

 

   ↓ 参道から見返る。典型的な春の里山風景。

f:id:sosaian:20210315155333j:plain

 

 帰路にチラッと見かけた葺屋らしきものに寄ってみる。意外にも立派なというか、妖しく美しい像がある。見慣れない三面八手の座像だが、馬頭観音で間違いはない。やはり上記資料には未記載。

 

   ↓ 馬頭観音 三面八手座像 舟形光背。表面は風化が進んでいるが、全体の象容はよく残っている。刻字塔は確認できなかった。個人の畑の際にあり、個人が管理されているようで、一度話を聞いてみたいと思った。

f:id:sosaian:20210315155655j:plain

 

 帰宅後三体の石仏の正体を調べたが、横沢入のそれはお手上げ。あとの2体は、ようやく文化庁の『日の出町【東京都】歴史文化基本構想(平成23年策定)』のサイトで、「日の出町の関連文化財群」をみつけ、挿入地図中にわずかに「弁財天座像」と「舟形三面八手馬頭観音座像」とあるのをみつけた。説明も図版も一切なし。象容からしても妥当なところだが、「弁財天」がなぜ「疱瘡乃神・山末之大主神」とされているのかはわからない。もう少し探求してみたいところではあるが…、きりがないのである。

 

 いずれにしても今回は、面白い石仏を見ることができた。石仏は文化財であり、歴史資料であることは言うまでもないことだが、実際にはまだこのように、ほとんど知られることなく、静かにそこに佇っているものが無数にあるだろう。それらに運よく出会えることは、石仏探訪の醍醐味である。

 

 里山には、紅梅白梅をはじとする花が咲きはじめている。石仏探訪も悪くはないが、山登りに行きたいと思うフラストレーションがたまっている、規則正しい遅寝遅起きの画家=私。

(2021.3.15)