艸砦庵だより

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小ペン画ギャラリー16 「中断再開後の近作‐油彩転写」 

小ペン画ギャラリー16 「中断再開後の近作‐油彩転写」

 

 今年も半分過ぎ去ろうとしている。年明け以来、憑き物が落ちたように、小ペン画を描かなくなった。それまで平均して週に5、6点ぐらいは描いていたのが、一月は4点、二月0点、三月1点、四月5点、五月4点。そのぶん、タブロー(キャンバス・パネル画)を制作し(ようとし)ていたのだから、制作としては帳尻は合うのだが。

 それが六月に入ると、なぜか再び15点と増えた。小さなきっかけのようなものが無くはないのだが、たいしたことではない。描き方、技法的なところは多少の変化があるが、それらは要するに技術的・造形的なことである。それはいつだって変化していって良いのだ。

 取り組み方、といったところが、多少以前と変わった。どうも現在は、憑き物にはとりつかれていないようだ。サイズも総じて少し大きくなり、一日二日で仕上げるという性急さ(?)も影を潜めた。ゆっくりやれば良いのだ。

 もともと、同じような方法、絵柄を後生大事に繰り返す、この道一筋、というのは好きではない。繰り返しは、円熟よりも、マンネリズム・退廃に至りやすい。そして、タブロー制作、大画面の制作と、バランス良く進めること。

 

 ということで、今回紹介するのは、正月明け中断以降のもので、どれでも良いのだけど、同時期に連続して制作した5点を並べてみる。たまたまというか、本性通りというか、「くどい」と言われそうな、人物系ばかり。まあ、感じ方は人それぞれですからね。

 

 共通しているのは、油彩転写という手法を途中で用いていること。パウル・クレーが一頃使っていたやり方で、油絵具を塗った合紙をカーボン紙的に使うという、一種のモノタイプ。以前から時おりやっていた。いろいろ加減が微妙で、クレーほど緻密ではない私は、なかなか彼のようにはいかないが、まあ、似せる必要もないし。

 あまりその効果が出ているわけではないが、かえってその方が、結果として自分らしい表現に至りえているのではないかと思う。和紙の上に油絵具が乗り、その上からペンで描くのだから、当然描きにくい。その描きにくさ、不自由さが、私にとっては新たな自由への鍵にもなるのだろう。

 

 

452 「調香学者」

 2021.5.25-6.3 16.4×13㎝ 和紙に膠 油彩転写・ペン・インク・水彩

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 描き進めるうちにいつのまにか、画面に化学実験に使うような瓶のような形態がリズミカルに出てきたことから、発想したタイトル。

 

 

453  「地球物理学者」

 2021.525-6.3 18.1×15.2㎝ インド紙にドーサ 油彩転写・ペン・インク・水彩

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 地理、地質、地学、地磁気、測量、探検、そういったコンテンツも好きなのである。

 

 

454 「光学工学者」

 2021.5.31-6.5 18×12.9㎝ 和紙に膠 油彩転写・ペン・インク・水彩

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 光学と工学、絵柄とタイトルの関連は、あまりうまくいってないが、まあ、いいか。

 

 

455  「植物学者(プラントハンター)」

 2021.5.31-6.5 17×12.3㎝ 水彩紙?に油彩転写・ペン・インク・水彩 

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 プラントハンターというのは17~20世紀半ばにかけて、有用植物や観賞用植物の新種を求めて(植民地主義と連動しながら)、世界中を探索した人たち。描き終えてみたら、人物の顔が学者と言うよりも何だか小ずるいというか、抜け目ないハンターのように見えて。

 

 

456 「卵を抱く者」

 2021.6.3-6.6 16.8×12.6㎝ 和紙に油彩転写・水彩・ペン・インク

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 仏教的な要素から描き出したのではないが、卵(≒珠)や三面などから、菩薩等の座像にも見えなくもないものになった。

(2021.6.30)