艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

本と読書「遅ればせながら 2021年の読書―激減した読書量」

 私には多少カウントマニア的趣味というか、集計・統計好きなところがある。

作品の記録については別としても、登山や、美術館や、海外旅行といったいくつかのコンテンツについては、簡単な項目的なものだが、昔から記録をつけている。読書・本についても同様。時おりそれらの集計からいろいろなことを考察し、遊ぶ。

 昨年2021年は購入量も、読了数も、過去最低だった。ここ数年読書欲が減退していることは自覚しているが、やはりそうだったのだ。統計は真実を語る。

 

↓ 「購入・読了年度別総数」PC画面

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↓ 「購入書一覧 2021年」PC画面

 こんなリストを作り始めて34年!

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 1988~2020年の32年間で購入した、あるいは図書館で借りた本は11247冊。平均すれば年に352冊。それが昨年は過去最低の89冊。1999~2020年の21年間の年間平均読了数は152冊。昨年は42冊で、やはり過去最低。共に例年の3割にも満たない。

 私は、本は基本的に自腹を切って買って読む。大衆小説の類は図書館で借りることもあるが、そもそもそういうジャンルの本はあまり読まない。

 ここ10年間の年平均図書購入費は、84000円少々。月平均にすれば7000円少々だから、穏便で、安上がりな教養費だ。今なお未読の本は山ほどあるし、収蔵スペースからしても、購入量が減るのは良いことだ。

 しかし、読了した数が年間100冊以下というのは、教養人(?)としては、ダメだと思う(あくまで私基準)。だが、ここ数年は100冊を切るようになったのが現実。基本的にほぼ毎日いくらかずつでも読んでいたのだが、最近は読まない日も増えてきた。その辺のことについては、いろいろなくもないが、まあ、ここではふれない。

 ともあれ、以下に昨年読んで印象に残った本を挙げてみる。だいぶ浮世離れ、時代離れした私の精神世界ではあるかもしれない。

 

 

↓ 石仏関係

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 昨年最も多く購入し読んだのは、やはり石仏関係のもの。その時点でかなり浮世離れ、時代離れしていると自覚せざるをえない。

 『東国里山の石神・石仏系譜』(2014年 青蛾書房)と『里山の石仏巡礼』(2006年 山と渓谷社)は同じ田中英雄の書。共に山がらみということもあって、最近の私の石仏探訪に刺激と影響を受けている。 

 『石仏の旅』(佐藤宗太郎 1981年 芸艸堂)の視点は、より思索的。インドのアジャンタやエローラの石仏探求まで行き(私も行った)、その後は石仏から離れて行ったらしい。

 『修那羅の石神仏 庶民信仰の奇跡』(金子万平 1980年 銀河書房)は9月の修那羅峠行を機に資料として購入。その網羅徹底ぶりに感嘆。若干の難も無くはないが、考察は鋭く、貴重。また、その後の現地の盗難等による相次ぐ石仏の消失という現実もあって、貴重な資料となっている。

 

 

↓ 『日本石仏事典 第二版 新装版』(庚申懇話会 1975年1995年新版初版 雄山閣

 『日本石仏図典』 日本石仏協会 1987年 国書刊行会

 『続日本石仏図典』 日本石仏協会 1995年 国書刊行会

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 やはり石仏関係ではあるが、その中の「事典」的なもの。

 何かを調べたり研究する場合に必要なのが、基本文献と呼ばれるものであり、中でも事典・辞典類である。私はそうした事典・辞典類を「読む」のが基本的にというか、けっこう好きなのである。『日本石仏事典』は全434頁、完読。『日本石仏図典』と『続日本石仏図典』は共に400頁以上。今もほぼ毎日数ページずつ読んでいる。これらによって日本にあるすべての石仏の種類は網羅されているそうだ。俯瞰的考察の前提は、まず知ること(知識)である。

 

↓ 石仏探訪と言えども、その基底にあるのは仏教や宗教・信仰関係の世界だから、仏教・神道修験道ヒンドゥー教道教民俗学等も読まなければならない。

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 何冊かは読み、また読みつつあるが、理念的・教理的なものは、やはりそう面白いとは思えない。それらの中で勉強になったというにとどまらず、それなりに知的面白さを味わえたのが、

『仏像の秘密を読む』(山崎隆之 2020年 角川ソフィア文庫

大乗仏教の誕生 「さとり」と「廻向」』(梶山雄一 講談社学術文庫

『山の宗教 修験道案内』(五來重 2008年 角川ソフィア文庫

『神々の明治維新 -神仏分離廃仏毀釈-』(安丸良夫 1979年初刷2007年13刷 岩波新書)など。

 

 民俗学系では以下の2冊。

『土葬の村』(高橋繁行 1921年 講談社現代新書

  これは個人的には昨年最も衝撃を受け、最も面白く読んだ一冊。「日本」の足元を見ることができる。まあ、万人向けではないだろうが。

『山の神』(吉野裕子 2008年 講談社学術文庫) 

 本書は、従来のアプローチとは異なる中国古代当時の最新哲学であった「陰陽五行説」や「易」の観点を導入したことで、民俗学に新たな解釈の地平をもたらしたと言える。だが、なんせ私にはその「陰陽五行説」が全く理解できないため、途中から手も足も出ない挫折感を味わいつつ、理解することをギブアップせざるをえなかった。

 

 

↓ 文学関係

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 読書の楽しみの王道は文学にあると思っているが、最近は小説を読むことが少ない。その少ない中で面白かったのが、「野の佛」という新たな美の観点を提示した石仏研究家(?)でもある若杉慧の(本道の)小説2冊。『半眼抄』(1972年 木耳社)と『エデンの海』(1951年初版1965年36版 角川文庫)。

 前者は幻想的私小説というか、新感覚派とも通ずる妙な味わいのアンソロジー。後者は通俗小説家と言われつつベストセラー作家としての地位を確立した代表作。かつての富島健夫(『雪の記憶』や『おさな妻』など)などにも通ずるジュニア小説ないし青春官能小説に近い作風だが、私としては楽しめた。山口百恵などの主演で3回も映画化された。

 もう1冊『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬 2021年 早川書房)はソ連の戦争映画好きだった私としては、ノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチの『戦争は女の顔をしていない』と重なるところもあり、珍しく発売早々に購入。直木賞落選はさておき、それなりに面白くはあった。

 だが、やはり今年読んだ『村上海賊の娘』(和田竜)がそうだったように、非映像的媒体であるところの言葉=小説であるにもかかわらず、そのストーリーの流れが、漫画・アニメ的文法によって、いやおうなしにイメージの内に映像化されるという(困った)事態に翻弄され続けた。村上春樹以下、現代の(日本の)文学は、漫画・アニメ的文法なしではもはや成立しないのかと、憂うるのである。

 海外の小説は、昨年は一冊も読まなかった。

 

↓ 登山・探検・紀行関係 美術関係

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 登山・探検・紀行関係も昨年は不作。わずかに『極夜行』(角幡唯介 2021年 文春文庫)が面白かったくらい。登山も探検も、行為もさることながら、やはりそこにある哲学や美学にこそ感動するのである。

もう一冊の『秘境旅行』(芳賀日出男 2020年 角川ソフィア文庫)は、どちらかと言えば民俗学の範疇。昭和30年代の10年間(今から6、70年前)、その時点ですでに滅びつつあった古き日本が活写されている。今の目からは、まるで外国というか異文化だが、まぎれもない日本人のDNAが記録されている。これはぜひ多くの人に手に取ってもらいたい一冊である。

 

 美術関係はわずかに一冊のみ 図録類も何冊か買ったが、読了したものはない

 『ずっと人間描かれ』(水上泰財 2021年 武蔵野美術大学出版局)についてはすでにFBに投稿しておりあらためてつけ加えることはないが、やはり良い本だと思う。

(2022.2.6記)