艸砦庵だより

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石仏探訪-27 「牛頭天王の竹寺と偶然の邂逅・西雅秋さん」(記・FB投稿:2021.10.3)

 昨日、奥武蔵の竹寺に行く用事ができて、そのルートの下見をしなければならなくなった女房に頼まれて、お供をした。竹寺は昔から有名な寺だが、まだ行ったことがなかった。

 

 ↓ 1. 竹寺入口にあった古い案内板。

 昔の寺社にはよくこうした案内板があった。少々怖いが、レトロ。

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 入口には「寺」なのに「鳥居」。竹寺、正式な名称は医王山薬寿院八王寺。天台宗の寺だが、神仏習合時代のありようを今もそのままに残している東日本で唯一のお寺だそうである。何も知らずに来てしまった私。

 

 ↓ 2. お寺です。

 牛頭天王宮本殿への参道と、茅の輪の置かれた鳥居。この茅の輪は蘇民将来伝説に由来する。

 知らなかったが、本殿内の本尊牛頭天王は12年に一度、丑年にだけ公開される。今年が丑年ということで、思いがけず幸運にも、中に入って本尊牛頭天王とその八人の子、八王子を見ることができた。撮影禁止のため、画像はない。

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 いきなり現れる牛頭天王銅像。境内のあちこちにこうした不思議な像がある。

 

 ↓ 3. いきなり現れる牛頭天王。ブロンズ製。

 「牛頭明王」とある。「日中国文(交?)正常化二十周年(1992年)にあたり、中国民間人15名より奉納」とのこと。さすが中国製と言いたい迫力。最初に見た時には「なぜここにバイキング?」と思ってしまった。

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 ↓ 4. 前掲のブロンズ製牛頭天王像に範をとったと思われる木彫。

 こうしたものが境内にいくつかあり、いやがおうにもワンダーぶりを醸しだす。その内のいくつかは、生えていた木に直接彫ったように思われる。これなど、技術的には、相当なものではないだろうか。

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 ↓ 5. 同前。こうなると「森の神様」といった感じで、何か楽しい。これもまた牛頭天王の一解釈だろうと思うが。

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  牛頭天王は日本における神仏習合釈迦の生誕地、祇園精舎の守護神だが、蘇民将来説話の武塔天神や、スサノオノミコト薬師如来などと習合した。現在の八坂神社祇園社、天王社の本来の祭神である。道教的色彩の強い神だが、中国の文献には見られないとのこと。竹寺の説明書きでは、大日如来チベット密教で暗黒天神、顕教無量寿仏の憤怒相であると書かれている。その他、朝鮮半島由来やら、疫病神やら多様な要素を持つ。

 

 

 ↓ 6. 寺社のお札を買うことはほとんどないが、今回は資料として購入。(何の資料だ?)

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 要するに、神仏習合を代表する「よくわからない神?仏?」であり、明治維新廃仏毀釈の際、その最大の目標とされた。竹寺が旧来の神仏習合を維持できたのは、あまりに辺鄙なところだったので、政府からの指示が届かなかったからと言われている。

 

 ↓ 7. 境内には山上でありながら弁天池、弁天堂もある。

 観音堂もあり、稲荷社もある。ちょっと意外だが、石仏はあまりない。

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 ↓ 8. 数少ない石仏の一つ。元禄3年/1690年の墓標仏。

 何やら竹にもたれて、われわれ衆生をどのように救おうか。思案にふけっておられる。光背の上には「同帰」か「西帰」の文字。二文字とも異体字

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 とにかく、先の修那羅もそうだったが、神仏習合となると、ワンダーランドとなるらしい。そのワンダーぶりを堪能し、帰路につく。

 

 ↓ 9. 下中沢の三叉路にあった石仏群。

 左、南無阿弥陀佛と書かれた道標。上、「富士登山 三十三度」塔。右下、地蔵。

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 途中、とある石仏らしきものの前で車を止めると、近所の方が声をかけてきた。話していると、どうも共通する興味が多く、またどうも共通の知り合いが多いことがわかった。「画家の河村です」「彫刻家の西雅秋です」とあらためて名乗りを上げる。不勉強だが、隣接分野の彫刻の人はあまり知らないのである。

 

 ↓ 10. 中藤上郷、養福寺のすぐ先の小沢に「蛇の石仏がある」と連れていかれたが、剣を飲み込もうとする倶利伽羅竜王不動明王の化身であった。

 頭部が破損しているのか、小さく見える。苔をはぎ取ればわかるだろうが、まあ、それはあえてしなかった。

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 話しているうちに、なんだか意気投合して、陶芸家の奥様も含めて、初対面なのにずいぶん長く話し込んでしまった。名刺代わりにといって渡された図録『西雅秋展 空と大地と記憶の造形』(2005年 神奈川県立美術館)を帰宅後に見てみると、いや、大した作家でした。うっすらと記憶がよみがえった。

 

 

 ↓ 11. 「名刺代わりに」と言っていただいた図録『西雅秋展 空と大地と記憶の造形』(2005年 神奈川県立美術館)。

 そういえば、双方名刺も交換せず、電話番号も互いに聞いていない。いいかげんな邂逅だ。

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 ↓ 12. だいぶ以前に近くの子の権現境内(のはずれ)で見た西さんの作品。当時はそうと知らず、あれは何だ?と思った。

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 名刺交換もせず、連絡先を聞きもせず、記念写真も撮らなかった。いいかげんな邂逅ではあるが、それはそれで。またお会いすることがあるかもしれない。

 竹寺というワンダーランド。西雅秋さんとの思いがけない邂逅。非常事態宣言明けの、快晴の奥武蔵の、不思議な出会いの一日だった。

 

 ↓ 13. 西さんが近くの川で拾ったという、元地蔵菩薩(宝珠錫杖?)の墓標仏であろうか。完全に成仏された姿。ブランクーシみたいだ。こんなのが時々川で見つかるという。

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(記・FB投稿:2021.10.3)