先に投稿した熊本でのグループ展「らんだむラリー」のために、作品の梱包作業をした。
で、いい加減、結論を出さなければならない。
【熊本でのグループ展⇒熊本~福岡~山口での飲み会+石仏探訪+山歩き】という旅のプランVS【緊急事態宣言都市福岡・蔓延防止都市熊本】。
結論としては、コロナに負けた。またしても旅は中止。今年4回目の旅中止(メンタルコロナ症候群?)。旅は出発する前に終わってしまった。
この一か月、(深夜のウォーキング以外に)外出したのは、ワクチン接種、歯医者+マッサージ、歯医者+世界堂、近場の石仏探訪、の4回だけ。(日々の晩酌以外に)酒を飲んだのはわが家に飲みに来たK夫妻と、M君との2回だけ。外飲み無し。美術館もギャラリーめぐりもなし。暑さに打ち克つ体力・気力、共にないのは例年通りだが、少なすぎる。お上の自粛要請を受け入れた気はないが、事実は立派な引きこもり=制作専念の日々。
そんな今日この頃の断続的な古写真・古アルバム整理の副産物の一つが、「旅のカケラ」。
デジカメ・スマホ時代の今日、旅に出ると写真をついたくさん撮ってしまう。写真を撮っている間、現実のモノやコトは見ていない。帰宅後、それらを整理し、多くを捨てるが、フィルム時代に比べれば比較にならないほどたくさんの画像が手元に残る。旅の写真はある程度選んで紙焼きし、資料・記録としてアルバムにまとめる。
いずれにしてもそれらの画像は、案外見直さないものだ。純粋に資料的なものが多いが、中には、そのまま描くだけで絵になりそうなものもある。しかし、直接そこから描きだすということは、実際にはほとんどない。
そうした多くの旅の画像の中から、なんとなく、あらためて心惹かれたものを幾つかずつ取り上げてみる。国内外を問わず、異郷、他郷、登山、裏山歩き、散歩等のフィールド、主旨、目的を問わず。
深い意味はない。旅中止に由来する腹立ちまぎれの八つ当たりというか、逆恨み、腹いせのようなもの。世界は狂っていても、精神はまっとうでありたい。
↓ 1. マチュピチュ 2013.8.28
天空の都市マチュピチュには三日連続で通った。一日目は到着後の午後、同行のKさんと遺跡の全体を見た。二日目はなぜか現地で知り合った若い日本人女性二人を交えてワイナピチュ(2720m マチュピチュの写真の奥に必ず写っている尖がった山)に登った。一日200名だかだけに登山許可が下りるということだったが、どうみてもそれ以上の人数が登っている。鉄鎖が連続するけっこうヤバいルートだが、多くの観光登山客はマナーもクソもなく、危なっかしい。狭い頂上でも「外人」たちは決して場所を譲り合わない。山そのものは素晴らしいが、印象の悪い山頂。下りは一人皆と分かれて、反対側の「月の神殿」経由で下りる。打って変わって、ほとんど人はおらず、やっと山を味わえた。
三日目は、山登りはもう満腹というKさんを置いて、一人今度はワイナピチュの反対側、マチュピチュの裏側のマチュピチュ山(3082m)に登る。許可証は取得していなかったが、ダメもとで行ったら何の問題もなくゲートを通してくれた。登る人はほとんどおらず、一人きりの、ルートも山頂からの展望も素晴らしい山。
写真はそうした山登りとは直接には関係のない、再現された住居の内部。窓というよりも出入口と言うべきかもしれないが、妙に好きな写真。
↓ 2. ウズベキスタン ヒヴァへの途中のカラ(要塞跡) 2018.6.4
旅の後半ブハラからヒヴァへの長い移動中、経緯は忘れたが、ほぼ思いつきで(チップを上乗せして)予定にはなかった何か所かのカラ(古い要塞?要塞都市?)をめぐった。日干し煉瓦が土に帰ろうとしているといった感じの遺跡には、独特の味わいがある。時代や背景等は今に至るも何も知らないまま。かつてこのあたりまで仏教が及んでいたようだが、その片鱗はあったのか?
写真の窓は要塞としての外壁に穿たれたもの。戦闘のさいに弓を射ったりするためのものだろう。外に広がるのは緑のオアシスだが、さらにその外は茫漠たる砂漠。
↓ 3. カンボジア アンコールトム 2012.11.24
カンボジアはたった3泊5日の過去最短の旅。アンコールワットも良かったが、アンコールトムもそれに劣らず素晴らしかった。それなりに自由に歩けたので、写真が具体的にどこなのか、アンコールトムなのか、周辺の遺跡群のどれかなのかも、よくはわからない。
ともあれ、古びた暗い石造りの壮大な廃墟と、窓の外の光あふれる熱帯雨林との対照。
無数といってよいぐらい多くの仏教遺跡がある、バガン。どの寺院だったのかは特定できないが、比較的大きな寺院だった。今も生きている寺。当たり前かもしれないが、ミャンマーの寺院内ではすべて裸足。
それにしても、石造建築というものは、その構造というか、技術的必然性からか、寺院であれ、教会であれ、どこか似たような表情を持つものだ。
写っているのは同行の高校時代の同級生の二人。
↓ 5. 耶馬渓青の洞門 2016.11.29
高校山岳部のOB3人で九州祖母山に登った翌日、もう一山登ろうという私に対して、後の二人は耶馬渓や臼杵石仏群の観光を主張。1対2で負けて従ったが、結果はオーライ。
写真は菊池寛の『恩讐の彼方に』で有名な「青の洞門」の一部。その後の大改修により当時の面影が残るところは少なくなっているが、この窓の付近には当時の手掘りのノミ跡が残っている。逆光に写っているのはメンバーのF嬢。手掘りトンネルの窓。
↓ 6. モロッコ マラケッシュ ベン・ユーセフ・マドラサ 2015.2.3
世界遺産にもなっているマドラサ(神学校)。その中庭の壁を埋め尽くす幾何学的モザイクというか、レリーフ。空間恐怖というか、めまいがしそうになる装飾の無限性の闇。その窓から顔だけではなく、身を乗り出すもう一つの異質な装飾性。この対比もまた新たなめまいをもたらしてくれた。いろんな意味で、お気に入りの一枚。
イスラムの美意識というものは、正直に言って、今でもよくわからないところがある。まあ、他の文化においても似たようなものだが。
↓ 7. スリランカ ・シーギリヤ 民家の窓枠 2010.3.6
現在シーギリヤロックに登るのは人数制限だかなんだか、少し敷居が高くなっているようだが、2010年当時は特に問題もなく登れた。
写真はその麓の集落のごく一般的な民家の小さな窓の鉄格子。侵入防止という機能はさておき、その目的を満たす限りでは、よくこうした自由なデザインがほどこされている。モチーフというか、何かの再現性があるのかどうかはわからない。こうしたものは世界中あちこちで見ることができる。日本でも数は少ないが、たまに見る。それだけ集めてみても面白いだろうが、とりあえず、これはこれ。
↓ 8. インド ムンバイ チャトラパティ・シヴァージー駅(旧名ヴィクトリア駅) 2013.3.18
なぜか大学1年生3人と行ったインドの、世界遺産になっているという植民地時代そのままの豪華な駅で見かけた、窓というよりもステンドグラス。
窓の機能の一つに採光ということがあるのだから、それに装飾という付加価値をつけるステンドグラスもありだろう。それ自体は、おそらくそれほど古いものとは思われないが、石造の深い闇がわだかまっているような空間に並んだこれらのいくつかのステンドグラスの光は、ホッとするような、やさしく柔らかいものであった。
参考までにというか、おまけというか、「窓」をモチーフとした「小ペン画ギャラリー‐18」として、以下3点。
↓ 9. 90 「午前4時の窓辺」 2019.10.20-3
12.8×9㎝ 和紙に膠、ペン・インク・水彩
「窓」というのは好きなイメージではあるが、あまり正面から取り上げたことはない。鏡などと共に、西洋美術では重要な象徴性を付与されることもあるが、私にはその視点はほとんどない。3点とも小ペン画としては比較的初期のもの。
↓ 10. 170 「窗」 2020.1.3-4
12.5×9.5㎝ 洋紙に和紙 ペン・インク・水彩
「窗」は「窓」の異体字。好きな漢字の一つ。小さな、シンプルな、ささやかな絵。
↓ 11. 178 「窓辺の静謐」
2020.1.8-10 10.3×8.9㎝ 洋紙にサイジング、ペン・インク
窓というよりも、前掲のミャンマーやアンコールトムの寺院のような、階段から出入口あるいは窓、といったイメージでもある。
窓はそれ自体としては、単独では主役/モチーフになりにくいような気がする。
(記・FB投稿:2021.8.24)