不定期ながら、こうして「小ペン画ギャラリー」というタイトルでシリーズ投稿(?)していると、やはり、ついつい近作新作を上げたくなる。新しいものほど良いとは限らないのだが、そこは表現者の心理。今回はあえて、少し古いというか、前の作品を取り上げてみる。古いといってもせいぜい2年前のものだが。
小ペン画では「女性‐をみな」を描いた絵が多いということについては、以前に述べた。人物ではあるが、意味としては女でも男でもどちらでも構わないというものも、私の絵には多い。(結果的にはどちらかの姿かたちにはなることが多いのだが)。割合は少ないが、「男」を描いたものもある。だがそれらの多くは、結果として「へんな男」になっている場合が多い。それらを、だいぶ前に「へんな男」として投稿した。今回はその2。
「男」を「へんな男」として描いてしまうのは、「女性・をみな」に持ちうる「憧憬≒エロス」を持ちえないからだろう。その結果、私が人間全般に対して抱いている、シニカルな風味・色合いの側面が表に出てくる。「へんな」男を描こうとしているのではない。人間は基本的に「へん」なのだということ。
概観してみると、何となく背景に物語がありそうに見えるものが多いが、意味というほどのものはない。ストーリーは想像しうるとしても、せいぜい短い詩が在りうるだけだろう。思い付きと言えば、そうかもしれないが、インスピレーションと言い換えれば、なにやら有難味があるような気もしてくる。
↓ 86「音に音楽を聴く」
2019.10.17-3 9.5×7.5㎝ 和紙に膠、ペン・インク・アクリル
3、40年ぶりに偶然再会した古い友人N君。今もサックスを吹いている。その風貌が印象に残った。まるで似てはいないが。
ところで、ミュージシャンという人種は、世界中に日常的に遍在する「音」を、「音楽/音階」として聞こえているのだろうか。
↓ 152 「鉱山(やま)師」
2019.12.12-16 12.5×9.4㎝ 洋紙に和紙貼り・ドーサ、ペン・インク
「鉱山師」というのは、山中深く分け入って、金鉱やら他の埋もれた有益な地下資源を探す人のこと。転じて一攫千金を夢見る、どこやら胡散臭い人のこと。
この絵にも背後にそうした物語がありそうだが、まあ、無いのである。この絵から一篇のショートメルヘンは紡ぎだせそうだが。
↓ 153 「足元の土地がこんなに狭い!」
2019.1212-13 12.9×9.9㎝ 和紙風はがき、ペン・インク・鉛筆
他と同様に意味はない。どういうところから発想したのかも、もう覚えていない。タイトルも意味不明だ。
↓ 154 「筺を開ける」 ◆既発表
2019.12.13-18 12.5×9.5㎝ 和紙風はがき、ペン・インク・セピア
手にしている箱は実在する。ある人が持っていた、ヨーロッパの骨董風に味付けしてある今出来のお土産物を誉めたら、くれた。特に欲しかったわけでもないが、何となく今も手元に置いてある。他の二三の小物も、何となく身の回りに置いてあるものたち。
それにしても、この短髪茶髪の男は誰なんだろう。
↓ 176 「長い手」 ◆既発表
2020.1.7-8 12.5×19.5㎝ 薄ボール紙、ペン・インク・水彩
コメントは特になし。少し好きな作品。
↓ 389 「額で釘を打つ」
2020.11.1-6 13.1×9㎝ 和紙に膠、ペン・インク
阿呆な絵柄だが、やはり意味や教訓はない。無意味な徒労ということを描こうとしているわけでもなさそうだ。
額で釘を打ち込むといった芸をする芸人を、どこかのサーカスとか見世物のテレビなどで見たことはあるような気がするが、この絵とは直接の関係はない。それにしては、ずいぶん丁寧にタッチを重ねている。
(記・FB投稿:2021.9.25)