艸砦庵だより

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石仏探訪‐29 「コンテンポラリー地蔵と観音」

 先の投稿「小ペン画ギャラリーー19 仏教系」で、地蔵や観音などのイメージの、私なりの「変奏」について述べた。

 それを投稿する前日の10月27日、孫の少し早めの七五三だというので、さいたま市大宮氷川神社に向かった。途中の寺にふと立ち寄る。わりと大きくて立派な東光寺。その山門に何気なく近寄ってみた。

 一瞬、何が在るのか、理解できなかった。そこにあったのは、異次元異世界風の、フィギュア?、現代彫刻?、もしかして仏像? 周囲の壁面には赤や紫の光がゆらめいている。見れば「地蔵真言 オンカァカァカビサンマエィソワカ お唱えください。」とある。地蔵であり、観音であった。

 

 ↓ SORA地蔵

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 山門とくればふつうは仁王だろう。だが、目にしたのはこれ。しばらく地蔵だとはわからなかった。顔はマネキンのようだし、サイズはほぼ等身大だが、全体に細すぎる。左手には宝珠を載せている。 

 後から気づいてギョッとしたのだが、この日の七五三の私の孫の名は「空(そら/SORA)」(本当です)。偶然?奇縁?お導き? なんかわからないけど、どうかよろしくお願いします。

 ちなみに、驚きが大きすぎて、山門全体を撮るなどの基本的なことをすっかり失念してしまった。

 

 ↓ YUME観音

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 施無畏印与願印。やはり細すぎるが、観音の面影はある。女性身。

素材は(FRP/合成樹脂?)なのだろうか。立体系は畑違いのため、素材等については見ただけではよくわからない。

 

 

 神仏が漫画やアニメ、ゲーム等でキャラクター化されているのはよく見かける。そういうものには興味がないが、眼前のこれをどうとらえたらよいのか。現役現実の寺(曹洞宗)である。ふつうなら阿吽の仁王像があるべきところに、これ。

しばし判断不能に陥り、その間、ものすごくエネルギーを吸い取られた(?)。それぞれ2体置かれている眷属(?)のようなキャラクターも、性格や意味がわからない。

 

 

 ↓ SORA地蔵全景と、眷属(?)の二人?二体?さて?はて?

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 ↓ YUME観音全景と、眷属(?)の二人?

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 後光(光背)を表す光は、紫から青へゆっくりと変わった。

 

 

 ↓ SORA地蔵の下左の像

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 龍の童子倶利伽羅竜王の化身でもないだろうが…。首元には牛のネックレス…。サイズは80㎝ぐらいか。君は誰? 

 

 

 ↓ SORA地蔵の下右の像

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 ほっかむりした犬? いったい君は誰なんだ? 趣旨は? 根拠は?

 

 

 ↓ YUME観音の下左の像

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 龍の童女?がいたから虎の童女か?足元はそれっぽいし、首元にあるのははっきり猫だし。ああ、わからない。

 

 ↓ YUME観音の下右の像

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 これが一番わからない。長靴をはいた黒柳徹子? キノコ?あるいはミカン?の妖精? そもそも、なんで下を向いているの?誰か教えて下さい。

 

 

 待ち合わせの時間のこともあり、尋ねるべき人も、説明書きも見当たらない。作者等はわからない。帰宅してから、あらためて写真を見ながら考えた。これは何なのか、良いのか、悪いのか。一晩考えた結論としては、「(とっても)良いことだ」。少なくとも画家としての私は、見慣れた古いものだけを良しとする怠惰な感性の持ち主ではありたくない。見慣れぬものに迷ったら、否定よりもまず肯定なのだ。

 寺のHPには「YUME観音像 ~非常に優美で現代的なお姿のYUME観音が安置されています。」「SORA地蔵像 ~非常に端正な顔立ちでどこかSF的な雰囲気のSORA地蔵像が安置されています。」とある。確信犯である(信念をもってやっている)。これを設置した住職は大した度量だ。たぶん、まじめに仏教ということ、寺ということ、そしてそれらの未来ということを考えているのだろう。

 想像力を働かしてみれば、奈良の大仏が完成した時の、まだ酸化被膜で覆われる前の金色に光り輝く巨大な盧舎那仏を見た当時の人々、特に庶民の目にはどう見えただろうか。UFOから降り立った巨大な宇宙人を見たぐらいのショックがあったのではないか。それからすれば、これぐらいの解釈の変奏はあっても良いのではないだろうかと思うのである。

 

 それにしても偶然とはいえ、「小ペン画ギャラリー‐仏教系」の原稿を書き上げた翌日に、こんなコンテンポラリーな地蔵と観音に出会うなんて。しかもわが孫「空(そら)」ちゃんの七五三の日に「SORA(そら)地蔵」と出会うとは…。これもまた一つの巡りあわせか?お導きか? いやはや、現実って、すごいなぁ~~~。

 

 

 ↓ 光背の変容についての考察。

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 上の画像は、ミャンマーマンダレー近郊の岩山、ポッパ山の山頂の寺院にあったもの。

 光背がネオン?LED?の色を変化させながら、ぐるぐると発光する。あまりに俗っぽく感じた私は、同行していたミャンマーの人に疑問を投げかけたら「光背は特別な人(仏)だけが示すハロー(halo/暈)なのだから、揺らぐ(変化する)方が正しいのではないか。まして信仰の問題なのだから、その素材とかありようを云々するのは間違っている。」と言われて、恐れ入った。理にかなっている。つまり、解釈や手法は変化しうる、つまり変奏はありうるということだ。

 

 ↓ 地蔵ほか

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 コンテンポラリーなものだけでは落ち着かないので、対照というか、その解釈の落差をふくめて、無縁塔にあったいくつかのものを上げてみる。

 この地蔵(宝珠錫杖)3体と右の不明の1体は、無縁塔の前の小さな御堂に置かれたもの。頭部はすべて後補。欠落部も多い。年代、趣旨等はわからないが、それなりに古そうだ。こういうものを見て、なぜか心落ち着くというのは、反動というか、情緒的に過ぎるだろうか。

 

 

 ↓ 阿弥陀如来

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 後の2体を含めて、いずれもやや古い墓標仏。寛文8年/1668年の来迎印の阿弥陀如来。すっきりした作行で、常態も良い。

 

 

 ↓ 蓮花に載る享保年間(1716~36年)の如意輪観音半跏思惟座像。

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 コンテンポラリー観音を見た後では、この像も何かUFOにでも乗って空中に浮いているように見えた。

 

 

 ↓ 地蔵?

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 右中に「安宗童(?)■(子?)」、下に「土手宿女■■」とある。幼い子を亡くした母親が供養のために建てたものだろうか。右に宝暦2年?/1752年、左に ■(天)明8年/1788年とあるのは、死亡年と、後に建立した年を二つ記したということなのだろうか。像は剥落部が多いが地蔵で良いと思うのだが、はかなげな風情で、やはり何かそうした事情が反映されたようにも思われる。

 

(記・FB投稿:2021.10.31)