艸砦庵だより

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山歩記+石仏探訪-30「久しぶりの山行 奥武蔵・日和田山からユガテへ」

 わが家の玄関先には「山屋」と書かれた看板が掛けられていた。今ではもう文字も薄れ、ボロボロになり、たいていは下に落っこちたりしている。「山屋」の字にはかつては「さわや(沢屋)」とルビがふられていたが、ほぼ完全に消えてしまった。そんなになった「山屋」の看板だが、まだ捨てられない。・・・以上はほぼアレゴリーなのだが、ここ2年、裏山歩きをのぞいて、山から遠ざかっていた。

 

 11年前、56歳で早期退職した時に将来を考えた。65歳までは山に登りたい。70歳までは海外旅行に行きたい。75歳まではちゃんと絵を描きたい。それ以上はおまけの余生、両親の逝った80歳が一応のゴールかなと。

 実際には全然山に登らない年もあったし、質はともかくとして、11年間で97回登った。海外旅行には12回18ヵ国に行った。絵は製作時間、点数ともに増えた。つまり当初の目標(?)はほぼ達成している。そして、山登りは体力的な面からも、もう卒業してもよいのかなとも思う今日この頃。

 それがここのところの「生活改善推進運動」によって、少し早起きができるようになり(まだ人並み以下の発展途上だが)、久しぶりに山に行く気になった。困ったときの奥武蔵。現在の実力からして家族向きのコース。ということで、多少の石仏探訪を兼ねて、日和田山からユガテ(山上集落)へ行ってきた。最大標高差345.9m。コースタイム4時間少々(実際には休憩や石仏探訪を入れて6時間。妥当なところだろう)。

 

 ↓ 西武池袋線高麗駅から歩きはじめる。前方の日和田山は305m。

 何ということのないありきたりな里山だが、左の沢沿いにロッククライミングのゲレンデとして有名な岩場がある。私も昔何度か行った。一昨年、山のかかわりの飲み会仲間の一人、指揮者のTさんが転落して死んだ。ずっと昔、私がかつて在籍していた山岳会の一人がやはり転落し、重症を負った。そんな一面を持つ山でもある。

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 ↓ ようやく登りはじめ、一の鳥居、滝不動尊などをへて、男坂の岩場を登る。あ~楽しい。

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 日和田山までは正月休みとあって、子供連れなども多い。稜線上には舗装道路も通っているのだが、丁寧に古い山道を辿ってアップダウンを繰り返せば、ほとんど舗装道路を歩かずに済む。もとより登山としてはそう面白いルートではないが、そうしたところでも以前に比べて、よりいろいろな要素を味わい楽しめるようになってきたように思う。それもまた年の功か。

 入下山時の寺社や途中でも石仏はそこそこあり、そちらの方も充分楽しめた。

 早起きさえできれば、欲をかきすぎなければ、登るべきルートはまだいくらでも見出せる。何よりも山登りは私の精神の健康に必要欠くべからざるものなのだ。とは言ってみたが、さて、この先どうなるのだろう。

 

 

 ↓ 登り始める前に途中の御嶽神社、圓福寺、長寿寺、九万八千神社(すごい名前!)などの石仏にひっかかる。

 これは圓福寺の石幢(?)。三面に二体ずつ地蔵が彫られている。ふつう石幢は六角柱なのだが、これは四角柱。文政7/1824年。

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 ↓ 同じく圓福寺の観音。

 基礎に「○○観音」と記されていたが、あまり興味が持てず未撮影。たしか現代的なネーミングだったような。それが裏から見たらなんとも不思議なというか、妙なというか、魅力的なフォルムに見えた。着色されているが、石造なのか鋳造なのか、わからない。 

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 ↓ すぐ先の長寿寺の石仏群。

 享保7/1722年の宝篋印塔ほか、如意輪観音、板碑残欠、墓標、五輪塔、等の数々。風情である。

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 ↓ 日和田山頂上間近の金刀比羅神社にあった石碑。

 「武尊山大権現・御嶽山座王権現・意波羅三社大権現 木食普寛」とある。普寛は木曽御岳を開いた行者。「武尊山大権現」は同じく普寛が開いた上州武尊山。御嶽三座神というと「御嶽山座王権現・八海山大頭羅神王・三笠山刀利天宮」が普通だから、だからこれは珍しい部類。年代不詳。

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 ↓ 金刀比羅神社前の岩場から遠く望む富士山。何も言うことはありません。

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 ↓ 日和田山山頂にて。自撮り棒がないと顔がデカい。表情が硬い。

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 ↓ 日和田山山頂にあった宝篋印塔。何も知らなかったのでビックリ。

 享保10/1725年にしては状態が良い。それにしても300年も前にこんなものを担ぎ上げるのは大変だっただろう。

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 ↓ 稜線上の景。

 写真には写っていないが、全体に舗装道路が走っている。別に左の水平な幅広い登山道?もあるが右の忠実に尾根上を辿ることもできる。それを辿っていくと、いくつもの名前のついたピークを上り下りすることになるが、それが山登りというものだろう。

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 ↓ 途中から見た、はるか彼方のたぶん男体山(中央奥)、奥白根山(右手前)。自信はありません。

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 ↓ 本日の最高地点、スカリ山山頂434.9m。これはこれで。

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 ↓ 武甲山遠望。

 まだ登ったことはないが、石灰岩の採掘で山の形も標高も変わった、かつての名山(今も200名山)。遠目には良いが、採掘現場を見るのが嫌で、あまり登りに行く気になれない。

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 ↓ 山上集落ユガテ。

 かつて「山上の楽園」とか「隠れ里」、「桃源郷」などと言われていた。山上にしては平坦地も広いが、今は多くは「ユガテのヒマワリ畑」になっている。舗装道路も通っており、家は3~4軒(?)のようだが、実際に住んでいるのは何人だろうか。

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 ↓ 下山したところにある福徳寺の阿弥陀堂重要文化財)。

 正面は蔀戸で、なかなか良い感じなのだが、残念なことに周りをガッチリと柵で囲まれ、頑丈に施錠されて今日は中に入れない。奥に石仏群が見えるのだが、近寄れない。残念。

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 ↓ 今回一番驚いたのが、この福徳寺入り口にあった石碑。

 「大地震記念碑」とあり、右に大正十二年九月一日」、左に「午前十一時五十八分」と刻まれている。関東大震災のもの。造立年等はわからなかったが、まだ「関東大震災」と命名される前に、時を置かず建てられたものだろう。あるところにはあるのだろうが、私はこの手のものは初めて見た。趣旨等もよくわからないが、こんな辺鄙なところにあると、なんだか不思議な気がする。

 

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(記・FB投稿:2022.1.6)