艸砦庵だより

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山歩記「奥武蔵・正丸峠~ツツジ山」+石仏探訪-34

 前回1月5日に奥武蔵・日和田山~ユガテを歩いた翌日から、なんだか股関節痛。5、6年前から時おり悩まされているが、またしても…。股関節痛、ひざ関節痛で山から遠ざかっていった人を何人も知っている。いよいよ俺も年貢の納め時かという思いと、それにあらがいたい自分がいる。まあ、山も絵もいつか自主的に免許返納して良いのだ…(どちらも免許や定年は無いのだけど)。

 ひと月様子を見て、一昨日8日、奥武蔵の正丸峠からツツジ南尾根を歩いてみた。頼りにするのはワコールCWX(サポートタイツ)。ガチガチに締め付けて下腹部を圧迫し、慢性的に尿意と便意を催させる嫌な奴だが、股関節保護には有効なのではないかと思いついた次第。

 正丸駅から歩きだす。正丸峠までは30年以上前に歩いた道。途中でいくつかの石仏を見出す。

 

 ↓ 正丸峠までは、こうした植林帯の沢沿いを行く。ところどころに石灰岩の岩場がある。

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 ↓ 登山道の上の凍った水流。透明感のある部分は非常に滑りやすい。

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 (現)正丸峠=舗装道路を越え、未知の尾根すじに入る。といっても「関東ふれあいの道」とやらで、広葉樹林帯と植林帯が相半ばする、良く整備された歩きやすい路。正丸山、川越山、旧正丸峠と越え、親知らず(小さな岩の痩せ尾根)やところどころにある石灰岩の露頭のアクセントを楽しむ。

 

 

 ↓ 正丸峠からしばらくはこうした広葉樹林帯。よく歩かれている道筋。

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 ↓ 正丸山あたりから左に武甲山と、右にこれから目指す横手山ツツジ山方面を見る。冬の奥武蔵。

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 ↓ 「親知らず」(ちょっとした岩場と痩せ尾根)のあたりだったか。

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 牛立久保という名の、ちょっと不思議な気持ちの良い平坦地を過ぎ、別荘や舗装道路のある下界臭い刈場坂峠の先がツツジ山。ここも何年か前に別ルートから来た。

 

 ↓ 虚空蔵峠にあった虚空蔵菩薩の石祠。

 中の虚空蔵菩薩はだいぶ傷んでおられる。「虚空」=無限の空間のような、「蔵」=智慧を蔵される、如来未満の菩薩様。

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 ↓ 稜線間近にある牛立久保という名の平坦な場所。葉の繁る夏は鬱陶しいだろうが、今はちょっと不思議な雰囲気をかもし出している。

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 ↓ 牛立久保から主稜線に抜ける。

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 ↓ 横見山からツツジ山あたりには舗装道路が上がってきており、別荘などがある。その一画にあった妙な神様(?)。

 傍らの札には「錦之宮 奥宮 神木赤松」(写真には写っていないが右に少し大きな赤松がある。それが「神木」)、札の裏には「万古東(?)代 スースースー」と書かれている。また、少し先の刈場坂峠にある石祠の裏には、関連するものなのだろう「神素戔嗚大神 かむすさなるのおおかみ(戔はその下に皿)」(=スサノオノミコト)と書かれた札が立てられていた。

 帰宅後調べてみたら「錦之宮高麗宮」という神道系の新興宗教のものらしい。そのHPには「出口王仁三郎聖師様」という文言があるから、「大本」系。う~~ん…。

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 ↓ ツツジ山山頂、879.1m。

 立て札が多すぎる。

 山名は文献によって「横見山」「刈場坂山」「ツツジ山」などと、また南尾根上のピークも含めて「ツツジ山」「大ツツジ山」「小ツツジ山」などと錯綜している。

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 ツツジ山からは未知の南尾根を下る。石灰岩の露頭が点在する植林帯を下り、三田久保峠から右に折れればほどなく舗装道路に出て終了。あとは地図上で拾った西善寺、八阪神社、その他の御堂や小祠や路傍の石仏などを見ながら正丸駅まで歩く。無住の西善寺前の小さな石仏群、八阪神社脇の三面馬頭観音など、良いものがあった。

 

 ↓ 降り立った坂元正丸の道路わきにあった「本邦帝王切開術発祥之地記念碑」。立て札の奥が石碑。

 嘉永5/1852年6月12日に、この地で日本で初めての帝王切開手術が行われたそうだ。「伊古田純道と岡部均平の二人が、体内で子が亡くなった母親本橋とめを救うために、翻訳本を頼りに麻酔なしで行い」、「その後母親は88歳の長寿を全うした」そうだ。基本的に興味がなく、あまりちゃんと見なかったけど、後で考えてみれば私の息子も帝王切開だったし、石仏ではないけど珍しい内容の石造物であることは間違いないので、これも何かの縁かと、紹介しておきます。

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 ↓ 今は無住の西善寺の石仏群。

 寺に直接行く道が見つけられず苦労した。左の三つが文字庚申塔。無住で不便で人の行きかいが少ないせいで、かえって昔ながらのたたずまいを保っている。

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 ↓ 中が空洞の石灰岩庚申塔

 奥に文字が彫られている。こうしたタイプのものは初めて見た。残念ながら他の記銘は見当たらない。

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 ↓ その内部。

 造立年は不明だが、並んでいる他との関係で、天保年間前後のものではないかと思う。

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 ↓ 八坂(阪)神社の脇の葺屋にある丸彫りの馬頭観音

 儀軌どおりの三面憤怒相立像はあまり多くない。寛政11/1799年の「優品」。赤いおべべを取り払って、ぜひ近くで見てみたいものだ。

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 ↓ 正丸駅前の正丸橋向かいの葺屋にあった2体の地蔵の内の小さい方のお地蔵様のお顔。

 刻字はあるが、石灰岩のためか判読しづらい。右に○○童子と読めるので、墓標仏だろうが、資料には未掲載。なんか、そこら辺を走り回っていそうな、きかん気の強そうな子供の顔だ。

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 標高差580m、コースタイム6時間20分のところを休憩・石仏探訪を入れて7時間弱だから上等だ。出会ったのは単独行の二人だけ。体力筋力の衰えは隠しようもないが、股関節は問題なかった。さて、あとは股関節痛がぶり返すかどうか、だけ…。

 

(記・FB投稿:2022.2.9)