艸砦庵だより

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山歩記+石仏探訪・38 「知られざる石仏の山 足摺山」(2022.6.3)

 5月30日~6月4日、所用2件を携えて帰郷(所用の件は省略)。その一日、萩市(旧阿武郡田万川町)の足摺山に登った。出発直前にKがネットで見つけた石仏の山だが、ほとんど知られていない。私も知らなかった。急きょ、高校山岳部OB関係の5人が集まる。

 

 この山には、最近まで登山者はほとんど訪れなかったようで、古い道型は残っているが、入下山口とも、手入れはほとんどされておらず、薄暗い常緑樹林の落ち葉の堆積で滑りやすい。1時間ほどで快適な尾根に乗る。

 326mの山頂には、古い石祠を構築していたかと思われる自然石の重なり。南に戻り、尾根を辿れば、急に展望が開け、岩稜が続いている。このあたりの地形を形成した古代の火山活動の名残で、山麓には関連した柱状節理が多く見られる。

 その岩稜上に多くの石仏が置かれている。「○○バン(番)」、「千手」などの文字が刻まれ、西国観音霊場の写しだと思われた。しかし、見ると「西ノ河原」と刻まれた子を連れた地蔵や、「文殊」と刻まれた像、弘法大師を祀った小堂などもあり、わからなくなった。

 ともあれ、点在する石仏と、遠望する中国地方の山々を愛でつつ、快適な岩稜歩きを楽しみながら下った。

 

 結局、山稜には全部で33+3、全部で36体の像があるそうだ。いずれもこの手のものとしては、かなり複雑な図像を刻んでいる。それでいながら野趣と地方色と素朴さにあふれた、味わい深いものだった。造立年等は確認できず、江戸末期前後と思われるが、もう少し詳しく知りたいものだ。

 全体としては、おそらく西国観音霊場の写しに、そこに弘法大師関係のなにがしかの像と意味をつけ加えたのだと思われる。こうした観音霊場には、麓にそれと関連した寺があるのが普通だが、地図で見ても無い。廃寺となったのか。帰宅後に知ったのだが、下山地点の近くには一畑薬師分霊所開作奉安所という御堂があるらしい。山稜の石仏群は、それとの関係で設置されたものと思われる。また、以前は周辺の集落から登る道がいくつもあったとのことだから、それなりに信仰の場として栄えたのだろう。

 いずれにしても、まったく知らなかった山と石仏群。標高は低いが、良い山だった。中国地方山口県の山々の風情も実に良かった。全国にはまだこうした観光地化されていない、知られざる良い山、良い石仏群があちこちにあるのだろう。それを思えば、こうして投稿するのに若干のためらいがなくもないのだが…。

 (*写真については、メンバーが撮った写真が一部含まれています。やはり私のコンデジよりもスマホの写真の方が良く撮れている…。)

 

 

1 登り始めは暗い植林帯から、密生したスダジイなどの照葉樹林体。年間通しての落葉の堆積で滑りやすい。道型はしっかりしているが、注意が必要。

 

 

2 樹は多いが気持ちの良い尾根に出るとほどなく326mの足摺山山名表示板。標高差246m。下には古い石祠を構築していたかと思われる自然石の重なり。

 南に下がった310m圏を正しい(?)山頂とする表示板もあるが、要するにこの山体一帯を足摺山と言うのだろう。

 後輩のF嬢K先輩の奥様。今どきの山ガール(?)はファッショナブル。

 

 

3 いきなり展望の開けた、いくつもの石仏が置かれた小平地に出る。ここで豪華なランチ。

 

 

4 見下ろす山里。中国地方、あるいは日本。

 左は千手観音、右、聖観音。どちらも凝った彫り。

 

 

5 千手観音。左に持つのは錫杖、右は三叉戟。



 

6 「文殊」とあるから文殊菩薩。この左には子連れの地蔵菩薩。いずれも観音ではない。



 

7 かたわらには朽ちかけた石州瓦葺きの小堂に素焼きの弘法大師像。なにかもう一体右にあったはずだが、今は見当たらない。弘法大師とくれば四国八十八ヶ所となるのだが…。



 

8 岩稜上の石仏群。良い感じ。

 

 

9 同じく、良い感じだ。



 

10 こうした細長い岩稜がしばらく続く。気分が良い。

 

 

11 牛の背という所か? 牛の背というよりは馬の背のようで、ちょっと違うか?



 

12 地元の伝説にある大男の足跡と言われる窪み。左にもはっきりしないが、それらしきものがある。

 

 

13 下山後、帰りがけに近くの畳ヶ淵に寄る。六角形の柱状節理の岩壁と川床。奥に見えるのは竜神社。

 

 

14 竜神社の内部。「天保十一(1840年)~ 石宝殿改」とあるから、江戸中期ごろにはこの前身となる信仰の場が成立していたのだろう。

 

 

15 その夜は、山行には参加できなかった高校山岳部仲間も集まった。会場は私の定宿K氏宅の古い方の座敷。昭和の飲み会。

 

(記・FB投稿:2022.6.6)