艸砦庵だより

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石仏探訪-39 「足摺山三十三観音と儀軌の問題」

 廃仏毀釈に関する本を読むと、私の故郷山口県はそれが最も激しかったところの一つという記述が必ず出ており、さもありなんと思っていた。ところが今年になって二度帰郷したおりに、あちこちと歩いてみれば、その説が信じられないほど数多くの石仏があった。その落差の意味するところは、まだわからない。

 例えば三十三観音(西国三十三観音霊場の写し)や、四国八十八ヶ所霊場の写しを何か所も見た。防府市だけでも、松尾山三十三観音防府八十八ヶ所霊場、桑山八十八ヶ所、向島厳島神社御旅所前の八十八ヶ所、周防三十三観音の一部、などがあった。防府市以外でも山口市小鯖の禅昌寺三十三観音、そして先に投稿した萩市の足摺山の三十三観音という次第である。こんなにもたくさんあるのか。思わずため息の一つも出ようというものではないか。

 その足摺山の写真を分類整理していて、気づくことがあった。以下、それについて記す。

 

 はじめに西国「三十三観音霊場」とは、法華経の「観世音菩薩普門品第二十五(観音経)」に説かれる、観音菩薩衆生を救うとき臨機応変に33通りの姿に変化する(三十三応現身=婆羅門身・比丘身・童男身・童女身・夜叉身・等々/具体的な観音の名前は出てこない)という信仰に由来し、その数字に対応した三十三ヶ所の霊場(寺院)を言う。そこを巡拝することによって、現世で犯した罪業が消滅し、極楽往生できるというものである。

 それとは別に「三十三観音」がある。その「楊柳観音白衣観音魚籃観音水月観音、等々」といった33種の観音の名称と容姿は、天明3年(1783年)刊行の、絵師土佐秀信が著した『仏像図彙』に拠るものである。それは中国起源の新しい観音を取り入れたりしており、上述の「三十三応現身」とは対応しない。つまり、ほぼ彼の創案した、近世の「キャラクター」なのである。したがって儀軌としての正当性は、疑わしいと言える。むろん、そこには古来の六観音聖観音、十一面観音、千手観音、如意輪観音馬頭観音、准邸観音/または不空羂索観音)は含まれていない。

 結論として、土佐秀信33観音と三十三観音霊場は、33という数字は共通しているものの、まったく別系統のものである。紛らわしい。

 いずれにしても、各地の三十三観音霊場には、近世以前に創建された西国の寺院が割り当てられているわけだから、上記の六観音(七種類)に限られる。

 

 三十三所巡礼の起源は養老2(718年)とされるが、ほどなく忘れ去られ、11世紀にその前身と言えるような形が成立し、ようやく15世紀後半以降に現在のような形で一般化し、江戸時代以降、庶民化したとのこと。

 当時も現在でも、京都を中心とする8府県に散在するそれらをすべて巡ることは、大きな負担を必要とする(だからこそ功徳が大きいということなのだが)。そこで一日か、せいぜい数日で回り切れるような範囲に、勧請した(分霊を移した=写した)三十三観音を設置することによって、信者の(お手軽な)信仰に応えるという寺院の戦略が生まれ、日本全国に実に多くの○○観音霊場が生まれた。それらの多くは廃れ、いくつかは今も生き残っている。

 

 仏像には数多くの種類がある。如来でも阿弥陀如来大日如来は違う。菩薩でも弥勒菩薩地蔵菩薩は意味と歴史が違う。観音菩薩でも千手観音と馬頭観音は、姿形が違う。したがって、姿形に関する多くの決まりごとがある。

 それらを作ろうとするときに、当然ながら顔は一つなのか、三面なのか、手は何本なのか、何を持っているのか、どういう手の形(印相)なのかを知らなければならない。それらの特徴によって仏の種類と意味を示さなければならないからだ。しかし実際のものには、かなりの違いがある。

 昔の地方の貧しい寺や石工が、そうした正確な知識を持つことは難しかっただろう。そうした規則(儀軌)を記した典籍や何らかのお手本が必要なのだが、そうしたものを見ることはなかなか難しかっただろう。そのために、地方をめぐる修験者などがもたらした、木版の刷物やお札などを、多少怪しげではあっても、参考にすることもあっただろう。

 さらに、仮にある程度正確な御手本があったとしても、それを忠実に再現するのは石という素材の上では技術的、費用的にかなり難しい。したがって、省略、簡略化が行われる。例えば馬頭観音は、本来慈悲相の観音の中で唯一憤怒相の三面六手なのだが、数多い実際の石仏としての馬頭観音においては、ほとんどがシンプルな造形の一面二手合掌の慈悲相として表されている。飼馬を供養する施主の心情としては、正確さ云々よりも、むしろその像容の方が心に叶うのだろう。

 

 足摺山の三十三観音を、記された番号と像容、「千手・十一面・如意輪」などの刻字を対照させてみると、そこに多くの齟齬や間違い(?)、混同を見出す。「弥勒」や「八目」といった像との関係が不明瞭な刻字もある。

 だが、彫りの仕事のレベルを見る限りにおいては、素朴ではあるが、かなりまじめに複雑な仕事をしており、手を惜しんではいない。ということは、そうした間違いや混同は、結局のところ、三十三観音霊場や各種観音像に関する基本的な知識の少なさと、それを補うべき良いお手本がなかったことに由来する、おおらかないいかげんさなのではないかとも想像されるのである。

 足摺山三十三観音霊場についての、創建時期、創設の経緯等の基本的な情報を、私はまだ知らない。いずれにしても昔(江戸後期前後?)の山陰の山あいの小集落というものを想像してみれば、この程度の儀軌上、図像上の間違いや混同など、大した問題ではないと思えなくもない。それを補って余りある複雑さをいとわぬ丁寧でまじめな仕事ぶりは、当時の人々の信仰をあつめ、今に至ってもなお野趣と地方色と素朴さにあふれつつも、何か味わい深いものを今なお呈示しているからである。

 また、洋の東西を問わず、歴史上における造形や表現とその規範(御手本、粉本)との関係といったことに、多少なりとも考えを巡らさずにはおれない気になるのである。

 

 

1. 十一面観音、17番。

 十一面観音の図像上の最大の特徴は、頭部にある十一面の顔。ふつうは2手で、右手に念珠、左手に蓮華(を挿した水瓶)を持つ。だがこれは頭部に十一面あるものの、左手:施無畏印、右手:与願印で、持ち物はなし。



 

2. 十一面観音、25番

 十一面観音の中には、左手は蓮華を挿した水瓶、右手に数珠の代わりに地蔵の持つ錫杖を持つものもあり、こうしたタイプのものは「長谷寺式観音」と言われるらしい。ただし、足摺山にある「十一面」は、数珠ではなく三叉戟だったり、また数珠は持っているが、錫杖ではなく開敷蓮華だったりするからややこしい。これは左手:開敷蓮華、右手:与願印に数珠。



 

3. 十一面観音、26番(二十六バン/二十四バンとも読めるのが悩ましい)。

 手は千手観音の表現で、錫杖と三叉戟を持った「長谷寺式?」座像。

十一面観音の中には、例は少ないが、「十一面千手観音」(文京区光源寺にあるらしいが私は未見)というのもあるらしいから、「十一面」と書いてあって「千手」ということも間違いとは言い切れないかもしれない。だが、26番なら聖観音のはずなのだが??もし24番なら十一面観音で間違いない。

 

 

4. ややこしいことに、もう二体26番と読めるものがある。

 こちらには「〇〇(読めず)千手 廿六ば(変)ん」。〇〇が気になるところだが、像容は3をそのまま立たせた感じの、また後にいくつも出てくる、千手・十一面・錫杖と三叉戟持ちの立像。だんだん混乱してきた。

 

 

5. 十一面観音、33番(三十三[変体仮名]ん)。

 二手タイプ。



 

6. 不思議なことに33番(丗三ば[変体仮名]ん)、「千手」も、もう一つある。

 こちらは千手観音タイプ。33番なら十一面観音のはずだが?

 

 

7. 「聖」、31番と彫られているから、聖観音ということだろうと思うのだが、表現としては千手観音タイプで、錫杖と三叉戟を持っている。

 ちなみに聖観音とは三十三通りに変化する観音の変化しない標準形と言うべき姿で、ふつうは左手蓮華、右手与願印か蓮華に添えるだけ。千手の要素はない。

 だが三十一番長命寺の札所本尊は、ここだけは特別に(?)「千手観音十一面観音聖観音」なので、間違いともいえないのか。

 

 

8. ここから本来の(?)千手観音。

 番号は不明。錫杖と三叉戟持ち。

 

 

9. 26番、千手観音。

 苔に覆われて読み辛いが、三つ目の26番。これには「千手」と彫られているが、二手。26番なら聖観音で像容的には合っている。

 

 

10. 6番、千手観音。

 「如意」とあるから如意輪観音だろうが、像容的には1の十一面観音(千手タイプ)と同じ。面白いし味のある像容的なのだが…。

 

 

11. 13番、如意輪観音

 「二臂如意輪」とあり、半跏座像ではあるが、如意輪観音の最大の特徴である頬杖をついた「思惟」像ではない、中途半端な像容。

 

 

12. 如意輪観音半跏思惟座像、1番。

 これは他と比べても、特に彫りの良い、円光や開敷蓮華と未敷蓮華を組み合わせるなどした立派な造作である。石工の棟梁が彫ったのか?にもかかわらず、11と同じく「二臂(手)如意輪」とあるが、四臂(手)である。何か意味があるのだろうか?ああ、もう何だかわからない。

 

 

13.  4番、千手観音。

 「弥勒」とあるが、4番の槇尾寺なら本尊はこの通りの千手観音。弥勒菩薩を本尊とする札所はない。これまでにも見られた番数と本尊の食い違い。

 

 

14 準提観音、11番。

 ふつうは「准胝観音」と表記する。三眼十八手、ないし八手が基本で、この像は14手のように見えるが、おおむね儀軌に近い。

 

 

15. 9番、不空羂索観音

 9番だから不空羂索観音で、多臂で異形像が多く、仏としては作例が少ないということだが、六臂で羂索を持っているから儀軌どおり。「八目」の意味は不明。



(記:2022.6.25)