艸砦庵だより

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小山利枝子展と石仏探訪-42「元箱根石仏群」

 8月30~31日、友人S夫妻と女房とで、伊豆と箱根に行ってきた。

 50年近く前に、ほんの淡いかかわりがあっただけの、小山利枝子さんの池田二十世紀美術館での回顧展を見に。プラス箱根方面の石仏探訪。

 

 会場での撮影はOKだったが、SNSへのアップは「禁止」ということなので、ここでは美術館のHPに挙げられていたチラシの画像1点だけ。私の下手な写真を上げて誤解を招くよりも、その方が良いかもしれない。

 

 ↓ 小山利枝子展チラシ サブタイトル「LIFE BEAUTY ENERGY」

 

 

 昨年再会するまでの40年以上、その消息、作品をほとんど知らずにいた。彼女は美の巫女になっていた。何点か実に良い、心惹かれる作品があった。表現者・制作者としての私自身の深奥に直接影響を及ぼすような魅力。思うところ、感ずるところ、多し。その影響をまだ飲みこなし切れない。いろいろと展覧会を見ていても、久しぶりの体験だ。絶対に飲み下さなければいけないその印象と、しばらく大事につき合って行こう。

 

 元箱根の石仏群はある程度有名なのだが、有名観光地が好きではないので、今回の話が無ければ、自分から見に行くことは無かっただろう。

 箱根という地域性と鎌倉時代という、これまでほとんど無縁だったカテゴリーのゆえか、私の現在の力量と範疇とはまた微妙に異なった、新しいもの(美)を見たような気がする。芦ノ湖周辺に蝟集する多くの観光客もほとんど来ず、静かに見ることができた。

 

 途中での食事や小田原で買った魚の干物なども、超美味だったが、割愛。

 やはり、あれやこれやと、旅に出てなんぼである。

 

 

 ↓ 二日目の朝、宿のベランダから見ると、雨を含んだ雲と立湧雲の合間に虹が出ていた。先が思いやられたが、結局は天候に恵まれた。

 

 

 ↓ 伊豆半島の稜線上で一休み。左の海上には初島が見える。何か、風の魔女(女房)たちに圧倒されている。なぜ、Tシャツの裾がズボンの中? ダサッ!

 

 

 ↓ 元箱根石仏群の最初に現れた「六道地蔵」。正安2/1300年。高さ約3.2m。

 この元箱根石仏群は、古道である湯坂道の峠にあたる精進池の近くにあり、大半が永仁4/1296年からのわずか7年間で造立されたもの。多くが国の重要文化財

 精進池は「生死ノ池」と記されたものもあり、精進池=六道の辻と見なされ、その湖岸は賽の河原とされた(その見立ては後に芦ノ湖畔に移動)。

 刻字は確認できなかったが、資料には「筥根山宝蔵嶽○○○道」とあり、いわゆる「峠の地蔵」の性格(峠→塞ノ神)と、道標も兼ねていたのかもしれない。右手の先は後補。錫杖と白毫は新しいもの。

 「体躯がすっきりしすぎて、何となく弱々しい。大きさの割に摩崖仏らしい迫力に欠ける」とする評もある(佐藤宗太郎)。 

 

 

 ↓ 平成になって室町時代にあった通りに覆屋が再建されたそうだが、それ以前の景がこの写真。和服を着た人が額ずいている。より身近にというか、直接仏と対峙できそうだ。

 覆屋は保存のためには、あった方が良いとは思うが、少し距離ができたように思われるのが惜しい。

 

 

 ↓ 国道と並行して、精進池のほとりに旧道がある。国道の下の通路を通ったり、刈払いの終わったばかりの旧道を歩いて探索する。昔の賽の河原を進んでいるわけだ。楽しい。

 

 

 ↓ 多田満仲の墓である宝篋印塔。塔身の三面には梵字種子、一面には阿弥陀如来

 永仁4/1296年に造立され、正安2/1300に追刻がなされている。関東の在銘塔では現存する最古のもの。精進池が六道の辻に当たると記されているそうだ。

 これが鎌倉の塔というものか。その端正で剛健な重量感。国重要文化財

 

 

 ↓ 「二十五菩薩」と称されている摩崖仏群。

 摩崖仏というと岩壁に穿たれたイメージだが、ここのそれはいくつもの重なり合った岩塊に彫られたもので、摩崖仏という言葉とは若干違和感があるが、まあそれはそれ。それなりの迫力である。

 この一帯に23体、この先の国道の反対側に3体(2体見損なった)、計26体あり、1体の阿弥陀如来と1体の供養仏(?)を除いてすべて地蔵菩薩

 阿弥陀如来、二十五菩薩というからには、多くの菩薩が登場するいわゆる阿弥陀来迎信仰と、箱根地方で特に強い地蔵信仰が習合したものではないかと言われている。全体で国の重要文化財

 

 

 ↓ 一つ一つはそれほど大きくはない。右の最大の地蔵菩薩で1m少々。

 積み重なった岩塊に彫られたせいか、全体としての構成といったものは無いように思われる。



 ↓ 中央の上になぜか一つだけある「供養仏」。

 地蔵ではなく、また特定の仏をあらわしたものではないようだ。鑿跡も残り、未完成とも見えるが、そのせいか、他とは異なった、動きのあるやさしい表情。小さくて見落としそうだが、この1体があるおかげで、荒々しい岩塊のあちこちに彫られたこの「二十五菩薩」全体の印象が、スウ~ッと優しいものに変わるような気がする。



 ↓ 右が唯一の阿弥陀如来施無畏印与願印

 硬い安山岩とのことで、風化剥落等はあまり見られず、状態は良い。

 

 ↓ 少し登ってちょっと見下ろす。「天空の寺院」とか「異星の寺院」とか言いたくなるような趣。

 中央には掘り出した庇があり、その上にはかつて懸けてあった覆屋の痕跡が見られる。

 

 

 ↓ 左の二つが「曽我兄弟の墓」、右が「虎御前の墓」と俗称される五輪の塔。

 むろん曽我兄弟や虎御前とは関係なく、「地蔵講結縁衆」とあるように、地蔵信仰によるもの。「平等利益」とも彫られている。「曽我兄弟の墓」の前面には梵字種子の代わりに地蔵が浮彫されている。

 「虎御前の墓」には応仁2/1295年とあり、そのせいか、こちらだけが国の重要文化財。何にしてもけっこうな迫力に圧倒される。いや、立派だ。

 

 

 ↓ ちょっと趣きを変えて。これは芦ノ湖畔の「賽の河原」という、近年になって紛失や盗難を防ぐために集められた一画の中の馬頭観音

 鎌倉時代のものに比べ大正3/1914年と新しいが、ホッとする造形で愛らしい。馬も馬らしいし、何か好きです。

 

 

 ↓ 同じ境内にある箱根神社と九頭竜神社新宮にも行ってみた。共に由緒ある神社だが、社殿等は新しく、石造物も少なく、あまり興味を引かなかったが、せっかくだからこの狛犬を一点。苔をまとい、背景と一体化し、頑張っている。

 

(記・FB投稿:2022.9.3 ブログ投稿:2022.9.26)