艸砦庵だより

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閑話「日本で一番小さな花火大会」+石仏探訪‐41「戸倉白山神社と乙津大戸里神社」

 8月13日は近所の小和田地区の花火大会。台風接近でどうなるかと思われたが、奇蹟的に雨はやみ、30分ほど遅れて開始。

 

 ↓ スマホのオートで撮ればこんなものか。でも昔のガラケーとは段違い。

    

 

 

 「日本で一番小さな花火大会」と銘打った、地元自治会主催のもの。大きな尺玉には地元企業のスポンサーがつくが、全体としてはスポンサーを付けず、「おじいちゃんの米寿の祝い」とか「孫の誕生記念」とか地元の「○○中学校何年卒業生有志」とか、一発ごとに地元の方の協賛金で成り立っているほのぼの感が良い。

 

 ↓ ま、こんなもの。以下、略。

 

 以前より少し大掛かりになったのか、会場の川原まで行かずとも、わが家の庭先からでも結構よく見える。一瞬の光の芸術。人間、いろんなことを考えつくもんだ。

 

 話は変わって先日、運動不足解消を兼ねて、自転車で4、50分ほどのあたりを石仏探訪。何度も近くを通っているのに見つけられない戸倉の白山神社。久しぶりに体験する目のくらむような暑さと、滝のような汗で判断力低下。それらしき平坦地を見付けて、てっきり廃社となったかと思った。

 

 ↓ 一回目の戸倉白山神社探索で見つけられず、代わりにこんなものを見つけた。写真の奥に秋川の本流からの水の引き込み口があり、そこから延びる導管。以前は近くに水力発電所があったようだが、今は無いはず。戸倉には貯水場があったりするから、そこに引いているのだろうか。ちょっと不思議な水の道。

 

 帰宅後、やはり納得できず、三日後の暑い昨日再訪。今度は旧道の奥にめでたく発見できた。少し興味深い石造物、いくつかあり。やれやれ。

 

 ↓ 二度目の探索で見つけた戸倉白山神社

 文政3/1820年と、弘化3/1846年の灯篭、弘化4/1847年の手洗石、その他。文政3年の灯篭の「奉日本神佛」の銘文に、神仏習合の姿がうかがえる。写真を撮っていると、蚊に喰われまくる。

 

 ↓ 「山之主大神」と刻まれた自然石碑。

 資料にも載っておらず、詳細不明。山の神だろうと思うが、「山之主大神」と記したのは初めて見た。

 

 

 ついでにもう少し足を伸ばし、乙津の大戸里神社近くにあるはずの春日明神社を探すが、やはり今回もわからない。たぶんあそこだろうと見当はついているのだが、人の家の敷地を通らざるを得ないようで、今回も断念。

 

 ↓ 乙津の春日明神社の探索をあきらめて、ついでに寄った大戸里神社の庚申塔

 青面金剛、二鶏二猿の浮彫立像。二鶏は線が浅く、わかりづらい。

 三猿ではなく二猿で、しかもそのポーズが面白い。右の未敷蓮華(悟りきれないことの象徴)は当然として、左のそれを男根としている資料もあるが、どうだろうか。また古い写真を見ると、二猿ではなく、間に風化しているが、もう一匹うずくまっているようにも見える。さて、どうだろうか。また青面金剛の右三手には、はっきりと蛇を持っている。正徳元年/1711年と、なかなか古い。

 

 ↓ 大戸里神社の裏参道にあたる切り通し、「風の道」。下り方向を見る。

 表参道は急な長い石段であり、それを回避するために大正前後(?)に拓かれたものだろう。「風の道」と名付けられているとか聞いたことがある。実際、地形の関係から、猛暑のこの日もここだけは涼しい風が吹き抜けていた。

 少し下った所の左側に石仏群があったが、最近道路わきの事務所敷地内に移され、見辛くなったのが残念。

 

 ↓ 少し下って振り返り見る。切り通し、峠、鞍部といったもの特有の地形的風情。風も通るが、光も流れる。

 

 

 雨後の増水にもかかわらず、秋川は水遊び客で混んでいた。道路の渋滞は仕方ないが、水難事故のないように、そしてごみを捨てずに持ち帰るようにして欲しいものだ。

(記・FB投稿:2022.8.15)