神仏に男女の区別があるかどうかということになると、神道系・民間信仰系では男神女神の区別が比較的はっきりしているようだ。だが、山の神や道祖神あたりになると、地域によって諸説がある。性を問わない、持たない神も存在する。
キリスト教だと、確か天使は中性のはず。
仏教の経典レベル、仏性レベルでは、そもそも男女性についてはあまりはっきりとはさせていないようだ。例えば観音菩薩は三十三通り(=無限)に変化し、時に応じて老若男女の姿を示すとされる。
だが民衆レベルでは、それでは納得しない。地蔵は男で観音は女性であるという認識はアジア圏では古くから強くある。
しかし、地蔵はもともとインドの土俗女神だった(という説もある)。摩利支天も天女姿とされながら、どう見ても憤怒相の武人(男)にしか見えない。すなわち、民衆は自分たちの欲望に合わせて神仏を造形し、改編するのだ。
ちなみに狩野芳崖の「悲母観音」にははっきりと髭が描き込まれている。
↓(参考)狩野芳崖 『悲母観音』(部分)
1888(明治21)年作、芳崖の絶筆。完成直前に死去したため、落款等はない。図柄としては三十三観音の一つ、楊柳観音。
昔からこの有名な絵を見て不思議だった。女性であるはずの観音様になぜ髭が生えているのだろうかと。やや長じて、仏さまには男女の区別はないのだと教えられて(?)、何だか釈然としなかった気持ちをおぼえている。大学でも、読書でも、そうした素朴な疑問には結局答えてくれなかった。
神仏を突き詰めた、ヒンドゥー教のブラーフマン、ゾロアスター教のアフラ・マズダ、仏教の大日如来などは、宇宙の根源、絶対神という性格からして男女性を超越した、もっと言えば人格性を持たぬ抽象的存在ということになる。当たり前かもしれないが、神は人ではないということだ。だが、民衆の思いの多くはそういうところにはないだろう。
すがれるもの、信じられるものは、誰しもがイメージできる姿形、それも慈悲相をもった美しくありがたい姿形であって欲しいと願う。宗教が人間の発明創作したものである以上、それは人間の欲望を忠実に反映する鏡となる。
そんなわけで、今回は信濃の国で出会ったやさしい女神系の神仏を何点か紹介してみる。
↓ 蚕神 茅野市米沢北大塩 大清水不動堂
現地でこの像を見つけた時、何の予備知識もなかったので、驚き、感動した。帰宅後、ネットで検索したら、天照大御神と出ていた。一応納得したが、写真を拡大して基礎の文字を読むと「蠶玉神社」とあった。蠶=蚕、すなわち蚕神。
像容だけ見ると、天照大御神とも蚕神ともコノハナサクヤヒメとも言えそうだ。また部分に注目すると、後述するような弁財天と見える要素もある。蚕神なら必須の桑の葉を持っておらず、両手で持っているのは宝珠(?)なのが、混乱の原因なのだが、あらためて見直して見ると、袖の模様があるいは桑の葉を表しているのかもしれないと気づいた。
何にしても、たっぷりとした大らかな良い像である。造立年等、詳細不明。
↓ 同上
感激して興奮しながら調べまくっている私を、同行のCちゃんが撮影していた。蚕神と同じく、私の顔もほころんでいる。(なんじゃ~!? そのTシャツのメキシコ髑髏は!)
蚕神=蚕玉神の女性単独像は「インド渡来の金色姫が死んで蚕になったという伝承に由来する」とのこと。女性単独像以外にもいろいろなバリエーションがあるようだ。先の投稿で木曽駒ヶ岳山頂の馬に乗った蚕神を紹介したが、それは「馬娘婚姻譚」に由来するもので、系統が違うとのこと。へえ~。いろいろあるんだ。
それにしても下ぶくれの良いお顔。
↓ 蚕神? 諏訪市四賀普門寺 足長神社近く 児玉神社?
ちなみに蚕神の塔の多くはこうした文字塔。これは足長神社近くの駐車スペース(廃寺跡か?)にあった社の前にあったもの。後ろの社が何神社なのかわからないが、とりあえず「〇玉大神」を「児玉大神」と読んで、児(蚕)玉神社だとみた。
「〇」は「蚕」の旧字異体字の「蠶」や「䗝」「䘉」などが複雑すぎて象形文字的に繭を連想させる「〇」で代用したのではないかと思う。まさか「金」ではあるまい。
↓ 弁財天 諏訪市小和田 教念寺
境内の小堂内にあった、木彫彩色、裸形の弁財天。格子の隙間からのぞく。近年のものだろうが、詳細不明。
傍らの解説によれば「当山勧請の弁財天は、平成九年夏、不思議な法縁によって、東京都文京区智香寺から奉迎された尊像で、琵琶を弾く二臂裸形の座像である。」とのことで、何のことやらさっぱりわからない。「不思議な法縁」って、何だ?どんないきさつがあったのか、知りたい。
ともあれ、ドキッとする胡粉(たぶん)仕上げの艶めかしさ。
↓ 同上
弁財天はインドにおける発生当初から女神とされており、それゆえに信仰とは別の性的眼差しも入り込みやすい。その結果、いわゆる「裸弁天」は各地にあるようだ。江の島のそれが有名だが、私はまだ見ていない。
この像はありていにいって、エロチックで美しく、私の好きな像だ。だが、それを仏様として信仰の対象足りうるかと問われれば、ウ~ンと、唸るしかない。「天」であるから「仏」であることは間違いないが、つまりは発展変化形としての民間信仰の地平だと考える。
↓ 弁財天 諏訪市小和田 甲立寺
こちらは甲立寺にあった石造の弁財天。甲立寺はもと八劔神社の別当寺で、真言宗であるせいか、いくつもの興味深い興味深い石仏があるが、これもその一つ。
一面八臂。頭部に鳥居や宇賀神はないようだ。彫りは薄いが、複雑な絵柄をうまく彫り込んである。石質のせいかもしれないが、高遠石工守屋貞治の系統のようにも見えるが、さて?
↓ 蚕神 前掲
先に紹介した像だが、拡大して見た時に頭部のこれがとぐろを巻いた蛇=宇賀神のように見えた。今見てもとぐろをまいた蛇のようにも見えるし、宝珠のようにも見える。首飾りや髪飾りも単純な球体の連続ではなく、勾玉のような形、もっと言えば蚕の幼虫のように見えるものが散見される。目と唇に彩色の跡が残るように見えるのは、錯覚か。
設置場所の不動堂のすぐ下が北大塩の大清水(湧水地/そこにも弁財天の文字塔があった)だったということもあり、基礎の「蠶玉神社」の文字に気づくまで、人頭蛇身の宇賀神を頭部に戴く弁財天かもしれないと思っていた。
↓ 宇賀神 茅野市北山 横谷観音
その宇賀神の像がこれ。このようなとぐろを巻いていないタイプの造形は初めて見た。
宇賀神の出自は不明だが、古事記では宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)、日本書紀では倉稲魂命とされる。「ウカ」は「ウケ(食)」の音変化で食物を表し、ことに稲の実(魂)に結び付けられ、穀霊神から福徳神へと拡張された。また、その過程で稲作=水との関係から水神・竜神ともみなされ、やはり水の神である弁財天と習合し、合体したようだ。
人頭蛇身の人頭は女性であったり、老翁であったりするが、これは僧形(坊主頭)。解説板によると、「よく見ると頭のまわりにうっすらと光背があり、神仏一体で地蔵信仰とも習合している。」とある。「うっすらと光背」はかすかに赤く残っている彩色跡のことか。う~ん、地蔵の頭の蛇。そうですか。まあ、何でも連想の力によって習合するもんだ。
以前は少し離れた場所にあったが、盗難をおそれ平成7年に現在地に遷されたとのこと。何にしても珍しく面白い、不思議な像である。こういうのを見るとドキドキする。
造立年等、詳細不明なのが惜しまれる。尻尾の先のふくらみ(?)が気になる。
礼拝本尊の合掌する勢至菩薩を主尊とした二十三夜塔。享保2/1717年。上部に日月天と梵字種子:サク/勢至菩薩があり、左に「廿三夜供羪」とある。
女性のみで構成されることが多かった二十三夜講の記念として建てられたもの。月待講の中では最も多い二十三夜塔だが文字塔が多く、このような像塔は少い。上の一部が欠けているが、全体にスマートで、微妙に左右非対称の、繊細なバランスの美しい塔である。
石仏を見ていると、女性だけの講や女性たちだけで建てた塔が案外多くあることに気づく。基本的には男性中心の江戸時代ではあっても、やはり一定以上の割合で女性の力は強かったというか、認められていたようだ。そう思えば、これがいかにも女性らしい繊細な美しさを持った塔のように見えるのも、無理はないかもしれない。
↓ 八重垣姫 諏訪市小和田 八剱神社
石仏ではないが、ぜひとも紹介したくなった、八剱神社の舞屋(神楽殿?)に展示されていたインスタレーション(?)。
解説によると、「奪われた諏訪法性の兜を取り戻そうとして上杉館に忍び込んだ箕作(実は武田勝頼)を救うために、八重垣姫が御神渡り以前の諏訪湖を渡って知らせようとして、諏訪明神とその眷属である八百八狐の導きの助けを借りて云々」という伝承?お話?を再現したものらしい。
八剱神社が諏訪湖の御神渡りを見定める「御渡り拝観」という神事に関与していることに由来するのだろう。詳しいことはわからないが、何だか面白い。かわいい。よく出来ている。御神渡りの諏訪湖の情景もよく出ている。
↓ 八重垣姫 諏訪市小和田 八剱神社
角度を変えて。う~ん、ファンタジーだ。八重垣姫もナイスなお姉ちゃんだ。がんばれ箕作!
周りに浮かんでいるホオズキのようなものは、いわゆる狐火なのだろうか。
(記:2022.9.28 FB投稿:10.3)