艸砦庵だより

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「上州紀行‐紅葉と石仏の旅」(石仏探訪-48)

 群馬県在の作家O氏から電話。桐生から日光への旅に誘われた。

 40年来の知り合いだが、そう深い付きあいがあったわけではない。ごくごく淡い縁。なぜ誘ってくれたのか、今もよくわからないが、これもまあ、ありがたい機縁だ。

 

 10月18日、桐生で、彼も実行委員の一人である、桐生ビエンナーレの一部を見る。知り合いも何人か出品していた。最近、全国各地でこうしたビエンナーレトリエンナーレ、つまり地域おこし的芸術祭(?)が盛んにおこなわれている。私は、感想や意見を言えるほど多くを見てはいない。

 みどり市の草木湖畔で一泊。翌日、日光から中禅寺湖畔、奥日光をへて片品村丸沼高原で二泊め。20日奥白根山日光白根山)の肩までロープウェイで上り、周辺の史跡自然観察コースを歩く。往時の修験道の痕跡をかすかに偲ぶ。昔登った奥白根の山頂が見えた。

 沼田市、昭和村経由で帰宅。行く先々、途中途中で石仏を見た。すべては偶然と御縁。

 栃木、群馬もまた石仏王国だった。地域性というか、初めて見るもの、味わい深いものが多かった。周辺の山にはかつてけっこう登ったが、それは石仏などには関心の無かった頃の、人里離れてからの高みの世界。今回のような山麓・人里を行けば、全く違った世界の姿を知ることができる。

 それにしても、なぜ人はいともたやすくかつての信仰を忘れ、捨ててゆくのだろうか。それが私には不思議なのである。

以下、旅っぽさをメインに紹介。石仏はまた別の機会に。(信州の旅の石仏のネタもまだあと二つ残っている…)

 

 

 ↓ 桐生ビエンナーレ展示風景

 かつての工場や倉庫の跡を利用した展示会場。歴史や生活感に分厚く裏打ちされた空間は素晴らしい。だが、そこに作品を展示するというのは、やはりある種の難しさがあり、思想が必要となる。

 

 

 ↓ 桐生ビエンナーレ展示風景

 アトリエで制作した作品をホワイトキューブではない異質な空間にただ持ってきて置くだけでは、やはり空間や壁の存在感に圧倒されてしまう。だから暗くして(空間の特性を弱めて)、こうしたテクノロジカルな光モノを置くというのは、よくあるやり方だ。それは一定の効果を発揮しはするが、場の固有性や場との必然性とはあまり関係がないのではないかと思ってしまう。

 蛇足だが、取り上げた2点は作品としては悪いものではない。楽しめた。ただ、その場との関係性については、さほど濃密なものは感じられなかった。

 

 

 ↓ 庚申塔 桐生市東 観音院

 観音院には面白い石仏が多くあった。これもその一つで、丁寧な作の青面金剛庚申塔

 庚申塔といえば、三猿が付き物だが、これにはない。あるいは本来あった別石の基礎にあったのかもしれないが、他所から移された時に失われたのかもしれない。結果として頭を踏みつけられた二体の邪鬼が残った。邪鬼はふつう一体。このように二体の邪鬼は初めて見た。

 今回の旅では庚申塔だけでも様々なバリエーションを見ることができたが、これもその一つ。

 

 

 ↓ わたらせ渓谷鉄道  足尾駅

 現在の草木湖ができる前から、わたらせ渓谷鉄道(旧足尾線)沿線には心惹かれるものがあったが、実際にはまだ乗ったことはない。

 これも途中で立ち寄っただけだが、懐かしさをおぼえる。これが正しい、かつてはどこにでもあった「国鉄の駅」。

 

 

 ↓ 日光 含満淵 梵字カンマーン

 せっかく世界遺産の観光地日光に来て東照宮にも輪王寺にもよらず、ここ含満淵と寂光の滝にしか行かない我々も少し妙だが、O氏はここ含満淵だけは見せたかったとの由。

 写真は含満淵の初めにある霊庇閣の対岸。かつてその上には高さ2mの不動明王があったが、明治35年1902年の大洪水で、上流の多くの地蔵と共に流されてしまったとのこと。

今は大岩の中ほどに刻まれた梵字種子「カンマーン」だけが残っている。

 

 

 ↓ 拡大してみる梵字種子「カンマーン」

 不動明王梵字種子(仏の種類などを象徴する、様式化された古代サンスクリット文字)は「カーン」だが、刻まれているのはその重字と呼ばれる二文字を重ねたもので、この場合は「カンマン」と発声する。そこから含満淵、憾満ヶ淵となった。同様の伝承を持つカンマン淵の地名は他でもいくつかある。

 字の下の方は水流に洗われるせいか、薄れているようだ。

 

 

 ↓ 「化け地蔵」

 大谷川沿いの道を進むと、このような「並び地蔵」あるいは「化け地蔵」と呼ばれる地蔵群が現れる。約百体ほどあったものが、明治35年の大洪水でいくつか失われ、それ以後数えるたびに数が違うので「化け地蔵」と呼ばれるようになったとか。

 なかなかの壮観である。ただしこの写真もそうだが、入口近くの慈雲寺本堂近くにある石仏群のものは、厳密に言えば慈眼大師天海の弟子たちが建てた「含満淵の地蔵」ではなく、慈雲寺の石仏ということになるらしいが、まあ、一続きのものとして見てかまわないだろう。

 

 

 何はともあれ、素晴らしい苔の衣装。物の怪やら精霊やら山の神やら、もろもろのものと合体習合した風情。もうこれは「森の神」だ。

 

 

 ↓ 振り返ればまた微妙に異なった印象の「化地蔵」たち。

 そもそもの造立の趣旨や一点ずつの由緒あれこれなどよくわからないが、とにもかくにも、数量と整列の圧倒性。数量信仰というものは、世界中のどの宗教でもかなり普遍的に共通してあるようだ。

 

 

 薄暗い大谷川含満淵を離れ、奥日光の高原、龍頭の滝へ向かう。写真はその手前の駐車場の付近。紅葉には少し早かったかと思っていたら、標高が上がるごとに次第にその彩を深めはじめた。これはまだ序の口。



 

 さらに奥へ進み、戦場ヶ原の先の湯滝へ。湯ノ湖から一気呵成に流れ出る、圧倒的な水量にただボーゼン。落差は70mぐらいだが、冷静に見ると、この滝はノーザイルで直登できる。ただし、もう少し水量が少ない時ね。私はもうそんなことしないけど。

 このあと少し自然散策コースを歩いた。

 

 

 ↓ 奥日光から片品村丸沼へ向かう途中、金精峠手前から振り返る男体山

 日本百名山で、立派な山だが、まだ登っていない。どこから登ってもけっこう大変だし、人は多いし、おそらく自分から登ることは今後もないだろう。

 

 

 丸沼高原の宿の前の白樺。いかにも高原風。このあとすぐに夕陽に照らされて、赤く燃える色彩に変わった。



 

 ロープウェイで奥白根山の肩まで登り、しばらく付近のそぞろ歩きを楽しみ、1000年前の修験道の世界を偲ぶ。ささやかな六地蔵血の池地獄大日如来…。

 前夜あたりの雨がここでは雪だったようで、わずかに残っていた。当然、こんな霜柱もふつうにある。



 何の樹だったか、樹皮の模様、小枝の生えていた跡。妖精、ゴブリンとかの叫ぶ顔のように見えなくもない。



 ↓ ロープウェイ頂上駅から見る奥白根山日光白根山)山頂、2578m。

 これより北でここより高い山はない。

 40年以上前のゴールデンウイークに女房と二人で登った。雪が多かったのに、ピッケルもアイゼンも持たず、上の避難小屋に泊まって寒さに震え、下り斜面で難渋したのは、みんな私の計画の甘さと若(バカ)さでした。女房が滑落しなくて良かった。

 

 

 ↓ 清雲寺 昭和村糸井

 沼田インターから関越道に乗るつもりが、事故で通行止め。昭和インターに迂回する途中で、このやや荒れた(失礼)趣きの寺を発見。時間は気になるが、私の石仏センサーが発動して急きょ車を止めた。これが大当たり。

 山門前右の塔については後述。

 

 

 ↓ 山門手前にはなぜか、大量の未整理の石仏群があった。これはその一部。

 折よく来合わせた住職の御子息(?)から聞いたところでは、近辺のあちこちの自治会館などの改修工事のさいに「邪魔だし、不要だから」といって持ち込まれたとの由。

 それ以前、戦前戦後の道路拡張等の際に、寺社や自治会館などに集められたものを、現在の吾々は見ているのだが、今回再度の移動に至った現場を目撃したわけだ。地元の人にも、もはや信仰心も執着もないらしい。

 それはそれでやむをえないが、文化財的認識もないようだ。現在の日本において、そういった集落、自治体の行政の方が多いことを、私は知っている。中には相当面白いものがあったが、すべてを確認する余裕はなかった。

 少しだけ立ち話をした方は僧籍にもあるようで、ある程度石仏にも詳しく、もう少し話ができればよかったのだが、情況的にも時間的にも余裕がなく、残念。

 

 

 ↓ 「禁藝術賣買」塔 昭和村 糸井 清雲寺

 一点だけ上げる。

 禅宗寺院の山門前によくある「不許葷酒入山門」と記した塔と並ぶ、境界碑の一種「禁藝術賣買」塔。二つ前の写真を参照。造立年等、未確認。

 「藝術」とは今日いうところのアートの意味ではなく、縁日などに境内に入り込む、旅芸人・門付・博徒といった輩(の技)を言う。そういう人は、酒や、ニンニク、ネギなどの臭いものと同様に、修行の妨げになるからこの山門内には入るなと言っているのである。

 「禁藝術」と言われると、私などは少しドキッとしてしまう。アート=芸術も、旅芸人・門付・博徒なども、根っこには共通したDNAがあるのを自覚しているからだ。

 塔の左面には蓮弁に乗った阿弥陀如来?が浮き彫りにされ、その下に「經王■」とある。経王とは妙法蓮華経法華経)のこと。

 ともあれ、宝暦頃から江戸末期の群馬・山形・千葉の曹洞宗寺院にわずか数基あるのみとのことで、希少。いや、高速道路の事故のおかげ(?)で寄り道して、良いものが見られた。わずか数基だから、確率的には普通ではまず一生見ることができないものなのだ。いずれにしても、これはもう少し、文化財的に保存した方が良いと思うのだが。

(記・FB投稿:2022.10.24)