艸砦庵だより

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小ペン画ギャラリー-45 「振り返りオムニバス-①/1~100」

 現在投稿しようと準備しているコンテンツが二つほどあるのだが(「石仏探訪‐神の歩く道」、「旧作遠望‐時系列無視の防府展」)、裏付け調査やら、制作時間との兼ね合いなどから遅々としてはかどらない。いずれ投稿しようと思ってはいるが、投稿の間隔が空く。今回はその間隙を埋めるための手慣れた(?)コンテンツの投稿。

 

 さて、制作の本道、タブローの方はともかく、小ペン画の制作は順調といえば順調。作品番号では現在800番台後半だから、このまま行けば1000点を超える(!)のも時間の問題だ。

 ほぼ毎日制作し、完成したらスキャンし、画像と文字データをPCのフォルダーに保存し、現物をファイルに収納して完了。その過程でフォルダーの画像をざっと通覧することが時おりある。900点近い作品を時系列で通覧するというのは、自己満足・自惚れも含めて、なかなか興味深いひと時ではある。

 そして気づく。それら900点近い作品群の中でFBに投稿したのはせいぜい200点前後。展覧会で発表したのを合わせても400点には届かないだろう。つまり私の描いたペン画の内、500点前後は完全に「未発表」なのであり、それは今後ますます増え続けるだろうという現実。

 

 以前やっていたように何かテーマやくくりを設けて投稿するのも良いが、手間がかかる。ということで、今回試みてみるのが、100点単位のフォルダーから完全未発表のものを数点ずつピックアップするというオムニバス形式。今回①は2019年6月19日から10月25日までの間の100点の中から。つごう9回ということになるが、つまりは「振り返り」という通覧。

 

 余談になるが「振り返り」というのは昔からある普通の言葉・概念だが、どうも最近教育関係から少し再流行している言葉のようにも思われる。「気づき」や「ひらく」「つながる」といった言葉も同様で、いずれもごく普通の言葉なのだが、教育というフィルターを経由して出てくると何だか少し胡散臭いような気がするのは、かつてその領域の端っこにいた私という人間のひが目であろうか。

 閑話休題

 

 小ペン画の第1作目は5年半前。当初はそんな通し番号などつけなかったのだが、ほどなく整理保管上から付けるようにした。これが後になってから、色々な局面で役に立ったのは、まあ副産物である。何にしてもたかだかここ5、6年の仕事。大きな変化はないかもしれないが、小さな変化はあるだろう。一人の作家にとって、そうした変化こそが大事なのではないかと思って振り返ってみたい。

 

 

8.「光に跳ぶ」

 2019.6.24 11.3×7.9㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク・鉛筆・色鉛筆・テンペラ白?

 

 ギャラリーでの発表であれ、FB投稿であれ、人に作品を見せるのならば、なるべく新しいものを見せたいというのは、絵描きとしてごく自然な本能だろう。そこには新しいものほど上手くなっている(?)という原始的な信仰のようなものがあるのかもしれない。たかだか5、6年のスパンで上手いも下手もないのだが、新しく導入した材料や技術、例えばペン遣いという点では確かにそう言いたいところもある。ましてや10㎝そこそこの小画面を拡大してみれば、思わず愕然とする当初の未熟さ、不慣れさ。小ペン画というものを描き始めたばかりで、まだ紙の種類とサイジングの有無、ペン先の種類、インクの種類、等々に慣れていない、使いこなせてというしかない。まあ、上手い下手と作品の味わい、良し悪しはまた違う次元の話ではあるが。

 画面左下に通し番号はまだ入れていない。制作年月日を入れてあるのもあれば、何も記していないものもある。通し番号を記し始めたのは150点ぐらい描いて、どうやらこの小ペン画という形式が長丁場になりそうだなと思い始めてから。

イメージとしては、今見てもちょっと捨てがたいものがあるが…。

 

 

43.「蜜色の繭の中で」

 2019.9.22 11.4×9.5㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク・鉛筆・色鉛筆・顔彩?・ガンボージ?


 だいぶ前の「小ペン画ギャラリー」で確か「繭」というくくりで投稿したことがある。この作品はそこに漏れたものの一つ。漏れたぐらいだからあまり良い出来とはいえないが、それはそれ。確かにまとまりは悪いが、嫌いな絵ではない。

 繭というイメージは今でも好きなものの一つだが、不思議とタブローにしたことはなく、ペン画と相性が良いようだ。なぜだろう?

 

 

57.「時はノイズ」

 2019.9.30 8.8×7.2㎝ 雑紙(淡クリーム)にペン・インク・色鉛筆

 

 これも小さな絵である。小さいなりに味はあるのだが、拡大してみると粗さが目立つのはやむをえないか。このころ使っていたペン先はスプーンペンかGペンで、丸ペンはまだほとんど使っていない。粗く見えるのはそのせいもあるだろう。ただしこの感じは以後あまりないので、通覧するときには一つのユニークさを主張する。

 一日に2、3点、日によっては4点も描いていたころ。小さいからこそできたのだが、それにしても…。

 タイトルが意味深だが、何を考えていたのだろうか。

 

 

 ↓ 参考までに

 

 ちなみにその当時使っていた13.5×10.7㎝のポケットが1ページに4面(片面のみ)の、ポジフィルム保管用のスライドアルバム。

 フィルムカメラからデジカメに移行する過程でポジフィルムを保管する必要がなくなり、未使用のまま捨てようかと思っていたのを、もったいなくて再利用(?)できないかと考えたのが、小ペン画を描き始めた理由の一つでもあったのだ。「小ペン画」の「小」のゆえん、つまり作品サイズはそれを収納するファイルの大きさによってあらかじめ決まっていたという、ある意味少し情けない話。

 こうして見ると、こうした収納形態自体がポケモンカードとかのカード類のコレクションと似たような志向性(嗜好性?)なのかと思えなくもない。ただし、自分の作品のコレクションというのも?、なんだか意味が分からない。

 

 

82.「世界を見るをみな (光マンダラ)」

 2019.10.16 15×10.7㎝ 水彩紙?にペン・インク 

 

 この前後から時おり少し大きめのサイズを描くようになった。小サイズに飽きてきたのだ。健全な反応、成長(?)過程である。といっても10㎝が15、20㎝㎝ぐらいになっただけだが。

 それまで収納していた4ポケットのファイルに入らなくなり、2ポケットのファイルも併用するようになった。自ずからペン画におけるサイズ、大きさというものを考えざるをえなくなった。

 この作品には世界の広がりがあり、絵としては悪くないが、やはりタッチは粗い。

 

 

 ↓ 参考までに-2

 

 こちらは中サイズのペン画を収納するホルダー、ボストークユニアルバム。中のページはプリンツストックリーフの2ポケット。1ページ、裏表で4点収納。本来は切手収集用品だが、ポケットの数が1段(仕切り無し)から9段のものまであり、紙モノのコレクションには最適。お値段も良い。サイズは13×20㎝弱。

 小サイズから中サイズへ、面積が倍になるということは、手間も倍になるということだ。以後、小ペン画のサイズと手間と複雑さと制作時間は、増え続けることになった。

 

 

85.「花精(かしょう)」

 2019.10.17 13.3×7.8㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク・鉛筆

 

 この頃からタッチの複雑さというか、繊細さが増してきた。まだ丸ペンはあまり使っていないが、ペン遣いに慣れてきたのだろう。そのせいか「ペン画」だと言っているのに信用せず、どうしても「エッチングだろう」と言う人が何人かいて、「だからもっと安くしろ」と言われて往生したことが何度かある。

 ペン画とは言いながら、早い時期から他の素材や色を使うことも並行していたが、その辺の兼ね合いに少し悩むところもあった。でも制約や限定が嫌いな自分を再確認して、なるべく自由に振舞うしかないのだというのが、当然の結論。

 タイトルの「花精」は、「水晶」のことを「水精」と表記することもあることからの造語。

 

 

89.「蜜の中で」

 2019.10.20 12.8×8.9㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク・水彩・アクリル

 

 ペン画とは言いながら、色(面)の割合が強い、やや珍しいタイプ。色面は水彩、白いドットはアクリル絵具。

 絵柄としては、似たような趣向でニ三点、タブローにしたことがあるが、あまり成功したものは無い。なぜだろう。

 

 

100.「たゆたい」 

 2019.10.25-26 12.6×8.7㎝ 和紙にペン・インク

 

 たゆたいとは漢字で描けば「揺蕩い」で、たゆたう(ふ)/たゆとうの名詞形。「ゆらゆらと揺れ動いて定まらない」「気持ちが定まらずためらう。心を決めかねる。」の意の、まあ古語。

 タイトルはこの場合後付けだから良いとして、途中で色を差したくなるのを我慢して、あえてペンだけで描き上げたことのが、妙に記憶に残っている。少し気に入っている作品。100という区切りの数字に感慨があったかどうかは覚えていない。

 

(記・FB投稿:2025.2.6)