艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

旧作遠望‐6 「青梅市美 アートビューイング西多摩2023」と「世界の調べに耳を澄ます」

 青梅市立美術館で昨年の12月16日から今年2月4日までの予定で開催されていた『「″アート″を俯瞰する」アートビューイング西多摩2023』は、会期途中の1月19日に「(…)美術館内のエントランスロビーのガラスが破損していることが判明し、施設内の安全確保のため急遽、本日(…)午後から臨時休館とさせていただくことになりました。」との連絡を、旅先の奈良で受け取った。

 美術館は1984年開設だから、築40年。電気系統などが老朽化し、この三月ごろからしばらく休館して改修の予定だったそうだ。築40年ともなればそういうものかと思っていたが、今回の展示中止の直接の原因はガラスの破損だから、意味が違う。建物自体は、水平垂直・鉄筋コンクリート・ガラス多用の、よくあるモダニズム建築。だからガラスといっても、いわゆる窓ガラスのイメージではなく、150㎏(?)もある、荷重はともかく、構造体の一部を成しているもの。それが40年で壊れるというのは、どういうことなのか。具体的な責任の所在を問うても空しいだろうが、釈然としない。

 

 ともあれ、観覧予定だった人、遠隔地で来られない人のために、急きょ「旧作遠望」。

 

 本展は西多摩地区のアートを大事にし、盛り上げようという、地元ゆかりの作家有志が中心になって、これまで何回か同趣旨の展覧会を開催してきた。今回は青梅市立美術館と初めての「共催」。趣旨はわかるが、それはゆるい括りであって、グループ展としての統一的な主張や明確な視点があるわけではない。無くても構わないが、西多摩の風土が好きで30年近く住んでいるが、地元愛的なものは私にはない。したがって、出品するにあたって、やはり自分なりの論理構築のようなものは必要だった。

 けっこう苦労したが、東北大震災以前、阪神大震災以降から現時点までという近過去の枠組みを設定した。その時間に対応する旧作のタブロー3点と、より広いスパンの時間軸を、民俗学や宗教性、社会性といった個別の観点・要素を内包する近作(小ペン画)を配置・展示することにした。つまり歴史というほどの大きなスパンではないけれども、歴史性を内包する風土性と、そこに在る人間観みたいなものを暗示(?)したかったのである。以上はまあ、作者にとってだけ必要な展示の枠組み・必然性なのである。

 小ペン画については別に投稿する予定だが、柱となるタブロー3点に共通するタイトルは「世界の調べに耳を澄ます」。この言葉自体に関心を持ったのは、たしか社会学宮台真司が書いた朝日新聞のコラムによってだったと思う。それ以前から存在していた言い回しとして知っていたような気もするが、はっきりしない。世界全体・宇宙全体に通底する、神聖幾何学とか宇宙律などといった観念とも連動する、一種の哲学的神学的概念である。世界に遍在するかすかな波動と音律。その曲律は、大震災といった非日常の際には、どんな変化を示したのだろう。そんなことをぼんやりと思ったのである。

 東北震災後、「3.11以降、そのことを自覚しないアートはありえない」などといった発言をしたアーティストが何人もいたことを覚えている。個人的体験と普遍的経験性を弁別しない、そうした発言に対する反論がこれらの作品の底にあった。

 

 余談だが、3点ともにM120号(97×194㎝=2:1)という、細長く扱いづらい画面。普通だったらとてもこの比率の絵を描こうという気にならないが、もう「大きなサイズの作品は描かないから」といって、ある先輩がいきなり木枠を三本送ってよこした。それがなければ、この作品の構想は生まれなかっただろうから、縁とは不思議なものというべきであろう。

 

 

 ↓ 展示風景‐1

 

 手前は鹿野裕介さんの作品。こう対置してみると、少し硬い展示であったかもしれない。

 

 

 ↓ 460 「世界の調べに耳を澄ます‐2」

 2005年 M120号(97×194㎝㎝) 以下3点とも自製キャンバス(麻布にエマルジョン地)、樹脂テンペラ・油彩 

 

 3点は一二ヶ月程度ずつ間をおいて着手した。2番目に描きだした本作は、最後までサブタイトルが浮上せずというか、サブタイトルを必要としなかった。

 

 

 ↓ 459 「世界の調べに耳を澄ます‐1(白い岸辺)」

 2005年 M120号(97×194㎝㎝)

 

 3点連作とか、組作品というわけではないが、イメージとしてはこれが最初に描きだした作品。あとの2点は本作に引きずられて生まれたようなもの。

 「白い岸辺」という語(サブタイトル)にはなにがしかの意味があったのだが、3点完成して見ると、必ずしも組作品というわけではないということもあって、標示する意味が感じられず、キャプション等には表記せず。

 

 

 ↓ 465 「世界の調べに耳を澄ます‐3(紅蓮)」

 2005年 M120号(97×194㎝㎝)

 

「紅蓮」という語も同様。

 

 

 ↓ 展示風景‐2

 全景。壁面約10m。

 

 タブロー「世界の調べに耳を澄ます」の間に小ペン画を配置。ほかにもやりようがあったかもしれないが、まあ、これはこれで悪くはないか。

 

(記・FB投稿:2024.2.20)

小ペン画ギャラリー‐36 大阪高島屋「21世紀空間思考展」‐2

 前回の続きで大阪高島屋「21世紀空間思考展」に出品した小ペン画、その2。他の展覧会やFB上でも未発表のものを何点か紹介する。

 前回の投稿でも述べたが、共通するコンセプトや要素といったものは特になく、したがって全体としてのコメントも特にない。あまり濃すぎたり、メッセージ性の強くないもの、そしてバリエーションを意識したバランス感覚だけ。多少はデパートという場を意識したのか、私としては比較的珍しい選択基準。

 

 ↓ 514 ガンダーラの裔

 2021.8.22-23  19×14.2㎝ 水彩紙にゼラチン、水彩・ペン・インク

 

 東京オリンピックの開会式の、パキスタンだったか、イスラム圏の選手団の行進のシーンから発想した作品を2点描いた。ほんの10秒前後のニュース映像を見ながら一瞬で走り描きしたものから生まれた。先に描いた方(発表済み)には、入場行進のイメージが残っているが、2点目の本作はその余波といった形で、オリンピックや入場行進といった要素はほとんど残っていない。実際に女子選手が写っていたかどうかは記憶にない。

 ただ、パキスタンには古代の仏教の中心地の一つであるガンダーラ(現在のペシャワール地方)がある。バーミヤンなどと同様に、その後のイスラム教圏という歴史の皮肉を感じさせるところであり、その点での淡い興味を持っていた。

 余談だが、競技そのものは別として、オリンピックであれ何であれ、私は公的なイベントのセレモニー的なものがあまり好きではなく、ほとんど見ない。競技もたいして見なかったが、さまざまな国、文化の人々が集まるという感覚だけは好きだ。関係ないけど、イスラム圏の特に男性の服装が、ちょっと好きなのである。

 

 

 ↓ 527 ポーズする観音 

 2021.915-17 19×14㎝ 木炭紙にゼラチン、水彩・ペン・インク

 

 長野県筑北村修那羅峠の石仏群を見た時の驚きは忘れられない。一般的な仏教や神道の信仰に、民間信仰性が触媒として機能するとき、その的想像力が生み出すフォルムは、自在に、いかようにでも変容しうるということを思い知らされた。外見だけではなく、内面性も含めて。信仰における民衆の想像力その強さ、その坩堝のような石仏群。

 本作はその中の一つ、一応聖観音とされているが「ピエロ観音」などとも勝手に命名されている像の一つにインスパイアされたもの。

 

 

 ↓ 参考: 修那羅山安宮神社石仏群 聖観音

 

 「ポーズする観音」の元になった石仏。これをただ良し、ありがたしとしてだけ見るか、それともそこから自分の考察力・想像力によって、別の新しいイメージを創り出せるかが、言ってみれば翻案力とでも言うべき想像力の一つの振舞い方であろう。

 

 

 ↓ 557 異装のまれびとが観想する

 2022.1.29-2.1  18.7×15.9㎝ 洋紙に水彩・ペン・インク

 

 元になったイメージや画像は何もない。一瞬にしてほぼ完成形のイメージが訪れることがある。割合としてはそう多くはないが、これもその一例。

一応、蓮の蕾(未敷蓮華=悟りきれない人の象徴)を持っているから、ある種の観音像とも言えよう。

 

 

 ↓ 626 宇賀神とともに

 2022.11.21-24  16.2×11.9㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク・修正白

 

 ちょっときれいな女性を描いてみたくなった。「美人」のイメージの一例が弁才天。その美人弁才天を、水神・福神・音楽神としてではなく、非宗教的に、信仰の要素をなくした素顔、普通の女性として描いてみようとした。

 水神、女神である弁才天には、もう一つ宇賀神という起源(ルーツ)がある。こちらはとぐろを巻いた蛇体の男性(多くは老爺)。弁才天ヒンドゥー由来であるのに対して、宇賀神はどちらかと言えば、神道の要素が強いらしい。合体して頭の上に、と蛇体の宇賀神と鳥居を載せた宇賀神弁才天という造形も多い。

 神性を取り去った美人弁才天では、人間と区別しがたく、手掛かりとしてあえて宇賀神=蛇を載せた。「これさえなかったら欲しいけどね~」と言われたりしたが、画家としてはそうはいかないのである。

 

 

 ↓ 632 黒華頌 

 2022.12.6-20  19×14.1㎝ アルシュ紙に水彩・ペン・インク

 

 これに限ったことではないが、我ながら何とも説明しにくい絵を描くものだ。ともあれ花、それも黒い華である。むろん写実ではなく、実在しない花、胸中の花である。

洋の東西を問わず「植物画」、「ボタニカルアート」「博物画」といったジャンルがある。趣旨の違いはともかく、そうした記録性からくる独特な魅力にも心惹かれるものがある。別にタイル、陶磁器の絵付け、織物・絨毯・服装などに描かれた、紋様化され意匠化、抽象化された花。それらの魅力。その両者のイメージをもとに、ギリギリのところで融合した形で描いてみたいと思った。

 

 

 ↓ 648 アルカイックな二人‐別離

 2023.2.18-24  13×9㎝ 洋紙に水彩・ペン・インク

 

 上州の双体道祖神のイメージがベース。信濃のそれと違い、墓標仏のそれとも違い、万葉集の防人歌を思わせるような、より素朴な男女の造形。それほど数を見たわけではないが、ほのぼのと沁みるものがある。

この手のものを3点ほど描いたが、これは最も本歌から遠い、私の物語造形。「別離」としたゆえんである。まあ小さな詩であろう。

 

(記・FB投稿 2024.2.14)

小ペン画ギャラリー‐35 大阪高島屋「21世紀空間思考展」‐1

 先日、縁あって大阪の高島屋の彫刻4名、絵画2名の「21世紀空間思考展」に参加した(2月17~22日)。

 縁はあったのだが、必然性はなかった。グループ展としての統一的コンセプトといったものはない。必然性のない発表というのは難しい。だからグループ展の場合、それが作家主体であれギャラリー主導であれ、誘われても、お断りすることが多い。

 今回は経緯はともかく、出品することを了承したのだから、何か自分なりの必然性をひねり出さなくてはならない。それにけっこう苦労した。自分の展示全体をくくるコンセプトは見出せず、結局、関西では初めての発表の機会ということなので、自己紹介性‐バラエティーという単純な地点で折り合いをつけ、比較的近作のタブローとペン画を、バランスを考慮して展示するということで決着した。

 タブローの方はすべて、東京で発表済。だが関西では未発表なので、良しとしよう。

小ペン画はFBも含めて、なるべく未発表のものをと心がけたつもりだが、バラエティーということと、親しみやすさ(?)といったことを考えて21点を選んだ。あとになって確認してみたら、東京で発表済みのものやFBに投稿済みのものも含まれており、全くの未発表は11点。今回はその半分の紹介。

 

 

 ↓ 377 髪

 202.10.20-23 15×10.5㎝ キャンソンラビーテクニック?にペン・インク

 

 私のペン画は平滑な紙に描くことは少ないので、ペン(主に丸ペン)先の運び、滑りとは相性が良くない。なめらかにペンが滑る走るということはあまりなく、しょっちゅう引っかかったり、紙面がけば立ったりで、主に意志力(?)でコントロールし、ねじ伏せていたようなものだった。それがなぜかこの作品あたりから、ペンが自然と走るようになってきたのを記憶している。「あれっ?おれ、上手くなったのかも?」使える技が一つ増えるというものは、楽しいものだ。

 髪の毛は勝手に増殖し、こんな作品ができた。女性の髪の毛は美しく、エロチックなものである。

 

 

 ↓ 406 家路

 2020.11.27-29 12.6×8.5㎝ 和紙にドーサ、ペン・インク・水彩

 

 物を運ぶという動作は、背負ってであれ、頭上運搬であれ、抱えてであれ、人物=身体ということ以外に、他の物・要素とかかわる・連動するということだ。そして、その動きによって、ちょっと世界が広がるという感じがあり、魅力を感じる。

 多種類の大きなものを背負って運ぶというイメージは、アジアなどで実見した体験がベースになっている。人は、何を、どれだけのものを、運ぼうとするのか。

 

 

 ↓ 415 紡ぎ人

 2020.12.4-9 19.5×15㎝ 和紙にドーサ、ペン・インク

 

 菩薩的な人物(菩薩そのものではない)がある動作をしているところを描きたかった。

 描いていくうちに、ガンジー独立運動と関連して糸車を廻す有名なシーンと結びついた。菩薩‐インド‐ガンジー、という展開。だが、ガンジーそのものとは関係がない。

 

 

 ↓ 443 身毒の火のダンス

 2021.1.3-4 洋紙にペン・インク

 

 インドの国名表記には印度という漢字表記があるが、他にも天竺(後漢書)や身毒(司馬遷史記』)などといった表記もある。ある見慣れ聞きなれた言葉をちょっと違った視点・座標軸(外国語や古語や別名など)で置き換えて見ると、それ自体の内に潜む異世界性とでもいったようなものが立ち現れてくるような気がして、面白い。まあ、それだけの話ではあるが。

 画像としては、どこかでチラッと見た何かがあったような気がしないでもないが、覚えていない。たいして意味はないのだろう。

 

 

 ↓ 490 青い炎

 2021.7.27-30 水彩紙に水彩・ペン・インク

 

 イメージの元になったものは何もない。

 用紙に下彩をほどこす際にわずかに現れたにじみというか、綾をそのまま広げて描いていったもの。あまり肩に力が入っておらず、少し好きな作品。

 

(記・FB投稿:2024.2.8)

近況報告「冬の旅‐大阪~奈良+京都9日間(とりあえずこれでもダイジェスト)」

*FB投稿の再録です。

 

 昨年末からだいぶあわただしい日々が続きましたが、何とかこなし終えての1月15日から23日の、大阪~奈良+京都の9日間の旅のダイジェストです。

 

 1月15日 何百回か通過はしたものは、滞在するのは初めての大阪へ。夕方、京都在の高校の同級生と会い、道頓堀界隈の異文化を見て回り、その後串揚げ屋で一杯。

 

  阪神タイガースが優勝すると多くの人が飛び込むという道頓堀川の橋。「飛込み危険」と一応書かれている。

 

 この界隈のネオン(?)広告の「他より地味だったら負けや!」というありようは、東アジア的でありながら、実は他のどこにもない、ここ大阪特有の「異文化」であり、アートであろう。

 夜遅くまで人通りは多かったが、その多くがインバウンド客で、日本語があまり聞こえなかった。何を食べても美味しい!

 

 1月16日 午前中、ホテル近く寺町界隈の寺社あちこちを一人石仏探訪。午後、高島屋でのグループ展「21世紀空間思考展」の展示作業。絵画の一人は旧知の後輩だが、五人の彫刻家は初対面。終わって出品者、関係者で一席。

 1月17日 展覧会初日。終日在廊。山口から高校山岳部の後輩女子四人組がやってきて、ランチ会。奈良京都大阪の知人友人何名か来。夜、40年振りに再会の、関西方面在住の大学後輩たちと一杯。

 

 ↓ 大阪高島屋「21世紀空間思考展」、会場風景。

 

 タブローはすべて東京では発表済みだが、関西では初めての発表。出品作についてはまた別に投稿するかもしれません。

 

 ↓ 同上。

 

 予想していなかった工芸品展示用の棚があり、困ったが、常備されていた工芸品用の台が借りられたので、かえって予定していた壁面展示とは異なった面白い見せ方ができたように思う。

 

 1月18日 午前中一人、万博記念公園民族学博物館へ。思いがけず太陽の塔を目にして、家族で一人だけ万博見物を拒否した中学時代を思い出し、感慨にふける。午後、奈良県葛城市のF宅へ移動。夜、Fと一杯、二杯…。

 

 ↓ 太陽の塔

 

 前回の大阪万博は1970年、私は中学3年生。両親も兄弟も見物に行ったが、私は拒否。当時の「政治の季節(の終息期)」の風潮に影響されていた中学3年生は、そうした国策行事に対しては拒否感しかなかったからである。

 万博よりもむしろ『美術手帖』等を通して知った、「反博(ハンパク)」として異議を申し立てるゼロ次元とか、告陰とか、秋山祐徳太子などといった前衛芸術集団の活動の方に興味を持った。そのとばっちり(?)で、作者の岡本太郎に対しても、戦前のシュールレアリストとしての過去を裏切る者として見ていた。

 今回民族学博物館を見に行くにあたって、思いがけず太陽の塔と出会い、50年以上薄汚れながらそこに立ち続けている姿を見て、あるいは彼はここまでの時代のスパンを、少なくとも想像裡に想定して、作ったのかもしれないと思いあたり、ある種の感慨をおぼえた。

 

  民族学博物館はぜひ見てみたかったものの一つではあるが、予想どうりというか、期待を下回るコンパクトな規模と内容。でもまあ、意義のある博物館だとは思う。中身はほぼ全てどこかの博物館ですでに見たことがあるようなもの。

 

 ↓ 南米(ペルー?)の聖母像の神輿。

 

 キリスト教とはいっても実質は聖母崇拝である。

 

 ↓ インカ時代の褌(ふんどし)。

 

 皇帝クラスの人の副葬品だろうが、ちょっと妙に感動、納得。

 

 1月19日 奈良県天川村からやって来たA君とTさんと共に、役行者ゆかりの大和葛城山に登る。幻想的な白霧の山行。帰路、風の森神社その他の石仏探訪。夜、F宅で一杯。

 またこの日、昨年末より展示中だった「『″アート″を俯瞰する』 アートビューイング西多摩2023」展が、会場の青梅市立美術館の施設破損事故により急遽臨時休館・展示中止との連絡を受け、がく然とする(これについては別に投稿したいと思っている。)

 

 ↓ ほぼホワイトアウト大和葛城山山頂で放浪の援農アーティストTさんと一緒に。

 

 ロープウェイもあるが使わず、北尾根から標高差640mを登り、櫛羅の滝コースを下る周回ルート。まあ、役行者の御縁です。

 

  下山ルートの櫛羅の滝にあった石塔2基の背後の刻字を解読中。

 

 左の像塔だけならば不動明王と見えるが、右の文字塔の神道系の「白龍大神」と同じ内容(神仏)を表しているのかもしれない。不動明王倶利伽羅竜王竜神であり、それを神道的に読み替えたということか。「金高大神」と「龍王大神」については、今のところ不明。不動明王の脇侍のコンガラ童子とセイタカ童子に対応するものか。

 左の像塔が昭和35年、右の文字塔が昭和34年の建立だが、建立者は同一人物なので、あるいは現代版神仏習合とも言えようか。なお、少し離れた葛城市の吉祥相寺には三輪神社由来の「白龍大神」の祠が祀られていた。何だか渾然一体、一緒くたの感。

 

 1月20日 午前中、一人近くの吉祥草寺、他で石仏等探訪。午後、天川村洞川のA君宅へ移動。新しいトンネルができていて、楽にはなったものの、かつての異界への道を思わせた山越えルートが味わえなかったのが残念。温泉入浴後、A君宅で一杯、二杯…。

 

 ↓  公式の菩薩(神)様、「役小角奈(えんのおづな)」ちゃん。御所市の吉祥草寺にて。

 

 開山堂や行者会館:写経道場の仏像や役行者像などは、見ることはできたが、撮影は禁止。この役小角奈の等身大パネルだけが撮影OK。

 「2017年に役小角奈と役追儺ついなちゃん)という2人の萌えキャラクターを役小角の子孫として公認し、特大アクリルフィギュアを本堂に設置し、仏像として、本山修験宗総本山の聖護院門跡から山伏を招いて入魂の儀が行われ、不動明王のもとで修行する菩薩)という扱いになり、公式の信仰対象として祀られることになった。そのため、本尊の五大尊や役行者と並び、小角奈と追儺御朱印の授与も行われているとのこと(大意:Wikipediaによる)」。

 右下の解説には「吉祥草寺公認キャラクター 役小角奈 *得意技は人助け 役行者直系・現在16歳の女の子・六十三代目役行者を目指し不動明王様の教えに従い修行中!みんなに勇気・希望・笑顔が与えられるように!頑張ってます!」。このキャラ自体が神…。なぜ眼鏡なんだ~?これもまた一つの新たな信仰への試みと見るべきか…。今のところ判断不能

 

 1月21日 午前中、消防団出初式(?)に出席のA君をおいて、TさんとH君と共に、近所の龍泉寺ほかの石仏探訪散歩。午後、A君Tさんと共にすぐ近くの秘境「鹿の苑」(カルスト地形由来の洞窟その他)探訪。夜、A君宅で一杯二杯…。

 

   魚籃観音不動明王役行者三尊。龍泉寺弁天堂。

 

 顔の赤色には一瞬引いてしまうが、S字状にひねった姿態の艶めかしさには思わず見入ってしまう。右手前の役行者三尊や、左の少々困り顔の不動明王も良い仕事をしている。

 龍泉寺にはこれ以外にもいろいろと興味深いものが多い。以前に登山目的で来た時には寺社・石仏には全く興味を持っていなかったが、今回違った目で見ると、また全く異なった世界が見える。

 

  洞川の某所にある秘境「鹿の苑」。

 

 よく鹿が来ることからA君が命名。カルスト地形で、小規模な洞窟などがあり、ほかにも未調査の支洞がありそうだ。冬だというのに霧のような雨で、なんとも幻想的。ほぼ異界。

 

 1月22日 A君Tさんと共に京都府笠置町笠置山登山(標高差40m)と、途中の何か所かの石仏探訪。夜、F宅で一杯。

 

 ↓ 京都府笠置町笠置山。笠置岩。

 

 いくつかの摩崖仏等のある、巨石群の山。登山としては標高差40mほどでしかないが、それらを見て歩く分には充分楽しめる。

 これは後方が笠置石、手前が鎌倉後期の元弘の変の戦死者供養塔といわれる十三重層塔。相輪は、請花・宝珠を失っているが水煙まで残っている。

 

 ↓ 弥勒摩崖仏(跡)

 

 奈良時代弥勒菩薩像が線刻されたが、数度の火災によって残っているのは光背のみ。それでも何か充分な存在感がある。存在しないものの存在感。

 

 ↓ 同上再現図

 

 最近の研究によって当時の線刻の図柄がデジタル画像で再現された。これは収蔵庫にあった再現画像。ガラスに周囲が写り込んで少々見辛いが…。

 

 ↓ 平等岩にて

 

 あれこれの見どころの中でも一番楽しかった平等岩にて。標高は288mと低いが、木津川を挟んで周辺の山々が気持ち良く見える。覚えずこんなポーズをしていたらしい。

 

 ↓ 平等岩胎内潜り

 

 狭くて少々危なっかしいせいか、危険防止のため(?)標識も出ていないが、この平等岩の下の狭い裂け目こそこそ本来の(?)胎内潜りだろう。最後は四つん這いになって脱出。

 ここをハイライトとして、あとは後醍醐天皇ゆかりの行在所跡、貝吹岩、紅葉公園をへて、大師堂、笠置寺へと戻る。ゆっくり歩いて楽しめるルートだった。

 

 1月23日 午前中、明日香村の川原寺跡を見て、午後帰京。収穫の多い、美味しいものの食べられた、面白い旅ではありました。

 

 追伸

1月24~25日 展覧会、旅全般の事後処理あれこれ。

 1月26日 都内某ギャラリーでの一席に呼ばれ出かけ、夕方電車を降りた時点で、いきなり風邪をひいたことを自覚。深夜帰宅後、寝込む。以後三日間、完全病臥。並行して、上下二ヶ所の歯痛に苦しむ。現在、歯痛以外はようやく7~8割方回復したところ。

 

 教訓:いい加減、年齢を自覚して、すべてのお誘いを受けるのではなく、実力・体力と相談し、それに見合った行動をすること。

 反教訓:無理をしなければ、何事も成し遂げられない。

 

(記・FB投稿:2024.2.2)

石仏探訪‐59 「富山~蓼科12日間の旅-② 地霊(ゲニウス・ロキ)―富山市芦峅寺・上市町大岩日石寺・他の石仏」

 富山に行き「GO FOR KOGEI 2023 物質的想像力と物語の縁起―マテリアル、データ、ファンタジー」展を見、その後、周辺の石仏を見て歩いたのは9月のこと。もう三ヶ月も前になる。

 両者はむろん直接の関係はない。だが、同時期に両方を体験した私としては、どうも底の方でつながる何かがあるように思われてならないのだ。それは私の個人的感性だろう。それを言葉にしてみようとしてみたが、なかなかうまくいかない。

 

 同展のガイドブックには「縁起」「生きる場所、創造の場所~」「時間」といった言葉が散見される。いずれも前後の文脈からして、ストレートな解釈に導いてくれるキーワードとはなりえず、私の「うまく言えなさ」と同様の、まさに「名状し難い『何ものか』」にとどまっている。

 ここで展覧会評をしようというのではない。展覧会は、おおよそは良いものであった。「工芸、現代アート、アールブリュットを跨ぐ」領域横断型展示において、会場の富岩運河沿いといった場所性からしても、富山県≒北陸/日本の近代史(あるいはそれ以前を含めた歴史)や地域性とのコミット/協同が、主催者のひそかな伏線の一つとして期待されていたように思われる。だが、そうした必然性というか、座標軸というか、そうした私が期待したものは、全体としても個々の作品においても、あまり見いだせなかった。それは主催者の構想と構えの大きさに対して、作家個々の作品のありようが必ずしもリンクしていないというだけの話でしかないのかもしれない。

 地域芸術祭的な要素や、参加型展示の要素、云々ということではない。最近は古民家、有形文化財住宅、歴史的建造物、寺院等での展示も一般化している。それらの多くは、ホワイトキューブから少し変わった場所に作品を物理的に移動しただけというものが多い。それが必ずしも悪いとは言わないが、場所の固有性とのかかわりや独自の必然性といったものはあまり感じたことがない。

 そうした中でも、同展でのいくつかの作家・作品には、近隣を含む北陸≒日本海側の地誌・歴史性との照応を感じさせるものがあった。私が見たのは初日と二日目のそれぞれ半日ずつだが、全展示を見て、何人かの作家と少し話をした。彼らの多くは数日程度の滞在で、前後に富山のどこかを回るということもなく、あわただしく帰られるとのこと。もったいないことである。富山という固有の場で発表しながら、その固有性とはほとんど縁を取り結ぶことなく、そこに「縁起」が発生しようがないと思われるからだ。

 

 ゲニウス・ロキという言葉がある。ローマ神話における土地の守護精霊(genius/守護霊 loci/土地)の意で、地霊とも訳される。蛇の姿で描かれることが多い。欧米での現代的用法では、「土地の雰囲気や土地柄」を意味し、守護精霊を指すことは少ない(Wikipedia)。だがそれは、現代においても「ある特定の場所」から世界という普遍性を見ようとするとき、重要でユニークな視座・補助線になりうるだろう。

 富山にもまた固有のゲニウス・ロキが在る。剣・立山連峰を背景とする修験道や、そこで行われていた「布橋灌頂」に具現化された擬死再生観、等々。そして、それらと共鳴する石仏・山姥像群。せっかく富山で発表の場を持ちながら、それらと出会う機会を持たなかった現代作家たち。それは個々の自由であり、余計なお世話ではあるけども、つい「もったいない」と思ってしまうのである。

蛇足だが、作家やその作品がゲニウス・ロキ的なアイデンティティーと結びつくことが、必ずしも必須のことではないのは、言うまでもないことだ。しかし「村・町おこし的」地域芸術祭においては、そのスタンスは主催者においても作家にとってもある程度以上問われるのではないだろうか。なぜそこにそれなのか。作家・作品が、他処から此処に移動した甲斐はあったのだろうか。いや、それもまた余計なお世話か。

そんなことを思いながら、旅先で出会ったいくつかの印象的≒ゲニウス・ロキ的な石仏を紹介してみる。

 

 ↓ 富山県上市町 大岩日石寺。

 不動明王制多迦(セイタカ)童子・矜羯羅(コンガラ)童子の不動三尊と阿弥陀如来座像、行基像と伝わる僧形を浮彫した摩崖仏。大きすぎて全容は収めきれなかった。

 明王の像高は2.8m。摩崖仏全体に覆いをかける形で本堂が建造されているため、保存状態は良い。不動明王と二童子平安時代後期。阿弥陀如来と僧形像は後年の追刻。

 ともあれ大迫力である。今でも厚く信仰されているためか、手前に奉納された日本酒が高く積み上げられており、下の方は見えなかった。

 

 ↓ 同前 不動明王拡大。

 後から気づいたのだが、羂索をもつ左手に小さくあるのは宝珠か。だとすれば、少し珍しい。

 感動して見ている私の脇で同行のSは、そばにいた何やら悩みを抱えているらしい若いきれいなお姉さんに話しかけ、いつの間にか不動明王そっちのけで人生相談に乗っている模様。ああ、聖と俗の共存…。

 

 ↓ 同前 不動明王

 本堂から出て、修行の場である六本瀧の手前にあった不動明王。意匠的には素人臭いかわいい像だが、本尊の大摩崖不動明王に圧倒されたわが身としては、こちらの方が私の願いを少しは聞いてもらえそうな気がした。

 

 ↓ ささきなつみの作品(再録)

 岩手県出身、山形県で学んだ若い作家。東北の風土性や自身の狩猟や自然体験に濃厚に根差した表現。そこから縄文回帰といったサイクルを越えて、新しい異世界物語を構築しようとするパワーが魅力的だ。この先、ファンタジーを越えた新たな普遍性を獲得してほしいものである。

 

 ↓ 上田バロンの作品(再録)

 作者によれば、左の上代風の女性が、古事記に登場する(日本書紀には記載がない)沼河比売 (ぬなかわひめ、奴奈川姫ほかの表記もある)をキャラクター化したものだとのこと。キャラクター化=造形。なるほど。私は説明される前に何となくわかったけど、知らない人はキャプションを読んでもわからないだろう。

 ちなみに大国主との間に建御名方神諏訪大社の祭神)を生んだという伝承がある。それよりも重要なことは、日本で唯一産出する糸魚川翡翠(ヒスイ)を支配する祭祀女王であること。翡翠縄文時代から古墳時代まで特殊な呪物として神聖視され、奈良時代以降は急速に忘れ去られたたヒスイの交易史を知ると、同じく縄文時代の限られた地域でしか産出しない黒曜石の交易史と同様のいにしえのロマンを感じるのである。そうした歴史性を現代的テイストで表現した作品。

 また、リュウグウノツカイやら黒い蛸やらまだまだいろんな読み解かれるべきコンテンツが潜ませてある。

 

 ↓ 同前、部分。沼河比売のクローズアップ。

 う~ん。共感。

 

 ↓ 参考までに、古くは沼名河玉とも呼ばれたヒスイ。

 上二つが、糸魚川産。天然記念物なので、原石のある姫川上流での採取は禁止されている。ヒスイと言っても緑色のいわゆるヒスイ色を呈しているものはきわめてまれ。右のものにはほんの少し緑色が見えるが、多くは左のような白っぽい灰色か、わずかに紫がかった灰色など。

 下の三つは世界最大の産出国の一つであるミャンマーで購入したもの。右の四角いものは未研磨なのでわかりにくいが、研磨すればガラス質の色の濃いもの。こちらの方がだいぶ高価である。

 わが家の近くでも、縄文時代の遺跡から大珠といわれる大きなものが発掘されている。

 なお、安価で色の強いヒスイといわれる宝飾品は、大理石の粉末などを練ったものを化学的に着色処理した物なので、要注意。

 

 ↓ 富山市芦峅寺の閻魔堂外観。

 周囲には三十三観音ほか多くの石仏があり、後述の布橋の入り口にある。まさにゲニウス・ロキ的聖地である。堂内が開放されていて自由に拝観できるのがうれしい。

 なお、この閻魔堂と後述の布橋などをめぐる地域一帯の修験道立山信仰については、大きすぎるコンテンツなので、省略。興味のある方はご自分で調べて下さい。

 

 ↓ 同前。閻魔堂内部。

 閻魔大王を中心に左右に十数体の木彫彩色の姥神が十数体据えられている。よく手入れされている。

 

 ↓ 左側の山姥群。木彫彩色。

 白い装束は、かつてこの地より先に登ることを許されなかった女性たちを救済するために行われた、儗死再生儀式としての布橋灌頂儀礼の際に今も実際に身にまとう死装束であり、赤は成仏できない理由の一つである穢れとしての経血を表すものだそうだ。立山の室堂にある赤い血の池地獄はその経血を象徴し、血盆経にはその経緯が記されている。この装束は毎年新しくして着せ直すとのこと。

 

 ↓ 以前に「石仏探訪-5 水晶山に姥神を求めて」として投稿したのと同じ趣旨の木彫彩色の姥神。

 地域によって山姥、乳母様、オンバ様などとも呼ばれ、信仰内容によって一部では三途の川で死者の着衣をはぎ取る奪衣婆と習合する。

 この地での信仰内容についてはまだ深くは知らないが、何よりも女人救済のための神である。ここでは白装束によって隠されていて見ることができないが、石像のそれと照らし合わせれば、痩せ萎びた乳房を垂らし、立膝の奥にむき出しにした股間と、ニンマリと恐ろし気な笑いのどこに女性を救う機縁があるのだろうかと、不思議な気にさせられる。

 

 ↓ 同前

  姥神と一口に行っても、時代や作者によって様々な表情を呈している。

  なんかこの人、見たことがあるような気がする…。

 

 ↓ 閻魔堂の先の姥堂川にかかる布橋。昭和47年再建。

 布橋灌頂の際には、女性だけが白装束を着け、目隠しをして渡る。橋を渡った先が「あの世」とされ、鎌倉時代以来の墓地がある。

 上述の閻魔堂の姥神も本来はそこにあった姥堂にあったもの。

 

 ↓ 同前。

 橋の先に見えているのが鎌倉時代以来の芦峅寺墓地の一部。

 なんというか、まさにこの世とあの世をつなぐ橋の趣き。異界への入口。

 

↓ 釈迦苦行像。

 上市町大岩の日石寺本堂に向かう参道の傍らにあったいくつかの石仏の一つ。

釈迦が修行の一環として断食の苦行をし、結局、苦行の無意味さを悟った時の像。数は多くないが、他で一二度見たことがある。風化したのか、刻字等は見えない。味がある。

 

↓ 参考までにというか、釈迦苦行像の傑作と言えばこれ。3~4世紀、ガンダーラ。ラホール博物館蔵。

 画像はよく知っている。今回あらためて調べてみたら1984年に「パキスタンガンダーラ美術展」に出品とある。私は18歳で上京して以来見た展覧会のチケットはすべて保存しているので確認してみたら、やはりあった。今は無き西武美術館。40年前に実見していたのである。

 なんにしても素晴らしい石仏である。

 

↓ 証拠のチケット(笑)。



↓ 最後の二つは正体不明の脱力系の石仏二体。

 上市町眼目の立山寺の出口にあった「たぬき観音」。そう記された看板があった。他に説明はなく、造形等からすればそう古いものとは思われないが、詳細は不明。



↓ 「きつね観音」

 「たぬき観音」の横にあったもので、説明も看板もないが、タヌキの横でこの造形だから狐なのだろう。やはり詳細不明で、両者ともどういう意図なのかわからないが、供華その他から見てちゃんと祀られていることはわかる。これらもゲニウス・ロキの一つの残照なのだろうか。

 

(記・FB投稿:2023.12.23)

スクリプト 武蔵美・特別講義 「内省の美-石仏の魅力とは」

 以下は11月11日にFBに投稿したアナウンス、11月16日に武蔵野美術大学で行った特別講義「内省の美-石仏の魅力とは」のためのスクリプト/脚本=進行メモに水上泰財教授の紹介と質問を加えたである。

 本番では教員引退以後十数年振りのレクチャーということもあり、予定の1/3ほどしか消化できなかった。本稿は覚書的なスクリプトなので、レジュメではない。論旨的にも文章的にも未定稿だが、内容的には私と石仏探訪と小ペン画の関係について語った今のところ唯一の論考なので、記録の意味も含めて、ここに投稿しておく。

 なお「*画像2-1」のように関連画像の投影を指示した個所があるが、点数が多くまた、他の投稿と重なるものが多いので、この投稿ではすべて外した。

 

【参考:FB投稿 テキスト】

11月16日、武蔵野美術大学で特別講義を行います。

「内省の美―石仏の魅力とは~」

17:00~18:30 武蔵野美術大学1号館103講義室

 

 少し前に話が来て、そんなことを言っていたら、「一般の人でも聞きに行けますか?」という質問をいただきました。確認したところ、Off Course! Welcome!とのことなので、今回アナウンス。

 まあ、アナログでアナクロ(?)なコンテンツなので、20人ぐらいでしんみりとと思っていたら、会場はけっこう広い~。

 予約も申し込みも必要ありません。ご希望の方は、直接会場にお出で下さい。

 関係ありませんが、11月の初めにインフルエンザにやられまして、しばらく寝込んでいました。この件やら、あの件やらで、やることが一杯だったので、大弱り。

 現在はなんとか回復途上ですが、講義の日には元気で語りたいと思っています。

 

 ↓ 学内掲示用ポスター

 

 

以下、スクリプト

 

1 水上先生による紹介

 

〇「内省の美―石仏の魅力とは―」(油絵学科教授 水上泰財)

 河村正之氏は、私が画家として兄事する先輩であり、長きにわたりその作品を鑑賞してきた友人でもある。作風は、氏の趣味である登山から触発されたものなども多く、厳しく構成された幾何形態や煌びやかに彩色された植物群などは、俗世間とは一線を画したものである。美と醜であれば美、聖と俗であれば聖、生と死であれば死を連想させ、それらを追求し展開する、現代の美術状況においては貴重な存在だと思っていた。発表も個展を数年に1回か2回するだけなので、知る人ぞ知る作家であり、その寡黙でストイックな制作姿勢においても一目置く存在なのである。

 ところが近年、氏は小ペン画ギャラリーと称して小さなペン画をSNSなどでも発表し、驚くことに近々詩集も出版するのである。私に言わせれば、覚悟を決めて山から地上に降り、俗世間との距離を一気に縮めはじめたようにしか思えないのだ。なぜかは、分からない。でも、そのペン画は、肩肘張らない自由気ままな作品が多く、中でも石仏から発想を得たものが、愛嬌があり、私は好きなのである。

 IT以降、現在のAI(人工知能)から対話型AIなどが自明の風景となりつつある日本あるいは世界において「石仏」などといったローカルで小さな存在が、若い芸術家にとっての表現のヒントになるかどうかは分からない。しかしながら、そこには少なくとも各々の出自からなる歴史性・世界観に通底するささやかな回路がひっそりと横たわっているのかもしれない。否むしろ、より鳥瞰的🟰普遍的な視座を獲得できるのは、そうしたアナクロニズムとも見なされかねない、当たり前のように昔からあって、ひっそりと目立たない存在からなのではないかと思ったりするのである。

 この講座では、画家河村正之氏の仕事を紹介するとともに、近年興味を持ち始めたと言う内省の美―「石仏」【私が勝手に、自分がお地蔵様に自然に手を合わせる姿を思い浮かべながら、それは内省の美なのではないかと思ったのだ(笑)】の魅力について大いに語っていただきたいと思っている。

 

〇河村正之氏への質問 (水上泰財)

*スクリプト中では〇青文字で表記。

 

○そもそも、小さなペン画を始めた理由は何か。

 

○石仏に興味を持ち始めたきっかけは何か。また、氏が思う面白石仏ベスト3とその理由を教えて下さい。

 

○赤い前掛けのお地蔵さんと石仏の意味の違い、はたまたそれらと五百羅漢など羅漢との違いを人はどのように使い分けたのか。

 

○木の彫刻(仏像)と石の彫刻(仏像)の違いは、屋内にあるか外にあるかの違いが大きいと思うが、外にある石仏たちに惹かれる理由は何か。

 

○石仏は、主にどのような場所にあるのか。例えば、村と村の間とか、海への道の道標とか、村の中央の祭祀場だったところとか、目的を持たずに、そこにあるとは考えにくいが、どうか?

 

○多くの石仏は風雨にさらされ、顔形が欠けているものさえあるが、氏は、彫り上がったときの彫刻を想像するのか、それともその石仏が庶民と暮らした時間にロマンを感じているのか。

 

○我々美術家は、創作物の肌触りやその質感などに感心して、それを取り入れたり真似たりすることがあると思うが、ご自身で石の質感に惹かれて、石の彫刻などを手がけて見たことはあるのか。

 

○先にも書いたが、河村作品の油彩やテンペラのタブロー作品は聖、小ペン画は俗といった印象を受ける。例えば私などは、良いドローイングと思えば、すぐにキャンバスに移したくなるが、そのような気持ちはあるのか、ないのか。または、実際、理由があって使い分けているのか。

 

○ここにいる学生たちがそうであるし、私もそうであったが、具象絵画を考えた時、若い時にはモチーフに悩む。氏は、これら小ペン画においては、イメージが溢れてくるとおっしゃっていたが、若い人たちにモチーフへのアドバイスをお願いしたい。

 

 

2 自己紹介 

「内省の美―石仏の魅力とはー」というお題。今時の美大生に「石仏」というアナクロ・アナログでマイナー・マニアック?なコンテンツというミスマッチ?に脱力の「笑」。脱臼的に引き受けた。そういうのもたまには良いか。

 「こんなものもあるよ」という「紹介」を主眼?

 

2-1 自己紹介 石仏・石仏ペン画 

○赤い前掛けのお地蔵さんと石仏の意味の違い、はたまたそれらと五百羅漢など羅漢との違いを人はどのように使い分けたのか。

○イントロダクション「石仏とは何か、なぜ石仏に興味を持ち、時にそれらにインスパイアされた絵、小さなペン画を描くのか」

 石仏-12点~ 観音・不動明王~陽石 *画像2-1

 石仏を扱ったペン画―3点 

 石仏を扱ったタブロー―1点(ペン画とタブローの関係性)

○「物質的想像力と物語の縁起―マテリアル、データ、ファンタジー GO FOR KOGEI 2023」 地方・地域での町・村おこし的ビエンナーレトリエンナーレ

 現代の(若い作家の)作品や現代美術等において「地域性」「歴史性‐縄文」(「地霊=ゲニウス・ロキ」)といったコンテンツの流行→消費されている-「アイデンティティー探し?」→結果として安易にあるいは容易に「異世界/ファンタジー」へのベクトル→消費の対象。

○それらの枠組みにしばしば透けて見える「ゲーム・漫画/ファンタジー(という二次的な在りよう)」がベース・母体‐若い人の世代的風景なのか。消費者としての制作? 浅く、安易で既製品的な、既にある、常識的で既視感。「Z世代?」

○石仏(という異世界)などというローカルで小さな話題・コンテンツから異なった視点?回路?風景?→非直線的・非二元論的な「脱構築」‐「パラダイム変換」‐「トゥリー→リゾーム/根茎構造」(ポストモダン)であり、ポスト・ポストモダンへのベクトルへも?

○抽象美術/非再現・非形象絵画は世界中で同時多発的に発生した。その始まりの一つであるカンディンスキー青騎士やロシア構成主義はロシア農民美術・民画の採集・研究から始まった(エルミタージュ美術館の隣?のロシア美術館)。すなわち「小さな」「外部性」の参照・採用。

○ちなみに私には信心・信仰心はない。石仏から比較宗教学を通じても、すべての宗教はほぼ迷信であるというのが結論。しかし、そうした自分を越える何者かを求める人間の在り様、祈り・願望は否定しない、できない。そのはざまに美術芸術がある。美術・芸術はその発生以降、かなりの部分が、宗教あるいは「祈り」との関係において存在した事実は否定できない。

○絵以外の仏教・宗教史的な事柄では専門の研究者ではないので話半分か7割程度。

○そのためにまず(石仏以前に)どんな絵を描く画家であるかの作品紹介。

 

2-2 自己紹介作品紹介 *画像2-2-①・②

 ①タブロー作品・金箔テンペラ作品 

②ドローイング/和紙 

自身の志向・資質として人間嫌い→現実の社会・世界が嫌い、認めがたい。

絵とは見えないものを描くもの。私は見たいけれども、見えない(実在しない)ものを描きたい。人間が存在しない世界。→非再現的であることを厭わない。

絵とはわかりやすいものではない、エンタメではない、室内装飾ではない(そうであっても構わないが)。鑑賞において感覚的に「感じる」ことと知的に「読まれる」こと。絵は哲学であり、思想の模索の表明である。

美しく存在するものは、それを見れば良い。「花の美しさといったものは無い。美しい花があるだけだ(小林秀雄-反語的レトリック)。そもそも美しいものは、人の存在と無関係に存在する―登山/自然・世界との合一感-体験などから。

大学2年の初めてヨーロッパ旅行の圧倒的な西欧美術体験の後から、非欧米の美術、アジア美術に興味を持った。「美術の未来は欧米にはない。アジア、特に日本が面白い」「絵画の多くは宗教との結びつきを通じて、あるいはそれを口実として存在してきた」→宗教というものの無視できなさ。

同じ年に古美術研究旅行(奈良・京都2週間)と相互作用があったのかも。→非欧米美術・非アカデミズムへの関心・志向。

③小ペン画 *画像2-2-

○「そもそも、小さなペン画を始めた理由は何か。」

ペンとインクそのものは20歳ころ浪人中から自然に興味を持ち、描いていた。→ヨーロッパ美術・特にイタリアルネサンスの卵黄テンペラ技法との関係。伏流していた。

小ペン画を描きだしたのは2019年6月から。具体的なきっかけはささやかで個人的なこと。「もったいない」―ファイル・和紙・紙。

スタシス、クートラス、エクス・リブリス、といった伏線もあった。

 

3 前段「石仏とは何か」

○木の彫刻(仏像)と石の彫刻(仏像)の違いは、(屋)内にあるか外にあるかの違いが大きいと思うが、外にある石仏たちに惹かれる理由は何か。

○石仏は、主にどのような場所にあるのか。例えば、村と村の間とか、海への道の道標とか、村の中央の祭祀場だったところとか、目的を持たずに、そこにあるとは考えにくいが、どうか? ←重要なポイント。

 

○石仏探訪を始めたのは2020年5月から―コロナ+ウクライナ/海外旅行(30数回)の中断。―それ以前からの民俗学への興味などの前段階的要因があった。

○私は石仏や仏教史、比較宗教史の専門的研究者ではない。アマチュア。厳密なところでは知らない、答えられないことや、不正確なこともある。とりあえずは、おおよその鳥瞰的な、アバウトな正確さがあれば良い。石仏の専門的研究者はほとんどいない。定説が定まっていない事柄も多い。新しい独自の解釈も可能。だからここで言うことは、正確さ60~80%ぐらいに聞いておいてください。

 

○石仏とは狭義には石で作られた仏像または仏教関係の石造物‐幅広く石造物全体を対象―宗教的対象にこだわらず。

石仏とのかかわり方

 ①歴史資料・民俗学的資料として

②宗教・信仰的対象

③美術的対象として 金銅仏→塑像仏→木彫仏→石仏

○①と③から、比較宗教学的→宗教や哲学、思想といったもの、形而上学への関心。結果的に宗教というものの、共通性といい加減さを通じて、神仏・宗教への否定性。同時にそれらを必要とし創り出し、変容を重ねてきた人間というものへの考察、哀惜。

○大きく分けて、①仏教・神道道教等の宗教関係のも。②宗教以前の民間信仰をベースにするもの。③宗教とは無関係の社会的、個人的記念碑。

碑・塔を建てることは垂直性(天に向かう)という、世界共通の本能―直立から?

 

①仏教系「石仏」

3 石仏画像‐種類・分類

  • 「仏」の種類―ほぼ無限にある。大きい数に対する信仰?はインド特有?

仏の流行―釈迦如来弥勒菩薩兜率天)→阿弥陀如来西方浄土)→薬師如来大日如来→人々の願望に応じて発明され、その意味合いも変化してきた。キャラクター化―観念連合・類感呪術―語呂合わせ・ダジャレ・類推・イメージによる。

3-1 石仏画像・如来 *画像3-1 如来:釈迦如来薬師如来大日如来

「来るがごとし」→この世にはいない。阿弥陀如来西方極楽浄土薬師如来の東方瑠璃光浄土、釈迦牟尼仏の無勝荘厳国とか。

○菩薩:文殊菩薩普賢菩薩地蔵菩薩観音菩薩虚空蔵菩薩

3-2 石仏画像・菩薩 *画像3-2

悟りは開いたが成仏せず→弥勒菩薩兜率天)―釈迦牟尼の次に現れる未来仏/56億7千万年後までの間人々を救う―大乗仏教理論(釈迦は言わず)。

 観音菩薩六観音(千手観音・十一面観音・如意輪観音馬頭観音)―三十三化身→三十三観音霊場 三十三観音→中国

 地蔵菩薩バラモン教では大地の女神プリティビー/僧形・遊行姿-観音と共にオールマイティー道祖神との習合→浄土教による地獄思想・六道輪廻思想―地獄の閻魔大王六地蔵→子供たちの守護神

3-3 石仏画像・明王・天部・他 *画像3-3

インドの古代のバラモン教の神が仏教に取り入れられたもの密教における最高仏尊大日如来の命を受け、仏教に未だ帰依しない民衆を帰依させようとする役割を担った仏尊。:五大明王不動明王軍荼利明王~、愛染明王孔雀明王

3-4 石仏画像・天部 *画像3-4

インドの古代のバラモン教の神が仏教に取り入れられたもの。上位の如来や菩薩と人間の中間に位置し、仏教を守る役割。:梵天帝釈天・四天王/毘沙門天広目天~・阿修羅・十二神将・閻魔・弁財天・大黒天・伎芸天・吉祥天・摩利支天~~。羅漢/阿羅漢・十六羅漢・五百羅漢や高僧などを加える場合もある。

仏教系「仏像」ではないが―仏教由来のもの

 五輪塔・宝篋印塔・板碑・廻国巡拝塔・経典供養塔などの「塔」の類。高僧:弘法大師 日蓮大菩薩

 

3-5 石仏画像・民間信仰系‐道祖神庚申塔 *画像3-5

非仏教―民間信仰系のもの/道祖神 庚申塔 日待・月待塔 姥神・山姥・奪衣婆 蚕神 

 

3-6 石仏画像・民間信仰系・仏教以前‐姥神・奪衣婆、創作神、山岳塔 *画像3-6

干支(かんし、えと)=十干(甲乙丙丁…)と十二支(ね・うし・とら・う…)を組み合わせた中国の暦法。「きの(甲)」「きの(乙)」「ひの(丙)」「ひの(丁)」と陽陰に応じて「え」「と」の音が入る。最小公倍数の60で一巡り。

 

3-7 石仏画像・神道以前・さざれ石・陽石・金精 *画像3-7

 山/霊が天に昇るところ・垂直性―汎アジア的‐世界共通/ドルメン・ストーンヘンジ・ピラミッド‐山中他界説。山そのものを神・信仰。→岩/磐座→石/たま・さざれ石→砂/産土。石に関わる信仰=アニミスム的。丸石や変わった形・良い形・きれいな石には神霊が宿る―ヒスイ・勾玉・宝石・パワーストーン

3-8 崩壊・消滅 *画像3-8 

 

4 石仏を扱った、かかわりのある作品 *画像4

4-1 小ペン画

4-2 タブロー

「先にも書いたが、河村作品の油彩やテンペラのタブロー作品は聖、小ペン画は俗といった印象を受ける。例えば私などは、良いドローイングと思えば、すぐにキャンバスに移したくなるが、そのような気持ちはあるのか、ないのか。または、実際、理由があって使い分けているのか。」

 →それぞれは別の表現形式・メディアだと思っている。小説と俳句・短歌・詩という並立した表現制作。別に絵と音楽、等。

 本道と脇道・寄り道・逃げ道・避難場所。複数持っていた方が良い、健康でいられる。

 その形式・サイズにふさわしいそれに見合った表現内容がある。だから小ペン画で石仏的な要素を入れるのは自然だが、タブローではサイズや素材の観点から難しく積極的にはなれない。

 「聖と俗」もあるが私の視野は「聖と賤」。→『迷宮としての世界』(グスタフ・ルネ・ホッケ-マニエリスム論)―「一致する不一致」と民俗学的見地との一致。

 画家・芸能者→「賤」「エタ・非人/士農工商・エタ・非人」としての存在。

芸能者/「エンタメ・河原者・河原乞食」・僧/「乞食=乞食行」=非百姓(おおみたから)。「法印・法眼・法橋」―狩野探幽俵屋宗達尾形光琳―僧の位階/法印=大僧正・法橋=律師。仏師・画家・連歌師儒者・医者など。

 

我々美術家は、創作物の肌触りやその質感などに感心して、それを取り入れたり真似たりすることがあると思うが、ご自身で石の質感に惹かれて、石の彫刻などを手がけて見たことはあるのか。

 →無い。「マチエール」という意味ではなく、「肌合い」ということは重視しているが。それは立体であれ平面であれ、表面について。立体については、いわゆる骨董・古美術に興味があるのみ。

 

. 「なぜ石仏に惹かれ、どんなところに興味を持つのか」

○石仏に興味を持ち始めたきっかけは何か。

もともと登山が好き(人間嫌い?)で、関連して民俗学への興味があった。武サ美―宮本常一柳田国男の系譜。宮崎駿網野善彦。石仏/「見たいものしか見ない」―意識しないものは見えなかった。年齢。

○また、氏が思う面白石仏ベスト3とその理由を教えて下さい。

 

○木の彫刻(仏像)と石の彫刻(仏像)の違いは、(屋)内にあるか外にあるかの違いが大きいと思うが、外にある石仏たちに惹かれる理由は何か。

○多くの石仏は風雨にさらされ、顔形が欠けているものさえあるが、氏は、彫り上がったときの彫刻を想像するのか、それともその石仏が庶民と暮らした時間にロマンを感じているのか。

石仏とのかかわり方

 ①歴史資料として

 ②宗教的対象 信仰対象

 ③美術的対象として 金銅仏→塑像仏→木彫仏→石仏

 人間嫌いの私が人間・社会との接点が民俗学→仏教神道-比較宗教学的→宗教や哲学、思想といったもの、形而上学への関心。宗教というものの、共通性といい加減さ、それらを必要とし創り出し、変容を重ねてきた人間というものへの考察。神仏・宗教への否定性。

 石に彫るのは、永遠性・永続性という観念がある。実際には風化し、剥落し、案外と長持ちしない。風化剥落し崩壊し消滅するから良いのだ?―仏教の教えそのもの、諸行無常を体現しているともいえる。現実には金銅仏や木彫彩色仏に比べ、安上がりで技術的にも容易。庶民的。個人の信仰対象たりうる。面白いのは人間一人一人であり、その集合としての世界なのだ。

 

. 「なぜ時に石仏にインスパイアされた絵を描くのか」

 何よりも「世界」を描きたい。世界→日本/世界(海外)、現代の世界/過去・未来の世界、人間を中心とする世界観・社会/人間の存在しない世界/動植物・鉱物の世界。それらの全体。もっと言えば、ビッグバン―138億年前。膨張宇宙/ドップラー効果。それ以前、それ以降は? 地球誕生―46億5千万年前。兜率天にいる弥勒菩薩は56億7千800万年後に人々を救うために来臨。

 世界を見るには、高所から見下ろす・見渡すか、あるいは小さく穿たれた窓から見るのが良いかもしれない。ごく卑近な事柄から深い真理?に至ることができる。

 まず私自身が生きるこの社会・世界=民衆・人々の世界を知ること←→比較宗教学的等、直感。

 

7 結論・これから

○「ここにいる学生たちがそうであるし、私もそうであったが、具象絵画を考えた時、若い時にはモチーフに悩む。氏は、これら小ペン画においては、イメージが溢れてくるとおっしゃっていたが、若い人たちにモチーフへのアドバイスをお願いしたい。」

 

 具象でも抽象でも同じこと―そもそもその言葉はとっくに賞味期限の切れた言葉。

 モチーフ(題材=写す・描き表す・扱う対象物としての主に具体物)とテーマ(主題=思想・世界観)、同じ意味に使われることもあるが。「何を描くか/どう描くか」。「モチーフ・テーマが見いだせない状態をこそ描けば良い」。学生時代は「どう描くか」ということに専念しても良いのでは。そこにいずれ自ずから自分・個性?が立ち現れる。

 「個性」という言葉をあまり信用しない→「テクストとは無数にある文化の中心からやって来た引用の織物である(ロラン・バルト「作者の死」『物語の構造分析』)のテクストを個性と置き換えてみる。実体ではなく「振舞い方」こそが個性の名に値する。

 同様の理由で「個性」の前提としての「アイデンティティー(自己同一性・独自性・自己認識)」や「ルーツ」もあまり重視しない。なぜならばそれらは帰属性という外部性(日本人・~出身・民族性・世代論)に容易に結びつくから。

 ペシミズム(悲観主義・厭世主義) ニヒリズム虚無主義) シニニズム(冷笑主義

 

 

 

閑話 「カボチャその他と花一つ」

 

 ある日ふと気がついたら、居間の一画にラグビーボール型の物体が置かれていた。カボチャ(南瓜)。

 

 ↓ ある日忽然と現れた物体。

 女房は種をあちこちの人と交換して種類を増やしているとのこと。私は畑にはノータッチなので、詳しくは知らない。これは飛騨赤皮カボチャという種類。

 

 翌日には、別のカボチャがいくつか追加されていた。全部違う種類。むろんカボチャ好き、あれこれ違った種類のものを育てるのが好きな女房のしわざ。

 

  右奥ラグビーボール型が、飛騨赤皮カボチャ。その左の黄色がかったのが赤皮カボチャのはずだが、ハニーナッツという種類と「交雑したかも」というもの。その左の小さい緑色のは八ヶ岳白皮カボチャ(「交雑したかも」)。手前左のオレンジ色のが、カチワリカボチャのはずだが「混ざったかも」。手前右のイボイボのやつは近所の人から貰った、野良生え(のらばえ‐勝手に生えてきた)の正体不明のもの。何だか、交雑した可能性が多いものばかりで、つまり固有種の維持はそれだけ難しいということか。

 

 カボチャは嫌いというわけではないが、特に好きでもない。ほんの少しあれば充分なのだが、「女房の好きな芋・栗・南瓜(いもくりなんきん/井原西鶴によると芋・タコ・南京)」。しかし、なぜここに置く?まあ、オブジェとしてはおもしろい。描く気はないが、絵になる。

 

 ついでに西瓜と野葡萄も追加。

 

  西瓜。ただしこれは昨年の写真。今年は細長いのやら、黒いのやらいくつも採れたが、撮影する前にみんな食べてしまった。

 

 ↓ 完熟前の野葡萄の実を少しずつホワイトリカーに漬け込む。生食はできない。

 

 野葡萄は肝臓に良いとして東日本では昔から民間薬として使われていると知ったのは、最近のこと。熟すと美しい紫色や水色になるが、完熟する前の方が薬効効果が高いというので、残念ながら美しい彩になる前に摘む。葉や蔓はもう少し後で干してお茶にする。

 

  野葡萄の熟す前の状態。もう少したつとだんだん紫やピンクや水色に色づいて、きれいになるのだが。

 

 おまけに花一つ。

 

  おそらく「ボタンヅル」。蔓性なのでこんな生け方になるが、これはまあこれで。下の方にちょっと生活感がのぞいているのが残念。

 

 ここのところ、近所のお年寄りの女性が二人で住んでいる家の草取りを、気晴らしをかねてボランティアでやっている。今日もやった。汗だくで1時間が限界。

 

  ヤブガラシやセンニンカズラやヘクソカズラや、あれこれと混ざり合ってフェンスに絡まるとこんな感じ。なかなか始末に負えない。猛暑の中でこいつらと格闘していると、つい熱中症気味になります。

 

 このつる草はフェンスに絡みついて繁茂し、まことに始末が悪い。センニンカズラに似ているが、花が小ぶりで少し違う。ボタンヅルのようだが、正確な名称はわからない。だが、少しだけ切り取ってきて活けてみれば、これはこれで案外良い花。花も置きどころだ。ここのところ、あまり花も生けなかったからこれはこれで、まあいいか。

(記・FB投稿:2023.8.30)