艸砦庵だより

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小ペン画ギャラリー-39「近作・四月‐その1」+近況

 四月はとうに終わり、はや五月。前回の投稿から一ヶ月以上空いた。

 忙しかったといえば忙しかった。重要(?)な来客が相次いだ。二人目の孫の宮参り。自宅の台所と居間の改装の話も進行中。飲み会のお誘い、家事、雑事、等々、以下略。

 美術館へは三回。いずれも予想を超えて良い内容で、いまだ充分咀嚼できていない。

 おまけに春はたけなわ。食用の野草・山菜も待ったなしで採りにいかなければならず、筍掘りにも行かねばならない。

 加えて、どういうわけか、四月は毎日毎夜「小ペン画の天使」が舞い降りてきた。気がつけば一ヶ月30日で28点。数年前のペン画を描きだした頃はともかく、最近では驚異的な点数である。どうしたのだ?俺は?タブローを描いている暇がない。少々、本末転倒?の脇道三昧の日々。まあ脇道でも、道は道だ。

 他にも投稿のコンテンツは多いのだが、きりがない。いっそ、この一ヶ月の小ペン画の制作をそのまま順番に全部投稿してみようか。いつもは何かしらテーマ別というか、グルーピングして投稿するのだが、描いた順に連続して何回かに分けて投稿してみるというのも、案外(私にとって)面白そうだ。

そもそも私の制作に連続性があるのか、あるいは不連続性がどういう意味なのか、FB=モニター画面という外部のフィールドでどう見えるのか、多少の興味と期待を持っても良いだろう。より良い効果的な見せ方というのもあるだろうが、この際こんな感じで投稿してみよう。(以下、続く)

 

 

 ↓ 四月に行った展覧会三つ。当然ではあるが、残念ながら行き逃したものもある。

 

中尊寺金色堂 建立900年」展+常設展 1/23~4/14 東京国立博物館

 毘沙門天持国天の腰とお尻の動きの、素晴らしいダイナミズムと色っぽさ!

 

「池田秀畝 高精細画人」展 3/16~4/21 練馬区立美術館

 多作、大作、勤勉さと記録魔ぶりに脱帽。「芸術」と「装飾」の関係について…

 

「ほとけの国の美術 春の江戸絵画まつり」展+「常設展/色彩のオマージュ」 3/9~5/6 府中市美術館。

 超一流の二線級の作品群(誉め言葉です)。バリエーション性と目配りの配置に感謝。前期後期と二回行くべきであった…。

 

 それぞれに対するちゃんとしたコメントと考察はここでは省略するが、いずれもたいへん良い展覧会でした。勉強になりました。ありがとうございました。

 

 

 ↓ 待ったなしの食用野草・山菜採り。

 

 右はイタドリ(虎杖)、左はコゴミ。共に今年は豊作。コゴミは近くの某所以外でも、数年前から裏庭に植えたものも株が増え、そこそこ収穫できるようになった。料理については女房の投稿をご覧ください。

 

 

 ↓ 757 森之宮

 2024.4.2-6 17×17㎝ BFK紙に水彩・ペン・インク

 

 奈良県天川村に行き、現地在住のA君の息子(小学生)と援農旅人アーティストのTさんで訪れた大聖大権現社(ダイジョウゴンゲンサン≒稲荷かとも思われるが、詳細不明)ほかを訪ね、二三点のペン画を描いたが、そこからさらに派生して生まれたもの。

 

 

 ↓ 758 緑色螢光性の若者(アルバ君)

 2024.4.2-06 19.2×11.5㎝ 和紙(秩父アンティーク)に水彩・ペン・インク・色鉛筆

 

 「アルバ (Alba) は、現代美術家エドワルド・カッツ (Eduardo Kac)がフランスの遺伝学者ルイ=マリー・フーデバイン(Louis-Marie Houdebine)と共同で制作した、遺伝子組み換えにより体が光るウサギである。」(Wikipedia

 日本ではあまり話題にならなかったようだが、この話に限らず、先端芸術表現と先端科学・先端技術の関係において倫理感が問われるという事態は、この件(作品)に限らず多々ある。今その話、倫理観などについて深入りする余裕はないが、そこから被験体としてのアルバ君(兎)を人間に見立てて寓意的に描いたもの。そこに現代美術や芸術の名のもとに現れるおぞましさとともに、しいて見ようとすれば立ち現れるかもしれない美しさといったものについて、一応考えておきたいと思った。

 

 

 ↓ 759 見慣れぬ神

 2024.4.5-6 14.9×9.5㎝ 洋紙に水彩・ペン・インク・色鉛筆

 

 ペン画の天使が直接舞い降りてこない夜は、昔のスケッチブックを取り出してみる。これもその時点では採用するに至らなかったイメージスケッチを、改めて取り上げたもの。

 運慶だか快慶だかの名が?付きでメモされていたから、テレビ番組かネット上の何か画像を見て描きとどめておいたものだろうと思うが、今そのスケッチを探しても見つからない。おそらく一杯飲みながらだったのだろうから、その時の記憶もない。

 まあ、この際出どころはどこでもよい。とにかく私が知らなかった仏像だか神像だかの映像を見て、なにがしかの不思議さにとらわれて、その不思議さを描こうとしたということ。また、作品は作者が作るものだが、その後の年月が作るものでもあるという感慨をいだいたということである。

 

 

 ↓ 760 休息する巫女

 2024.4.5-11 16.9×16.9㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク

 

 これも古いスケッチブックから。やや大きな絵柄なので、タブローを意図したものだろうが、何年かお蔵入りした後、ペン画として復活した。

蛇足だが、この当時のものには、如意輪観音弥勒菩薩などの思惟像という仏教的イメージが多く反映されている。

 

 

 ↓ 761 見知らぬ女の肖像

 2024.4.8-11 12.9×9.1㎝ キャンソン紙?(濃グレー)に和紙裏打ち、樹脂テンペラ・水彩・ペン・インク

 

 本作をふくめて、以下の5点はいずれも長辺13㎝以下の小さなもの。小ペン画を描きだした頃はそうしたサイズが普通だったが、最近ではあまり描かない。

 いずれも黒または濃いグレーの有色紙に、アクリルか樹脂テンペラ絵具によるデカルコマニーを何年か前に施していたものを引っ張り出して使ってみた。その偶然のニュアンスを凝視することで形、絵柄を引き出したもの。したがって予備的イメージデッサンはない。「〇〇〇を描こう」とするのではなく、「〇〇〇が現れてきた」とするベクトル。

 

 

 ↓ 762 赤い月

 2024.4.8-11 12.5×9.4㎝ 古アルバム台紙(黒)にドーサ・和紙裏打ち アクリル・水彩・ペン・インク

 

 同前。ありていに言ってSF的。

 赤い月は手前の巨大なそれか、左上の小さなそれか。

 

 

 ↓ 763 幻花

 2024.4.8-13 12×9.4㎝ 古アルバム台紙(黒)にドーサ・和紙裏打ち アクリル・水彩・ペン・インク

 

 同前。

 これと前作は戦前の古いアルバムの台紙なので、かなり劣化しており、扱いが難しかった。イメージの抽出にだいぶ苦労したが、なんとか粘ってここまで持ってきた。私はいったい何やってんだろう?

 

 

 ↓ 764 幻視‐青蓮華

 2024.4.11-12 7.9×5.3㎝ キャンソン紙?(黒)に和紙裏打ち、アクリル・ペン・インク

 

 同前。

 サイズとしては、小ペン画の中でも最小クラス。普通こんな小さなサイズでは描かないよね。本作と前2点に描かれた人物の大きさは4~14mm。私は何をやっているのだろう?

 

 

 ↓ 765 青夜‐二十二夜

 2024.4.11-13 12.4×9.1㎝ 洋紙(黒)にドーサ、アクリル・ペン・インク

 

 同前。

 二十二夜は月待信仰の一つ。女性中心の、如意輪観音を本尊とするものだが、本作では特に如意輪観音の図像は意識していない。

 

(記・FB投稿2024.5.4)