艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

葛藤と挫折の果ての馬頭刈山 (2016.2.11)

 例によって例のごとし。

 山に行きたいのに、行けない。山に行くべきなのに、行かない。

 この葛藤というか、二律背反、あるいはダブルバインディングについては、自分でもよくわからない。説明できない。遠足に行きたくない子が、遠足の前夜あるいは当日の朝にお腹が痛くなるというのは、わかる。だが私の場合は行きたいのにお腹が痛くなるのである。

 しかし、その葛藤の構造についてはわかる。意識と身体、もっといえば感性としての身体がかみ合わないというか、分裂しているということなのだ。意識とは吾であり、身体も吾であり、感性もまた吾である。だがこの三者は必ずしも一体のものではない。したがって、ある局面において、対立し反発するということも起きる。その結果、上記のような、行きたいのに行けないといいう事態が発生する。

 以上が今回の山行の、まことに個人的な背景である。

 

 この葛藤分裂のゆえに、これに先立って二つのプランをのがしたというか、止めた。前日10日の計画が、前回の高川山の時の第一候補だった百蔵山~扇山。すっかり準備をしていたにもかかわらず、前夜酒を飲みつつ、中止にした。翌日になって苦し紛れに思いついた、そんなに朝早く起きなくてすむ、近場の入山尾根~今熊山(これも一応懸案のルートではあるが)に決めた。このルートは自宅から自転車でのアプローチとなるのだが、下山後自転車を回収に行く必要がある。その説明を女房にしていると、彼女の予定は昼過ぎから檜原村泉沢のHさん宅で歌の練習だという。女房はここ一二年、女3人でモモンガーズというコーラスグループを結成して、あちこち小さなライブ等に出演しているのだ。なかなか楽しそうである。まあ、それはいい。

 その内の一人Hさんが檜原村泉沢の最奥に住んでおり、そこは馬頭刈尾根の馬頭刈山の直下といっていい位置なのである。馬頭刈山にはこれまで二度登った。大岳山から行った最初の時に、地形図やガイドブックには出ていない、泉沢に降りるルート標識が二つあることを知った(このうちの泉沢の東側の尾根は泉沢尾根という名前で2014年版の「山と高原地図」には記載されている)。またそれとは別にもう一つ、泉沢の西側の尾根にも破線路が古い資料に記載されているのを知った。二度目に行ったのは8月の暑い盛りに茅倉から千足尾根を登り、泉沢尾根を下った。下って最初に出会うのが、前記のHさんの家なのである。あと二つ泉沢からのルートが残っていることになるが、特に面白いとも思えず、食指は動かない。

 だが不毛な葛藤をくりかえし疲れるよりも、アプローチの不便な入山尾根よりも、入下山共に送り迎え付きの泉沢周辺の方が今回は良いだろう、ということで急遽そちらに変更することにした。前から約束していた、Hさんの引越の準備の手伝いという名目もあることだし。

 

 いつもと同じく朝11時に起床し、近所にすむもう一人のメンバーMさんをピックアップして泉沢に向かう。途中の神社の前で降ろしてもらう。貴布祢伊龍神社(きふねいりゅうじんじゃ)という由緒ありそうな名前だが、貴布祢=貴船であり、それに明治四十四年に払沢の滝入り口にあった伊龍神社を合祀したとの由。社殿の右手が小さな滝になっており、すぐ奥には大きな磐座(磐倉・岩倉・いわくら)があり、それなりに風情はある。あとでよく読もうと、由緒書き等を撮影していたら急にカメラが動かなくなった。壊れた?困ったもんだがどうにもならない。以後スマホで撮影。

 神社の裏手の道を辿り、沢沿いの最後の人家の脇から山道に入る。雪はない。道形はしっかりしているが、やや荒れている。ほどなく一軒の廃屋があらわれる。道形がしっかりしっかりしていたのはこのせいかと思い至る。さらにそこから少し登るとさらにもう一軒の廃屋(?)。こちらは玄関が開いており、遠目ではそんなに廃屋といった感じはしない。手持ちの2万5千図(平成7年9月現地調査)を見たら、その二軒の建物記号がしっかり記載されていた。廃屋というものに特有の風情とともに、ちょっと感動する。

 ↓ 廃屋その1

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 ↓ 廃屋その2 まさか住んでいないよね。

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 その先あたりから道は不明瞭となるが、藪こぎというほどもなく、方向を見定めて歩きやすいところを選んで登ってゆくとほどなく茅倉尾根の支稜に上がった。植林帯の何の変哲もないところである。以後、馬頭刈尾根主稜線に出るまで徹頭徹尾、植林帯。風情も面白みもほぼゼロ。確かにガイドブックには載せようもないわなと思う。しかしまあ全くつまらないかと言えば、そうでもない。天気が良いせいもあって、植林帯特有の垂直のパラレリズムを味わいながら坦々と登る。茅倉尾根の主稜線に出るあたりから雪が出始め、以後上部ではほとんど雪の上を歩く。

 ↓ 茅倉尾根の支陵に上がったところ。下にもうっすらと踏み跡が続いている。

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 ↓ 茅倉尾根 垂直のパラレリズム

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 ようやく植林帯から抜けて、馬頭刈尾根に15:05に出た。ここは文献によっては鶴脚山916mとなっているが、何の標識もない。「山と高原地図」では北西に少し行った先の、ややこしいことにこれも916mのピークが鶴脚山となっている。まあどちらでもよい。ともあれ、多少なりとも展望がきくというのは気分が良い。馬頭刈尾根は人気ルートだけに入山者はけっこういるようで、雪道はしっかり踏み固められている。さっそく先日購入した軽アイゼンを装着してみる。なるほど、なかなか良い感じだ。この季節、やはり持っていると安心だろう。

 ↓ 馬頭刈尾根 

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 ↓ 馬頭刈山山頂 左大岳山 

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 馬頭刈山山頂着15:40。884m。北西には馬頭刈尾根にとどまらぬ奥多摩の盟主、大岳山が堂々と佇んでいる。 

 ↓ 馬頭刈山山頂から盟主大岳山遠望

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 馬頭刈山山頂着15:40。884m。北西には馬頭刈尾根にとどまらぬ奥多摩の盟だが山頂も三度目ともなると特段の感慨もない。写真だけ撮ってさっさと下山にかかる。いったん手前の鞍部まで引きかえし、指導標に従って泉沢に向けて下りはじめる。道は沢沿いに下るものと思っていたら、山腹のトラバースが続く。このままでは登りに使った茅倉尾根に合流してしまうのではと不安になるころ、ようやく支稜を下るようになり、ほどなく泉沢沿いの道となった。この間やはり全て植林帯。二三の造林小屋を見るのみ。面白みゼロ。堰堤を二つ越えれば人家が見える。その二軒目が目指すHさん宅。飼っている羊の啼き声とモモンガーズの歌声が聞こえてきた。

 予定通り登り2時間下り1時間、休憩を合わせて3時間半のささやかな山登りは終了。意識と身体と感性が合致しない時の、こんな山登りもある。

 ↓ 泉沢集落

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 その後は引越の手伝いとやらも免除されて、女房たちの練習を見物しながら、やがてビールから焼酎へ、さらに場所を変えて夕食をとりながらの酒パート2へと移って行ったのである。

 

コースタイム

貴布祢伊龍神社13:10~茅倉尾根支稜上13:45~茅倉尾根主稜14:00~馬頭刈尾根15:05~馬頭刈山884m15:40~泉沢H宅16:30            (記2016.2.12)

久しぶりの雪の山 高川山

 何となく復活の兆しを見た昨年をうけて、今年の目標もまた「月に二回の山行」と、ひそかに自信を隠して打ち上げたのだった。だが、先にブログに書いたように(「老醜酔惨~思いっきりコケた」)、正月早々に転んでひざを強打し、しばらく山どころでなかった。「月に二回の山行」は、はなから挫折の呈である。これまでなら、そのままずるずるといってしまい、結果、わびしさと敗北感に苛まれるところであるが、今年は少し違う。ささやかではあるが昨年の実績に裏付けられた小さな自信があるのだ。このままでは引きさがらない、何とか一月中にせめて一度は行くのだと、ひざの回復を日々待っていた。幸い回復は順調だが、試しの裏山散歩を二三度してみても、何だかはっきりとはしない。少し前に降った雪のことも気にはなる。しかし、えい、ままよ、無理をしなければ何事もできないのだとの、最近身につけた信念に基づいて行くことにした。

 予報では一月中で晴れるのは28日木曜日が最後。多少気を使って、あまり高くなく、時間もそれほどかからない、あまり厳しくない所、ということで高川山にする。

 高川山は昔からよく歩かれている人気の高い山である。8年前の春に一度、女房を含めたおばさんグループと一緒に、富士急禾生駅から登ったことがある。そのグループとはそのころ何度か一緒に行を共にさせてもらい、微妙に山歩きの質というか、幅を広げることができ、感謝している。その時も計画から何から全てお任せで、それなりに楽しい山行だったが、その後、大月駅へと北東に伸びる尾根と、南西にある大岩・屏風岩というのが気になりだした。

  ↓ 取り付きの手前、桂川にかかる橋の上から。正面、高川山。右鶴ヶ鳥屋山

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 北東の尾根は富士急線沿線の山に行くたびに最初に右手に見える低い尾根だが、遠目にも何となく風情が感じられるのだ。しかしわざわざそれを目的に行くというほどのところとも思えず、そもそも国土地理院の5万図、2万5千図には破線が記されていない、つまり道がないということになっている。部分的に踏み跡程度はあるだろうが、ある程度以上は藪コギになるだろうなと思っていた。ところが最新の「山と高原地図」をよく見ればしっかりと実線が入っているではないか。大岩・屏風岩方面は破線(難路)だがコースタイムも記されている。問題ない。あとは雪のことが気になるが、これはまあ行ってみなければわからない。なにはともあれ、行くのである。 五日市駅発8:04、大月駅下車9:47。近くのコンビニで食料を仕入れて10:00出発。登山口の尾根の取り付きから雪。スパッツを付け、歩きだす。人はけっこう入っているようでしっかりトレースがついている。むしろ雪の無い時より歩きやすい。

  ↓ 取り付から雪

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 すぐにむすび山と記された尾根上のピークに着いた。「大月防空監視所跡」と書かれた標識と石組みされた穴がある。旧陸軍のいわゆる戦争遺跡である。周防大島の嘉納山や小笠原母島の乳房山だったかにもこうした戦争遺跡、銃座や砲台跡があった。ラオスルアンパバーンでも見た。

  ↓ むすび山=大月防空監視所跡

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 桂川と笹子川にはさまれた尾根は、細くゆるやかに伸びており、意外なほど気持が良い。なだらかな登降を繰り返し、少しずつ高度を上げてゆく。最初のうちはときおり地肌が出ているところもあるが、北面とあって、ある程度以上からはずっと雪。左前方には富士山が優美な大きさを示している。

  ↓ こんな感じ

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  ↓ 優美なる山=Mt.FUJI

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 512.9mピークを11:15に通過し、天神峠に11:45着。こぢんまりとした峠。二体の馬頭観音がある。観音の頭上の馬頭の形が愛らしい。

  ↓ 陽だまりの馬頭観音

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 尾根は徐々に太くなり、傾斜も増してくるが、慎重に行けば特に問題になるところはない。ただ、氷化というほどでもないが、よく踏み固められたトレースのせいでときどきスリップしやすい。先行者は軽アイゼンを付けていたが、ちょっとその必要を今回は感じてしまった。今後の課題だ。ところどころに猪が掘り返した跡がある。猪も生きていくのはたいへんだ。途中二人の単独行者と行き違う。共に私より若干年上かと思われる男女。この日出会ったのはこの二人だけだった。

  ↓ 結構傾斜のきついところもある

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  ↓ イノシシが掘り返したところ。あちこちにあった。

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 高川山山頂975.7m、13:55着。無風快晴。360度の大展望。どの山も北面にはうっすらと雪をまとっており、その分いつもより少し美しい。ひたすら気持がいい。なぜか前回の山頂の記憶はまったくない。ふと気づけば三角点が抜けて横たえられていた。

  ↓ 高川山山頂の石まら(?)。右下に横たわっているのが三角点の票石。

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  ↓ 山頂から見る大菩薩連嶺

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 小休止ののち出発。ここから先、大岩・屏風岩方面へのルートが問題だった。この山に登る登山者の大多数は、富士急禾生駅からか初狩駅からの女坂ルート・沢ルートをとる。大岩・屏風岩方面に足を延ばす者はあまり多くない。ましてこの雪のある時に、先行者のトレースを期待できるかどうかなのだ。雪が無ければかすかな踏み跡を辿ることもできるが、雪が付くとそれが難しくなる。さらにこの山域はちょっとした岩場や痩せ尾根がところどころにあり、その魅力と共に危険性も増している。

 体調、時間も勘案しながら、場合によっては沢ルートから初狩駅へ下山もありえるなと思いつつ、初狩駅へのルートを下り始める。ほどなく左への分岐があった。細々ながらもしっかりとした踏み跡がトラバースぎみに続いている。それがどこまで続くかはともかく、とりあえず一安心。

  ↓ 羽根子山付近のやせ尾根。左右は切れ落ちている。

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 羽根子山896m、カンバ沢の頭(神馬沢山)あたりは部分的に左右が切れ落ちた痩せ尾根になっており、スリルがある。こういったところは大好きで、非常に楽しい。木が多いのであまり不安感はないが、慎重に進む。鍵掛峠、15:35。大岩へも踏み跡は続いている。名の由来と思われる大きな岩を左に見たすぐ先が頂上(15:55)。休みもせず右に進み、登り返せば分岐があり、その左先が屏風岩(山)。確かに南西側がちょっとした絶壁になっている。頂上には一本の松の木。どことなくヨセミテのセンティネルドーム(とその頂上にかつて生えていた松の木―アンセル・アダムスの写真で有名)を思い出させる。気持の良い頂上で眺望絶佳だが、そろそろ日も山の端に落ちようとしている。

  ↓ 大岩山の大岩。  

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  ↓ 写真に写っていない左側に屏風岩の絶壁がある。  

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  ↓ 参考:“Jeffry Pine - Centiner Dome”  by Ansel Adams  ま、違いますけどね。f:id:sosaian:20160131133503j:plain

 

 小休止の後、下り始めればすぐに三角点のある正式(?)な屏風岩山頂上に至る。あそこが屏風岩でここが屏風岩山。足を止めることもなく、下りを急ぐ。うす暗くなり始めた中、それなりにふんいきのある尾根を一気に下り、最後までトレースに導かれて登山道入り口の標識のある車道に辿り着いた。16:50。駅まで10分。その最後に凍結した舗装道路ですっ転んだのは、まあ愛嬌というものであろう。

  ↓ 山の端に陽が沈む  

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  ↓ 薄暗くなりはじめてきた  

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 あまり期待もしていなかったルートだったが、適度な積雪とトレースのおかげで、変化のあるルートを大いに堪能した。充実した一日となった。これをきっかけにきっと年度目標の「月に二回の山行」を順調に軌道に乗せることができるだろう。              (記2016.1.31)

 

コースタイム】1月28日

大月駅10:00~むすび山10:37~512.9mピーク11:15~天神峠11:45~高川山山頂13:55-14:15~羽根子山896m14:40~鍵掛峠15:35~大岩(山)15:55~屏風岩16:15~車道・登山口16:50~初狩駅17:00

 

美術館探訪録―2015年 1.国内篇

 以下に記すのは昨年2015年に日本国内で見た展覧会である。基本的に入場料を払って見た美術館・博物館での展覧会だが、一部には無料のものもある。寺院・教会・遺跡等も含む。一般画廊の個展等は含まない。回数で言えば29回。

 私はごく簡単なものではあるが、1973年以来見た全ての美術館での展覧会の記録をつけている。29回という数字は、学生としてあるいは引率教員として古美研*「古美術研究旅行」という名の授業)のように集中的(半)強制的に見た機会をのぞけば、2002年と同数で、最多である。よっぽど暇だったのかと言われそうだが、暇もたしかにあったが、気になる展覧会が多かったのだ。ちなみに43年間の総計は、海外も合わせて2015年末で1022回。数え方や記録不備もあるから厳密には正確ではないが、おおよそのところ。

 29回というのは平均すればたかだか月に二、三回にすぎないから、それほど大した数字でもないが、義理情実ぬきで、作家としてのおのれの肥やしとして見に行くとなると、なかなかけっこうな数字だと思う。わざわざ高い入場料交通費を払って、ほぼ一日を費やして見るのは、当然、味わい、学び、参考にするためである。したがって見た後に、それらを咀嚼消化する時間が必要となる。むろん選んで見に行ったものばかりではあるが、必ずしもすべてが良かった、参考になったということにはならないものだ。仮に月に二三度のペースで素晴らしい展覧会ばかりが続いたら、消化不良になる。月に良い展覧会を一回程度が適量なのではないかと思うが、幸か不幸か世界的にも珍しいほど美術館博物館が多い(その内実はここでは問わない)東京に住み、また近年は経済的にさほど好調とも思われぬにもかかわらず、質量ともに二、三十年前に比べても膨大としかいいようのないほど数多くの展覧会が開かれている。月に一回程度が適量などと言ってはおられぬというか、もったいないというか、ついつい真面目に出かけてしまうのだ。

 ということで、以下一覧。

 

*「  」内は展覧会の正式名称。その右の文言はサブタイトル。【 】はざっくりとしたジャンル

1.「ウィレム・デ・クーニング展」 【洋画】

  ブリジストン美術館/1月7日

2.「小畠辰之助」吉祥寺のモダニスト 【洋画】

  武蔵野市立吉祥寺美術館/1月12日

3.「表現の不自由展」 消されたものたち 【多・現代美術】

  ギャラリー古藤/1月27日

4.「小山田二郎」 生誕100年 【洋画】

  府中市美術館/1月29日

5.善光寺 (前立本尊御開帳) 【寺院】

  4月11日

6.7.松本城+開智学校 【城郭・建築・教育】

  4月12日

8.「マグリット展」 20世紀美術の巨匠 13年ぶりの大回顧展 【洋画】

  国立新美術館/5月13日

9.「マスク展」 【OA/プリミティブ】

  東京都庭園美術館/5月27日

10.「華麗なる江戸の女性画家たち」山種美術館実践女子学園香雪記念資料館連携

  企画 実践女子学園創立120周年記念特別展 【日本画

  実践女子学園香雪記念資料館/6月5日

11.「日本・ベルギー国際版画交流展(前期)」 【版画】

  宇フォーラム美術館/6月20日

12.「鴨居玲」 踊り候え 【洋画】

  東京ステーションギャラリー/7月2日

13.「ヘレン・シャルフベック」 魂のまなざし 【洋画】

  東京藝術大学大学美術館/7月15日

14.「丸亀ひろや/宮嶋葉一」 -Painting- 【洋画】

  カスヤの森現代美術館/7月25日

15.「遠くて近い井上有一展」 【書】

  菊池寛実記念 智美術館/7月25日

16.「田能村竹田」 没後180年 【日本画

  出光美術館/7月31日

17.「斎藤与里のまなざし」 生誕130年記念 中村屋サロンの画家【洋画】

  中村屋サロン美術館/8月3日

18.「パウル・クレー」 だれにもないしょ 【洋画】

  宇都宮美術館/8月25日

19.「ダリの遊び」 【洋画・彫刻】

  諸橋近代美術館/8月26日

20.「サイ・トォンブリー」 紙の作品、50年の軌跡 【洋画】

  原美術館/8月29日

21.「常設展」 【民芸】

  大津絵美術館/10月3日

22.「きものモダニズム」 大胆!モダン!とっておきの銘仙100選

                        【染織・デザイン】

  泉屋古博館分/10月3日

24.「ペインティングの現在」 4人の平面作品から +常設展 【絵画・他】

  川越市立美術館/10月31日

25. 常設展 【歴史】

  西の正倉院百済の館/11月23日

26.常設展 【文学】

  若山牧水記念文学館/11月23日

27.「藤田嗣治資料 公開展示」 【洋画】

   東京藝術大学大学美術館/12月3日

28.「村上華岳 ―京都画壇の画家たち」〈裸婦図〉重要文化財指定記念

                          【日本画

  山種美術館/12月17日

29.「水 ―神秘のかたち」 【日本美術】

  サントリー美術館/12月28日

 

 けっこう見ている割には堪能したという印象は薄い。年末の朝日新聞では毎年恒例の「回顧2015 美術」で高階秀爾、北澤憲昭、山下裕二がそれぞれの「私の3点」をあげているが、私は今年もまた、それらを一つも見ていない。ほぼ毎年そうである。迷って行かずじまいで若干後悔したものもないではないが、しょせん一期一会。美術展なぞ各自が自分の趣味なり感性なり思想なりで選べばよいのだ。といってこうしたベスト○○を識者に挙げてもらうのも、自分の位置を確認するという意味ではあながち無駄でもない。ただし前提として、私はそうした識者専門家なる者の目というものをあまり信用していないということもある。ちなみに高階秀爾が同日発売の朝日新聞の「私の3点」と毎日新聞の「この1年 美術」で挙げている3点が全く違うというのはどういうことなのか。同じ趣旨の企画記事であるにもかかわらず。

 

 ともあれ上記の中で見て良かったというか、印象に残っているのは18.「パウル・クレー」がベスト。20.「サイ・トォンブリー」が2位。次いで 8.「マグリット展」、23.「きものモダニズム」、28.「村上華岳 ―京都画壇の画家たち」といったところ。むろん客観性云々ではない「マイベスト」である。

 「パウル・クレー」については、この40年の東京および周辺での展覧会はほとんど見ている(はず)。今回もずいぶん前に見た作品も来ていたが、何せ好きな画家だから何度見ても良いのである。ここのところ、彼の制作をめぐって新たな解釈も色々と出てきており、その点に関する展示としても面白かった。「サイ・トォンブリー」については以前このブログに書いている。それについての友人とのやり取りの後日談もなかなか楽しかった。「マグリット展」についてはもう見なくてもいいかなと思っていたところ、ある友人に奨められて及び腰で見に行ったのだが、なかなか良かった印象がある。にもかかわらず、今イメージが浮かんでこないのはなぜだ?

 「きものモダニズム」は、ここ数年あわい興味を持っている大正前後のモダニズム、竹久夢二やそれにかかわる風俗意匠としての和服=銘仙の実物を初めてみる機会となった。素晴らしいということでもないのだが、実物を見る、確認するということの楽しさを味わえた。「村上華岳 ―京都画壇の画家たち」については、華岳をまとめて見るのは初めてだと思っていたが、帰宅後確認したらなんと31年前に国立近代美術館で見ていた。どおりで既視感があったわけだ。華岳も良かったがその周辺の京都画壇の画家たちが面白かった。一応ある程度は知っているつもりだったが、入江波光を始めとしてまだまだ魅力的な画家がいることを再認識。関連して加藤一雄の著作(『雪月花の近代』『京都画壇周辺』等)をひもとき始めている。こちらもかなり魅力的だ。

 

 期待はずれというか私としては面白くなかったのが1.「ウィレム・デ・クーニング展」、2.「小畠辰之助」、17.「斎藤与里のまなざし」。

 「ウィレム・デ・クーニング展」は悪くはなかったのだが(実際すごく良かったと、私が信用しているある作家が言っていた)、私の期待が大きすぎたのだろう。規模も小さかったし。9月にアメリカで何点か見たが、そちらはやはり良かった。

 「小畠辰之助」、と「斎藤与里のまなざし」については面白くなかったというのは少々酷かもしれない。いずれも見るのは初めて。小畠辰之助は名前すら知らなかった。やはり結果として美術史上で影の薄い作家というのは、それなりの作品しか残せなかったということでしかないのだろう。日本の洋画家の標準的な辛さが見えてしまう。中村屋サロン美術館という美術館があるのもこの機会に初めて知った。なお中村屋相馬黒光は大正期の美術・文化を考える上で抜きにすることのできぬ存在。その意味でもまあ行った意義はあったというべきであろう。

 

 ついでに記しておくと、見そこなって残念に思っているのが、今記憶しているのでは「没後100年 五姓田吉松 ―最後の天才―」展(神奈川県立歴史博物館)。知ってはいたのだが今現在の自分の興味・志向からは外れており、そこでなおかつ見に行くというのがなにか一種の教養主義というか、お勉強的な感じがして、結局行かなかったのである。そのあたりをどう考えるか、難しいところではあるが、まあ、しかたないか。

 さて2016年はどんな展覧会を見にいくことになるのだろうか。

                          (記2016.1.7)

 

老醜酔惨~思いっきりコケた!

 某月某日夕方、そろそろ制作に取り掛かろうかとしていた矢先、電話が鳴った。福生在の画家M君からである。共通の教え子だったHが鹿沼から泊まりがけで遊びに来ているから、一緒に飲まないかとの由。異存はない。退職以来、社会的生活に縁が薄くなったおかげで、暮れ正月の忘年会新年会のお座敷も暫時減少し、今年はついに一つだけ。楽でもあり、寂しくなくもないが、自ら招いた事態であるから、文句もない。

 すでに暗くなった中、武蔵五日市~拝島~福生と電車を乗り継ぐ。ついでにいつものように駅を降りてから一瞬道に迷うも、何とかM君宅に到着。制作中の絵がないとかでアトリエではないのが少々不満だが、暖かい居間で、相変わらずノーテンキに美しい奥様をまじえ、楽しいひと時をすごす。ビールにはじまり、私はよく知らないが、NHKの朝ドラ「マッサン」で有名になったとかいう「竹鶴」というウィスキーを飲む。日本酒、ウィスキー、ブランデーは翌日に残るところが多く、ふだんはあまり飲まないのだが、「竹鶴」は口当たりもよく、飲みやすい。自ずと舌は滑らかになる。

 まあ、それは良い。やがて終電の時間も近くなり、おいとまする。煙草を買いがてらのM君の見送りを受け、ついでに教えられた、いつもとは違う牛浜駅へと向かう道を歩く。少々千鳥足であることは多少自覚しているが、良い気分だ。さて、このコンビニの右の駐車場を突っ切って、と、そこに大型トラックがやってきた。駐車場に入ろうとしている。こんな狭い駐車場に入るのか、あぶないね、気をつけなくちゃ、と思いつつトラックに注意しながら歩いていたら、地面から10㎝ほど飛び出している車止めにつまずいて、思いっきりこけた。

 真正面から地面に倒れる。一瞬、右手は柔道の「前受け身」のような体勢をとった。この体勢を取れないばかりに顔面からぶっ倒れた酔っ払いを、今までに二三回目撃したことがある。受け身が取れなければ、顔面強打、鼻血、鼻骨骨折とあいなる。左手は、バッグを左側にたすき掛けにしていたせいか、瞬間前に出なかったようだ。その分(?)左足が前に出たせいか、ひざを強打。右手と左ひざ、う~ん、なるほど、ギリシャ美学のS字曲線だ、などと考えている場合ではない。痛い。痛いのだ。右手、血はほとんど出ていないが痺れ、うずいている。まあ当然だろう。左ひざ、痛い。相当痛い。だが、歩ける。大丈夫だ。本当か? 半月板損傷? 骨折? ひび? まあ、大丈夫だろう。しかしこれで少なくとも明後日予定していた山歩きはまずダメだ、あ~あ。などと、らちもないことが頭を駆けめぐる。

 駅に辿りついたら階段が登れない。降りれない。手すりの有難味がつくづくわかった。ありがとう!手すり。

 そう言えば何年か前に、やはり飲み会の後に道路ですっ転んで、足を骨折したやつ(高校同期の旅仲間K氏)がいたなと思いだした。また私の義母も亡くなる二三年前(当時78歳ぐらい)に自宅の玄関先で転んで頭蓋骨骨折と股関節骨折という事態になったことがあった。前者は「(酔っぱらって)馬鹿じゃないの」、後者は年をとるとそんなことで大怪我をするもんなのかなあ?と、いずれも他人事でしかなかった。さして同情も覚えなかった。ああ、あれは他人事ではなく、自分のことだったのだ。時として私も酔っ払いである。気持は別として、60歳というのは必ずしも若くはない。深く反省。自分がそうなってみて初めてわかる辛さ。これを機に障害をもった人やお年寄りにはもっとやさしくしよう、などと思う。

 五日市駅の階段を歯を食いしばって下り、家までふだんの1.5倍の時間をかけて歩いて帰る。痛みは増してきているが、まあ大丈夫(かな)。帰宅後ズボンをぬいで見たら、なんとひざは直径5㎝ぐらいでズルむけて、出血。ズボンの裏をめくってみたら、ごっそりひざの皮膚がそのまま付着していた。よっぽど強打したのかな。右手は160㎝程度、左ひざはせいぜい4、50㎝ぐらいの高距離を円弧を描いて打ちつけただけなのに、これほどのダメージがあるのだ。自宅のアトリエで制作用の脚立から落ちて骨折入院休職したやつもいる(友人の奈良のF教授)。知り合いの大工さんからは大工の事故で一番多いのが、やはり脚立からの転落だということを聞いたこともある。

 ↓ 見苦しくて済みません。出血はたいしたことはないが、膝全体が腫れている。

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 とりあえず大型バンドエイドを貼って、肩こり用の湿布を貼って、絆創膏で止めた。

 関係ないけど数日前にサウジアラビアがイランと断交したというニュースを聞いた。今日のニュースでは北朝鮮が地下核実験をおこなった(らしい)といっていた。いずれも痛いニュースである。政治的に痛いニュースは必ず一般市民の身体的痛みをもたらす。まあどう見ても、今回の私の身体的痛みと世界の政治状況の痛みとは直接の関係はないのだが、そこを想像力でもってつなげていくのが、普遍性へと至る道であろうなどと、思ってしまうのである。

 

 教訓:いずれにしても強くて美味い酒は飲みすぎないこと! 行住坐臥、常におのれのありようを自覚すること、である。なんにしても早く治ってほしいものだ。今年の目標「月に2回の山行」が早くも崩れようとしている。                                    (2016.1.6記)

 

 

プロフィール写真について~光陰矢の如し

 1年間ブログのプロフィールの顔写真の欄が空白というか、グレーのシルエットのままですごしてきた。今現在の素顔をそのまま晒すということに抵抗があったからである。ありていに言えば、私は今の自分の顔があまり好きではないのだ。

 グレーのシルエットのままでも高松次郎*60年代以降に活躍した主知的な現代美術の作家。影をモチーフとした絵画を制作したりしている)的な味わいがないわけでもないが、そうしている人は多い。それは普通のことだが、見ようによっては自分を見せたくないという妙な情念めいたものが垣間見えてくるようでもあり、そう思えば不気味と言えなくもない。かといって飼い猫の写真を載せるというのもありがちすぎる。

 ブログを含めたネット上の表現世界では個人情報やプライバシーは当然ある程度以上秘匿抑制されるべきものとされている。当然と言えば当然。だがそれはそれとして、やはり多少はその人となりを暗示というか、象徴する程度の淡い肉体性のようなものも少しは欲しい。

 そんなことをモヤモヤと感じ思っていたのだが、今回ふと思いついて昔の写真を載せることにした(それはそれでよくある手でもあるが)。昔も昔、ちょうど40年前、20歳の時の大学の受験票の写真である。よくそんなものを持っていたなと自分でも思うが、あの頃カメラを持っている人は、自分を含めて、周囲にそう多くはいなかった。さらに私は昔も今もカメラ・写真は好きではない。そのため若いころの写真というものが数少ない。だから希少性ということもあるが、3年も浪人したあげくにようやく合格した年の記念の受験票ということで保存していたものである。

 

 光陰矢の如し。今より体重は15㎏以上軽く、髪は多く、長く、あくまで黒い。おまけに少しとれているが、パーマまでかけている。スキャンした画像を見ながら、感慨は深い。あの頃の70年代の空気まで映っているように思えるのは、しょせん懐古趣味的な感慨でしかないだろうが、他者の眼にはどう見えるのだろうか。何だか指名手配の過激派の写真のようにも見えるが、気のせいだろう。ブログ上で見る限りごく小さな画像なので、ここに拡大したものを揚げておく。

 

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(記:2016.1.2)

アトリエ風景 ~ この1年

 一月の末にブログとHPを始めてほぼ1年、正確には11カ月がたつ。この間にUPした記事は50本弱、月平均4本少々。いわゆるブロガーには及びもつかぬが、自分としてはまあまあではないかと思っている。というか、現状ではほぼ精一杯というのが本音。

 

 ↓ アトリエの西の壁面。だいぶ前から完成近いF300号。右隅にはボックスアート、幾つ

   か。見えている中で一番古いのは10年以上前に描きだした小品。

            *クリックすると拡大されます。

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 カテゴリー的には「山」がもっとも多く、次いで「旅」。順当と言えば順当だが、自分で少々意外なのが制作・絵・美術・展覧会等にかかわる記事が少ないこと。当初、「制作日記」的なカテゴリーを作ろうかとも思ったのだが、自分の日々の制作や作品を語るというのは案外難しいし、面映ゆいものだろうと予測していた。しかし、自然にまかせておいても、もう少し書くのではないかとも思っていた。

 何を書くべきか、どう書くべきか。誰に向けて、何のために、といった模索ないし疑念は、常にある。もっと書きたいという志向と、何も書きたくないという、相反する衝動の共存。つまりそうした状態こそ、今の私のブログの性格というか、ありようが投影されているのだと言えよう。それはおおむね予想通りの事態であるから、別にそのことでうろたえたりはしないが。

 

  ↓ アトリエの北の壁面。P80とF100、その他。裏返っているのは完成済みのF200。

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 まあそれはよい。

 ある意味で思っていた以上に書いていない理由の一つとして、この一年、それなりに制作に集中している日が多く、そうしたときには、文章化する余力があまり無いということがある。もともと自分の絵や制作については、言葉になりにくいものだ。そもそもその必要性をあまり感じないのである。この点、「山」や「旅」については、従前からやっていた山岳会の会報に載せるような一種の報告書のようなものであるから、事実を時系列で記録することが中心で、あまり頭もエネルギーも使わなくて済む。もっともそれほど「記録」として意味というか、価値のある山行内容でもない。しかしそれでも、時間はある程度食われる。

 また、対社会的なことに対する思考は、論理性や明証性の観点からして、おいそれとは発言しにくいというところがある。論理的な裏付けのない、あまり個人的感情的すぎる発言というものを、私は好まない。

 

 それはそれとして、この一年を振り返ってみると、自分としてはそこそこ真面目に制作に取り組んできた気はある(―人によって基準は異なるだろうが)。この1年に取りかかった、描き出した作品の点数は、大小、タブローもドローイングもボックスアートも、取り混ぜて18点。その多くは現在も制作継続中である。もとより私の場合、制作期間は何年かにまたがることは普通のことだから、単純に多い少ないは言えないにしても、まあ例年より少し少ない。それというのも、昨年からF300号、F200号(完成済み)といった大きい作品を描きすすめており、今年もF100号、P80号といったやや大きめの作品を描いているからである。

 今年度完成させた点数はというと、これがやはり描き出しの年が何年にもわたっているため、集計するのがちょっと面倒で、正確なところは今わからない。まあだいたい描き出したのと同じぐらいの20点か、もう少し少ない点数だろうと思う。

 とにかく点数の多寡に今あまり興味はない。ここで制作や作品自体にかかわる事柄について、これ以上言葉を紡ぐのはやめておこう。そうしたつもりで書き出したのではないのだから。ただ、そうしたことについての言及が少なかったことが自分でも少し意外でもあり、多少のさびしさとして感じないでもないということ。この点で来年から少し増やしてみようかとも思っているが。さて・・・。

 

 そんなところから、アトリエの風景をちょっと紹介してみようかと思いついた。これらは12月7日に撮影したもので、その時点では全て制作途中のもの。その後完成したものも三、四点ある。未発表のものを公開することにもなるわけだが、まあかまわないだろう。

 ともあれ、別にたいした意味はないが、私が日々ほとんどの時間を過ごしている空間である。アトリエの名は「艸砦庵(そうさいあん)」。

 

 ↓ 一隅。

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 ↓ アトリエの東側は書斎的スペースと書棚、ロフト。左のドアは収蔵室。

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                          (2015.12.24記)

冬至の日(12月22日)に陣馬山に登った.

 今年も残り少なくなってきた。年内にもう一度どこかに登ろうと思った。天気予報を勘案して12月22日にする。ふと見れば冬至とある。一年で昼が最も短く夜が最も長い日。この日を境に昼が長くなる。つまり再生復活の日。そう言えば今は25日と決まっているクリスマスも、本来はキリスト教導入以前から祀られていたケルトドルイド教冬至の日であったというのをどこかで聞いたことがある。夏至冬至春分秋分。かくて世界はめぐる。などといったことと今回の山行は関係ないが、冬はやはり寒いし、日は短いしで、自ずと近場の比較的短いルートになる。雪山でラッセルに明け暮れたのは遠い昔の話。

 ミシュランの☆☆☆効果で登山者が殺到している高尾山に興味はないが、やはりその近さは魅力で、☆☆☆認定以前に北高尾山稜と南高尾山稜は何年か前に歩いている。山歩きとしてはあまりパッとしないというか、魅力に乏しいという印象だった。だが、その北高尾山稜を歩いた時に、入山ルートにとった余瀬から薄い踏み跡を辿って立ち寄った矢の音633mにはそこはかとない渋い魅力を感じ、その先をいつか歩いてみたいと思った。もう16年前のこと。

 もう一つこのあたりに心ひかれる理由は、以前、山書蒐集・研究に熱心だった頃に心ひかれていた高畑棟材という人物が後半生隠棲した栃谷の近くだからである。高畠棟材は『東京附近の山々』『奥秩父と其附近』(共に1931年 朋文堂)といったガイドブックのほかに『行雲とともに』(1934年 朋文堂)や『山麓通信』(1936年 昭森社)といった著作を持つ、大正から昭和初期にかけてのいわゆる静観派、低山趣味の鼓吹者の一人。その評伝としては『行く雲のごとく ―高畑棟材伝』(浅野孝一 1999年 山と渓谷社)がある。渋い、良い本である。

 静観派、低山趣味とは今の私自身にほかならない。いや、今にしてみると、結局若いころから私は本質的にそうだったのだと思えなくもない。ともあれ、結果的に陣馬山を結節点として、栃谷をめぐる矢の音の先の稜線と一ノ尾根を結ぶ陽だまりの尾根を歩くことにしたのである。

 

 藤野駅に降り立ち、10:35に歩きだす。

  ↓ 登山口近く のどかな風情

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トンネルを越え、登山口近くまで行くと、道端に一人の年配の登山者が座り込んで地元のおばさんたちと話をしている。「山の上で道がなくなって、仕方がないから下りてきた」「まっすぐに道はあるよ。そのまま行けば明王峠まで行けるよ」「いや、大沢ノ頭という標識の先で道はなくなっているんだ」との会話。ほんまかいなと思いつつ、すぐ先の登山口の標識から登り始める。日当たりの良い尾根上の畑の脇、気持の良い雑木林の中を路は登って行く。一時間足らずで大沢ノ頭と書かれた杭がある。ここかと思うが、その先も特に路がわかりにくいということもなく、5分ほどでイタドリ沢ノ頭505.8mの標識(11:50)。

  ↓ イタドリ沢ノ頭

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ここは奈良本山ともいうらしいが、特に山頂という感じはしない。三方は植林帯だが、北面だけ開けて、陣馬山から笹尾根方面が木の間越しに見える。全体を通して植林と自然林の割合は5:5ないし6:4といったところだが、やはり楢を中心とする広葉樹のあるところは気分が良い。葉はほとんど落ちて明るい。また地図には出ていないよく踏まれた路もが数多く分岐している。

  ↓ 途中から陣馬山方面をのぞむ

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  ↓ こんな感じ 陽だまりハイキングです

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 矢の音(ヤノネと読むのかヤノオトと読むのか不明)は16年振りの再訪となるが、気象観測の装置が設置されていたり、藤野15山とやらの標識があったりして、少々記憶と違う(12:40)。ここで昼食、小休止。コンビニ弁当も美味しくいただける。

  ↓ 矢の音山頂

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 明王峠への中間の鞍部には車道が上がって来ていて、3台駐車してあった。そう新しいものではないが、はて16年前にはこの車道はあったのだろうか。記憶にない。明王峠からはさすがにメインルートとあって、立派な道となり、行き交う登山者も多い。平日の昼間、こうして来ているのは時間と余裕のある(中)高年の人が多い。まあそれは悪い事ではないだろう。

 ↓ 普通は暗い植林帯だが、斜光線を受けてこんな木漏れ日の抽象模様を描くこともある。

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 陣馬山山頂着14:10。快晴の360度の大展望が素晴らしい。てっぺんには例のコンクリート製ペンキ塗り(?)のモダニズム彫刻風の白馬が建っている。ロクでもない代物と思っていたが、こうしてみると意外にも妙に雰囲気とマッチしている。人の感性などあてにならぬものだ。それよりも頂上付近には3軒の茶店があり、それぞれがベンチとテーブルを並べてスペースを主張しており、どこが山頂と言うべきスペースなのかよくわからない状態。まあ良いか。ここは一般大衆の山なのだ。しかし陣馬山でこうだったら高尾山山頂はどうなっているのだろう。やはり私が行くべき山ではないだろうと思う。

  ↓ 「陣馬」ではなく「陣場」という説もあるが、白馬です。

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 頂上滞在もそこそこに下山路の一ノ尾根を辿る。なだらかで歩きやすい路。人出も絶えて、麓まで一人も出会わぬ静かな山路を堪能した。

  ↓ 一年で最も日が短い日のやわらかな西陽と落葉

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 バス亭に至れば待つほどの事もなくやって来たバスに乗り、藤野駅へ。このあたりに来ることは、正直言ってもう無さそうであるが、今回訪れることのなかった栃谷にだけは一度行ってみたい気はある。いくつかの地図上の赤線の切れ目をつなげるためのルートは考えられるが、さて。

                         (2015.12.23記)

 コースタイム藤野駅発10:35~登山口10:55~大沢ノ頭477m11:45~イタドリ沢ノ頭(奈良本山)505.8m11:50~矢の音633m12:40~明王峠13:23~陣馬山857m14:10~落合16:50