今回の旅の最大の目的は、O氏にとって「チャツボミゴケ公園」に行くことだった。
チャツボミゴケとは、強酸性の温泉水が流れる場所に育つ最も耐酸性の強い特異な苔。阿蘇などの温泉場や鉱山跡地などでも見られるが、ここの「穴地獄」が最大の群生地だそうだ。驚いたのは「数億年かけて鉄鉱石に変わっていく」とのこと。「天然記念物」やら「ラムサール条約」やらの単語も飛びかうが、それはそれ。
どんな苔であろうが、私にとってまったく未知の存在であろうが、苔は苔。好きだけど、あまり興味を惹かれない。そもそも山中の源流の苔を見に行くなら、夏だろう。三月では雪の下でなのはないかと思うが、同行してみた。一人一万円近いガイド料を払って、スノーシューを履いてのスノーハイキング。私からでは決して出てこない企画だが、やはり久しぶりの雪山を歩くという魅力には、それはそれでちょっと抗しがたいものもあった。
現地は草津白根山の東の尾根上にある、昭和19年に開山され、同40年に資源枯渇のため閉山するまで採掘していた群馬鉄山(旧名:草津鉱山)の跡地。露天掘りのあとが現在の沢すじになったとのこと。
鉱山関係なら、興味津々。褐鉄鉱だから、製品化されるのはいわゆる鉄ではなく、塗料用の顔料ベンガラ(弁柄=ほぼライトレッド)。その点もまんざら無関係ではない。
動植物、地形、歴史等、いろいろなコンテンツを終始、わかりやすくガイドされながら歩く。こういうのもたまには悪くないな。
最終到達地点の湧泉地「穴地獄」を一周する木道の最後で、目の前でO氏が転倒し、起き上がるのに失敗してさらに1mほど横倒しで落下したのには肝を冷やしたが、濡れただけで幸い怪我がなかったのが不幸中の幸い。
↓ 当日のホテルのベランダから見る朝の草津温泉スキー場。
三日間、晴れたり、曇ったり、風雪だったり。草津では三日間の最高気温が1℃だった。
↓ 生まれて初めてのスノーシューを履いていざ出発。
難しくはないが、慣れないうちは、靴の締め具合がよくわからず、何度か締め直す。
↓ ちなみに雪山でもっぱら使っていたのは輪カン。
これは会津桧枝岐の和一で作ってもらったもの。使いやすく、ずいぶん愛用した。スノーシューに比べて横幅があるので、歩行時にはガニ股になる。もう30年近く使っていない…
↓ 途中で見た熊棚。
どんぐりやブナの実を食べに熊が木に登り、手近の枝を引き寄せ引き寄せしては食べ、その枝を尻の下に敷き重ねたものが熊棚。葉のついていた時期の枝なので、その葉がそのまま残っている。幹にはよじ登った時の爪痕が残っていた。
↓ 途中で見たデブリ=落下した雪の塊。
別名バームクーヘンともアンモナイトとも言われる。
↓ 途中で見た褐鉄鉱露天掘り跡。氷柱が一本。
ここはそれほど純度が高くないせいか、あまり赤くない。別のところではイエローオーカーを思わせるような黄色いところもあった。ちなみに弁柄=ベンガラというのは、江戸時代にインドのベンガル産のものを輸入していたところからの名というが、さて?
↓ 何とか瀧の手前、沢床にチャツボミゴケが見え始める。
3月、雪の下かと思っていたら、水温は28度なので、雪に埋もれないのだとか。
↓ 源流、湧泉地の「穴地獄」、全景。
確かにかなりの緑の苔。夏場は全体がもっと緑になるそうだ。
↓ 展望所からの全景。周囲を木道が一周している。
写真の左の先でO氏が転落した。古い硬くてやせた雪の上に積もった新しい柔らかい雪の層に足を踏み外し、態勢を崩したのだ。下は水流と岩盤だから、怪我がなくてよかった。足はずぶ濡れになったようだが。
↓ 途中で見た白樺と宿木。
宿木は冬でも青いことから、北欧などでは生命とか再生の象徴とされる。好きな植物の一つ。
↓ 今回初めて知ったウリハダカエデ。
樹肌の模様が瓜のように見えることからついた名。瓜?ともあまり見えないが、近づいてみると、クレーの絵を思わせるような、繊細な抽象模様。気に入りました。
↓ チャツボミゴケ公園の帰路に立ち寄った入山百八十八観音。
近くの品木ダムに水没した集落のものを移設したものか。西国・坂東・秩父の百観音に四国八十八霊場を合わせて写したもの。全部は残っていないようだ。いずれも小型の素朴なもの。あまり保存状態は良くないが、いくつかは良いものがある。
この辺りにはその気で探せばまだいろいろな石仏があるようだ。
↓ 翌日の写真だが、長野原あたりから見た、右から丸岩、高ヂョッキ、1209m峰。
心惹かれる風情の山々。登るのは難しくないが、足の便と宿を考えると、爺さんの一人旅としては割とハードルが高い。でも登りたい。
(記・FB投稿:2024.3.18)