艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

先月読んだ本 (2015.5)

 五月に読んだ本は10冊。多くはないが、まあ普通。

 

①『谷内六郎の絵本歳時記』 谷内六郎 横尾忠則

  1981.7.25 新潮文庫 【美術】

 私は谷内六郎(1921-1981)という画家(というべきかイラストレーターというべきか)については、長くその表紙絵を描いていた週刊新潮のイメージが強く、それ以上の、あまり良いイメージを持っていなかった。読者へのおもねりのようなものを感じたのだ。しかし、没後しばらくたった2002年にあるデパートで大きな展覧会を見てから印象が変わった。その童画風の画風から、いわゆる画家というイメージではとらえにくいが、ノスタルジックで、土俗的・日本的で、夢や幻想と近しい世界には、確かにどこか惹かれるものがある。新潮文庫で「谷内六郎展覧会」として出た何冊かと、ほかにも旺文社文庫や六郎工房のものも何冊か持っている。みな10年以上前に買って未読のものばかり。文庫本サイズゆえの物足りなさはあるが、これからまた少し見てみようか。

 

②『探検家の憂鬱』 角幡唯介

  2015.5.10 文春文庫 【探検】

 最近続けて読んだ『空白の五マイル チベット、世界最大のツァンポー峡谷に挑む』、『雪男は向こうからやって来た』、『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』と4冊目目になるが、前3冊がそれぞれ一つのまとまった探検の記録であり、読みごたえがあったのに対して、本書はまあ雑文集というか、軽いエッセイ集。しかし、中の「行為と表現―実は冒険がノンフィクションに適さない理由」の一章は、現代において探検とは何か、を考察する説得力のあるものである。ところどころにブログの記事をそのまま入れているが、やはり軽いという印象は否めない。必要なのだろうか。

 

③『自伝 じょうちゃん』 松谷みよ子

  2011.12.30 朝日文庫 【文学】

 松谷みよ子(1926~2015)の作品には、世代のせいか、ほとんど縁がなかった。おそらく今後ともあまりないだろう。ただ、淡い興味はある。今年二月に亡くなられた記事を見て、本書を読んでみる気になった。離婚(1967年)までの回想だから半生記ということになるが、時代性や左翼的な立場との関係など、それなりに面白い。一度ちゃんと代表作の童話を読んでみたいとも思うが、やはり出あうにふさわしい年齢というのもあるしなあ…。

 

④『すぐそこにある遭難事故 奥多摩山岳救助隊員からの警鐘」 金邦夫  △

 2015.5.31 東京新聞 【山岳】

 数年前から、年に一度、立川で集まる山関係の飲み会がある。そうそうたるメンバーが主で、私なんぞ、そもそも参加する資格があるかどうか怪しいのであるが、まあお声がかかれば出席している。そのメンバーの一人が著者で、つい最近まで長く青梅警察署で山岳救助隊員としてやってこられた方。東京の山では青梅、五日市、高尾の三つの管内でだいたい年に100件前後の遭難が発生し、数名~10名程度が死亡または行方不明になっているとのこと。ちなみに全国では発生件数2.172件、死者・行方不明者320人、負傷者1.003人、無事救助1.390人(「平成25年中における産学遭難の概況 警察庁生活安全局地域課」による)。多くは経験の浅い中高年者の道迷い、滑落、転倒が原因の七割以上ということは想像がつくが、やはり、その数に驚く。そしてその内容が今現在の自分の在り様と決して無縁ではないことに気づく。う~ん、自戒せねば。用心せねば。いわゆる「遭難もの」とは違った、まさに「すぐそこにある遭難事故」。文章も読みやすい。多くの人に読まれるべき本である。

 

⑤『壺井繁治雑話集 公園の乞食』 壺井繁治  ▲

  1971.9.30 秋津書店 【文学】

 詩人壺井繁治と言えばどうしても「二十四の瞳」の壺井栄のだんなというイメージが強く、その作品を読んだことはない。しかし、文学史などをひもといてみると今はもう全く流行らないが、かつてプロレタリア文学が大きな力を持っていた時代があり、そのおりおりに壺井繁治の名前が出てくる。芸術と政治思想との関係は私の最も不勉強かつ苦手とするところであるが、それゆえに、気になる。彼の詩作品は一編も読んだこともないが、気にかかる。

 読後感としては、やはりしょせん二流(以下)の作家という印象。文章に魅力がない、ユニークな視点というものがない。時代の空気感が少し伝わってくるところ以外は、正直言って退屈である。しょせん雑話ということであろうか。せめてその本業たる詩集を一冊ぐらい読んでみようか。それともその必要はないのだろうか。

 

⑥『檜原・歴史と伝説 炭焼村の生活史』 小泉輝三朗

 1979.4.30 武蔵野郷土史刊行会 【民俗】

 4月に読んだ『桧原 ふるさとの覚書き 村の暮しと民俗』に引き続き、ようやく読了。興味や縁がある人にとっては、それなりに面白いかもしれない。今はもうほとんど失われてしまった(と思われる)手まり唄の採録がちょっと不思議な感じでおもしろかった。

 

⑦『A 3 (上)』 森達也  ◎

 2012.12.20 集英社文庫 【社会・宗教】

 本書については下巻と合わせて来月以降に記載。

 

⑧『紅の凶星 (グイン・サーガ135)』 五代ゆう

 2015.1.23 ハヤカワ文庫 【小説】 

 まだ読んでいるのかと言われれば、まあ読んでいるのである。息子が買ってくるのに付き合っている(お互い様だ)。1979年以来、2009年の著者の死までに正伝で130巻、著者の死後も二人の別の作者により書き継がれているヒロイックファンタジー。ちなみにギネスブックにも世界最長の小説として申請されたが、「1冊にまとめられた作品ではないという理由で却下された」そうである。公認世界最長の小説は『失われた時を求めて』(960万9000文字 ギネス2007年版)。まあ(英語で)3000万文字以上の作品を1冊にまとめるのは事実上不可能だろうが、少々釈然としない(以上ウィキペディアの記述による)。私は長編小説というのは得意ではないが、嫌いではない。中里介山の『大菩薩峠』も全巻読んだ。『失われた時を求めて』は課題図書ではあるが、読んでいない。内容については特にコメントはない。まあ、終わることなき物語の講談的面白さである。そして小説とは何か、物語とは何か、完成とは何か、作者とは何か、等々を多少なりとも考えざるをえないところに、この長さの隠された意味があるのかもしれないと思ったりする。

 

⑨『[増補]なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と記録』 金石範 金時鐘  ○

  2015.4.10 平凡社ライブラリー 【歴史】

 先月読んだ『朝鮮と日本に生きる 済州島から猪飼野へ』(金時鐘 2015.2.10 岩波新書)に引き続いてという形で手に取った。1948年以降の済州島事件(蜂起)について、済州島の内と外(日本)から、沈黙という立場と、小説化するという立場から振り返った対談。重い。実に重い。しかし、不謹慎なようだが、歴史としては面白い。間違いなく今現在と接続している日本近代史の醜い傷跡(それは未だ癒えず、治療を必要としている)である朝鮮との関係史の中で、たとえばなぜ在日と言われる人々が存在するのかということの、素朴な事実性をすら正確には知っていない多くの日本人の、無知というよりは凡庸の罪は問われるべきである。知ること、そこから、例えば民族性や政治的立場、宗教、国家、異文化といった、人々が本質的に帰属したがるフレーム自体が持っている一種の幻想性といったものに、思いを馳せるべきなのである。

 芸術家として「紅旗征戎吾が事に非ず」を信条としている吾が身ではあるが、だからといって凡庸の罪から免れないは言い切れない。重い内容ではあっても、金石範や金時鐘の本を今後とも読んでみようと思う。

 

⑩『海山のあいだ』(再読) 池内紀

  1997.6.25 角川文庫ソフィア 【山岳・紀行】

 山と旅の断想風紀行エッセイ。著者はいわゆる登山家ではないが、独特の味わいがある。と、思いつつ読み終わってから、10年以上前にすでに読了していたことに気づいた。情けない。しかも前回の読後評価は×だったのが、今回は無印である。つまり前回はほぼ否定的だったのが、今回は、これはこれでまあ悪くはないという評価に変わったのである。もちろん私が、私の視点、あるいは年齢が変わったのである。

著者の池内紀という人は、何だかとらえどころのない人である。多くの著作を持つ、ドイツ文学者の、山好きな元東大教授であるということはわかる。にもかかわらず、とらえどころがない。幅広い趣味を持つ文人?しかし澁澤龍彦種村季弘たちほどの毒はない。山に登ると毒が薄まるのか?ともあれ、本、山、美術と、興味の重なるところが多いので、これからもまたポツポツと読む機会があるだろう。        (2015.6.12)

 評価は6段階 あくまで筆者の主観的判断です

 ◎=おもしろい、傑作 ○=なかなか良い △少しおもしろい 無印=可もなく不可もなし、普通  ▲う~ん、どうなんだ ×=ダメです