艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

ターコイスブルーの卵

 午後4時。裏山歩きというか、山散歩に出た。登山とかハイキングとかのレベルではない。ほんの1時間半ほどの、いつもの健康保持兼気分転換のためである。

 自宅から歩いて行くのに、弁天山・城山(330m)エリアと、横沢入り・天竺山(310m圏)エリア、秋川丘陵(336m)エリアがあり、別に麓まで自転車で行く金毘羅山(440m圏)エリアと、計四か所の山散歩エリアがある。いずれも典型的な里山。自宅の標高が200mほどだから取付きから20分も登れば頂上あるいは稜線に至ることができる。

 弁天山・城山に行くことが多いが、今日は一番軽い秋川丘陵に足を向ける。10分足らずで小峰公園。桜尾根を登る。この尾根はかつての八王子方面とを結ぶ生活道。馬頭観音もある。日曜日とあって、夕方なのに何人か小さな子連れのグループとすれ違う。

 ゆるやかな尾根を歩いていてふと足元を見ると、何やらうす青いものが落ちている。ごみ?でもきれいだ。何の気なしに拾い上げてみる。3センチほどの大きさの卵形。ほんの少し緑がかったあわいターコイスブルー。すごくきれいだ。飴玉?お菓子?ビニールのおもちゃ?飴玉にしては軽いし、ビニールのおもちゃにしては少し持ち重りがする。持って帰ろうかな、でも何なんだろうと思いながら、材質を確認するために指の爪で軽く弾いてみた。

 ペシャッ!!白身と黄身が飛び散った。鳥の卵だったのだ。ギャッと叫ぶ(自分の)声。

 同時に、何故?なぜ?なに???と疑問符が頭上を飛びかう。君は誰なんだ?おれが殺したのか?いや、そんな気はなかった、まさか鳥の卵だとは思わなかったんだ。勘弁してくれ、許して下さい。等々、様々な想念と感情が押し寄せる。

 いや、そもそもなぜ卵がこんなところにあるのだ。上を見上げても、とりあえず鳥の巣らしきものは見えない。昨夜は少し雨が降っていたが、そんなに風は強くなかったはずだ。軽いパニック状態でいる私の上空で鳥が啼いた。テッペンカケタカ、東京特許許可局、テッペンカケタカ~。ホトトギスだ。卵という言葉が頭をよぎった。

 おそらくこれはホトトギスが他の鳥の巣に卵し、その代わりに落とされた本来の巣にあった卵なのだ。仮に私がそのことを知っていて持ち帰ったとしても、孵化させるのは難しいだろうし、さらにそれを育て上げるのはほぼ不可能だろう。つまりこの卵の寿命はホトトギス卵した時点で尽きていたということなのだ。~合掌。

 そこまで思い至って、ようやく落ち着くことができた。あ~、驚いた。それにしても山を歩いていると、いや長く生きていると、いろんな目に合うもんだ。まあ、別にたいしたことではないのだろう。しかし、60年生きていて、道で野鳥の卵を拾ったのは初めてである。ましてや、それを指で弾いて潰したのは。これからも、もう二度とはないだろうと思う。ということは、一生で一度あるかないかの体験だったということだ。野鳥の卵を拾ったことのある人は、拾ったことのない人に比べて極めて少ないだろう。つまり極めて珍しい体験をしたということである。いやどうして、たいした体験をしたことにようやく気づいたのである。

 一瞬、(ガラ)ケータイで写真を撮ろうかなという考えが頭をかすめた。しかし、左手に残っているのは、無残にも砕けた卵の殻と流れ出した白身と黄身。あまりいい趣味とは言えないようだ。いろいろな卵の標本は何回か見たことがある。その幾何学的形体は実に美しいものだ。きれいなあわいターコイスブルーは残念だが、砕けてしまっては仕方がない。惜しいような気もするが、捨てるほうが良いだろうと思った。

 

 そのあと、尾根通しに広徳寺まで歩く。ここには何年か前に解体修理された山門と一対の銀杏の老巨樹がある。一見、寺院らしくない(?)本堂を中心とする静かで幾何学的なたたずまいや、裏手の古びた池の感じもわりと好きなのである。都の天然記念物の榧の木とタラヨウの木もある。ゆっくり歩いて1時間半。本日の山散歩、終了。

 

 帰宅後、ネットで調べてみたが、卵はガビチョウかムクドリ、おそらくガビチョウのものではないかと思われる。ガビチョウは確かにこの時期、朝早くから独特の長い節回しで歌いまくっている。少々くどいが、良い声だともいえる。ただし特定外来生物として「侵略的外来種ワースト100選定種」になっているそうだ。              (2015.6.7)