艸砦庵だより

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小ペン画ギャラリー‐36 大阪高島屋「21世紀空間思考展」‐2

 前回の続きで大阪高島屋「21世紀空間思考展」に出品した小ペン画、その2。他の展覧会やFB上でも未発表のものを何点か紹介する。

 前回の投稿でも述べたが、共通するコンセプトや要素といったものは特になく、したがって全体としてのコメントも特にない。あまり濃すぎたり、メッセージ性の強くないもの、そしてバリエーションを意識したバランス感覚だけ。多少はデパートという場を意識したのか、私としては比較的珍しい選択基準。

 

 ↓ 514 ガンダーラの裔

 2021.8.22-23  19×14.2㎝ 水彩紙にゼラチン、水彩・ペン・インク

 

 東京オリンピックの開会式の、パキスタンだったか、イスラム圏の選手団の行進のシーンから発想した作品を2点描いた。ほんの10秒前後のニュース映像を見ながら一瞬で走り描きしたものから生まれた。先に描いた方(発表済み)には、入場行進のイメージが残っているが、2点目の本作はその余波といった形で、オリンピックや入場行進といった要素はほとんど残っていない。実際に女子選手が写っていたかどうかは記憶にない。

 ただ、パキスタンには古代の仏教の中心地の一つであるガンダーラ(現在のペシャワール地方)がある。バーミヤンなどと同様に、その後のイスラム教圏という歴史の皮肉を感じさせるところであり、その点での淡い興味を持っていた。

 余談だが、競技そのものは別として、オリンピックであれ何であれ、私は公的なイベントのセレモニー的なものがあまり好きではなく、ほとんど見ない。競技もたいして見なかったが、さまざまな国、文化の人々が集まるという感覚だけは好きだ。関係ないけど、イスラム圏の特に男性の服装が、ちょっと好きなのである。

 

 

 ↓ 527 ポーズする観音 

 2021.915-17 19×14㎝ 木炭紙にゼラチン、水彩・ペン・インク

 

 長野県筑北村修那羅峠の石仏群を見た時の驚きは忘れられない。一般的な仏教や神道の信仰に、民間信仰性が触媒として機能するとき、その的想像力が生み出すフォルムは、自在に、いかようにでも変容しうるということを思い知らされた。外見だけではなく、内面性も含めて。信仰における民衆の想像力その強さ、その坩堝のような石仏群。

 本作はその中の一つ、一応聖観音とされているが「ピエロ観音」などとも勝手に命名されている像の一つにインスパイアされたもの。

 

 

 ↓ 参考: 修那羅山安宮神社石仏群 聖観音

 

 「ポーズする観音」の元になった石仏。これをただ良し、ありがたしとしてだけ見るか、それともそこから自分の考察力・想像力によって、別の新しいイメージを創り出せるかが、言ってみれば翻案力とでも言うべき想像力の一つの振舞い方であろう。

 

 

 ↓ 557 異装のまれびとが観想する

 2022.1.29-2.1  18.7×15.9㎝ 洋紙に水彩・ペン・インク

 

 元になったイメージや画像は何もない。一瞬にしてほぼ完成形のイメージが訪れることがある。割合としてはそう多くはないが、これもその一例。

一応、蓮の蕾(未敷蓮華=悟りきれない人の象徴)を持っているから、ある種の観音像とも言えよう。

 

 

 ↓ 626 宇賀神とともに

 2022.11.21-24  16.2×11.9㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク・修正白

 

 ちょっときれいな女性を描いてみたくなった。「美人」のイメージの一例が弁才天。その美人弁才天を、水神・福神・音楽神としてではなく、非宗教的に、信仰の要素をなくした素顔、普通の女性として描いてみようとした。

 水神、女神である弁才天には、もう一つ宇賀神という起源(ルーツ)がある。こちらはとぐろを巻いた蛇体の男性(多くは老爺)。弁才天ヒンドゥー由来であるのに対して、宇賀神はどちらかと言えば、神道の要素が強いらしい。合体して頭の上に、と蛇体の宇賀神と鳥居を載せた宇賀神弁才天という造形も多い。

 神性を取り去った美人弁才天では、人間と区別しがたく、手掛かりとしてあえて宇賀神=蛇を載せた。「これさえなかったら欲しいけどね~」と言われたりしたが、画家としてはそうはいかないのである。

 

 

 ↓ 632 黒華頌 

 2022.12.6-20  19×14.1㎝ アルシュ紙に水彩・ペン・インク

 

 これに限ったことではないが、我ながら何とも説明しにくい絵を描くものだ。ともあれ花、それも黒い華である。むろん写実ではなく、実在しない花、胸中の花である。

洋の東西を問わず「植物画」、「ボタニカルアート」「博物画」といったジャンルがある。趣旨の違いはともかく、そうした記録性からくる独特な魅力にも心惹かれるものがある。別にタイル、陶磁器の絵付け、織物・絨毯・服装などに描かれた、紋様化され意匠化、抽象化された花。それらの魅力。その両者のイメージをもとに、ギリギリのところで融合した形で描いてみたいと思った。

 

 

 ↓ 648 アルカイックな二人‐別離

 2023.2.18-24  13×9㎝ 洋紙に水彩・ペン・インク

 

 上州の双体道祖神のイメージがベース。信濃のそれと違い、墓標仏のそれとも違い、万葉集の防人歌を思わせるような、より素朴な男女の造形。それほど数を見たわけではないが、ほのぼのと沁みるものがある。

この手のものを3点ほど描いたが、これは最も本歌から遠い、私の物語造形。「別離」としたゆえんである。まあ小さな詩であろう。

 

(記・FB投稿 2024.2.14)