青梅市立美術館の「アートビューイング西多摩2023」展での、全体の意図と3点のタブローについては、前回の投稿で述べた。
展示した小ペン画は24点。一応多少の見やすさとバリエーションを考慮したが、そのせいか後に確認して見たら、19点はすでにギャラリーやFBで発表済みだった。今回はFBでも未発表の5点を中心に紹介。
小ペン画は、そのサイズの小ささや、技法的な制約などから「大きな物語」を語るには適さないが、小さな個別性(今回の場合は個々の現実現象と社会性との関連や、民俗学や宗教性などといった個別の関連領域)と対応するには向いている。それらをある程度以上の数量で展示することで見えてくるものもあるだろう。歴史的視点で言えば「通史」ではなく「聞書き」といったところ。その両者を並置したかった。例えていえば、「鳥の眼」と「虫の目」の併置。そうした意味で、大阪高島屋の展示とは意味合いが異なる。
↓ 会場風景
3点のタブローとその間の小さなペン画。
↓ 小ペン画展示風景
実際の展示風景の一部。この8点はギャラリーやFBで発表済みなので、詳しくは述べないが、簡単にテーマというか要素だけを、展示右下の展示番号とタイトルと共に簡単に記す。上から下へ、左→右の順。
15.「隘勇線にはばまれて」日本による台湾植民地時代の先住民対策‐餓死作戦。
21.「舞闘尊者 (Rakan-13 倣Siyah Qalam)」14 世紀後半から15 世紀初頭のペルシャにおける「黒い絵」と言われる特異な、仏教とシャーマニズムに基づいた細密画群と羅漢図の折衷。
8.「犀の角のようにそれぞれ佇む五人」『仏陀の言葉』より。
12.「出口」イスラム国とシリア。
26.「降りくるもの」宇宙物理学、ブラックホール、膨張宇宙。
↓ 610 住輪の心御柱-哲学的幻想
2022.8.5-14 21×14.8㎝ アルシュ紙に水彩・ペン・インク
民俗学者としての(?)中沢新一の『精霊の王』中の、「『明宿集』の深淵』にインスパイアされたイメージ。
『明宿集』とは室町時代の猿楽師・能作者であり、世阿弥の娘婿となった金春禅竹の著した一種の神秘学的「翁論」だが、難解すぎて、正直言ってほとんど理解できなかった。理解はできなかったが、妙に感動(?)し、影響を受けて、本作ともう2、3点描いたのである。
金春禅竹は金春流の中興の祖とされる。余談になるが、大学時代の後輩に金春流の家元の娘がいて、その縁でただ一度だけ能というものを見せてもらった。ごくごく淡いものではあるが、それもまた一つの奇縁というべきだろう。
↓ 参考 612 住輪の心御柱-出現に向かって
2022.8.7-14 21×14.8㎝ 中国紙二枚重ね、水彩・ペン・インク 発表済み
前述の『精霊の王』の「明宿集」に影響を受けて、続けて描いた一点がこれ。共に楕円の下部にある小さな黒い棒のようなものが「住輪(しゅうりん)の心御柱」。
いまだに解説すらできないので、興味のある方は自分で読んでみて下さい。
「翁」ではあるが、老若と男女性を交換可能とみて、このような絵柄にした。
↓ 611 淡い光の中の宿神
2022.8.5-8 21×14.8㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク
同じく本作も中沢新一『精霊の王』中の「宿神」論が発想の源。シュクシンからシャグジ‐ミシャグジ‐シャクジン‐シュクジン‐シュクノカミ‐シクジノカミと呼ばれる、いまだに謎とされる神が芸能の神であるとする考察が、イメージの源。信州や甲州が本場のようだが、東京やその他にもある。石神井(シャクジイ)公園もそれ由来。
いずれにしてもこれらの作品のようなイメージは、私個人の中からは思いつかないというか、発生しない。読書というアウトサイドから持ち込むしかないのである。
↓ 638 避難する光の母子
2022.12.18-21 13.5×16.1㎝ 水彩紙にアクリル・水彩・ペン・インク
下描き、予備的なイメージデッサン無しに描いた作品。あらかじめ下彩をほどこして用意しておいた用紙を凝視することで、形、イメージを発生させるというやり方。
描いているうちに浮かび上がってくるニュアンス、形が、ウクライナ難民や、ミャンマーの、シリアの、その他もろもろの難民たちのイメージと重なり合い、それらが聖書の中の「エジプトへの逃避行」へとつながった。
私としてはあまり例のないイメージ。聖書にはほとんど縁がないが、西洋画の画題としては一般的なので、ある程度は私の中にも入っている。技法的にはスクラッチ(引掻き)技法が主。
↓ 663 いにしえより‐弥勒
2023.3.21-27 12.6×16.3㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク
136億年前に宇宙を誕生させたビッグバンと、56億7千万年後に人々を救うために今現在も兜率天でそのすべを思惟しているという弥勒菩薩なる存在・観念が、どうも私の中では照応し合っている。
そのビッグバンの超初期のインフレーション理論とその副産物として生み出されたブラックホール。関連も何も説明も理解もできないが、イメージとしてはこんな感じが私の感性の基層にある。
↓ 697 かろん(渡守)
2023.8.7-10 14.5×9.1㎝ 和紙にアクリル・水彩・ペン・インク
かろん(カロン、カローン)とは、ギリシャ神話における冥界の川スチュクスあるいはその支流アケローン川の渡し守のこと。画題(の一部)として、ヨーロッパでは多くの宗教画に描かれている。
冥界の川だから仏教(仏陀自身はそんなことは言っていないが)の三途の川(三途河・葬頭河/しょうづか・正塚、三瀬川とも)に対応し、また渡し賃として死者の口などに小銭(六文銭)を入れるなど、ユーラシア全体に広く見られる葬送習俗と対応する。そのあたりも様々な宗教の影響関係を示すものである。石舟地蔵との関連も言えそうだ。
↓ 参考 673 渡守
2023.4.11-18 21×15.4㎝ 和紙に膠、油彩転写・水彩・セピア・ペン・インク
前掲の作品の四か月前にこの作品を描いた。描き始めの時点ではアケローン川の渡し守カロンというイメージ・発想は全く無かったのだが、途中からいつの間にかつながった。体にある黒い丸は、何か典拠があったような気もするが、覚えていない。
たまたまわが家に遊びに来たA君がこれを気に入って欲しいというので、未発表だが譲った。気に入っていたこともあって、後に同工異曲の前掲作を描いた。私としては比較的珍しいことである。
↓ 参考 Gustave Doré「神曲(1861-68)」より
カロンはヨーロッパの宗教画では地獄の渡し守として、時々描かれている。ミケランジェロのシスティナの最後の審判にも登場する。渋い名脇役といったところか。
これはフランスのドレ(Doré 1832-83)の手になる木口木版画の一ページ。クラシックな印象。
こちらも同じ書物の一ページだが、作者のダンテとウェルギリウスを載せている。
関係ないけど、ドレとエドワール・マネは生没年共に同じなのだが、画風と時代性はずいぶん違う。ドレのアナクロぶりはすごい。そこが好きなところでもあるのだが。
(記・FB投稿:2024.2.26)