艸砦庵だより

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旧作遠望‐6 「青梅市美 アートビューイング西多摩2023」と「世界の調べに耳を澄ます」

 青梅市立美術館で昨年の12月16日から今年2月4日までの予定で開催されていた『「″アート″を俯瞰する」アートビューイング西多摩2023』は、会期途中の1月19日に「(…)美術館内のエントランスロビーのガラスが破損していることが判明し、施設内の安全確保のため急遽、本日(…)午後から臨時休館とさせていただくことになりました。」との連絡を、旅先の奈良で受け取った。

 美術館は1984年開設だから、築40年。電気系統などが老朽化し、この三月ごろからしばらく休館して改修の予定だったそうだ。築40年ともなればそういうものかと思っていたが、今回の展示中止の直接の原因はガラスの破損だから、意味が違う。建物自体は、水平垂直・鉄筋コンクリート・ガラス多用の、よくあるモダニズム建築。だからガラスといっても、いわゆる窓ガラスのイメージではなく、150㎏(?)もある、荷重はともかく、構造体の一部を成しているもの。それが40年で壊れるというのは、どういうことなのか。具体的な責任の所在を問うても空しいだろうが、釈然としない。

 

 ともあれ、観覧予定だった人、遠隔地で来られない人のために、急きょ「旧作遠望」。

 

 本展は西多摩地区のアートを大事にし、盛り上げようという、地元ゆかりの作家有志が中心になって、これまで何回か同趣旨の展覧会を開催してきた。今回は青梅市立美術館と初めての「共催」。趣旨はわかるが、それはゆるい括りであって、グループ展としての統一的な主張や明確な視点があるわけではない。無くても構わないが、西多摩の風土が好きで30年近く住んでいるが、地元愛的なものは私にはない。したがって、出品するにあたって、やはり自分なりの論理構築のようなものは必要だった。

 けっこう苦労したが、東北大震災以前、阪神大震災以降から現時点までという近過去の枠組みを設定した。その時間に対応する旧作のタブロー3点と、より広いスパンの時間軸を、民俗学や宗教性、社会性といった個別の観点・要素を内包する近作(小ペン画)を配置・展示することにした。つまり歴史というほどの大きなスパンではないけれども、歴史性を内包する風土性と、そこに在る人間観みたいなものを暗示(?)したかったのである。以上はまあ、作者にとってだけ必要な展示の枠組み・必然性なのである。

 小ペン画については別に投稿する予定だが、柱となるタブロー3点に共通するタイトルは「世界の調べに耳を澄ます」。この言葉自体に関心を持ったのは、たしか社会学宮台真司が書いた朝日新聞のコラムによってだったと思う。それ以前から存在していた言い回しとして知っていたような気もするが、はっきりしない。世界全体・宇宙全体に通底する、神聖幾何学とか宇宙律などといった観念とも連動する、一種の哲学的神学的概念である。世界に遍在するかすかな波動と音律。その曲律は、大震災といった非日常の際には、どんな変化を示したのだろう。そんなことをぼんやりと思ったのである。

 東北震災後、「3.11以降、そのことを自覚しないアートはありえない」などといった発言をしたアーティストが何人もいたことを覚えている。個人的体験と普遍的経験性を弁別しない、そうした発言に対する反論がこれらの作品の底にあった。

 

 余談だが、3点ともにM120号(97×194㎝=2:1)という、細長く扱いづらい画面。普通だったらとてもこの比率の絵を描こうという気にならないが、もう「大きなサイズの作品は描かないから」といって、ある先輩がいきなり木枠を三本送ってよこした。それがなければ、この作品の構想は生まれなかっただろうから、縁とは不思議なものというべきであろう。

 

 

 ↓ 展示風景‐1

 

 手前は鹿野裕介さんの作品。こう対置してみると、少し硬い展示であったかもしれない。

 

 

 ↓ 460 「世界の調べに耳を澄ます‐2」

 2005年 M120号(97×194㎝㎝) 以下3点とも自製キャンバス(麻布にエマルジョン地)、樹脂テンペラ・油彩 

 

 3点は一二ヶ月程度ずつ間をおいて着手した。2番目に描きだした本作は、最後までサブタイトルが浮上せずというか、サブタイトルを必要としなかった。

 

 

 ↓ 459 「世界の調べに耳を澄ます‐1(白い岸辺)」

 2005年 M120号(97×194㎝㎝)

 

 3点連作とか、組作品というわけではないが、イメージとしてはこれが最初に描きだした作品。あとの2点は本作に引きずられて生まれたようなもの。

 「白い岸辺」という語(サブタイトル)にはなにがしかの意味があったのだが、3点完成して見ると、必ずしも組作品というわけではないということもあって、標示する意味が感じられず、キャプション等には表記せず。

 

 

 ↓ 465 「世界の調べに耳を澄ます‐3(紅蓮)」

 2005年 M120号(97×194㎝㎝)

 

「紅蓮」という語も同様。

 

 

 ↓ 展示風景‐2

 全景。壁面約10m。

 

 タブロー「世界の調べに耳を澄ます」の間に小ペン画を配置。ほかにもやりようがあったかもしれないが、まあ、これはこれで悪くはないか。

 

(記・FB投稿:2024.2.20)