先日、縁あって大阪の高島屋の彫刻4名、絵画2名の「21世紀空間思考展」に参加した(2月17~22日)。
縁はあったのだが、必然性はなかった。グループ展としての統一的コンセプトといったものはない。必然性のない発表というのは難しい。だからグループ展の場合、それが作家主体であれギャラリー主導であれ、誘われても、お断りすることが多い。
今回は経緯はともかく、出品することを了承したのだから、何か自分なりの必然性をひねり出さなくてはならない。それにけっこう苦労した。自分の展示全体をくくるコンセプトは見出せず、結局、関西では初めての発表の機会ということなので、自己紹介性‐バラエティーという単純な地点で折り合いをつけ、比較的近作のタブローとペン画を、バランスを考慮して展示するということで決着した。
タブローの方はすべて、東京で発表済。だが関西では未発表なので、良しとしよう。
小ペン画はFBも含めて、なるべく未発表のものをと心がけたつもりだが、バラエティーということと、親しみやすさ(?)といったことを考えて21点を選んだ。あとになって確認してみたら、東京で発表済みのものやFBに投稿済みのものも含まれており、全くの未発表は11点。今回はその半分の紹介。
↓ 377 髪
202.10.20-23 15×10.5㎝ キャンソンラビーテクニック?にペン・インク
私のペン画は平滑な紙に描くことは少ないので、ペン(主に丸ペン)先の運び、滑りとは相性が良くない。なめらかにペンが滑る走るということはあまりなく、しょっちゅう引っかかったり、紙面がけば立ったりで、主に意志力(?)でコントロールし、ねじ伏せていたようなものだった。それがなぜかこの作品あたりから、ペンが自然と走るようになってきたのを記憶している。「あれっ?おれ、上手くなったのかも?」使える技が一つ増えるというものは、楽しいものだ。
髪の毛は勝手に増殖し、こんな作品ができた。女性の髪の毛は美しく、エロチックなものである。
↓ 406 家路
2020.11.27-29 12.6×8.5㎝ 和紙にドーサ、ペン・インク・水彩
物を運ぶという動作は、背負ってであれ、頭上運搬であれ、抱えてであれ、人物=身体ということ以外に、他の物・要素とかかわる・連動するということだ。そして、その動きによって、ちょっと世界が広がるという感じがあり、魅力を感じる。
多種類の大きなものを背負って運ぶというイメージは、アジアなどで実見した体験がベースになっている。人は、何を、どれだけのものを、運ぼうとするのか。
↓ 415 紡ぎ人
2020.12.4-9 19.5×15㎝ 和紙にドーサ、ペン・インク
菩薩的な人物(菩薩そのものではない)がある動作をしているところを描きたかった。
描いていくうちに、ガンジーの独立運動と関連して糸車を廻す有名なシーンと結びついた。菩薩‐インド‐ガンジー、という展開。だが、ガンジーそのものとは関係がない。
↓ 443 身毒の火のダンス
2021.1.3-4 洋紙にペン・インク
インドの国名表記には印度という漢字表記があるが、他にも天竺(後漢書)や身毒(司馬遷『史記』)などといった表記もある。ある見慣れ聞きなれた言葉をちょっと違った視点・座標軸(外国語や古語や別名など)で置き換えて見ると、それ自体の内に潜む異世界性とでもいったようなものが立ち現れてくるような気がして、面白い。まあ、それだけの話ではあるが。
画像としては、どこかでチラッと見た何かがあったような気がしないでもないが、覚えていない。たいして意味はないのだろう。
↓ 490 青い炎
2021.7.27-30 水彩紙に水彩・ペン・インク
イメージの元になったものは何もない。
用紙に下彩をほどこす際にわずかに現れたにじみというか、綾をそのまま広げて描いていったもの。あまり肩に力が入っておらず、少し好きな作品。
(記・FB投稿:2024.2.8)