艸砦庵だより

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「石仏探訪-18 二猿庚申塔と二匹の猿」

 4月12日午後、今年24回目の石仏探訪。

 

 檜原村北谷の茅倉、中里、白倉、千足と、本宿の一部。山腹にへばりつく集落の中の細い急傾斜の道を、女房は必死に運転する。

 大嶽神社、熊野神社、御霊檜原神社をメインに、路傍のあちこちに石仏(群)がある。あちこちに良いものがある。

 

 ↓ 白倉の大嶽神社の庚申塔青面金剛立像、日月天、三猿、舟形光背。元禄13年/1700年。檜原村で2番目に古い庚申塔である。

 まじめに憤怒相ではあるが、どこかユーモラス。大嶽神社には灯篭や狛犬なども含めて、7基ほどの石造物がある。

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 ↓  向こうは熊野神社本殿。手前の基壇には何があったのだろうか。今は丸石が一つ置かれている。

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 ↓ 境内に佇む人

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  ↓ 千足の御霊檜原神社-4 の庚申塔青面金剛立像、日月天(いわゆるバンザイ型)、二猿、笠付角柱。二猿は三不のうちの見ザル・言わザル。

 このあたりではかなり珍しいもの。また、鱗のような鎧のような衣がユニーク。宝暦10年/1760年。

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   ↓ 同じく御霊檜原神社庚申塔青面金剛立像、二猿、二鶏(下部に線彫り。これも珍しい部類)、舟形光背。珍しく四手である。

 何よりも、頭光(円光)と、三叉戟の柄が長く錫杖のように見えることから、全体としては地蔵のイメージに見える。もっと言えば、キリスト教十戒のモーゼのようにすら見える。足元の二猿は合掌しているが、右の一匹はこちらを向いたカメラ目線(?)。なんともユニークな像容、類例を見ない表情の庚申塔である。年紀はないが、かなり古そう。

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 千足の御霊檜原神社にも良いものがあったが、偶然にもその隣は、女房の(趣味の)英会話サークルのD先生の家。女房はこの日も午前中、英会話サークルで会ったばかり。そのD先生から「H~i!」の声。あれあれ?!思いがけずしばしの歓談。

 

    ↓ D先生の庭先で。座っているのは先の台風の時、流れてきた流木で作られたベンチ。なんとも魅力的なフォルム。座り心地も良い。欲しいなあ~、これ。

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 山村に暮らすがゆえの猿害に話が及び、彼女の菜園を見にいくと、今しも猿が、厳重に張り巡らしたネットをかいくぐり、やっと芽を出したばかりの貴重なジャガイモをほじくり返していた。

 

 ↓ 貴重なジャガイモが掘り返された跡。合掌。左に写っているのは、雑草のクローバーらしい。

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 追えば一応逃げるが、安全な距離を保ったまま、余裕のポーズ。困ったもんだ。これもまた生物多様性・共棲の一シーン。

 

 ↓ 猿たちを追いかけ、追い払っても敵もさるもの。余裕である。安全な距離を保って、急がない。

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 ↓ 危害を加えないとみて、なめ切って休んでいる困った人たち。

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 二猿の庚申塔を見て感動した直後に、二匹の猿。まさか庚申塔からぬけ出してきたわけでもあるまいが。

 ちなみに合掌し拝んでいるポーズの二猿は「日光型」と言われ、いわゆる「三不(見ざる・言わざる・聞かざる)」とは出自が違うらしいが、まだ詳しくは知らない。

 

 

 ↓ 茅倉では地形図記載の神社を見つけられなかったが、何か所かの石仏群(屋敷墓跡?)があった。

 聖観音や合掌地蔵の墓標に刻まれた「同㱕」「同𡚖元」(㱕、𡚖、共に帰の異体字)の語が奥ゆかしい。「同帰」とは「別々の道筋をたどっても、結局は一緒に帰る=あの世へ行く」の意。

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 ↓ 茅倉の別の石仏群(屋敷墓跡?)にあった、25㎝ぐらい、ほぼ二頭身の、なんとも可愛らしい聖観音(?)菩薩墓標仏。

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 実質1時半の石仏探訪。檜原村も石仏の宝庫である。これからまだ、どれだけ未知の石仏と出会えるか、楽しみだ。

 

 

  ↓ 中里の熊野神社にあった二十三夜塔。「梵字種子(サク:勢至観音) 廿三夜塔 女人講中」。嘉永元年/1848年。

 月待講は多くは女性だけのもの。精一杯粋な筆致とデザインに、案外元気な当時の女性たちの姿が想像される。

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(記:2021.4.13)