艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

「小ペン画ギャラリー」―その2 「繭」

 今回は繭と人物を描いた絵を5点(+油彩作品1点+参考図版1点)。

 人物の性別はあいまいである。

 繭とは書いてみたが、はたしてそれは繭なのか。

 形と意味からすれば、「卵」でも良いような気もする。

 しかし私にとって、そのイメージに最も近いのが、ヤママユガ(山繭蛾 天蚕)の繭なのだ。ウスタビ蛾の黄緑色の繭のイメージも重なる。いずれも近所の山歩きでよく見かける繭。私はそれらの形状、色合い、風情が好きで、巣立って下に落ちているのをよく拾う。たまにボックスアート形式の作品などに使ったりする。

 私は昆虫愛好家ではないが、繭という存在、在り様には強い魅力を感じる。それは変容ということの、現実態だからである。卵から生まれ、芋虫や毛虫の時期から、蛹とそれを包む繭の時期をへて、やがて空に舞い立つ蝶や蛾へと、文字通り変化・変身・変態(metamorphosis)することの不思議さ。

 

 それは例えば、村上春樹の『1Q84』や『騎士団長殺し』の中で、何の説明も解決もされぬまま、そのくせどう見ても物語の核心を蠱惑的に象徴するイメージとして、読者の前に投げ出されたまま強烈な魅力を放射させていることからもわかるように、ある種の人々を惹きつける魅力を持っている。

 解決不可能、説明不能の要素(構造的不条理)を物語中に持ち込むというのは、ファンタジーにのみ許される手法であり、多ジャンルでは禁じ手であったはずだ。だが、いつの間にか村上春樹やそれに続く純文学の書き手によって一般化されることによって、文学の世界を広げもした。そしてそのことで、同時に小説の論理的快楽の水準を下げたというのが私の考えだが、それはまあここでは置くとしよう。ただし、そうした手法は美術の世界では、シュールレアリズムや形而上絵画以来、一般的な手法となっているということは、この際確認しておいても良いかもしれない。

 ともあれ、それは壺中天、すなわち桃源郷や閉ざされたユートピアにも通じる、異界を感じさせる装置でもある。

 

 言うまでもないが、現実の繭という具体物を描こうとしたわけではない。描き始めの意識としては、結晶・鉱物質の硬質で直線的な形体と、有機的な人体の形とを、繋げ、とり結ぶ要素としての(準幾何学的な)曲線的な形状、すなわち「繭のような形」だったのだ。むろん描き始めから、それが繭のような形だとは意識していた。それならいっそ、意味として繭ということにしてしまおう、といった感じなのである。

 

 こうした繭型、卵型の形と、その中にいくつかの要素を入れ込むといった感じの作品は昔から時おり描いていた。それは時には「琥珀」であったり「水晶」であったりした。それらは共に、時おり何か異物を内包していることがある。若い時に知った中西夏之の「コンパクト・オブジェ」の影響もあったのだろうと、今、思い当たる。

 

 

  ↓ T126.「琥珀-3」 

 1990年 F8 自製キャンバス(麻布にエマルジョン地)、樹脂テンペラ、油彩 個人蔵

 琥珀の中には時として植物や昆虫などを内包しているものがある。そうしたことを知識として知っていて、イメージを喚起されたのだろうか。要は閉じた世界の中に、何事かを内包しているということ。

 今は海外で買った琥珀をいくつも持っているが、当時は持っていなかった。この前後、鉱物名を付けたドローイング作品を多く制作しており、それらと連動した作品。

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 ↓ 中西夏之 「コンパクト・オブジェ」

 1960年代 ポリエステル樹脂

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 ↑ 色々なもの/オブジェをポリエステル樹脂で封じ込んだ作品。当初はもっと透明感が強かったように思うが、合成樹脂は次第に経年変化により劣化し、茶ばんだような色になる。当時の「現代美術」としては何か、生物的というか、生理的というか、そんな趣きがあり、わりと好きだった傾向の作品の一つ。ただし当時見ていたのはこの作品ではない。これはこの稿を書くにあたってネット上から拾ってきたもの。

 

 いずれにしても、やはり私には、どこか壺中天志向とでもいった要素があることは、自覚している。

 

 小ペン画のシリーズには、ここに上げた以外にも、「繭」をモチーフ(の一部)として扱った作品はいくつもある。また、別の角度からそれらを取り上げることもあるかもしれないが、今回はいったんここで筆をおこう。

 以下、作品紹介。

 

 

  ↓ 27.  「驚きのドラマ」

 2019.7.6 11.9×8.3㎝ ファブリアーノクラシコ?に膠引き ペン・インク

 全体が演劇の舞台空間のように見えたので、付けたタイトルだが、ちょっと苦しいか。

 小ペン画を描き出した当初は、タイトルを付けるという発想を持っておらず、いくつかのものを除いては、とくにタイトルを付けていなかった。「無題」でもかまわないかと思っていたのだが、その後作品数が増えるにつれて、必要性を感じはじめ、後になって一つ一つタイトルを付けていった。そのため、いくつかの作品には、どうにも据わりの悪いタイトルが付いてしまったものもある。これもその一つだが、小ペン画のシリーズでは一番早く繭形が登場した作品なので、上げておく。

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 ↓ 34. 「繭に入る」

 2019.9.18 13.7×8.8㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク

 硬質な鉱物結晶の構造物の仄暗い空間を背景として、繭がある。その中に、多少のあらがいを見せつつ、次第に吸い込まれてゆく、といったイメージ。

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 ↓ 37. 「まどろみ」 

 2019.9.19 13.3×8.8㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク・鉛筆

 いくつかの結晶といくつかの繭。それらにもたれてまどろむ人物。異様に長い右腕を描くときには、不思議なエクスタシーのようなものを感じた。この頃からペン特に丸ペンの使い方に急速に慣れてきたようだ。今見直してみると、背景の扱いが今一つだったようにも思われる。

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  ↓ 38. 「繭の中でまどろむ二人」

 2019.9.20 13.5×8.9㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク・鉛筆

 繭の中の二人を男女と見てもよいが、特にそういう意図はない。まどろむことのできる閉じた世界。

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  ↓ 43.  「蜜色の繭の中で」

 2019.9.22 11.4×9.5㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク・鉛筆・色鉛筆・顔彩?・ガンボージ?

 中ほどの黄色はガンボージ(植物性の樹脂染料)だったと思うが、はっきりしない。殉教図のような、拘束されたような姿態。まわりの数多くの幾何学的、装飾的図形をどう見るか。

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 (記:2020.4.28-5.1)

 

「閑話 私の野鳥雑記」

 田舎育ちの子供の頃から自然好き、山好きだった。だから、地理、地形、地質などに興味を持つようになり、鉱物・結晶・石好きになった。加えて年とともに花、木、キノコ等の植物も、川魚や動物、昆虫類も好きになった。だが野鳥だけは縁というか、関心が薄かった。なじみはあるのだが、要するに生きているそれらを、肉眼でしっかり見ることが難しいからだ。よく見えないものには興味を持ちにくい。野鳥に関しては、同定をほぼ諦めている。

 

 鳥を見る、観察する≒バードウォッチングといえば、高倍率の望遠鏡と望遠レンズをつけたカメラを設置して、ひたすらじっと鳥が来るのを待ち続けるというイメージがある。山の中では、鳥の声に振り仰いでその姿を探して見たところで、容易には見つからない。みつけたと思っても、それは木の間超しに空を背景とした逆光の小さなシルエットでしかなく、色も柄もわかりはしないうちにあっという間に飛び去ってしまうというのが、たいていの場合。したがってバードウォッチャーは、そうした条件を勘案した場所で、望遠鏡とカメラを設置して鳥が来るのを気長に待ち、撮影して、帰宅後、その鳥が何であったのかを図鑑で調べるのだろう。

 私が自然、主に野山にある時は、目的の半ば以上は歩くこと、移動すること。だから、そんな悠長なことはやっていられない。ましてや生来の機械音痴で、カメラ・写真嫌い。ゆえにバードウォッチングとは無縁である。

 

 しかし、終(つい)の棲家になるであろう今のところ(武蔵五日市)に越してきて以来、自然は以前にもまして身近なものとなった。年齢的な、自然な変化でもあるのだろう。庭に木を植え、花を植えた。小鳥が訪れる。季節ごとに鳴き声の変移がある

 だいぶ前に庭に2mほどの高さの棒を立て、餌台を設置した。庭の一画にある女房の陶芸小屋の外壁に巣箱を掛けた。毎年のようにシジュウカラがやってきて巣を作り、卵を産み、雛を育てる。

 

 ↓ 女房の陶芸小屋の外壁の巣箱。下の装飾には意味はない。

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 しかし、餌台に来る小鳥を猫が襲う。手前のモミジの木を利用して巣箱を襲う。わが家の飼い猫のみならず、外猫もまた襲う。本能の為せる技とはいえ、無惨な亡骸を見るのは嫌なものだ。

 何年後かには餌台を廃止した。巣箱は高い位置に移して、手前の大きくなったモミジは切った。鳥は来るが、前にもまして姿は見えにくくなった。あまり面白くない。

                                        

 家にいてよく姿を見かけるか鳴き声によって、多少はわかるのは、シジュウカラ、雀、鴬、ガビチョウ(声は美しいが、特定外来種)、ヒヨドリオナガキジバト(?)、ヒバリ、トンビなど。郭公は近年はあまり声を聴かないようだ。ホオジロメジロ、モズ、カケス、その他、見たり聞いたりしているかもしれないが、確かにそれと同定することはできない。

 夜になれば、ホトトギスアオバズクゴイサギの声を聴く。フクロウは一度近くの裏山歩きをしていた夕方、目の前に翼を大きく広げて突然現れ、ぶつかりそうになって、本当に肝をつぶしたことがあった。近くに巣でもあったのだろうか。

 初めてゴイサギの声を認識した夜は、人間の赤ん坊の泣き声なのか、恋猫なのか、あるいはハクビシンかと、その正体がわからなかった。まさか妖怪でもあるまいがと、ネットで検索してみてようやく知った。酔っぱらった冬の夜の帰り道、頭上を飛びながらのそのギャーギャーという大きな鳴き声を聴くと、あまり気持ちの良いものではない(ゴイサギは夜も飛ぶのである)。

 

 近くの秋川沿いを歩いていてよく見るのは、鴨、白鷺、ゴイサギ、(たぶん)アオサギ、川鵜など。最近オシドリのつがいを、それと初めて確認した。カワセミを見たのは近所では唯一度だけ。本当に碧い瞬間の宝石である。セキレイの仲間は川沿いとは限らず、路上のあちこちで目にする。あの古事記にも出てくる特徴のある腰つきで、道案内するように軽快に跳び歩いている。

 

 ↓ 何年か前に近くの秋川の橋の上から撮ったもの。11月頃か。

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 カラスは言うまでもない。たまにごみ袋をつつき散らかす困り者だ。オオタカ(?)と思われる猛禽類が電柱の上にとまっているのを見たこともある。写真も撮ったのだが、どこかに行ってしまった。

 燕はどこにでもいるなじみ深い鳥。ついこの間まで、五日市駅とその周辺の高架下にたくさんの巣をかけて、その雛鳥を見るのが楽しみだったが、今は全体にネットが張り巡らされて寄り付けなくなった。人間の都合だが、せちがらくて、悲しい。ウズベキスタン(だったと思う)や他のいくつかの国では、モスクや他の建物の中にも巣があり、保護していたように見えたのに比べて。

 

 近辺の山歩きをしていれば、上記の鳥たちとはまた別に山腹で餌をあさるヤマドリや雉、鶉、コジュケイなどを見ることもある。コゲラ類のドラミングもよく耳にする。樹上で鳴きかわすたいていの鳥については、ほとんど知るところがない。北アルプスライチョウイワツバメ妙高の夜鷹、宮崎県の山でのホシガラスなどと、範囲を広げていけばきりがない。

  

 二週間ほど前にふと思い立って、アトリエの窓辺に手作りの餌台を設置してみた。せっかくだから、もう少しよく見てみたいという気になったのだ。

 

 ↓ 手作り餌台。見えているのは女房の陶芸小屋。

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 ↓ パソコンの前に座っていても鳥が来たのが見える。

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 窓辺であれば、いつでも見れるし、猫に襲われる心配がなく、餌もやりやすい。二三日もすればすっかり認知されたらしく、毎日やってくる。ただし警戒心は強く、写真はなかなか撮れない。それでなくても逆光気味で、私の腕、私のスマホではなかなか良い写真にはならない。

 

 ↓ たぶんシジュウカラ

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 やってくるのは今のところ、シジュウカラヒヨドリと時々オナガ(かと思われる)の三種。

 

 ↓ たぶんヒヨドリ(?)

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 ↓ 同上

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 これから季節の移り変わりによって種類も変わるかもしれないが、雀が来ることはあっても、(食性からして)カワセミアカショウビンが来ることはありえない。田中一村がよく描いたアカショウビンはこの近辺でも見かけることがあるらしいが、私はまだ見たことがない。一度でいいから見てみたいものだ。

 

 餌に関しては今のところ適当で、パン類や女房の食べ残したクッキー、ビスケットなどを砕いてやっている。残りの飯粒も食べる。たまに柑橘類の半切りや脂肪なども餌台の釘に刺しておいてやると喜ぶようだ。鳥たちは昼過ぎでも来るが、まだ私が寝ている午前中に来ることが多い。

 室内から外の餌台を見るわけだから、全体としては逆光気味で、あまりよくは見えないが、まあ仕方がない。下にパンくずを巻き散らかしたり、時おり窓ガラスに糞を引っかけるのは困りもんだが、大した問題ではない。

 晩秋になれば今の餌台の場所は女房の吊るす干し柿に占拠されるだろうが、その時はその時でまた考えるしかない。

 

 巣箱を利用するのはこれまでのところ、ほとんどがシジュウカラだが、営巣しない年もある。そんな時、中をのぞいて見ると、古い巣で一杯になっており、それを嫌うのかもしれないと思った。中身を出して空にすると、また新たなつがいがやってくる。どちらが良いのかわからないが、今年もまたとりあえず古い巣を出して、中をきれいにしておいてやる。材料は下の方が猫の毛で、まわりにナイロン(?)の綿毛、そして杉苔など。暖かそうにしつらえてあるものだ。さて今年は巣作りをするだろうか。

 

 ↓ 巣箱の中の古い巣。暖かそうだ。

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 以上記してきたように、私と鳥との関係は淡いものだ。これからもそう深かまりはしないだろう。

 

 イメージとしての翼は好きだが、具体的な鳥そのものを描くことは全くない。まれに山歩きの途中に、鷹などに襲われたのだろうか、散乱したきれいな鳥の羽を拾うこともあり、それを作品に使ったこともある(アッサンブラージュ)。

 

  462 「isolad(V-2 風信))

 2004年 33.3×18.5㎝ パネルにクラッキング・銅版画貼り込み、手彩色・ミクストメディア

 「isolad イソラド」とはアマゾンで長く文明と接触しないで生きてきたインディオの部族のこと。生き残って同じ言語を話すのは、男二人だけ。彼等の部族の未来はない。

 彼等を巡る番組がNHKスペシャルで放映され、またその取材にかかわった沢木耕太郎が『イルカと墜落』(2003年 文藝春秋)を書いている。この作品の元には、そのイメージがある。

 この羽の鳥はカケス。

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  ↓ 468 「蒐集(ishi)」

 2005年 パネル(シナベニヤ)にアクリルクラッキング地、アッサンブラージュ

 タイトル中の「ishi」は1911年に発見され1916年に亡くなったアメリカ先住民の一部族ヤヒ族の最後の生き残りの自称(「イシ」とはヤヒ語で「人間」の意)。

 自分と同じ言語を使う人間が一人もいないという世界! 人類学者のシオドーラ・クローバーが『イシ 北米最後の野生インディアン』(1977年 岩波書店 1991年 同時代ライブラリー)で詳しくその悲劇を報告している。なお、著者の娘がアーシュラ・K・ル⁼グウィン(『ゲド戦記』等の作者)であり、彼女が書いた序文も興味深い。また同書を元にして、手塚治虫は漫画「原人イシの物語」を描いている。

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 したがって、私と野鳥との関係において、今後の展望と言ってとも特にあるわけでもない。まあ生活の中の小さな、ささやかな楽しみの一つではある。

 

 以上、閑話ではあるが、私と自然との関係の一つとして、一度ぐらいは書き留めておきたかったまでである。

 

 (なお、以上上げてきた名称はいずれもアバウトなものである。必ずしも正確ではないかもしれない。私は図鑑好きだが、鳥類図鑑だけは持っていない。中西悟堂の本だけは一二冊持っているが、ろくに読んでいない。長嶋先生、ご指導、よろしくお願いします。)

(記:2020.4.28)

 

 

 

 

秘境ルートの裏山歩き 城山南峰~秋川丘陵~小峰公園 (2020.4.25)

 昨日、所用があって福生に行った。午後3時過ぎの五日市線青梅線で山姿の人を見かけたのは一人だけ。外出自粛には、公共交通機関利用の近郊登山もいやおうなしに含まれるのだろうか。私がそうした山登りになかなか行かない(行けない)のは、自粛でもなんでもなく、ただ単純に早起きができないという情けない個人的事情にすぎないのだが、それすらも「自粛」すべきだというのが、昨今の世情のようだ。反論することもかなわないが、「欲しがりません。勝までは」とか「贅沢は敵だ」といった、かつてあった標語が、大気中に蔓延しているようだ。敵はコロナウィルスという、生物ですらないもの(学者によって異説あり)なのだから、勝てそうもない。

 ともあれ、心身の健康維持、体調管理のために、自宅から歩きでの裏山歩きをしなければならない。「三密」を意識したわけではないが、ルートは弁天・城山エリアから秋川丘陵をつなぐほぼ秘境ルートである。

 

 ↓ ここはまだ歩き始めの、城山への一般ルート。山ツツジ

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 西からの網代城山への登山道に入ってまもなく、うっすらと右に分岐する踏み跡を辿る。

 

 ↓ かすかな踏み跡(仕事道)

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 すぐに小沢にかかる三本の丸木橋

 

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 それを越えて左手の尾根に登る。昔からの仕事道だろうが、数年前に一帯が間伐され、歩きやすくなったようだ。山歩きの対象としてこの小尾根を登る人はまずいない。

 

 ↓ 植林帯の中のかすかな踏み跡。間伐されて、やや明るい。

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 植林帯を抜ければ新緑の広葉樹林帯となり、ほどなく城山と秋川丘陵をつなぐ尾根と合流する。

 

 ↓ 植林帯を抜けると広葉樹の新緑

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 寄り道になるが、一応すぐ先の城山南峰に登る。なんの変哲もない一地点に過ぎないが、かつてはなかった山名表示板がある。裏面には例のよくわからない「東京三五〇」。昨年登った入山尾根でも見たことがあり、その時調べたのだが、何となくいまだに正体不明。

 

 ↓ 網代城山南峰。何の変哲もない一地点。

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 ↓ 山名表示板 裏には「東京三五〇」

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 引き返して、秋川丘陵につながる、ゴルフ場脇の尾根を辿る。手入れはほとんどされていないようだが、トラロープが設置されているところもあり、仕事道としては生きているようだ。ところどころ倒木などもあるが、特に問題はない。コナラなどの新緑が美しい。

 

 ↓ 途中で見かけた藤蔓のⅩ固め!

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 ほどなく秋川丘陵と合流する。ここで「秘境ルート」は終わり。とある送電線鉄塔の基部でイタドリの若芽を採取。たしか前にはワラビが生えていたところだが、今回はない。そういう場所には除草剤が散布されている(?)ようなので、その影響なのか。

 

 ↓ イタドリ(帰宅後)。 うまそうだが、さてどうやって食おうか。

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 秋川丘陵に入ると植林の割合が増え、やや荒れた感じだが、まあこんなもんだ。展望のほとんどない、ゆるやかな上り下りの繰り返し。

 

 ↓ 途中で垣間見た新緑の景。

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 ↓ 途中から見る網代城山(左)と南峰。南峰の左下に延びるラインが登ってきた小尾根。

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 いくつかの鉄塔をこえると、木橋のかかった鞍部。

 

 ↓ 旧小峰峠(?)

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 ここが旧小峰峠なのか。左右ともに荒れ果てており、直下をトンネルが通っているはずなので、辿ってみる気にはなれない。

 そのまま進めば桜尾根との分岐の大きな馬頭観音に出る。そこから下りればすぐに小峰公園。

 

 ↓ 小峰公園桜尾根を下る。数年前に尾根のほぼ全体に木製階段が設置された。

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 ここにも「使用自粛」の表示がなされていた。ちょっとばつの悪そうなバードウォッチャーが一人、目をそらす。

 

 隣の家の娘さんが小さい子を連れてコロナ疎開して来ている。行き場所のない元気あふれるお子さんを連れてこの小峰公園に来てみて、「使用自粛」の表示を見て嘆いていたとの由。都心の代々木公園や新宿御苑などについては、ある程度の規制もやむをえないかとは思うが、こんなめったに人の来ないようなところまで規制するというのも、どうなんだろう。お役所仕事とはいえ、うっとおしいことである。

 体制には逆らいたいが、ことコロナに関しては、逆らいづらい。これからも当分こうした情況は続きそうだが、近郊登山はともかく、せめてほとんど人の来ない裏山歩きは続けたいものだ。

 

 ↓ おまけに、三年ほどまえに撮影した熊のものと思われる爪とぎ跡。近くには熊のものと思われる糞もあった。たまにこんなところまで散歩に来るやつもいるのだろうか。

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「小ペン画ギャラリー」その1 とりあえずの(女房が選んだ)3点

 フェイスブックの最近の自分の投稿を見直して見ると、なんだか自然愛好的家的なコンテンツが多い。そういう一面があることは間違いないから、それはそれで構わないのだが、やはり釈然としない。

 

 FBやブログとのつき合い方というか、使い方は、人それぞれであると思うが、正直に言って私は、ブログはともかく、FBとの関係性や距離感のようなものが、いまだにつかめていないのである。さすがに具体的な反応があるということはわかるし、それが少しばかりはうれしいと思うこともある。

 基本的に私は、FBやブログを自分の作品とは限らず、文章を含めた表現の発表の場としてとらえている。ブログで9割、FBで7割程度がそうで、残りは宣伝・広報ないしその他的な場。

 昨年のように個展が2回、グループ展が3回もあれば、その過程でさほど無理もなく、FBに自分の作品や思考を、宣伝・広報と共に、ある程度は上げていくことができる。しかし、今年のように、今のところ確定的な個展の予定もないとなると、その流れがちょっと難しい。ましてや昨今のコロナウィルスによる自粛ムードの蔓延する世の中。

 といって、(あくまで私にとっての感覚であるが)割と多くの作家がやっているような、あまり脈絡や必然性を感じさせない作品やコメントの出し方も、好みではない―むろん、人それぞれなのではあるが。元々宣伝も営業もする気はないのだが、やはり絵描きである自分が作品をあまり登場させないのも面白くない。

 

 そんな気分から、前段として先日、「『小ペン画―その小さな世界』について」をブログに投稿した。最近の制作の中心となっている「小ペン画」についての、といってもその周辺についてのあれこれである。その延長というか展開として、これから何回か「小ペン画ギャラリー」とでもいった感じで、何点かずつアップしていこうと思う。もとより確固とした予定や計画があるわけではない。自分で面白がりたいだけである。

 必然性と言いながら、第一回目だけは、作品のセレクトを女房にやってもらった。他者の目で選んでもらうところからスタートしたかったからである。おそらく今回に関しては、作品どうしの関連性といったようなものはないと思う。女房好み、ということだろう。いずれ今後は、多少の関連したテーマやモチーフということになると思う。

 作品はすべて未発表。ひょっとしたら今年の末か来年にはそれらを中心とした個展をするかもしれないが、今のところ未定である。

 

 以下、作品紹介。

 

 

54 「手から花」

 2019.9.28 11.4×9.6㎝ 膠引きの和紙にペン・インク・色鉛筆

 

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 自分でもよくわからない作品。まあ、そういう「わからなさ」も絵を描く面白さの一つであろうとは思っている。絵柄的にはちょっと面白いかとも思うが、女房がこれを選んだ理由はよくわからない。少し不思議だ。

 

 

77 「石売り花売り」 

 2019.10.11 16×12㎝(中サイズ) 雑紙(淡グレーの封筒)にペン・インク・鉛筆

 

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 紙は小ペン画では珍しく、封筒の紙。いわゆる茶封筒を含めて、多少の色(ハーフトーン)がついている封筒の紙は、イメージ・アイデアスケッチ用には使い勝手がよく、よく使うが、作品用としてはコクが足りず、あまり使うことはないのだが。

 適当に切ったら右下に少しはみだしが出た。手漉き紙などの縁を「耳」と言うが、別の場ではこうした予期せぬ裁断ミスのはみ出しを「福耳」と呼ぶ。

 私は、絵とはキャンバスであれ、紙であれ、「物質」の上に描かれた物であるということを、昔から意識、重視しているので、こうした「耳」はなるべく切り落とさないようにしている。「耳」が紙を「平面」としてだけではなく、物質としての意味も主張してくれるからだ。すなわち「耳」も絵の内。それがこの作品にどの程度貢献しているかどうかはわからないが、少なくとも私はそれがもたらす全体の表情は好きである。

 イメージとしては、アジア的物売りを連想させる。別に実景や写真を参考にしたわけではないが、似たような実景はかつての旅で何度も見た。実際に石(結晶・鉱物)と花などを一緒に売り歩いている商人を見たことがあるわけではないが。

 

 

261 「花の木に佇つ」

 2020.4.16-18 12.9×8.8㎝ ドーサ引きの和紙にペン・インク・水彩

 

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 近作。一瞬視界の隅を通り過ぎた映像の、陶器(?)だったか絵画(?)だったかの絵柄(松?梅?―確認する間もなく、忘れた)の残像が始まり。

 それだけでは絵にはなりようもないが、すかさず、そこに立つ/佇つ人物のイメージが発想/幻視(?)された。一瞬走り描きしてみれば、ガラスのマントの風の又三郎か鳥男かとも思う。しかしそれでは付きすぎ、ありがちだ。そして何者でもない人物になった。

 遠くの街並みと山を組み合わせて風景仕立てとする。空に雲を浮かべるのは初めてか。

 

 

264 「私の赤い繭」

 2020.4.19-20 9.4×8.6㎝ ミャンマー紙(ブーゲンビリア漉込)にペン・インク

 

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 これも近作。

 紙はミャンマーで買った手漉き紙のノートを入れてくれた、いわば包装紙。それも同様の手漉き紙だが、いわゆる民芸紙風に色々な種類の花びらや葉っぱなどを漉き込んである。そうしたものには興味がないのだが、ただ捨てるのは少し惜しい。適当に切って、何となく手元において、そのブーゲンビリアの花びらの赤を見ていたら、ふと、描いて見る気になった。

 この「ふと」が大事なのだ。意識して「生かそう」とすると作為的なものになりがち。その赤い形に見合う形、この場合は顔を描いて見れば、それでイメージは完結する。

 紙にドーサ引きやサイジングはしていない。日本の和紙に比べればかなり雑なつくりなので、丸ペンではきわめて描きにくい。でも丸ペンで描いた。ほんの少し力が入りすぎると、けば立って始末に負えない。慎重にごく短時間で描き終えた。

 「繭」としたが卵でも構わない。なるべく単純に完結したイメージは、私にとっても大切なのだ。

 

 

(記:2020.4.20-21)

「小ペン画―その小さな世界」について

 昨年の6月以来、九カ月以上、「小ペン画」が制作の中心になっている。

 「小ペン画」とは、文字通り縦横10㎝内外の、大きくても20㎝に満たない小さな紙に、主にペンとインクで描く作品。個展や海外旅行などでの中断期間はあるが、それ以外はほぼ一日一点のペースで、現在(4月初め)で250点ほど描いている。

 

 最初に描いたのは昨年(2019年)の6月19日。11.8×7.7㎝のやや厚手の和紙(楮)に、これは例外的に鉛筆と色鉛筆で、一輪挿しに生けた花(ホタルブクロ)を見ながら描いた。

 その前提というか、準備していた必然性のようなものがあったのだが、それについては後ほど述べる。とにかく、その時はおそらく大した意味もなく、何となくといった感じで描き始めた。そして、その出来は全く不本意なものだった。和紙に鉛筆と色鉛筆では、まったく弱い効果しか出せなかった。そもそも、「花」を「見て描く」という必然性は、ほぼ皆無だったのだ。

 

 ↓ 1 「ホタルブクロ」 2019.6.19 11.8×7.7㎝ 和紙に膠 鉛筆・色鉛筆

  不本意な出来。 

なお画像はPCやIパッドで見ると原寸より大きく表示され、タッチが相当荒く見えることがありますが、表示されたサイズを念頭においてご覧いただきますよう、お願いします(作者からのお願い)。 

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 そんな不満な出来なら、ふつうなら捨ててしまい、それ以上同様の制作を続けることはないのだが、なぜか翌日も小さな画面に向かった。紙は前日と同じだが、手にしたのは、今度はペン。インク壺に漬けて使うGペンとかスプーンペンとかといった「つけペン」である。なぜペンを手にしたのか、よく覚えていないが、前日の鉛筆と色鉛筆のあまりの効果の弱さから、反動として、今度はいやおうなしに明確な効果が出そうなペンとインクを手にしてみたということは、あるだろう。

 ペンを手にするのは20代前半以来。ごく短い期間だったが、ある程度集中してペンを使っていたことがある。使いこなせたわけでもないが、割と好きな画材のように思えた。しかしそれ以降はほとんど使う機会も必然性もなく、実質45年ぶりになる。40年以上前に購入したペン先とペン軸もまだ手元にあった。

 ペンと言えば普通はケント紙のような、表面が滑らかな、けば立たない紙を使うのが常道であろう。ドーサ(膠)引きしてあるとはいえ、和紙にペンの組み合わせは、あまり聞かない。案の定、ペン先が引っかかり気味で、描きにくい。

 おまけに今度は描くべき主題というか、モチーフは何も考えていない。モノは見ずに画面に向かう。だが、それはいつものことで、つまりイメージである。なまじモノを見て描こうなどという柄にもない心掛けが、創造的モチベーションを発動させないのは、今さらながら、私という画家にとってはほぼ自明のことなのだ。

 

 ともあれ、その二点目の「ペン画」は、自分としては、少し面白いものになった。何よりも、和紙の質感や風合に、黒いペンのタッチがそれなりの絵画的効果を上げていた。何も考えずに描き出すというのは、やはり良いことだ。

 

 ↓ 2 「遠くを見る」 2019.6.20 11.3×8㎝ 和紙に膠 ペン・インク・鉛筆

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 もとより、何か具体的なイメージを描き表そうとしたものではない。紙の形に呼応して現れた線的・形体的要素は、それ以前から持っていた、いわば手持ちの要素である。そうした直線的、曲線的な形体が現れた後で、何とはなしにといった感じで、中央の人物像が、おさまりよく現れたということなのである。

 内容については、「これはいったい何なのだろう」という疑問は、基本的にはでてこない。自分でもうまく説明できないものが現れるのはいつものことだし、むしろ、そういうものとして、そういう方向で制作するのが私の常態なのだ。でき上った後で、そこに現れたものを味わいながら、それについて考えるということ。

 

 以後、こうした流儀で制作は続いた。「一日一枚」とか決めているわけではない。いつまで続くものやら。嫌になったら、飽きたら、その時はやめればよいと思っていた。

 

 ものを見ないで描くことの限界も訪れる。描き続ければ、おのずと上手くもなるし、慣れも出てくる。とても和紙には使えないと思っていた丸ペンを何とか使いこなせるようになった頃には、その気持ちよさに思わず身をゆだねる時もあった。

 慣れのもたらす退廃感は、部分的であっても嫌なものだが、それもまた己の実力なのだと思い定めれば、手の打ちようもある。

 ものを見ないで描くことをルールに定めたわけでもない。日々の中で、参考資料というほどでもないが、新聞雑誌や、あれこれのチラシ、パンフなどから気になった図版を切り取ってスクラップブックなどにとどめることもある。最近ではネット上で拾ってきた画像をパソコンに保存することもある。テレビを見ながら、チラッと一瞬流れる画像を、手元の紙に描きとどめようと試みることもないではない。時にはそうしたものを、あるいはその一部を参考にして手を動かす。

 

 ↓ 3 「ミニスカートの娘」 2019.6.21 13.3×8.6㎝ 和紙に膠 ペン・インク

 中の人物像は新聞に小さく出ていた図像を参考にした。以下、特別な場合を除き付記しない。

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 そうしたものは、全体の点数の2割ぐらいだろうか。残りの8割ぐらいは何も見ずに描いたものだが、そうしたことにそれほど大きな意味があるとは思わない。現実や実物といったことと、写真やネット上の画像や動画は、多少の自虐を込めて言えば、見ることの対象、イメージのきっかけという意味では、基本的には等価に近いとも思うからである。

 

 ↓ 58 「繭を運ぶ」 2019.9.30  11.4×9.5㎝ 和紙に膠 ペン・インク・色鉛筆・水彩

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 このような「小ペン画」の制作を始め、継続しているのには、いくつかの要因がある。

 一つにはここ何年か断続的に、大学時代の指導教官であった田口安男氏のポストカード大の大量のドローイングを見たことである。いわき市立美術館での個展でも見たし、その後の御自宅でも見、またそれらを膨大に整理・撮影する機会等もあった。そうしたことを通じて、描くということの根源にいやおうなしにふれたような気がしたのである。

 それらの多くは生の(ドーサを引いていない)和紙に、鉛筆や水彩、その他の素材で描かれていた。それらの面白さと凄さに感動した私は、すぐに似たような手法で、自分でもやってみた。だが、悲しいかな、自分自身の必然性とはかみ合うことがないことを、たちまちにして思い知っただけであった。

 

 ロベルト・クートラスを知ったのは2017年5月。日本でも展覧会の開かれたことのある作家だが、私は知らず、実物はいまだに見たことがない。新聞(?)のちょっとした記事を読んで、ある展覧会の図録をネットで買ったのである。それはカルト(日本のカルタと同意)という、トランプと同じような大きさ、形式の紙に、シリーズ的、連作的に描かれた作品群だった。魅力は感じたものの、その世界観はかなり特殊であり、直接の影響を受けることはなかった。しかし、その悲しげでマイナーな世界の魅力には、忘れがたい味があった。

 スタシス・エイドリゲヴィチウスを知ったのは2018年の9月。武蔵野美術大学美術館の展覧会で見た。絵本作家として、そのごく一部は知ってはいたものの、それがスタシスだとは知らずに、美術館で初めてその全貌に接して、感動した。数㎝四方のものでも作品として成立していた。そしてその膨大な量!私もそうした「小さな世界」を描きたいと思った。

 余談として付け加えれば、これは小ペン画を描き出してからのことだが、今年2020年になって、ミナペルホネンの展覧会を見た。その一角に皆川明の同様な小さな作品群があった。

 これらの現象は、私と小ペン画をめぐるシンクロニシティ共時性/非因果的連関の原理)であるように思われてならない。私個人の内面の発動と、外部における共通した事象の併存。それは余談であってもかまわないが。

 

 私が実際に描き出すきっかけを用意したのは、上述した田口先生のアトリエ整理の際に、和紙をはじめとする様々な小さな紙をもらってきたことかもしれない。

 捨てるのも惜しいが、正直言って、ウンザリもする。わざわざもらわずとも、私自身も、一生かかっても使いきれない量の紙類を抱え込んでいるのである。

 作家は日々の制作と並行して、それに関連する無数の材料道具、また資料等を身のまわりに集めてしまう習性を持っている。あるいは、集まってしまうのである。いつか使うだろう、使いたい、使うかもしれないと。だがいつの頃からか、自分の年齢と、抱え込んだ材料道具の量を比較して見て、一生かかっても使いきれないほどのものを持っていることに気づき、がく然とする。

 そのくせ、捨てればすむような小さな材料であっても、できれば有効に活用したいという「もったいながり屋」の自分がいる。小さな「作品」を描きたい、「小さな世界」を正直に描き表したいと思う気持ちは、気がつけば長いあいだ私自身の心の中で息をひそめながらも、確実に存在し、少しずつ大きくなっていたのである。

 

 ある日、アトリエの片隅に置いていたポジフィルム用のファイルに目が行った。以前ポジフィルムを使っていた頃の保管用ファイル。撮影がデジタル化して以降、使い道がなく捨てなければとは思っていたが、未使用だったので、もったいなく、ずるずると捨てかねていたものである。30㎝弱×25㎝弱の、中が四分割されている。それを開いて、ふとひらめいた。そこに入る小さなサイズのものを描けば良いのだ。全ページ分の点数を描けば100点以上。そこまでの数を描くかどうかはわからないが、とりあえずの展望が見えた。

 実は田口先生の作品整理の際に、ほとんどの作品に年記がなく、また何十点かずつ仮まとめはされているのもあったが、全体としてバラバラに存在しており、整理分類するのに困ったのである。

 和紙をはじめとして、紙類は一生かかっても使いきれないぐらいのストックがある。描画材についてもほぼ同様。機は熟したというべきか。

 

 別に、もう一つの要因というか、伏線もあった。40歳をすぎて大学に勤めだして安定収入を得るようになってしばらくたったころから多少、骨董蒐集にハマった。その憑き物が少し落ちた頃、今度は(あまり認めたくはないのだが)仕事上のストレス解消と、大義名分としての資料収集という名目で、ヤフオクを通じての外国切手や外国紙幣、マッチラベル、蔵書票などといった、いわゆる紙モノの蒐集にハマってしまったのである。それらはあくまで私の制作に益する資料材料ではあったはずだが、同時に「紙上の小さな世界」の魅力に開眼したのである。

 「小さな世界」と大作のタブローとの関係については、今ここでは言うまい。というか、私自身、それについて今はまだうまく説明できないのだ。

 ともあれこうした情況が事前の物理的なというか、必然性として「小ペン画」を発動させる下地をつくっていたのである。

 

 ↓ 78 「ダンスを始める」 2019.10.14 11.7×7㎝ 和紙に膠 ペン・インク

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 かくして描画材や技法など、多少の変遷はあるが、今に至るまで小ペン画の制作は飽きもせず続いている。

 それらからタブローへというベクトルもあるかもしれない。それはそれで良い。しかし、正直言って、効率や生産性も、目的性も、計画性も、点数への魅惑も、何も考えていないのである。発表することも、売ることも考えていないし、考えたくもない。たまに家に来るごく少数の知り合いに見せて、いい気になっているだけである。

 どこまで行くのか。「遠くまで行くのだ」と言えれば良いなと、思ってはいるが…。

 

 ところで、つい最近、ある画廊の人と会い、最初は峻拒していたものの、その強い要望もあって、次第にこの「小ペン画」を中心とする個展をやっても良いかなという気になってきた。実際に発表するかどうかは、時期や形式もふくめて、未定である。

 ただ、そうした心境の変化をきっかけにして、小ペン画の位置づけがまだ自分の中での曖昧だったこともあり、考えを整理するために、この一文を記してみた。

 

 ↓ 255 「青の洞窟」 2020.4.2-3 14.6×12.5㎝ 和紙に膠 ペン・インク・水彩

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(付記:私は基本的には、未発表作品は、ブログやFBに画像を投稿しないことにしている。しかし上記の一文を発表するからには、まったく画像を出さないというのも、なんだか不自然な気もする。考えてみれば、基本などというものは、時には変えられることがあるからこそ基本たりうるとも思えるので、今回は適当に何点かの作品画像を上げてみることにした。)

 

                         (記:2020.3.25~4.9)

こんなものを買った

 今日、荷が届いた。昨年暮れに買った植木智佳子さんの「作品」である。

 暮れも押しつまった29日、所用があって都心に出た。そのついでに昔の教え子の植木智佳子さんの個展「物の伏線」の最終日に行った。教え子とはいっても、彼女は日本画研究室だったので、指導教員と指導学生という間柄ではない。たしか大学院修了後、東京都の先生になったように記憶しているが、はっきりとは知らない。まあ、その程度の間柄なのである。ともかく、(たぶん)教員業のかたわら、それなりにコンスタントに制作と発表を続けている。

 会場は茅場町にある「古道具と創作 MAREBITO」という名の、あまりスタンダードとは言えないが、まあ雑貨屋風骨董屋。最近は骨董と現代作家という組み合わせは流行っている。そういうことか。入って見ると、面白そうなモノ(骨董・古道具・ガラクタ)があれこれと置いてあるが、肝心の作品らしきものが見えない。

 ちょっと困っていると、作者の植木さんが、「ここに書(描)いてあるんです」と言って指さす。うん?目を近づけてみると、その器やら古道具やらのどこかしらに、何やら小さな文字で文章らしきものや小さな絵が書(描)かれている。これが今回の彼女の作品だとのこと。

 つまり、彼女の感性で選んだ古道具・モノに直接、おそらくそのモノと照応した彼女の詩的断章が、金泥でかそやかに書(描)きしるされているのだ。それが今回の彼女の表現であり、作品なのだ。なるほど。

 正直言って、その記された断章よりも、モノそのものの表情・魅力の方が見える。しかし、それは当たり前で、モノそのものに、かすかに彼女の想いを目立たないように添わせるというのが、眼目なのだろうから。そう思い至れば納得できる。それが成功しているかどうかは難しい。しかし、それも含めて彼女の表現なのだろうから、こちらはむしろモノそのものの表情・魅力を味わい楽しめば良いのだ。

 そうして見ているといくつも気になるものがある。

 そして買ってしまった。しかも二つ。

 彼女の作品を買ったのか、骨董=モノを買ったのか、自分でも判然としない。いや、正直に言えば、3:7で骨董=モノを買ったのである。

 作者曰く「どちらでも良いんですよ。書(描)いたものなんか消してもらって、モノだけ見てもらっても構わないし」。モノだけ見ても、それが彼女の感性を通して選んだものである以上、それは作家の感性≒表現を買ったのと同等であるということらしい。それは考えてみれば、相当な自信の現れであるとも言えるし、相当な能天気であるとも言えようが、ちょっと煙に巻かれたような、「一本取られちゃったな」みたいな、妙に爽快なやり取りであった。

 

 一つは、見た瞬間圧倒された(?)のであるが、水筒。素材は豚の膀胱。おそらく中国あたりの物ではないかと思う。ボロボロだが、コルクの栓も付いている。フォルムが素晴らしい。半透明の物質感もおもしろい。

 

 ↓ 豚の膀胱で作られた水筒。わずかな半透明感。

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 革製の水筒は世界中どこでもあるから、豚の膀胱のそれがあっても不思議ではないが、初めて見た。いや似たようなものはトルコの博物館あたりで見たことがあったか。そういえば19世紀半ばに金属製のチューブができるまで、油絵具等は豚の膀胱で作った小袋に入れて使用していたのだった。

 肩には「蜂蜜を舌で転がす含まれたそれは喉の奥へゆっくりと落ちてゆく」と金泥で記されている。

 

 ↓ 横には植木さんの詩文(?)

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 もう一つはちろり。「ちろり」と言っても知らない人も多いだろうが、要は酒を温めるための銅や真鍮製の筒型の容器である。これもやはりフォルムが美しいが、特に取っ手の繊細なデザインがおもしろい。

 脇に「こんばんはと天井の遥か上からのジェット音をきく」と、やはり金泥で記されている。

 

 ↓ ちろり。正面に金泥の詩文。

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 ↓ 反対側。取っ手と蓋のつまみの造形が美しい。

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 共にどことなくモランディの絵を思わせるところがある。自ずから在る静謐。

 

 二つの文章は非定型短歌のようにも思われるが、おそらく作者はそんな面倒くさいことはどうでも良いのだろう。こちらも短歌であれ、何であれ、感性の断章として読むことにしよう。

 

 値段は忘れた。むろん私が買えるのだから高くはない。骨董類の場合、買える値段であれば、それがいくらかはあまり問題ではなく、したがって値段もあまり覚えていないのである。二つで3万円台程度だったような気はするが、作品として考えれば安い。

 ともあれ、面白い買い物をしたものだ。

                             (記:2020.1.21)

熊刺しと蜂の子

 久しぶりに熊の刺身を食った。やはり、美味かった!!

 

 正月も終わった一月半ば、教え子のS+Y夫妻が遊びにやってきた。二人は予備校時代の教え子で、美術系大学の出身だが、現在は養蜂業をなりわいとして、富山県を拠点としている。縁あって、彼らの作るハチミツを仲立ちとして、近年付き合いが復活した。ハチミツの方は女房が中心だが、関連して私の方も蜂の子やら、絵画材料としての蜜蝋などを分けてもらうようになった。

 そうした彼らの今回のお土産は、熊の肉!!

 

 ↓ 新鮮な熊肉。赤身と脂身のバランスが美しい。

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 彼ら養蜂業としては、熊さんとはなかなか友好関係は取り結べないようだ。詳しい経緯は知らないが、とにかく富山でも今年は熊の出没が多く、その結果、有害獣駆除の対象とされた熊のおすそ分けが私のところにも回ってきたということなのである。

 

 環境省の令和2年1月7日付の「クマ類の捕獲数(許可捕獲数)について」によると、四国・九州・千葉県をのぞいた北海道・本州で毎年1600~3900頭、平均すると3500頭ぐらいが捕殺されている。昨年令和元年の分は11月暫定値として全国で5424頭とあるから、ここ12年間でずば抜けて多い。これらの数字等についても考察すべき点はあると思うが、本稿の主題からはずれるので、ここではふれない。

 例年捕殺数が多いのは当然ながら北海道(351~827頭)で、次いで東北5県、中でも秋田県が多い(46~793頭)。これはマタギの伝統ということもあるかもしれない。言うまでもないが、北海道はヒグマ、本州ではツキノワグマである。

 東京都でも毎年0~5頭が捕殺されている。ニ三年前におすそ分けしてもらって、初めて刺身で食ったのが、その内の一頭だったわけだ。

 

 私は魚介類は当然、肉類でも可能であれば、まず生=刺身で食ってみたい。料理以前の、味付け加工以前の、それ本来の味を体験してみたいからだ。とはいえ、さすがに熊を刺身で食べる機会はめったにない。私はニ三年前の初体験で、その驚愕すべき美味さを知ったのである。二度目の今回も、食わずにはすまされない。

 むろん、寄生虫等を警戒する女房を筆頭に、周囲からはひんしゅくの嵐である。その視線をはねのけ、かいくぐりして、鹿刺しの、猪刺しの美味さを知ったのだ。いや、猪刺しはそれほどでも美味くはなかったが…。熊も当然、生で食わなければならなかったのである。「フグは食いたし、命は惜しし」ではないが、ジビエなんぞという、こじゃれた都会的美食とは、私は本質的に無縁なのである。

 むろん刺身だったら何でも美味いかというと、そんなことはない。個体そのものの条件、部位、何よりもシメ方と血抜きの仕方、さばき方、そして保存条件によって全然味が変わる。今回の仕留めた猟師は若いが、腕が良く、自信があるとのこと。しかも獲りたての新鮮な肉だ。期待できる。

 

 で、周囲からのひんしゅくもものかは。ニンニク醤油で一口。

 

 ↓ 若干見苦しくてすみません。もともとは公開するつもりがなく撮ったもので…。下、熊刺し、ニンニク醤油。上、蜂の子、塩コショウ・ニンニク・バター・醤油炒め。

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 「!!美味い~~!!」

 ひそかに危惧していた臭みもない。ほんのり、まったりと甘い。赤身と脂肪を同時に嚙みしめるとさらに美味さが増す。他と比べるのも野暮だが、しいて言えば馬肉、それもタテガミと言われる脂肪と赤みを同時に食べるときの美味さに少し似ている。

 S+Y夫妻と女房にも一応すすめてみる。恐る恐る箸を出し、「美味しい!」。しかし、二度三度と箸は出ない。まあ、文化の壁はそれほど高いのである。かつて日本人以外の諸外国の人にとって刺身の味わいが理解できなかったのも、当然である。

 しゃぶしゃぶ(熊しゃぶ!)から、鍋でも食ってみた。もちろん美味いが、熊でなければという必然性は特にない。

 

 ↓ 熊鍋。

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 途中で思いついて一応写真に撮っておいた。SNSで上げる気はなかったが、後で見るとその内の一枚に偶然だが、蜂の子(の塩コショウ・バター・ニンニク・醤油炒め)も写っていた。それを見て、この一文を書いてみる気になった。

 蜂の子はこれまで何回か送ってもらったのだが、巣から蜂の子を取り出すのが実に面倒くさいのである。おそらくよく一般的に「蜂の子」として売られている「地蜂=黒スズメバチ」のそれより、かなり面倒なように思われる。

 養蜂業者としては、蜂の子を、年間のある時期に作業過程として、巣ごと大量に廃棄するらしいのだが、私のためにごく一部を送ってくれるのだ。最初の時に巣から蜂の子を取り出すのに苦労して(その時の事は以前ブログにアップ済)以来、巣から取り出したものを送ってくれていたのだが、考えてみれば申しわけなかったことである。私にとって面倒くさいことは、彼等にとっても面倒くさいということに、思いが至らなかった。

 ともあれ昨秋に蜂の子を送ってくれた時に、一部巣入りのものが混ざっていた。面倒くさいが、それを処理せねばならない。

 さんざん経験済みだが、ほかのやり方も思いつかず、前回のやり方を再度試みてみる。まず自然解凍させたものを一つ一つ箸またはピンセットで取り出す。ああ、らちが明かない。あっという間にテーブルは悲惨な状態になり、即そのやり方は放棄。しかたなく、これも前回経験済みの茹でる方式に切り替える。これがどういうわけか、前回と違ってスムーズにいった。

 小鍋にお湯を沸かして、その中に蜂の子入りの巣をぶち込む。

 

 ↓ 巣が溶けた状態。黄色いのは巣の主成分の蜜蝋(ビーズワックス)。ここから一つ一つ箸でつまみ上げる。

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 すぐに巣は溶け、幼虫が浮き上がってくる。それを箸でつまみ上げる。幼虫には薄い透明な膜に覆われているので、それをピンセットでそっと破り、中の幼虫だけをつまみ出す。以下、これを延々と繰り返すだけである。

 

 ↓ 幼虫はは薄い透明な膜で覆われている。

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 ↓ 指でつまんでそっとピンセットで膜を取り除く。

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 慣れてくれば作業はスムーズにはかどる。前回は溶けた巣の蜜蝋がまとわりついたりして苦労したが、今回はそんなこともない。どこでどのように苦労したのか不思議だ。あるいは今回は一回での量が少なかったからかもしれない。

 

 ↓ プリプリしてかわいい。

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 ↓ こちらは巣の残骸、黄色いのが蜜蝋。それ以外は植物の繊維。蜜蝋も再利用できそうだが、いくらでも入手できるので、まあいいか。

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 茹でる=煮るといことで多少風味が落ちるようにも思えるが、薄い透明な膜に覆われているため、そのエキスは煮だされないものと思う。いずれにしても、これが手間はかかるが、最も簡単なやり方である。

 取り出したものはタッパーや瓶に入れて冷凍。調理は私の場合、一番簡単な塩コショウ・バター・ニンニク・醤油炒め。未来食品としての昆虫食のことはさておき、完全栄養食品なのだ。わずかに臭みはあるが、命の美味しい味がする。パスタに入れたり、蜂の子ご飯にしても良いと聞くが、なんせ女房が食べないので、まだ一人分を実行する機会が持てなくている。

 

 補足しておけば、熊刺しについてはニンニク醤油、生姜醤油が臭み消しもあって有効だろうが、むろん、山葵醤油でもお好みしだい。

 寄生虫云々に関しては、確かに鹿や猪については警戒すべきだが、そうした意味では熊も同様であり、決して人に勧めるわけにはいかない。一般常識としては、火を通して食べるべきであろう。食べて不調をきたしても、責任の取りようがない。したがって本稿はあくまで私個人の美味探求報告と思っていただきたい。

 なお、熊肉、蜂の子以外にも、天然のヒラタケ、手作りのカブラ寿司・・・もいただいた。どれも美味しかった。ありがとう!! 

                           (記:2020.1.15)