4日前の1月31日、女房に誘われて、隣町の「ひので野鳥の森自然公園」に行った。
↓ 1) 「ひので野鳥の森自然公園」、新しい立派な管理棟からスタートし、谷ノ入古道を辿り、この小広場から右上に稜線を目指す。
↓ 2) 谷ノ入古道のかたわらにあった2体の馬頭観音。天保10/1841年の文字塔と年代不明の像塔。この後のものを含めていずれも資料には未掲載。
青梅と行き来していた200年近く前からずっとこの場所に佇んでいるのだろう。石仏はやはり本来あった場所で見るのが、一番良い。
山と里のはざまの丘陵地帯。この一帯はあちこち歩いているが、古い山道が手入れをされず荒れていたり、逆によく整備されていたり、あるいは行政系の自然公園やら遊歩道とやらで妙にきれいすぎる道ができていたりと、当たり外れが大きい。
↓ 3) 稜線の一画にはこうした展望が開けた場所が何か所かある。見えているのは日の出町と遠く立川方面か。
↓ 4) 手前の足下田入(沢、集落名)と、遠く武州御岳から大岳山方面。
予想に反して植林の針葉樹が少ない。新緑の頃はきれいだろう。
今回の自然公園の外側のラインは昔ざっと歩いたことがあるが、「野鳥の森自然公園」の存在は知らなかった。
↓ 5) 稜線の反対側は火薬工場やら東海大菅生高校やら機動隊関係やらがあり、古い尾根道の側らには侵入防止の鉄条網が張り巡らされている。新しい散策路はそこから数m離れて並行しているが、尾根道にはこんな「日の出アルプス」と貼られた杭が残っている。
「鎌倉アルプス」、「瀬戸内アルプス(山口県周防大島)」、「長瀞アルプス(埼玉県長瀞町)」、「沼津アルプス(静岡県沼津市)」等、「アルプス」を冠した山なみは全国あちこちにあるが、「○○銀座」と同根の発想だろう。別に悪くはないが、「日の出アルプス」はちょっと無理があるかな~。
↓ 5-2) 今回の最高峰で唯一名前のある山頂、猿取山285m。国土地理院の地形図には山名は出ていないが、現地には小さな山名表示板があった。
歩いて見れば、良く整備された良いところだった。いくつかのルートが取れる、標高差125mの快適な里山裏山歩き。山中で思いがけず二ヶ所の馬頭観音を見つけたのも、うれしい。昔日の山と里の交流、人と馬の生活がしのばれる。
↓ 6) 下りの宮本古道(尾根道)の傍らに佇む馬頭観音。安永3/1774年。250年近くもここにずっとおられたにしては、状態は良く、愛すべき像。
帰路駐車場まで戻る途中で、ふと立ち寄った東光院。何度か訪れたことのある寺だが、その裏の妙見宮七星殿に初めて足を伸ばしてみた。そこは静かで奇妙な不思議の宮。
↓ 7) 東光院参道(石段)入口にある仁王。近年のもので特にどうと言うことはないのだが、「開運妙見大菩薩」の幟が、後から考えればアヤしい兆しであった。
この参道周辺にはいくつかの渋い石仏がある。
↓ 8) 参道(石段)の中ほどに、なぜか二宮金次郎が設置(固定)されている。どこから持ち込まれた(?)ものかわからないが、石段のど真ん中に置くかなあ。単純に面白いとは思ったが、これもまたアヤしい兆しの一つだったかも。(*この写真は写りが悪かったため、一昨年9月のものを使用)
↓ 9) 本堂前の猫の像。お賽銭と白い巻貝が奉納(?)されている。この猫は信仰の対象なのか。どういう意味があるのか。置いたのは誰か。深い意味は無さそうだが、本堂のど真ん前だからね~。
↓ 10) 「建設記念(碑)」は仕方ないとして、2体のお地蔵さんもまあ良いとして、左のキティちゃんはどういう意味なのか。寄進されたものなのか。寺が自前で購入したものなのか。
以前に、お寺は寄進されたものはすべて無条件に受け入れるというのを聞いたことがある。ミャンマーその他の東南アジアの寺でもそうだったから、それは仏教に共通する御布施=供養ということなのだろう。それはよいとして、では本当に何でも、たとえばこのキティちゃんのようなものでも受け入れるのか。
他の寺でも特に「可愛いお地蔵さん」系の石像をよく見かける。私個人は見苦しいと感じ「困った系石仏」として分類しているが、どういう思想がそこに在るのだろうか。(*この写真も写りが悪かったため、一昨年9月のものを使用)
↓ 11) 本堂の裏手から妙見宮への参道にかかるが、その入口にあった宝船に乗る七福神。この寺と七福神の関係は不明だが、ノーコメント。
↓ 12) 妙見宮への参道の入り口には沢が横切っており、橋がかかっているが、そのたもとにあった河童の頭部。沢=水(=結界)→河童ではあろうが…。まあ、無視。
↓ 13) 橋のすぐ先に(第一の)池。手前の手水鉢に龍(龍神・八大龍王?)が水を吐く。それはふつうだ。その向こうにはどう見てもアフロディティ(ビーナス)風のヌード像。
水と言えば日本では弁財天だが、アフロディティで代用したのだろうか。アフロディティはクロノスによって切り落とされたウラヌスの男性器にまとわりついた泡(アプロス)から生まれたというから、まんざら水≒泡と無縁でもないが、これを設置した人にはそうした意図はあったのだろうか。
像そのものは出来合いのもののように思われるが、設置するための台座を池の中にしつらえてあるのだから、なにがしかの意図はあるのだろう。とりあえず、東西の神の共存。
↓ 14) 赤い鳥居のある長い石段を登っていく途中に、川柳作者の高木角恋坊(1937年没)という人の像や関連した句碑がいくつもあった。私には全く未知の人。句は達筆すぎてほとんど読めない。「おもしろや 草葉のかげに かくれん坊」
↓ 15) 裏山の中腹にある妙見宮七星殿の社殿。詳しいことはわからないが昭和62年に韓国の資材と職人によって建てられたとの事。建物の前面が狭く、横からしか全容が写せない。
↓ 16) 社殿内部。中央の金色に耀くのが一面六手の妙見菩薩。まわりに如来やら菩薩やら神仙やらが十数名並んでおられる。
妙見信仰とは北辰信仰、つまり北斗七星ないし北極星を神や仏に見立てる信仰で、つまり道教由来のもの。葛飾北斎が熱心な信者だったのは有名。
↓ 17) 外壁にはこうした中国の神仙たちが描かれている。韓国の職人の手になるものとはいえ、表現内容の実質は中国世界である。これはこれで好きかも。
↓ 18) 御堂の裏には湧き水による池があり、そこに置かれた本場インド風(?)の弁財天。水=弁財天で間違いはないのだけれど、静かに端座する日本風の弁天様に見慣れた目からすると、動勢激しく、ジミヘン風に後ろ手で琵琶をかき鳴らしつつ、乳房をふるわせ舞い踊る土俗インド風弁財天というのも、なかなかインパクトのあるものだ。彼此の神のイメージの違いに圧倒される。少々俗っぽくはあるが、かなり面白い像で、私は好きである。
仁王、二宮金次郎から始まり、キティちゃん、河童、竜神、アフロディティ風裸像、(インド風)弁天様をへて、韓国風御堂の御本尊の妙見菩薩まで、何の違和感もなく(?)様々な神仏が同居する不思議な世界。
その不思議さは必ずしも不快なものではないし、場としてのある種の真面目さのようなものも感じるのだが、意図というか、それらを受け入れ(導入し)、共存させる思想の一貫性と行ったものがわからない。またしても、宗教とは信仰とは何かと考えさせられつつ、不思議の宮を楽しんでしまったのである。
↓ 19) 北辰信仰に関連してのオマケ。
前から何度も見てはいたのだが、その名前と意味を知ったのはつい最近。近くの金毘羅山登山道のそばに小さな神社(五社神社とのこと)の御堂があり、そこに安置されているもの。神社+不動尊=?ではあるが、そう驚きもしない。この像を「不動尊北極大元尊皇」と言うとのこと。もはや地元でもほとんど忘れ去られているらしい。
北斗七星ないし北極星が道教経由で仏と習合したものが「妙見菩薩」だが、「不動明王」と習合したものは、私は今のところ聞いたことがない。もう少し調べてみたい。
ともあれ、これを造立したある修験者個人が感得したイマジネーション/幻想に過ぎないのか。だとすれば、やはり信仰とは何か、イマジネーションとは何か、幻想とどう違うのか、といった根源的な疑問がひたひたと湧いてくるのである。
(記・FB投稿:2022.2.3)