艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

小ペン画ギャラリーー21 「女房の選んだ○○点」

 自分の作品を振り返り、鳥瞰し、そこに見出されるテーマで括り、自己批評するということに、少し疲れた。そうした場合の恒例で、ちょっと久しぶりに「女房が選んだ○○点」。

 

 誰でもそうであろうと想像されるが、女房は最初の観客であり、時に最も辛辣な批評家でもある。その見方は「世間」を代表するものでもある。世間の眼は、時に無視できない、時に重要である。気にしすぎるのは良くないが、時々は自分と自分の作品を客観視するために、あえてそうした他者の視点を導入するのも大事だ。

 

 女房に言わせると、私の作品世界は、その良し悪しは別にして、往々にして私の「波動()が強すぎて、入っていけない、自分(見る人)の(鑑賞上の)想像力が発揮できず、想像世界が広がらないことが多い」、とのこと。う~ん、そうですか。そうかもしれない。それはそれで、まあ、あまりよろしくないような…。

 ということで、今回彼女が選んだのは、私:河村正之の波動が「あまり強すぎず、自分なりの想像力が広げられるもの」だそうである。そうですか…。

 共通するテーマといったものは特にはないようだ。

 最後におまけの一画像。

 

 

 ↓ 345 「プリズムと花をみな」

 2020.9.3-8 14.8×10㎝ エンボス加工の雑紙にペン・インク・顔彩

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 今回の女房のイチ押しがこれだそうだ。私も好きな作品。

 エンボス加工された紙に描くことはあまりない。そう難しいわけでもないが、それをうまく生かせるかどうかはまた別問題。タイトルがイマイチかな~。

 

 

 ↓ 489 「旗を振り行進する回回教徒」

 2021.7.24-26 21×14.9㎝ 水彩紙にペン・インク・水彩

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 オリンピックの入場行進の一シーン、イスラム圏のどこかの国の一瞬の印象記憶から。正確さとか再現性とは無縁。行進とは言いながら、絵の中では一人だけ。「回回(フイフイ)教」というのは回教=イスラム教の古い別の言い方。

 あらかじめ何枚かまとめて水彩で下色を施し、ストックしてある用紙の中の一枚と、絵柄が奇蹟的に良いかみ合わせができた。

 

 

 ↓ 534 「安穏」

 2021.12.6-26 16.9×12.9㎝ 水彩紙に水彩・ペン・インク

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 わりと最近の作品だが、ここのところイメージ日照りで、何年か前のスケッチブックから描き起こしたもの。自分としてはあまり新鮮味がないが、女房という他者がこれを選ぶということが面白い。タイトルと絵柄は、少し乖離があるように思う。

 

 以上、ここまでが女房のイチ押し~三押しで、以下は時系列、制作順。

 

 ↓ 335  「塞のをみな」 *発表済み

 2020.8.13-17  14.8×10 ㎝ エンボス加工の雑紙、ペン・インク・水彩

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 村はずれや辻などに立ち、外部からの邪鬼・疫病などを防ぐという「塞の神」信仰の私的変奏。ふせぎ、立ちはだかる女(をみな)。透明なガラスのマント、あるいは防護ウェアをまとっている。中景には原発関係のシンボルなど。

今回唯一発表済みの作品で、東京在住の高校の同級生が買ってくれた。

 

 

 ↓ 355 「三日月塔」

 2020.9.18-21  13.7×9.9㎝ 和紙風ハガキにドーサ、ペン・インク・水彩・顔彩

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 日を決めて集まり、日の出や月の出を待ちながら夜を徹して念仏を唱え、歓談する風習を記念したのが日待・月待塔や庚申塔など。巳待塔、十六夜塔、二十三夜塔などいろいろあるが、三日月塔というのは珍しい。次の写真にあるものを実際に見て、その文字・言葉にインスピレーションを得たもの。実物は自然石の文字塔。文字=言葉から発生した、私流の変奏イメージである。

 作品としては特に言うことはないが、今見てみると後ろの山の形・表現がなかなか良い。別の作品でまた使ってみようかな。

 

 

 ↓ 参考

 あきる野市戸倉の個人宅の敷地内にあるが、傍らの路地から生垣越しになんとか撮影できた。「三日月供養」と刻まれた自然石の文字塔。味がなくはないが、特にどうということのない塔。明治10/1877年。裏面に「石工 星岳寺向」とあり、すぐ近くに住んでいた石工の名前も特定されている。

 古くは三日月信仰というのがあったようだが、詳しいことはわからない。また、この塔の造立の趣旨なども不明。私が実見した三日月塔は、今のところこれだけ。

 

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 ↓ 368 「踊る遊行僧」

 2020.10.8-10-13  12×8.5㎝ 和紙(メノウ磨き)にペン・インク・水彩・色鉛筆

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 以前に新聞の文化欄(展覧会案内?)に載っていた、室町時代の「かるかや(苅萱)」(説話)にかかわる図版を切り抜いてスクラップした。図版以外の解説文などは保存していないので、念仏宗関係のものと思われるが、詳しいことはわからない。場合によるが、解説文をとっておくと、概念性・お勉強意識が強くなり過ぎるので、制作関連の資料としては図版しか保存しないことの方が多い。後で困ることもままあるが。

 とにかく、阿弥陀の来迎の場面らしいその絵にインスパイアされたものである。

 実物(図版)はほぼ全くの素人の手になる画風だが、実に良い味わいのもの。その小さな切り抜き図版から3点の小ペン画を描いた。これはその一つ。

 

 

 ↓ 398 「地涌の少年」

 2020.11.12-16  12.5×9.1㎝ 雑紙(濃グレー)にペン・インク・水彩・グアッシュ

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 「地涌(じゆ)」という仏教の言葉、イメージからは何点かの作品が生まれた。これもその一つだが、それ以上特につけ加えるべきことはない。

 ふだんほとんど使うことのない、やや濃いめの、しかも扱いづらい有色紙に描いたので、そこそこの難しさはあった。

 

 

 ↓ 540 「黎明を聴く」

 2021.12.19-2022.1.2  20×16㎝ ワトソン紙に水彩・顔彩・ペン・インク

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 昨年の暮れ、古い友人のダンスを見に行った。ダンスカンパニーノマド「MORGEN‐明日恋慕」(演出・振付・テキスト 池宮中夫)。

 物語色の濃いモダンダンス。物語色は濃くても、ダンスだから具体的身体は抽象として振舞い、意味を問うことの必然は宙吊りにされたまま記憶として結晶化される。そこから2点、私のペン画が生まれた。これはその一つ。パフォーマンス中に使われた、長く円錐形に丸められた、世界の調べを聞く紙の聴診器(?)とダンサーの、相克の絵画的構成。私はそこに1930年代の構成派のダンスを、勝手に遠望、懐古した。

 

 

 ↓ 544 「結晶の中の魚」

 2022.1.8-9  16.2×11.9㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク

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 ごく最近の作。ただしオリジナルは数年前に描いて放置していたイメージスケッチ。

 意味もイメージも持たず、直線的な形を描き進めながら、ふと、中ほどに魚らしき形を見出した時に、作品として成立した。

 

 

 ↓ おまけ 「選者近影」

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 今回の作品を選んでくれた女房、近影。

 昨年12月の白内障の手術に合わせて、?十年ぶりにショートカットにした。これはこれで、悪くない。

 たまたまこの日着ていたセーターが、20年以上前に、私の原画を元に、洋裁・編み物好きの姉が編んでくれたもの。もともと私が着るために頼んだのだが、私が着ると全く似合わない。女房が着ると良く似合う。以後、女房のもの。

 20年以上前にこんな絵柄も描いていたのかと、我ながらちょっと意外だが、これも何かの縁ということで、選者近影。

 

(記・FB投稿:2022.1.15)