艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

小ペン画ギャラリー-27 「600点」

 小ペン画が600点になった。一頃よりペースは落ちたが、コツコツ描いていれば、点数は自動的に増える。

 いつも言っていることだが、私にとって小ペン画は本道ではなく、脇道。本道はタブロー(油彩・テンペラによる板絵・キャンバス画)なのだが、これは精神的にも、労力的にも大変で、なかなかはかどらない。暑さ、体力・集中力、老化・劣化の相関関係。そこでつい脇道、寄り道、道草となるのだが、苦しい時の逃げ道・アジールはいくつかあった方が良い。比較するのもおこがましいが、漱石芥川龍之介が小説執筆のかたわら、俳句を作っていたようなものだ。

 画家が本道のタブローのほかに並行して別の表現を為す、楽しむというのは、昔からあったが、最近の画家は、その割合が少し増えているような気がする。それは彫刻や陶芸であったり、詩歌(これは私もやっている)・小説の創作、音楽活動(バンド、ライブ、CD制作等)など、人さまざま。それらは脇道かもしれないが、趣味以上の、作家にとってもう一つの別の表現の回路なのだろう。複眼的志向と言ってもよい。

 

 600という数字が別にめでたいわけでもないが、まあ、小さな区切りだ。近作を適当に選んでみた。多少見栄えを気にしているせいか、だいぶ濃いもの、手の込んだものが並んだ。特に括りは意識していないが、結果として民俗学的インスピレーションに由来するものが三、四点。最近の傾向である。

 

 

 ↓ 583 「野神望郷」

 2022.4.26-5.5  18.8×25.3㎝ 雁皮紙にドーサ、水彩・ペン・インク

 

 ↑ 民俗学的インスピレーション。ある地域で不慮の死を遂げた「ノツゴ」などと呼ばれる不運不幸な霊や、祀られぬ祖霊など、零落した神とも呼ばれるべき存在があった。それらを称して「山神」、「野宮」、「野ノ神」、「野神」と呼ぶ地方もあるそうだ。かえりみられぬ祖霊が、産土(うぶすな)の故郷を遠望する。

たまには、遠い祖先やはるか未来の子孫たちのことにも、思いをはせたい。

 

 

 ↓ 585 「道の人」 

 2022.5.2-5  16.3×21㎝ ワトソン紙に水彩・ペン・インク

 

 ↑ 「百姓」を農業民としての「おおみたから」としてのみではなく、網野善彦などの言う、職人や「一所不住、一畝不耕」のマレビトとしての、旅する職能民を含めた「百姓」の可能性。芸能の民や遊行僧、修験者などもその範疇に入る。故郷山口県には数少ない猿回しを生業(の一部)とする地区があったらしいが、そのことへのリスペクト(?)も含む。

それとは別に、東南アジアなどで、こうした弁慶の七つ道具のような商品を持ち歩く行商人を何度も見たことがあるような気がする。

 

 

 ↓ 587 「海を渡って学校へ」

 2022.5.7-12  20.5×14.9㎝ 洋紙に水彩・ペン・インク

 

 ↑ これは昭和30年頃まで実際にあった、沖縄のある小島の生活。新聞か、何かの本に出ていた写真を参考にしたのだが、例によってその図版が何に載っていたのだか、思い出せない。まあ、参考資料の比重というのは、それぐらいがちょうど良いとも思うが。

本島に隣接する小島。家々は貧しく忙しいから、子供たちの通学のために舟を出してやる余裕はない。小中学生は毎日、遠浅の海を竹馬に乗って通学する。天気の悪い日は欠席となるから、学業は遅れがちで、小さな差別が発生する。自然との共生が生むそんな小さな悲哀もさることながら、そこに巧まざるユーモアというか、真正の生活といったもの、さらにはその延長上に南洋的ロマンチシズムまでを見てとるのである。

 

 

 ↓ 591 「野鍛冶」

 2022.5.13-16  20.8×15㎝ 洋紙に水彩・ペン・インク

 

 ↑ 野鍛冶とは、かつては田舎をまわって、野外で生活に必要な簡単な鍛冶仕事をする者たちだったが、タイトルとこの絵柄はあまり一致していない。山野を放浪しつつ、特殊な技術で職人仕事をするマレビト、といったイメージ。その神秘性と畏れ。

 

 

 ↓ 592 「流星群の夜に」

 2022.5.14-26  14.7×10.4㎝ 洋紙に水彩・ペン・インク

 

 ↑ 大地、土地との交流・交感は農業生産のみにとどまらず、人間にとって不可欠なもの。地母神・農業神・作神、地神、地鎮祭、地湧の仏。流星群の降る夜に、地の鼓動をより良く聴く者がいる、というファンタジー的幻想。

 

 

 ↓ 594 「艸露」

 2022.6.27-28  13.9×11.4㎝ 洋紙に水彩・ペン・インク

 

 ↑ 蕎麦猪口などの秋草紋に打たれた三つの点が露を現わすと解明された(?)のは、蕎麦猪口ブームを牽引した料治熊太の著作によってだった。以来、長い間「露」は、いつかは取り上げなければならない小さなモチーフの一つだった。

 ちなみに「艸」はクサカンムリそのままの漢字で、当然「くさ/ソウ」と読む。「くさつゆ」あるいは「そうろ」。

 私のアトリエを艸砦庵(そうさいあん)と称して、ブログ名も「艸砦庵だより」としているのだが、この程度の漢字が、読めないと文句を言われることもしばしば。日本人の漢字能力の低下も困ったものだというのは、余談である。 

 描かれているのは、別に自画像というわけではない。

 

(記:2022.7.22)