艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

「ちょっとミニワイルドでミニハードだった今日の裏山歩き―金剛の滝」(2020.5.17)

 

(*最初に:本稿は山行記録というほどのものでもなく、またあまり多くの人に訪れてほしくないので、地図・ルート図は掲げません。わかる人が読めばわかると思いますので、興味のある方は、自分で地形図等を見て探して下さい。)

 

 前回の裏山歩き(これはブログにもFBにも投稿せず)から10日目。明日からまた天気が悪くなる。さほどモチベーションは上がらぬが、行かねばならぬ。ほんの少しの制作と、家事雑事を済ませて、15時頃家を出る。

 秋川丘陵を越えて金剛の滝を往復後、日向峰から沢戸橋、というのが漠然とした計画。とりあえず登り口はどこからにしようかと歩いていたら、昨秋の台風でやられた小和田グランド付近の河川改修工事をやっていた。大掛かりなものだな、などと漫然と思ったのだが、同じ台風のもたらした被害に後ほど出くわすとは、この時点では思いもしなかった。

 

 ↓ 小和田グランド付近の改修工事。右岸の屈曲部には以前は武田信玄由来の臥牛という水勢をやわらげる一種の蛇篭が設置されていたが、無力だったということなのだろう。

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 ↓ 御岳神社登り口付近の黄菖蒲

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 小和田の御岳神社に登る。御岳山の御岳神社の分社で、地元の人がよく手入れされている気持ちの良い小さな神社。

 

 ↓ 御岳神社境内

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 御岳神社だけあって、狛犬ではなく、大神(狼)のはずなのだが、耳は垂れているし、どう見ても犬にしか見えない。台座には昭和四十九年とある。

 

 ↓ 狛犬ではなく大神(狼)

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 ↓ 同じくその2 昭和49年

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 その脇にある小さな摂社のオオカミの方は、こちらの方がもっと古そうで、やはり耳は垂れているが、社殿前のそれよりも野性的というか、より山犬っぽい。ニホンオオカミはいわゆる狼とは異なって、山犬あるいは、より犬に近い種類という説も聞いたことがあるから、これはこれで間違いとは言えないのだろう。あちこちつぎはぎ修復だらけだが、なんだか可愛らしくて、私は好きだ。

 

 ↓ 摂社二基

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 ↓ 摂社の狛犬≒狼≒山犬。よく見るとこちらは阿吽の形になっており、これは口を開けた阿形。

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 ↓ 同じくその2 補修だらけのぬいぐるみのようだ。

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 手前の鳥居のところまでいったん戻って、順路である尾根上の部分的に簡易舗装された道ではなく、左の山腹に続く細い踏跡を辿る。はっきりとは覚えていないが、ニ三回は歩いたことがあり、いずれ主尾根に合流するはず。まもなく踏跡は二つに分かれ、下に下りそうなしっかりした左ではなく、上に向かうかすかな踏み跡の右を選ぶ。

 次第に踏み跡は薄くなり、やがて獣道と変わらない状態になる。途中に新しい痕跡の残るヌタ場があった。

 

 ↓ イノシシのヌタ場

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 藪漕ぎというほどのこともなく、歩きやすいところを選んで登れば、不安をおぼえる前にまた踏み跡はしっかりしてきて、やがて一般道に合流。予想していたところとは少しずれていたが。

 

 ほどなく金剛の滝への分岐。数年前に補修された木の階段を降りる。降り立った堰堤が滝からの沢との合流点。完全に伏流している。この一帯は私のお気に入りの場所。前にここでホラ貝の練習をしていた修験道マニアの人と会ったことがある。

 少し先で水流が現れるはずだが、そのまま河原が続き、なんと下の滝の滝壺のところまで砂利に埋もれている。

 

 ↓ 金剛の滝への沢すじ。このあたりは以前でも伏流している。

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 ↓ 滝の手前も伏流している。以前はこのあたりには水が流れていた。

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 この滝壺は小さいけれども、それなりに深さもあり、いつも岩魚が数匹泳いでいたのだが、その片鱗は全くない。毎年必ず何度かは訪れているが、こんな小さな滝壺は初めてだ。

 

 ↓ 金剛の滝下段の滝・岩魚の泳いでいた滝壺の片鱗はない。右の穴の階段から上の滝へ。

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 右側の岩壁に穿たれた、胎内くぐりといった感じの穴の階段を上る。上にあるのが金剛の滝だが、ここの滝壺もごく小さく浅い水たまりのようになっていて、驚く。

 

 ↓ 金剛の滝への階段

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 ↓ 金剛の滝全景。この滝壺も埋まっている。

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 周辺にはそれほど土砂崩れなどの様子も見えないのだが、とにかく沢筋は大量の土砂で埋まってしまったということなのだろう。

 沢や滝が土砂で埋没し浅くなるということは見たことも聞いたこともあるが、前後の状況の変化を目の当たりにするのは初めてか。浅くなるのは簡単だが、以前のような深い滝壺や水流に戻るにはまた長い期間が必要なのだろうか。それを思えば、少々痛ましい感じがする。

 周辺にあるイワタバコの花を期待していたのだが、まだ早かったのか、見えない。

 

 帰りはいったん尾根に登り返して日向峰まで行くのが、めんどうになり、そのまま沢(逆川)沿いの道で楽をしたくなった。のんびり歩いていくと、ところどころに倒木や小規模な土砂の押出がある。

 細い山道から、未舗装の林道になってほどなく、いきなり道が無くなっていた。右岸からの山抜け(土砂崩れ)で左岸の林道の擁壁が流され、道が無くなっているのだ。昨秋の台風の爪痕はこんなところにも残っていたのだと驚く。

 

 ↓ 左側が林道の通っていたところ。中ほどのラインが歪んだ擁壁。

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 ↓ 右岸からの土砂崩れ

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 ↓ 手前が林道のあった部分と堰堤の一部だった石組み。その先は擁壁のみ残って中身の一部は流出している。

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 慎重に倒木を乗り越えていけば特に問題ないが、あまり気持ちの良いものではない。あとは何の問題もなく、沢戸橋から50分ほど歩いて帰宅した。

 

 2時間半ほどの裏山歩きにしては、獣道ルート、道の消失等、けっこうミニワイルドかつミニハードな内容だったか。

(2020.5.17)

小ペン画ギャラリー―3 「踊り―その1」

 「ダンス」を訳せば「踊り」。

だが日本語の「踊り」には「舞踏」と「舞踊」とがある。もともと日本語として「舞踏」と訳されていたのを、1904年の『新楽劇論』において、坪内逍遥福地桜痴が新たに造語した「舞踊」を訳語として当てたとのこと。

 私は「舞踏」とは踏すなわち下半身、足を踏みならすリズミカルなもの、「舞踊」は上半身を中心としてゆらゆらさせるもの、といった感じで理解していた。西洋舞踏と日本舞踊、つまり西洋的と日本的ということで良いのかと思っていたのだが、あらためて調べてみると、どうもそうではなく、本質的には似たようなものというか、その違いがよくわからない。どうも現在では、歴史的あるいは意味強調的な文脈において使い分けられるらしい。

 その歴史的背景からダンスは「諸芸術の母」と言われることもあるようだが、音楽も詩もそうした言い方をされることはあり、まあ、人間の表現文化の上で古いものであることは確かだ。

 

 何にしても、私はダンスなどというものとは、一生縁が無いと思っていた。ディスコやクラブに行ったこともなければ、行きたいと思ったこともない。盆踊りもほぼ同様。暗黒舞踏だけは一度は見てみたいと思っているが、縁がない。ずいぶん昔に田中泯と霜田誠二だけはチラッと見たことがある。

 正直に言うと、私はダンスに対してけっこう偏見を持っていた。つまりダンスとは、音楽や演劇などもそうなのだが、限定された時間と場においてのみ存在する時間芸術であり、非時間芸術である絵画とは相容れぬ関係にある、別の言い方をすれば、とてもかなわない、と認識していたのである。微妙なコンプレックスと言ってもよい。

 それなのに、最近このように「ダンス/踊り」を画題・モチーフとして描いているのは、いったいどうしたことなんだろう。

 

 そうなる上で、いくつかの前段階があった。だいぶ前からだが、「ダンス/踊り」ではなく、パフォーマンス=身体表現ということには、限定的ではあるが、多少の興味を持っていたこと。マタハリ等における、エキゾチシズムの眼差しに興味を持ったこと。中でも海外に行って、観光客向けではあるが、各地の伝統的なダンスショーを数見る機会があったことは大きい。多様な地域で何の先入観もなく初めて見る、多様な文化に根差したダンスは、実に面白く、感動したといってよい。

 

 ↓ 参考:2003年 キューバ・トリニダーで見たストリートダンス。これだけは観光客向けではない。貧しいキューバの田舎の貴重な楽しみ。電力不足の暗い路上に人々は集う。 

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 ↓ 参考:2009年 トルコで見たベリーダンス ダンサーは外国からの出稼ぎだとか

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 また近年はテレビやインターネットなどで、アイドルグループなどのダンスパフォーマンスを目にする機会がいやおうなしに増えたこともあるだろうし、その延長(?)でつい高校ダンス選手権なるものまでネット上で見てしまったこともある。今や、例えばYouTubeでベビーメタルを見て、歌よりも、そのダンスに感動したりしている。

 そうしたいくつかの要因をへて、気がつけば、ダンスというものに対して持っていた偏見はだいぶなくなり、面白がることができるようになった。そうなれば「諸芸術の母」と言われるゆえんも理解できるようになってきたし、自分自身を、気分的にはではあるが、身体的に同調させることもできるようになった。

 

 ダンスとは動きが本質であり、(多くの場合は音楽との連関がある)時間を軸とする表現だから、ふつうは絵で描くのは難しいと言える。ロダンクロッキードガの踊り子はやはり神技というべきだろう。

 パフォーマンスの現場では、その瞬間瞬間を体感し、味わうしかない。それとは別に日常生活の中で、ビデオやユーチューブなどでダンスを見る。それを一時停止にして静止画像で見ると、動きや流れとはまた別種の美しさが稀にあらわれることがある。それは絵の対象として実に魅力的だ。

 だがそれはそれとして、ダンスとは動きが本質である以上、目に映る数秒の印象、記憶をもとに描く、表現するべきであろうとも思う。

要はそのあたりの葛藤と緊張感がもたらすものが、絵画としてのダンスの美を可能にするのではないか、と思う。何も見ずに記憶やイメージだけで描くときは問題ないが、いわゆる写真のような「切り取られた瞬間」を絵にする気はないのだ。静止画面を見過ぎるべきではない。

 むろんダンスを描くということは、瞬間の人体の形の美を描くということではない。そもそもの原初のダンスがおそらくは神とのコレスポンダンスであったような、意味以前の意味や、儀礼化様式化以前のメッセージといったものに成っていかないとつまらないと思うのである。私の作品がそうしたところに行っているかどうかは、はなはだ自信がないが。

 

 今回取り上げるのは以下の4点。すべて男の踊りだが、男を描いたものはこれで全部。ほぼ同時期に描いている。「踊り」を描いた作品はほかにもいくつかあるが、それらはすべて女性。女性を描いたものについては、また別の要素も加わっているようであり、それらについてはまた別の機会に紹介したい。

 ともあれ、以下に作品を紹介する。

  

  「世界の不安を踊る」

 2020.1.20-21 12.4×9.6㎝ 画用紙に薄和紙・古紙貼り、ペン・インク・水彩 

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↑ これを描いたのは、コロナウィルス騒動が今のように世界的になる前であったことは確かだが、その不安を反映している。だがそれはそれとして、やはり漠然とした「世界の不安」で良いのだろう。かなりデスペレートな、ペシミスティックな情感、そしてそのことで結果として醸し出されるユーモア、といった感じを描きたかった。絶望の踊りでもある。女房には「タコ踊り」と言われた。

 

 

  227.「辺境の風神の踊り」 

 2020.3.11-12 12.5×9.1㎝ 和紙風はがきにドーサ、ペン・インク・水彩

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 ↑ BS放送で見たネパールの奥地(ドルポ地方)のドキュメンタリーで、相当に過酷な自然と文化状況の中で生きている人々を見た。そこで営まれるしごくまっとうな生活と宗教と踊り。番組を見ながらの一瞬の走り描きが元なので、その映像と比較されても、似ても似つかぬものになっていると思う。関係ないが、石井鶴三の木版画でちょっと似たような作品(『山精』だったか?)を思い出した。

 

 

    228.「辺境の陽神の踊り」

 2020.3.11-12 12.7×9.4㎝ アジア紙にマルチサイジング、ペン・インク・水彩

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  ↑ 同じくネパールの奥地のドキュメンタリーが元。描き終えて二つを見比べて「風神」「雷神」としようかと思ったのだが、一ひねりして「陽神」とした。造語である。

 

 

251.「新しいダンスは可能か」 

 2020.329-4.11 11.5×9.4㎝ 和紙にドーサ、ペン・インク・水彩・アクリル

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↑ 元は何もない。こうした激しい動きの、土俗的とでもいうような動きには心惹かれる。背景(?)には苦労し、小ペン画にしては珍しく10日以上かかった。(部分的な)白以外のアクリル絵具で彩色したのは初めてだが、構成もふくめて、それなりに納得している。

 

 ↓ 参考:2009年 トルコで見たフォークダンスショー

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 ↓ 参考:2013年 バリ島で見たトラディショナルダンス

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(記:2020.5.9)

裏山歩き 横沢入り東側~北側尾根 2020.5.2

 ゴールデンウイークに北アルプスや奥利根、あるいは下田・川内、南会津の残雪の山々に血道を上げたのは、もうはるか昔のこと。最近では、あきる野市の自宅周辺やその奥の檜原村にも観光客が押し寄せ、道路は渋滞し、私は自宅で息をひそめ、静かに時を過ごすという習慣になっている。

 もともと、人が行く山には行かない、人が登るルートは登らないというのが、昔からの私の流儀。さらにリタイア以降は、人が行く時期には行かない、人が行く時間には行かないという原則が加わった。時差登山である。むろんそれは早寝早起きが苦手な私のひねり出した、屁理屈ではあるが。

 だがコロナ自粛の日々、その自粛の意味を問うのも煩わしいが、ともかく車も人もいない。自宅周辺のウォーキングや散歩はむしろ推奨されているようだが。

 

 県外からの登山客云々というのが問題になっているし、登山口の駐車場が使用禁止となっているという話もあちこちで聞く。同じ都道府県の中であれば良いのか、普段からあまり登山者のいない山であれば差し支えないのか、などというやり取りは、今は不毛な話のようだ。

 

 ただ一つ、「登山禁止」と「登山自粛要請」というのは全く次元の異なる話なのだということは肝に銘じておきたい。感染者の移動ということはわかるにしても、「禁止」というのは本質的に個人の自由にかかわることだからだ。

 すなわち憲法に保障された自由が「緊急事態」だからといってないがしろにされるというのであれば、次には「非常事態」という言葉を持ち出して、国家権力はやすやすと個人の自由を制限する改憲憲法解釈の変更を可能にするだろう。自衛隊の海外派遣やら、憲法改正問題、モリカケ問題、あいトリ問題、等々。そしてそれらにかかわる立憲主義法治主義を無視し続ける、公文書偽造、法解釈の捻じ曲げ等。そして様々な新法策定や法改正を見ていると、そうした予定路線が深く刻まれていると思わざるをえない。それらを黙々と受け入れる多くの「国民」。

 昨今の情況は、どこか、戦時末期の登山者の取り締まりといった話を、うっすらと思い出す。私が言いたいのは、「登山自粛要請」は受け入れられても、「登山禁止」は受け入れがたいということだ。

 話はだいぶ大げさになったが、たかが裏山歩きであっても、やはり何となく人の少ないであろうルートを選んでしまっている今の自分がいる。そのことに忸怩たらざるをえない。

 

 今回歩いたのは、横沢入り東側尾根から北側尾根。横沢入り自体は、ふだん訪れる人、家族連れ、子供連れも多いが、それを取り囲む尾根を歩く人は、表参道からの天竺山以外は少ないようだ。私がいつも裏山歩きをする四つのエリアの中ではおそらく歩く人が最も少ない尾根だと思う。

 

 家から歩いて10分少々で、登り口。いきなりの植林帯の中の急登という記憶があって、あまり登らないルートだが、実際にはすぐに勾配はゆるむ。キリスト教墓地に沿った気持ちの良い広葉樹林帯。とことどころに山ツツジの朱い花。

 

 ↓ キリスト教墓地を右手に見ながら登る。

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 ↓ フデリンドウ/筆竜胆

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 ふと足元を見ればフデリンドウ。記憶では数本が固まって咲いているはずなのだが、一つだけ。まわりをよく見たら蕾の状態のものがいくつかある。もうニ三日したらそのようになるのだろう。いずれにしてもこの尾根でフデリンドウを見たのは初めて。また以後のルート上では見かけなかった。日当たりの良い、やや乾いたところを好むからだろう。

 帰宅後、その話を女房にしたら、すぐ近所の公園にもあったよねと言う。そういえば、見た記憶がある。最近見ていないが、どうなんだろう。

 

 ↓ 気持ちの良い尾根。ところどころに朱い山ツツジ

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 ↓ 同じく

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 新緑というには、そろそろ力強くなり過ぎてきた色彩の森の中を進んでゆくと、右前方に日の出団地が現れる。かつては横沢入りと同様の谷戸であったが、ニュータウンとして大規模開発されたもの。知り合いもニ三人住んでいたが、現在では住民の高齢化による空家が増えたという。

 

 ↓ 日の出団地。正面のピークはこのあたりでは一番高いが、そこには向かわずこの先で左折する。

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 ルートはその団地の際の道路に接するほど近づいたあと、再び森の中へ入っていき、主尾根は左折する。ここから北側尾根となる。

 ここまでも、そしてこれ以降も左右に数多くの小道やら踏み跡を分けていくが、そのほとんど全てをこれまで歩いてみた。道によっては途中や最後で地獄の藪漕ぎを体験させられたものもある。ともあれ、それだけ踏み跡=仕事道が多かったということは、つまりここが典型的な里山=生活の場だったことを物語るものである。

 

 途中にちょっとした窪地がある。少し離れた天竺山の近くには江戸時代以来、伊奈石を生活用材として掘り出していたという石切り場の跡がある。あるいはこの窪地も石切り場の一つだったのではないだろうか。

 

 ↓ 写真ではわかりにくいが、少し不自然な凹地となっている。伊奈石の石切り場跡か?

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 そこを過ぎればすぐに三角点と落葉松山307.6mの標識。本日の最高地点。何の変哲もないただの一地点。腰を下ろし、一服。

 

 ↓ 落葉松山山頂。

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 北側尾根に入ってから、北側はすべて植林帯。北麓の羽生家という山林地主の旧家の持山だそうだ。

 植林帯と常緑広葉樹林に挟まれた展望のない尾根を進む。この盆地状の横沢入りを四方で囲む尾根筋は、遠目よりも小さな急な登下降が続き、案外体力を使うし、時間もかかる。全部を忠実に辿ったら、3~4時間かかりそうだ。だからいつもは、いくつもある支尾根のどれかを選んで主尾根に出て、その半分か、三分の一ぐらいを歩く。

 そのまま尾根通しに進めば林道の通る峠をへて天竺山に至るのだが、今日はその少し手前の支尾根から下ることにした。途中で、今も使われているらしい獣の巣穴らしきものを発見した。狸だろうか。

 

 ↓ 意外と奥行きがあり、今も使っているように思うが、さて?

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 林道に下りてからほどなく横沢入りの中央湿地。

 

 ↓ 掌状にいくつかある沢/谷戸の一つ。ここではもう米作りはしていない。沢沿いに尾根に上がるのは、上部は藪漕ぎになる。

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 ↓ 横沢入り中央湿地。

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 いくつかある戦時中の防空壕(?)などの戦争遺跡を確認しながら帰る。この戦争遺跡についてはまた別の機会に紹介したい。

 

 ↓ 戦争末期に立川の基地から物資を移すために掘られた地下壕の一つ。ほかにも何か所かある。

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 ↓ いわゆる「洗車橋」と呼ばれているもの。ほかにも何か所かある。

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(記:2020.5.3)

柊人とのコラボMVがYouTubeにUPされました。

ラッパー柊人とのコラボMVがYouTubeにUPされました。


柊人 - Be You feat. Emoh Les | SMOKE TREE Music

 

背景は私の作品「そらのはな」(2009年 F150号)。

 

ジャンルで言えばラップで良いのかな?

あんがいおとなしめの使われ方ですが、きれいな歌声と重なり、シンクロして、作者の意図とはまた別の新しい解釈、新しい世界観が立ち上がってくるように思います。

こうした使われ方、一種の二次的創造は、大歓迎。

 

ぜひ一度ご覧になって下さい。

 

 ↓ 525.「そらのはな」

 2008-2009年 F150 自製キャンバス(麻布にエマルジョン地)、樹脂テンペラ、油彩、蜜蝋

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なお、以下は最初、YouTubeの貼り付け方がわからなかった時点で、苦肉の策としてカメラで撮影したパソコン画面を貼ったもの。せっかく貼ったのにもったいないので、これはこれとして、そのままにしておきます。味もあるし。(;^_^A)。

 

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2020.5.4

「小ペン画ギャラリー」―その2 「繭」

 今回は繭と人物を描いた絵を5点(+油彩作品1点+参考図版1点)。

 人物の性別はあいまいである。

 繭とは書いてみたが、はたしてそれは繭なのか。

 形と意味からすれば、「卵」でも良いような気もする。

 しかし私にとって、そのイメージに最も近いのが、ヤママユガ(山繭蛾 天蚕)の繭なのだ。ウスタビ蛾の黄緑色の繭のイメージも重なる。いずれも近所の山歩きでよく見かける繭。私はそれらの形状、色合い、風情が好きで、巣立って下に落ちているのをよく拾う。たまにボックスアート形式の作品などに使ったりする。

 私は昆虫愛好家ではないが、繭という存在、在り様には強い魅力を感じる。それは変容ということの、現実態だからである。卵から生まれ、芋虫や毛虫の時期から、蛹とそれを包む繭の時期をへて、やがて空に舞い立つ蝶や蛾へと、文字通り変化・変身・変態(metamorphosis)することの不思議さ。

 

 それは例えば、村上春樹の『1Q84』や『騎士団長殺し』の中で、何の説明も解決もされぬまま、そのくせどう見ても物語の核心を蠱惑的に象徴するイメージとして、読者の前に投げ出されたまま強烈な魅力を放射させていることからもわかるように、ある種の人々を惹きつける魅力を持っている。

 解決不可能、説明不能の要素(構造的不条理)を物語中に持ち込むというのは、ファンタジーにのみ許される手法であり、多ジャンルでは禁じ手であったはずだ。だが、いつの間にか村上春樹やそれに続く純文学の書き手によって一般化されることによって、文学の世界を広げもした。そしてそのことで、同時に小説の論理的快楽の水準を下げたというのが私の考えだが、それはまあここでは置くとしよう。ただし、そうした手法は美術の世界では、シュールレアリズムや形而上絵画以来、一般的な手法となっているということは、この際確認しておいても良いかもしれない。

 ともあれ、それは壺中天、すなわち桃源郷や閉ざされたユートピアにも通じる、異界を感じさせる装置でもある。

 

 言うまでもないが、現実の繭という具体物を描こうとしたわけではない。描き始めの意識としては、結晶・鉱物質の硬質で直線的な形体と、有機的な人体の形とを、繋げ、とり結ぶ要素としての(準幾何学的な)曲線的な形状、すなわち「繭のような形」だったのだ。むろん描き始めから、それが繭のような形だとは意識していた。それならいっそ、意味として繭ということにしてしまおう、といった感じなのである。

 

 こうした繭型、卵型の形と、その中にいくつかの要素を入れ込むといった感じの作品は昔から時おり描いていた。それは時には「琥珀」であったり「水晶」であったりした。それらは共に、時おり何か異物を内包していることがある。若い時に知った中西夏之の「コンパクト・オブジェ」の影響もあったのだろうと、今、思い当たる。

 

 

  ↓ T126.「琥珀-3」 

 1990年 F8 自製キャンバス(麻布にエマルジョン地)、樹脂テンペラ、油彩 個人蔵

 琥珀の中には時として植物や昆虫などを内包しているものがある。そうしたことを知識として知っていて、イメージを喚起されたのだろうか。要は閉じた世界の中に、何事かを内包しているということ。

 今は海外で買った琥珀をいくつも持っているが、当時は持っていなかった。この前後、鉱物名を付けたドローイング作品を多く制作しており、それらと連動した作品。

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 ↓ 中西夏之 「コンパクト・オブジェ」

 1960年代 ポリエステル樹脂

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 ↑ 色々なもの/オブジェをポリエステル樹脂で封じ込んだ作品。当初はもっと透明感が強かったように思うが、合成樹脂は次第に経年変化により劣化し、茶ばんだような色になる。当時の「現代美術」としては何か、生物的というか、生理的というか、そんな趣きがあり、わりと好きだった傾向の作品の一つ。ただし当時見ていたのはこの作品ではない。これはこの稿を書くにあたってネット上から拾ってきたもの。

 

 いずれにしても、やはり私には、どこか壺中天志向とでもいった要素があることは、自覚している。

 

 小ペン画のシリーズには、ここに上げた以外にも、「繭」をモチーフ(の一部)として扱った作品はいくつもある。また、別の角度からそれらを取り上げることもあるかもしれないが、今回はいったんここで筆をおこう。

 以下、作品紹介。

 

 

  ↓ 27.  「驚きのドラマ」

 2019.7.6 11.9×8.3㎝ ファブリアーノクラシコ?に膠引き ペン・インク

 全体が演劇の舞台空間のように見えたので、付けたタイトルだが、ちょっと苦しいか。

 小ペン画を描き出した当初は、タイトルを付けるという発想を持っておらず、いくつかのものを除いては、とくにタイトルを付けていなかった。「無題」でもかまわないかと思っていたのだが、その後作品数が増えるにつれて、必要性を感じはじめ、後になって一つ一つタイトルを付けていった。そのため、いくつかの作品には、どうにも据わりの悪いタイトルが付いてしまったものもある。これもその一つだが、小ペン画のシリーズでは一番早く繭形が登場した作品なので、上げておく。

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 ↓ 34. 「繭に入る」

 2019.9.18 13.7×8.8㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク

 硬質な鉱物結晶の構造物の仄暗い空間を背景として、繭がある。その中に、多少のあらがいを見せつつ、次第に吸い込まれてゆく、といったイメージ。

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 ↓ 37. 「まどろみ」 

 2019.9.19 13.3×8.8㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク・鉛筆

 いくつかの結晶といくつかの繭。それらにもたれてまどろむ人物。異様に長い右腕を描くときには、不思議なエクスタシーのようなものを感じた。この頃からペン特に丸ペンの使い方に急速に慣れてきたようだ。今見直してみると、背景の扱いが今一つだったようにも思われる。

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  ↓ 38. 「繭の中でまどろむ二人」

 2019.9.20 13.5×8.9㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク・鉛筆

 繭の中の二人を男女と見てもよいが、特にそういう意図はない。まどろむことのできる閉じた世界。

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  ↓ 43.  「蜜色の繭の中で」

 2019.9.22 11.4×9.5㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク・鉛筆・色鉛筆・顔彩?・ガンボージ?

 中ほどの黄色はガンボージ(植物性の樹脂染料)だったと思うが、はっきりしない。殉教図のような、拘束されたような姿態。まわりの数多くの幾何学的、装飾的図形をどう見るか。

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 (記:2020.4.28-5.1)

 

「閑話 私の野鳥雑記」

 田舎育ちの子供の頃から自然好き、山好きだった。だから、地理、地形、地質などに興味を持つようになり、鉱物・結晶・石好きになった。加えて年とともに花、木、キノコ等の植物も、川魚や動物、昆虫類も好きになった。だが野鳥だけは縁というか、関心が薄かった。なじみはあるのだが、要するに生きているそれらを、肉眼でしっかり見ることが難しいからだ。よく見えないものには興味を持ちにくい。野鳥に関しては、同定をほぼ諦めている。

 

 鳥を見る、観察する≒バードウォッチングといえば、高倍率の望遠鏡と望遠レンズをつけたカメラを設置して、ひたすらじっと鳥が来るのを待ち続けるというイメージがある。山の中では、鳥の声に振り仰いでその姿を探して見たところで、容易には見つからない。みつけたと思っても、それは木の間超しに空を背景とした逆光の小さなシルエットでしかなく、色も柄もわかりはしないうちにあっという間に飛び去ってしまうというのが、たいていの場合。したがってバードウォッチャーは、そうした条件を勘案した場所で、望遠鏡とカメラを設置して鳥が来るのを気長に待ち、撮影して、帰宅後、その鳥が何であったのかを図鑑で調べるのだろう。

 私が自然、主に野山にある時は、目的の半ば以上は歩くこと、移動すること。だから、そんな悠長なことはやっていられない。ましてや生来の機械音痴で、カメラ・写真嫌い。ゆえにバードウォッチングとは無縁である。

 

 しかし、終(つい)の棲家になるであろう今のところ(武蔵五日市)に越してきて以来、自然は以前にもまして身近なものとなった。年齢的な、自然な変化でもあるのだろう。庭に木を植え、花を植えた。小鳥が訪れる。季節ごとに鳴き声の変移がある

 だいぶ前に庭に2mほどの高さの棒を立て、餌台を設置した。庭の一画にある女房の陶芸小屋の外壁に巣箱を掛けた。毎年のようにシジュウカラがやってきて巣を作り、卵を産み、雛を育てる。

 

 ↓ 女房の陶芸小屋の外壁の巣箱。下の装飾には意味はない。

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 しかし、餌台に来る小鳥を猫が襲う。手前のモミジの木を利用して巣箱を襲う。わが家の飼い猫のみならず、外猫もまた襲う。本能の為せる技とはいえ、無惨な亡骸を見るのは嫌なものだ。

 何年後かには餌台を廃止した。巣箱は高い位置に移して、手前の大きくなったモミジは切った。鳥は来るが、前にもまして姿は見えにくくなった。あまり面白くない。

                                        

 家にいてよく姿を見かけるか鳴き声によって、多少はわかるのは、シジュウカラ、雀、鴬、ガビチョウ(声は美しいが、特定外来種)、ヒヨドリオナガキジバト(?)、ヒバリ、トンビなど。郭公は近年はあまり声を聴かないようだ。ホオジロメジロ、モズ、カケス、その他、見たり聞いたりしているかもしれないが、確かにそれと同定することはできない。

 夜になれば、ホトトギスアオバズクゴイサギの声を聴く。フクロウは一度近くの裏山歩きをしていた夕方、目の前に翼を大きく広げて突然現れ、ぶつかりそうになって、本当に肝をつぶしたことがあった。近くに巣でもあったのだろうか。

 初めてゴイサギの声を認識した夜は、人間の赤ん坊の泣き声なのか、恋猫なのか、あるいはハクビシンかと、その正体がわからなかった。まさか妖怪でもあるまいがと、ネットで検索してみてようやく知った。酔っぱらった冬の夜の帰り道、頭上を飛びながらのそのギャーギャーという大きな鳴き声を聴くと、あまり気持ちの良いものではない(ゴイサギは夜も飛ぶのである)。

 

 近くの秋川沿いを歩いていてよく見るのは、鴨、白鷺、ゴイサギ、(たぶん)アオサギ、川鵜など。最近オシドリのつがいを、それと初めて確認した。カワセミを見たのは近所では唯一度だけ。本当に碧い瞬間の宝石である。セキレイの仲間は川沿いとは限らず、路上のあちこちで目にする。あの古事記にも出てくる特徴のある腰つきで、道案内するように軽快に跳び歩いている。

 

 ↓ 何年か前に近くの秋川の橋の上から撮ったもの。11月頃か。

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 カラスは言うまでもない。たまにごみ袋をつつき散らかす困り者だ。オオタカ(?)と思われる猛禽類が電柱の上にとまっているのを見たこともある。写真も撮ったのだが、どこかに行ってしまった。

 燕はどこにでもいるなじみ深い鳥。ついこの間まで、五日市駅とその周辺の高架下にたくさんの巣をかけて、その雛鳥を見るのが楽しみだったが、今は全体にネットが張り巡らされて寄り付けなくなった。人間の都合だが、せちがらくて、悲しい。ウズベキスタン(だったと思う)や他のいくつかの国では、モスクや他の建物の中にも巣があり、保護していたように見えたのに比べて。

 

 近辺の山歩きをしていれば、上記の鳥たちとはまた別に山腹で餌をあさるヤマドリや雉、鶉、コジュケイなどを見ることもある。コゲラ類のドラミングもよく耳にする。樹上で鳴きかわすたいていの鳥については、ほとんど知るところがない。北アルプスライチョウイワツバメ妙高の夜鷹、宮崎県の山でのホシガラスなどと、範囲を広げていけばきりがない。

  

 二週間ほど前にふと思い立って、アトリエの窓辺に手作りの餌台を設置してみた。せっかくだから、もう少しよく見てみたいという気になったのだ。

 

 ↓ 手作り餌台。見えているのは女房の陶芸小屋。

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 ↓ パソコンの前に座っていても鳥が来たのが見える。

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 窓辺であれば、いつでも見れるし、猫に襲われる心配がなく、餌もやりやすい。二三日もすればすっかり認知されたらしく、毎日やってくる。ただし警戒心は強く、写真はなかなか撮れない。それでなくても逆光気味で、私の腕、私のスマホではなかなか良い写真にはならない。

 

 ↓ たぶんシジュウカラ

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 やってくるのは今のところ、シジュウカラヒヨドリと時々オナガ(かと思われる)の三種。

 

 ↓ たぶんヒヨドリ(?)

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 ↓ 同上

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 これから季節の移り変わりによって種類も変わるかもしれないが、雀が来ることはあっても、(食性からして)カワセミアカショウビンが来ることはありえない。田中一村がよく描いたアカショウビンはこの近辺でも見かけることがあるらしいが、私はまだ見たことがない。一度でいいから見てみたいものだ。

 

 餌に関しては今のところ適当で、パン類や女房の食べ残したクッキー、ビスケットなどを砕いてやっている。残りの飯粒も食べる。たまに柑橘類の半切りや脂肪なども餌台の釘に刺しておいてやると喜ぶようだ。鳥たちは昼過ぎでも来るが、まだ私が寝ている午前中に来ることが多い。

 室内から外の餌台を見るわけだから、全体としては逆光気味で、あまりよくは見えないが、まあ仕方がない。下にパンくずを巻き散らかしたり、時おり窓ガラスに糞を引っかけるのは困りもんだが、大した問題ではない。

 晩秋になれば今の餌台の場所は女房の吊るす干し柿に占拠されるだろうが、その時はその時でまた考えるしかない。

 

 巣箱を利用するのはこれまでのところ、ほとんどがシジュウカラだが、営巣しない年もある。そんな時、中をのぞいて見ると、古い巣で一杯になっており、それを嫌うのかもしれないと思った。中身を出して空にすると、また新たなつがいがやってくる。どちらが良いのかわからないが、今年もまたとりあえず古い巣を出して、中をきれいにしておいてやる。材料は下の方が猫の毛で、まわりにナイロン(?)の綿毛、そして杉苔など。暖かそうにしつらえてあるものだ。さて今年は巣作りをするだろうか。

 

 ↓ 巣箱の中の古い巣。暖かそうだ。

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 以上記してきたように、私と鳥との関係は淡いものだ。これからもそう深かまりはしないだろう。

 

 イメージとしての翼は好きだが、具体的な鳥そのものを描くことは全くない。まれに山歩きの途中に、鷹などに襲われたのだろうか、散乱したきれいな鳥の羽を拾うこともあり、それを作品に使ったこともある(アッサンブラージュ)。

 

  462 「isolad(V-2 風信))

 2004年 33.3×18.5㎝ パネルにクラッキング・銅版画貼り込み、手彩色・ミクストメディア

 「isolad イソラド」とはアマゾンで長く文明と接触しないで生きてきたインディオの部族のこと。生き残って同じ言語を話すのは、男二人だけ。彼等の部族の未来はない。

 彼等を巡る番組がNHKスペシャルで放映され、またその取材にかかわった沢木耕太郎が『イルカと墜落』(2003年 文藝春秋)を書いている。この作品の元には、そのイメージがある。

 この羽の鳥はカケス。

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  ↓ 468 「蒐集(ishi)」

 2005年 パネル(シナベニヤ)にアクリルクラッキング地、アッサンブラージュ

 タイトル中の「ishi」は1911年に発見され1916年に亡くなったアメリカ先住民の一部族ヤヒ族の最後の生き残りの自称(「イシ」とはヤヒ語で「人間」の意)。

 自分と同じ言語を使う人間が一人もいないという世界! 人類学者のシオドーラ・クローバーが『イシ 北米最後の野生インディアン』(1977年 岩波書店 1991年 同時代ライブラリー)で詳しくその悲劇を報告している。なお、著者の娘がアーシュラ・K・ル⁼グウィン(『ゲド戦記』等の作者)であり、彼女が書いた序文も興味深い。また同書を元にして、手塚治虫は漫画「原人イシの物語」を描いている。

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 したがって、私と野鳥との関係において、今後の展望と言ってとも特にあるわけでもない。まあ生活の中の小さな、ささやかな楽しみの一つではある。

 

 以上、閑話ではあるが、私と自然との関係の一つとして、一度ぐらいは書き留めておきたかったまでである。

 

 (なお、以上上げてきた名称はいずれもアバウトなものである。必ずしも正確ではないかもしれない。私は図鑑好きだが、鳥類図鑑だけは持っていない。中西悟堂の本だけは一二冊持っているが、ろくに読んでいない。長嶋先生、ご指導、よろしくお願いします。)

(記:2020.4.28)

 

 

 

 

秘境ルートの裏山歩き 城山南峰~秋川丘陵~小峰公園 (2020.4.25)

 昨日、所用があって福生に行った。午後3時過ぎの五日市線青梅線で山姿の人を見かけたのは一人だけ。外出自粛には、公共交通機関利用の近郊登山もいやおうなしに含まれるのだろうか。私がそうした山登りになかなか行かない(行けない)のは、自粛でもなんでもなく、ただ単純に早起きができないという情けない個人的事情にすぎないのだが、それすらも「自粛」すべきだというのが、昨今の世情のようだ。反論することもかなわないが、「欲しがりません。勝までは」とか「贅沢は敵だ」といった、かつてあった標語が、大気中に蔓延しているようだ。敵はコロナウィルスという、生物ですらないもの(学者によって異説あり)なのだから、勝てそうもない。

 ともあれ、心身の健康維持、体調管理のために、自宅から歩きでの裏山歩きをしなければならない。「三密」を意識したわけではないが、ルートは弁天・城山エリアから秋川丘陵をつなぐほぼ秘境ルートである。

 

 ↓ ここはまだ歩き始めの、城山への一般ルート。山ツツジ

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 西からの網代城山への登山道に入ってまもなく、うっすらと右に分岐する踏み跡を辿る。

 

 ↓ かすかな踏み跡(仕事道)

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 すぐに小沢にかかる三本の丸木橋

 

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 それを越えて左手の尾根に登る。昔からの仕事道だろうが、数年前に一帯が間伐され、歩きやすくなったようだ。山歩きの対象としてこの小尾根を登る人はまずいない。

 

 ↓ 植林帯の中のかすかな踏み跡。間伐されて、やや明るい。

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 植林帯を抜ければ新緑の広葉樹林帯となり、ほどなく城山と秋川丘陵をつなぐ尾根と合流する。

 

 ↓ 植林帯を抜けると広葉樹の新緑

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 寄り道になるが、一応すぐ先の城山南峰に登る。なんの変哲もない一地点に過ぎないが、かつてはなかった山名表示板がある。裏面には例のよくわからない「東京三五〇」。昨年登った入山尾根でも見たことがあり、その時調べたのだが、何となくいまだに正体不明。

 

 ↓ 網代城山南峰。何の変哲もない一地点。

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 ↓ 山名表示板 裏には「東京三五〇」

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 引き返して、秋川丘陵につながる、ゴルフ場脇の尾根を辿る。手入れはほとんどされていないようだが、トラロープが設置されているところもあり、仕事道としては生きているようだ。ところどころ倒木などもあるが、特に問題はない。コナラなどの新緑が美しい。

 

 ↓ 途中で見かけた藤蔓のⅩ固め!

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 ほどなく秋川丘陵と合流する。ここで「秘境ルート」は終わり。とある送電線鉄塔の基部でイタドリの若芽を採取。たしか前にはワラビが生えていたところだが、今回はない。そういう場所には除草剤が散布されている(?)ようなので、その影響なのか。

 

 ↓ イタドリ(帰宅後)。 うまそうだが、さてどうやって食おうか。

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 秋川丘陵に入ると植林の割合が増え、やや荒れた感じだが、まあこんなもんだ。展望のほとんどない、ゆるやかな上り下りの繰り返し。

 

 ↓ 途中で垣間見た新緑の景。

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 ↓ 途中から見る網代城山(左)と南峰。南峰の左下に延びるラインが登ってきた小尾根。

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 いくつかの鉄塔をこえると、木橋のかかった鞍部。

 

 ↓ 旧小峰峠(?)

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 ここが旧小峰峠なのか。左右ともに荒れ果てており、直下をトンネルが通っているはずなので、辿ってみる気にはなれない。

 そのまま進めば桜尾根との分岐の大きな馬頭観音に出る。そこから下りればすぐに小峰公園。

 

 ↓ 小峰公園桜尾根を下る。数年前に尾根のほぼ全体に木製階段が設置された。

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 ここにも「使用自粛」の表示がなされていた。ちょっとばつの悪そうなバードウォッチャーが一人、目をそらす。

 

 隣の家の娘さんが小さい子を連れてコロナ疎開して来ている。行き場所のない元気あふれるお子さんを連れてこの小峰公園に来てみて、「使用自粛」の表示を見て嘆いていたとの由。都心の代々木公園や新宿御苑などについては、ある程度の規制もやむをえないかとは思うが、こんなめったに人の来ないようなところまで規制するというのも、どうなんだろう。お役所仕事とはいえ、うっとおしいことである。

 体制には逆らいたいが、ことコロナに関しては、逆らいづらい。これからも当分こうした情況は続きそうだが、近郊登山はともかく、せめてほとんど人の来ない裏山歩きは続けたいものだ。

 

 ↓ おまけに、三年ほどまえに撮影した熊のものと思われる爪とぎ跡。近くには熊のものと思われる糞もあった。たまにこんなところまで散歩に来るやつもいるのだろうか。

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