艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

逍遥画廊[Gallery Wandering] - 1

 グループ展が近づいてきた。出品作の選定をしなければならない。DM用の画像も送らなければならない。

 手書きの作品リストノート(手描き文字のデータと手描きの略図入り)と、PC画面の作品リスト(エクセル 文字データのみ)と、作品画像のフォルダの三つを付け合わせながらの作業。もちろん合い間には実物も引っ張り出してきて確認する。寄り道にはなるが、ついでに目についた未撮影の作品にはトレーシングペーパーをかけ、整理する。差し替え可能な額のチェックもある程度やっておかねばならない。それやこれやでなかなか煩雑である。

 

 私は発表、特に個展の場合は、基本的に時系列で出してゆく。会場全体の構成について考えないわけではないが、つまりは作品番号が古い未発表のものから順に出してゆくのである(最近はこの発表の順番待ちの列が長くなっている…)。特に大きな会場の場合や、事情がある場合は別にして、普通は東京と山口で一回ずつ発表したらそれで終わり。そこで売れなかったものは、以後、お蔵入りということだ。ふつう、一週間程度の間にせいぜい二、三百人の人の目にふれるだけである。我ながら、効率の悪いことだ。

 

 最近に限ったことでもないが、このお蔵入りの割合が増えて、収蔵スペースに困っている。自宅の収蔵室とは別に、少し離れたところに倉庫の一画を借りているが、これも種々の事情から、そう永続的なものとは考えられない。

 要するに、絵が売れないのと、発表機会が徐々に減っているにもかかわらず、制作量は減っていない、むしろ増えているということなのである。それはそれで根源的な問題であるが、今ここでそれについて論じようというのではない。

 

 そうして、作品画像のフォルダや収蔵室を行き来しているうちに、ほぼ死蔵状態のそれらのうちの幾つかを、あらためてどこかで公開してみたいという気になったのである。売れた売れないには関係なく、自分でも気になる作品というものがある。そういえば、こんな絵もあったなと思い出す画像がある。気がつくと、それらの作品や画像と小さく対話していたりする。

 

 これまで作品集という形で、なるべく多くの作品の画像を出そうとつとめてきた。ただそれも、種々の事情からとどこおりがち。そもそもほとんど宣伝していない。

 HPで、と思う。だがその肝心のHPのギャラリーのコーナーを、自分では更新できない(費用もかかるらしい)。ある友人はフェイスブックで毎日のように自作を公開している。しかし私はフェイスブックをやっていないし、好きではない。まあ今どき情報発信は、HPよりも圧倒的にフェイスブックなのだろう。SNSの圧倒性をいまさら否定してもしかたがないが、自分の好み、ペースとしてはせいぜいブログまでである。ブログなら日々自分で更新できる。

 そのブログに、新たに作品紹介のカテゴリーを作ってみようかと思うのである。題して「逍遥画廊[Gallery Wandering]」。ちなみに逍遥の英訳としてはstrollとなるのだろうが、この単語には私としてはなじみがない。意味としては逍遥でもあり彷徨でもあるので、Wanderingで妥当だろう。まあ、前後左右に関係なく、ふわふわと自作の森の中を彷徨い、行き暮れつつ、時おり一人つぶやく、といったイメージのカテゴリーである。

 最近は、文章を書く、ブログを更新するという事自体にいささか倦んでいるところがある。まあやってみて面白くなくなったら、それはその時で中断なりサボるなりすればよいと思う。

 とりあえず、始めてみよう。目的は作品(再)紹介。ときには作者と作品の対話が、低く洩れ聞こえてくるかもしれないということ。いざ。

 

 

 「旅人とその景」(566)

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                            2010.10~2011.8  28×24.8㎝

           厚口和紙にアクリルクラッキング地 アクリル・油彩・樹脂テンペラ

                 G.73 「第18回小品展」 2012.1/パレット画廊/周南

              G.75 「タテモノフウケイ展」 2012.6/あらかわ画廊/京橋

 

 グループ展の話があって、急きょ会場スペース等を意識して制作したもので、そうした作り方は、私としては比較的珍しい。

 基底材・支持体としての手漉き厚口和紙にアクリルクラッキング地というのは、それまで何度も使ったことのある組み合わせである。作業工程上、何枚かまとめて作ってストックしておく。地塗層は「クラッキング」というそのままの製品名のアクリル系塗料(主に建物の内装用)だが、それ自体の独特で魅力的な物質感が好きで、時おり地塗層=下色として使う。その独特のテクスチャアのゆえに、特にアクリル以外の絵具を乗せるのには多少の神経を使うが、そう難しいものではない。彩色の前に多少紙やすりをかける。

 クラッキングということのテクスチャア=肌合いの魅力にかなりの部分を負っていることは言えようが、それを活かさなければこの素材を使う意味がないだろう。

 

 絵柄としては結晶化した塔(ジグラット)。たしかバクダットにある塔で、イラクの昔の紙幣の図から持ってきた。塔の持つ垂直性と、螺旋という無限へと至る幾何学性に惹かれるというのは、時代や民族を問わず、人間の本能(的な美への希求)であるらしい。四つ四色の円形はまあ、月か、月のようなもの、か。色はアラブ的ということを意識したのかどうか、記憶にない。たぶんしていないだろう。村上春樹の『1Q84』にも二つの月が出てくるが、それを読んだのはこの絵を描いた後の話。そのずっと以前から同様なモチーフは使っている。

 左下の白い三角形は私の作品にしばしば出てくる形であるが、多様な意味合いを持つ象徴的な記号である。主に墓ないし「死」のイメージ。造形的には右の塔と対応することによって、画面の基本構造を成している。最後にその下にごく小さく人物を入れることによって、この絵は統一的な空間を獲得し、タイトル「旅人とその景」が成立したのであるが、今見れば確かに司修的である。それはまたルドンの「あいまいなもののかたわらに明快な形を置くこと」でもある。

                            2017.2.10