艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

「閑話 私の野鳥雑記」

 田舎育ちの子供の頃から自然好き、山好きだった。だから、地理、地形、地質などに興味を持つようになり、鉱物・結晶・石好きになった。加えて年とともに花、木、キノコ等の植物も、川魚や動物、昆虫類も好きになった。だが野鳥だけは縁というか、関心が薄かった。なじみはあるのだが、要するに生きているそれらを、肉眼でしっかり見ることが難しいからだ。よく見えないものには興味を持ちにくい。野鳥に関しては、同定をほぼ諦めている。

 

 鳥を見る、観察する≒バードウォッチングといえば、高倍率の望遠鏡と望遠レンズをつけたカメラを設置して、ひたすらじっと鳥が来るのを待ち続けるというイメージがある。山の中では、鳥の声に振り仰いでその姿を探して見たところで、容易には見つからない。みつけたと思っても、それは木の間超しに空を背景とした逆光の小さなシルエットでしかなく、色も柄もわかりはしないうちにあっという間に飛び去ってしまうというのが、たいていの場合。したがってバードウォッチャーは、そうした条件を勘案した場所で、望遠鏡とカメラを設置して鳥が来るのを気長に待ち、撮影して、帰宅後、その鳥が何であったのかを図鑑で調べるのだろう。

 私が自然、主に野山にある時は、目的の半ば以上は歩くこと、移動すること。だから、そんな悠長なことはやっていられない。ましてや生来の機械音痴で、カメラ・写真嫌い。ゆえにバードウォッチングとは無縁である。

 

 しかし、終(つい)の棲家になるであろう今のところ(武蔵五日市)に越してきて以来、自然は以前にもまして身近なものとなった。年齢的な、自然な変化でもあるのだろう。庭に木を植え、花を植えた。小鳥が訪れる。季節ごとに鳴き声の変移がある

 だいぶ前に庭に2mほどの高さの棒を立て、餌台を設置した。庭の一画にある女房の陶芸小屋の外壁に巣箱を掛けた。毎年のようにシジュウカラがやってきて巣を作り、卵を産み、雛を育てる。

 

 ↓ 女房の陶芸小屋の外壁の巣箱。下の装飾には意味はない。

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 しかし、餌台に来る小鳥を猫が襲う。手前のモミジの木を利用して巣箱を襲う。わが家の飼い猫のみならず、外猫もまた襲う。本能の為せる技とはいえ、無惨な亡骸を見るのは嫌なものだ。

 何年後かには餌台を廃止した。巣箱は高い位置に移して、手前の大きくなったモミジは切った。鳥は来るが、前にもまして姿は見えにくくなった。あまり面白くない。

                                        

 家にいてよく姿を見かけるか鳴き声によって、多少はわかるのは、シジュウカラ、雀、鴬、ガビチョウ(声は美しいが、特定外来種)、ヒヨドリオナガキジバト(?)、ヒバリ、トンビなど。郭公は近年はあまり声を聴かないようだ。ホオジロメジロ、モズ、カケス、その他、見たり聞いたりしているかもしれないが、確かにそれと同定することはできない。

 夜になれば、ホトトギスアオバズクゴイサギの声を聴く。フクロウは一度近くの裏山歩きをしていた夕方、目の前に翼を大きく広げて突然現れ、ぶつかりそうになって、本当に肝をつぶしたことがあった。近くに巣でもあったのだろうか。

 初めてゴイサギの声を認識した夜は、人間の赤ん坊の泣き声なのか、恋猫なのか、あるいはハクビシンかと、その正体がわからなかった。まさか妖怪でもあるまいがと、ネットで検索してみてようやく知った。酔っぱらった冬の夜の帰り道、頭上を飛びながらのそのギャーギャーという大きな鳴き声を聴くと、あまり気持ちの良いものではない(ゴイサギは夜も飛ぶのである)。

 

 近くの秋川沿いを歩いていてよく見るのは、鴨、白鷺、ゴイサギ、(たぶん)アオサギ、川鵜など。最近オシドリのつがいを、それと初めて確認した。カワセミを見たのは近所では唯一度だけ。本当に碧い瞬間の宝石である。セキレイの仲間は川沿いとは限らず、路上のあちこちで目にする。あの古事記にも出てくる特徴のある腰つきで、道案内するように軽快に跳び歩いている。

 

 ↓ 何年か前に近くの秋川の橋の上から撮ったもの。11月頃か。

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 カラスは言うまでもない。たまにごみ袋をつつき散らかす困り者だ。オオタカ(?)と思われる猛禽類が電柱の上にとまっているのを見たこともある。写真も撮ったのだが、どこかに行ってしまった。

 燕はどこにでもいるなじみ深い鳥。ついこの間まで、五日市駅とその周辺の高架下にたくさんの巣をかけて、その雛鳥を見るのが楽しみだったが、今は全体にネットが張り巡らされて寄り付けなくなった。人間の都合だが、せちがらくて、悲しい。ウズベキスタン(だったと思う)や他のいくつかの国では、モスクや他の建物の中にも巣があり、保護していたように見えたのに比べて。

 

 近辺の山歩きをしていれば、上記の鳥たちとはまた別に山腹で餌をあさるヤマドリや雉、鶉、コジュケイなどを見ることもある。コゲラ類のドラミングもよく耳にする。樹上で鳴きかわすたいていの鳥については、ほとんど知るところがない。北アルプスライチョウイワツバメ妙高の夜鷹、宮崎県の山でのホシガラスなどと、範囲を広げていけばきりがない。

  

 二週間ほど前にふと思い立って、アトリエの窓辺に手作りの餌台を設置してみた。せっかくだから、もう少しよく見てみたいという気になったのだ。

 

 ↓ 手作り餌台。見えているのは女房の陶芸小屋。

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 ↓ パソコンの前に座っていても鳥が来たのが見える。

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 窓辺であれば、いつでも見れるし、猫に襲われる心配がなく、餌もやりやすい。二三日もすればすっかり認知されたらしく、毎日やってくる。ただし警戒心は強く、写真はなかなか撮れない。それでなくても逆光気味で、私の腕、私のスマホではなかなか良い写真にはならない。

 

 ↓ たぶんシジュウカラ

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 やってくるのは今のところ、シジュウカラヒヨドリと時々オナガ(かと思われる)の三種。

 

 ↓ たぶんヒヨドリ(?)

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 ↓ 同上

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 これから季節の移り変わりによって種類も変わるかもしれないが、雀が来ることはあっても、(食性からして)カワセミアカショウビンが来ることはありえない。田中一村がよく描いたアカショウビンはこの近辺でも見かけることがあるらしいが、私はまだ見たことがない。一度でいいから見てみたいものだ。

 

 餌に関しては今のところ適当で、パン類や女房の食べ残したクッキー、ビスケットなどを砕いてやっている。残りの飯粒も食べる。たまに柑橘類の半切りや脂肪なども餌台の釘に刺しておいてやると喜ぶようだ。鳥たちは昼過ぎでも来るが、まだ私が寝ている午前中に来ることが多い。

 室内から外の餌台を見るわけだから、全体としては逆光気味で、あまりよくは見えないが、まあ仕方がない。下にパンくずを巻き散らかしたり、時おり窓ガラスに糞を引っかけるのは困りもんだが、大した問題ではない。

 晩秋になれば今の餌台の場所は女房の吊るす干し柿に占拠されるだろうが、その時はその時でまた考えるしかない。

 

 巣箱を利用するのはこれまでのところ、ほとんどがシジュウカラだが、営巣しない年もある。そんな時、中をのぞいて見ると、古い巣で一杯になっており、それを嫌うのかもしれないと思った。中身を出して空にすると、また新たなつがいがやってくる。どちらが良いのかわからないが、今年もまたとりあえず古い巣を出して、中をきれいにしておいてやる。材料は下の方が猫の毛で、まわりにナイロン(?)の綿毛、そして杉苔など。暖かそうにしつらえてあるものだ。さて今年は巣作りをするだろうか。

 

 ↓ 巣箱の中の古い巣。暖かそうだ。

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 以上記してきたように、私と鳥との関係は淡いものだ。これからもそう深かまりはしないだろう。

 

 イメージとしての翼は好きだが、具体的な鳥そのものを描くことは全くない。まれに山歩きの途中に、鷹などに襲われたのだろうか、散乱したきれいな鳥の羽を拾うこともあり、それを作品に使ったこともある(アッサンブラージュ)。

 

  462 「isolad(V-2 風信))

 2004年 33.3×18.5㎝ パネルにクラッキング・銅版画貼り込み、手彩色・ミクストメディア

 「isolad イソラド」とはアマゾンで長く文明と接触しないで生きてきたインディオの部族のこと。生き残って同じ言語を話すのは、男二人だけ。彼等の部族の未来はない。

 彼等を巡る番組がNHKスペシャルで放映され、またその取材にかかわった沢木耕太郎が『イルカと墜落』(2003年 文藝春秋)を書いている。この作品の元には、そのイメージがある。

 この羽の鳥はカケス。

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  ↓ 468 「蒐集(ishi)」

 2005年 パネル(シナベニヤ)にアクリルクラッキング地、アッサンブラージュ

 タイトル中の「ishi」は1911年に発見され1916年に亡くなったアメリカ先住民の一部族ヤヒ族の最後の生き残りの自称(「イシ」とはヤヒ語で「人間」の意)。

 自分と同じ言語を使う人間が一人もいないという世界! 人類学者のシオドーラ・クローバーが『イシ 北米最後の野生インディアン』(1977年 岩波書店 1991年 同時代ライブラリー)で詳しくその悲劇を報告している。なお、著者の娘がアーシュラ・K・ル⁼グウィン(『ゲド戦記』等の作者)であり、彼女が書いた序文も興味深い。また同書を元にして、手塚治虫は漫画「原人イシの物語」を描いている。

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 したがって、私と野鳥との関係において、今後の展望と言ってとも特にあるわけでもない。まあ生活の中の小さな、ささやかな楽しみの一つではある。

 

 以上、閑話ではあるが、私と自然との関係の一つとして、一度ぐらいは書き留めておきたかったまでである。

 

 (なお、以上上げてきた名称はいずれもアバウトなものである。必ずしも正確ではないかもしれない。私は図鑑好きだが、鳥類図鑑だけは持っていない。中西悟堂の本だけは一二冊持っているが、ろくに読んでいない。長嶋先生、ご指導、よろしくお願いします。)

(記:2020.4.28)