今回は繭と人物を描いた絵を5点(+油彩作品1点+参考図版1点)。
人物の性別はあいまいである。
繭とは書いてみたが、はたしてそれは繭なのか。
形と意味からすれば、「卵」でも良いような気もする。
しかし私にとって、そのイメージに最も近いのが、ヤママユガ(山繭蛾 天蚕)の繭なのだ。ウスタビ蛾の黄緑色の繭のイメージも重なる。いずれも近所の山歩きでよく見かける繭。私はそれらの形状、色合い、風情が好きで、巣立って下に落ちているのをよく拾う。たまにボックスアート形式の作品などに使ったりする。
私は昆虫愛好家ではないが、繭という存在、在り様には強い魅力を感じる。それは変容ということの、現実態だからである。卵から生まれ、芋虫や毛虫の時期から、蛹とそれを包む繭の時期をへて、やがて空に舞い立つ蝶や蛾へと、文字通り変化・変身・変態(metamorphosis)することの不思議さ。
それは例えば、村上春樹の『1Q84』や『騎士団長殺し』の中で、何の説明も解決もされぬまま、そのくせどう見ても物語の核心を蠱惑的に象徴するイメージとして、読者の前に投げ出されたまま強烈な魅力を放射させていることからもわかるように、ある種の人々を惹きつける魅力を持っている。
解決不可能、説明不能の要素(構造的不条理)を物語中に持ち込むというのは、ファンタジーにのみ許される手法であり、多ジャンルでは禁じ手であったはずだ。だが、いつの間にか村上春樹やそれに続く純文学の書き手によって一般化されることによって、文学の世界を広げもした。そしてそのことで、同時に小説の論理的快楽の水準を下げたというのが私の考えだが、それはまあここでは置くとしよう。ただし、そうした手法は美術の世界では、シュールレアリズムや形而上絵画以来、一般的な手法となっているということは、この際確認しておいても良いかもしれない。
ともあれ、それは壺中天、すなわち桃源郷や閉ざされたユートピアにも通じる、異界を感じさせる装置でもある。
言うまでもないが、現実の繭という具体物を描こうとしたわけではない。描き始めの意識としては、結晶・鉱物質の硬質で直線的な形体と、有機的な人体の形とを、繋げ、とり結ぶ要素としての(準幾何学的な)曲線的な形状、すなわち「繭のような形」だったのだ。むろん描き始めから、それが繭のような形だとは意識していた。それならいっそ、意味として繭ということにしてしまおう、といった感じなのである。
こうした繭型、卵型の形と、その中にいくつかの要素を入れ込むといった感じの作品は昔から時おり描いていた。それは時には「琥珀」であったり「水晶」であったりした。それらは共に、時おり何か異物を内包していることがある。若い時に知った中西夏之の「コンパクト・オブジェ」の影響もあったのだろうと、今、思い当たる。
↓ T126.「琥珀-3」
1990年 F8 自製キャンバス(麻布にエマルジョン地)、樹脂テンペラ、油彩 個人蔵
琥珀の中には時として植物や昆虫などを内包しているものがある。そうしたことを知識として知っていて、イメージを喚起されたのだろうか。要は閉じた世界の中に、何事かを内包しているということ。
今は海外で買った琥珀をいくつも持っているが、当時は持っていなかった。この前後、鉱物名を付けたドローイング作品を多く制作しており、それらと連動した作品。
↓ 中西夏之 「コンパクト・オブジェ」
1960年代 ポリエステル樹脂
↑ 色々なもの/オブジェをポリエステル樹脂で封じ込んだ作品。当初はもっと透明感が強かったように思うが、合成樹脂は次第に経年変化により劣化し、茶ばんだような色になる。当時の「現代美術」としては何か、生物的というか、生理的というか、そんな趣きがあり、わりと好きだった傾向の作品の一つ。ただし当時見ていたのはこの作品ではない。これはこの稿を書くにあたってネット上から拾ってきたもの。
いずれにしても、やはり私には、どこか壺中天志向とでもいった要素があることは、自覚している。
小ペン画のシリーズには、ここに上げた以外にも、「繭」をモチーフ(の一部)として扱った作品はいくつもある。また、別の角度からそれらを取り上げることもあるかもしれないが、今回はいったんここで筆をおこう。
以下、作品紹介。
↓ 27. 「驚きのドラマ」
2019.7.6 11.9×8.3㎝ ファブリアーノクラシコ?に膠引き ペン・インク
全体が演劇の舞台空間のように見えたので、付けたタイトルだが、ちょっと苦しいか。
小ペン画を描き出した当初は、タイトルを付けるという発想を持っておらず、いくつかのものを除いては、とくにタイトルを付けていなかった。「無題」でもかまわないかと思っていたのだが、その後作品数が増えるにつれて、必要性を感じはじめ、後になって一つ一つタイトルを付けていった。そのため、いくつかの作品には、どうにも据わりの悪いタイトルが付いてしまったものもある。これもその一つだが、小ペン画のシリーズでは一番早く繭形が登場した作品なので、上げておく。
↓ 34. 「繭に入る」
2019.9.18 13.7×8.8㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク
硬質な鉱物結晶の構造物の仄暗い空間を背景として、繭がある。その中に、多少のあらがいを見せつつ、次第に吸い込まれてゆく、といったイメージ。
↓ 37. 「まどろみ」
2019.9.19 13.3×8.8㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク・鉛筆
いくつかの結晶といくつかの繭。それらにもたれてまどろむ人物。異様に長い右腕を描くときには、不思議なエクスタシーのようなものを感じた。この頃からペン特に丸ペンの使い方に急速に慣れてきたようだ。今見直してみると、背景の扱いが今一つだったようにも思われる。
↓ 38. 「繭の中でまどろむ二人」
2019.9.20 13.5×8.9㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク・鉛筆
繭の中の二人を男女と見てもよいが、特にそういう意図はない。まどろむことのできる閉じた世界。
↓ 43. 「蜜色の繭の中で」
2019.9.22 11.4×9.5㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク・鉛筆・色鉛筆・顔彩?・ガンボージ?
中ほどの黄色はガンボージ(植物性の樹脂染料)だったと思うが、はっきりしない。殉教図のような、拘束されたような姿態。まわりの数多くの幾何学的、装飾的図形をどう見るか。
(記:2020.4.28-5.1)