艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

逍遥-2 「アルメニアの切手」(1922年 ♯300.304~306)

*これも「逍遥-1」と同様に2006年に旧HPに載せていたもの。とりあえず再録してみる。

  画像をクリックすると拡大します。

 f:id:sosaian:20150329173320j:plain

 逍遥-1に関連してアルメニアの切手を取り上げる。

 図版の切手は1922年発行の、未使用とも言えるが、実際には使用に供されなかったものである。実際に流通したものには加刷(overprintないしはsurcharge)といって、この切手の場合には手押しの改訂後の価格が押印されている。コレクションアイテムとしての市場価格もそちらのほうがだいぶ高い。

 そうした背景には第一次独立時(1918~1922年)の民族主義者と共産主義者の複雑な抗争がある。最近トルコのEU加盟に関連して取りざたされているトルコ人によるアルメニア人虐殺はこの時期のこと。

 ともあれ第一次アルメニアのように「かつて地球上に存在し、切手を発行しながら、何らかの理由で消滅してしまった国々」(註1)すなわちデッド・カントリーとよばれる国・地域のものには独特の味わいがある。近年のソ連や東ドイツ、南ベトナムなどもデッド・カントリーである。とは言え、その味わいが充分発酵し高い香りをはなつようになるにはおのずと一定の鎮魂と熟成の年月が必要であろう。

 いずれデッド・カントリーが発生する背景には地理的、歴史的、民族的、宗教的等々のさまざまな要因が存在する。そしてその複雑な背景が屈折した情念を放射することによって濃厚で面白い「絵」が生まれるというのが私の密かな説なのだが、どうだろう。

  左上はアララット山上の星と、手前のお決まりの鎌とハンマー。ノアの箱舟の漂着したというアララット山はアルメニア人にとって特別なものらしく、様々な場面に登場する。しかし御承知のようにアララット山は現在トルコ領であるという皮肉。

 右上はセバン湖であろうか、ボートを漕ぐ人。

 左下は神話上の怪鳥「ハービー」を描いたもの。

 右下は種撒く人。

 いずれの絵も奇怪というか、プリミティブというか、古拙な手描きの味わい(?)のある絵である。

 独立後間もない国や発展途上の国では多くの場合、当初は切手や紙幣の発行を他の印刷技術の発達した国に注文するのが普通である。しかしアルメニアにおいては、少なくともそのデザインはアルメニア人自身の手になるもののように思われる。私はこの原画を描いた人物のことを知りたいと思う。これもデッド・カントリーの一つである第一次チェコスロバキアの独立後最初の切手(一番切手という)等の原画を描いたミューシャのようによく知られた例も無いわけではない。しかし一般的には切手の原画制作者について知られることは少ない。だが今回取り上げた切手のように、切手というパブリックなメディアでありながら、その国の表情がその背後の原画制作者の個性とあいまってこそ強烈に発揮されるということも、時としてある。

 1921~1922年のわずか2年間に発行された20数種の切手は、他の国のいずれとも似ることのない、まさにアルメニア的としか言いようのない複雑で濃厚な香りを今も放ち続けながら、見知らぬ一人のアーティスト=原画制作者へと思いを馳せさせるのである。

 

註1 「デッド・カントリー 切手の中に生きる国々」 『世界・切手国めぐり』 斎藤毅 1997年 日本郵趣出版会 p232

                                 (記 2006.6.2)