[*2022年8月19日にFBに投稿したものの再録です。だいぶ前のものですが、ブログにアップしそこなっていました。]
昔から夏は苦手。暑い日が続くと、魂の3割と知性の4割がたは、溶け出していく。
「夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 水芭蕉」。山には行きたいが、実際問題として、山に行く気力その他がない。
もう一つ、夏といえば海か。子供の頃、海にも行ったが、その何十倍も川で遊んだ。日本で海水浴にはもう何十年も行ってないが、なぜか海外だと何回か行っている。山と違って、30分もすれば退屈してしまうのだが。
そんなことで取り上げる今回の「旅のカケラ」。(3月のことだが、赤道に近い常夏の国の話だから、まあ、良しとしよう。)
11年前、2011年3月、辞表も出し終えた勤務先の大学の早期退職も目前の、キューバとメキシコへの旅。東北大震災の悲報は旅先で、曖昧な情報として知った。
先住民のジェノサイドと奴隷使役による植民地経営という歴史の闇を背景とした、その自然と風土の美しさは際立っていた。キューバは輝かしい革命の成功例であり、世界で最も差別の無い平等な社会を実現したが、それは貧しさに裏打ちされたものだった。
ソ連崩壊以後、対アメリカ関係に因る貧しさの増進は、われわれの行った頃には改善の兆しが見え始めていたが、その後のトランプ政権により再び逆行した。
何処へ旅しようと、最低限の歴史は事前に学んでおくべきだ。そうでないと、風土や自然の美しさは、本当の意味では見えてこない、味わえないものだ。
旅そのものは人の為すことだから、さまざまな要因によって、その味わいを変える。だが「旅のカケラ」は旅の全体を語るものではなく、あくまでカケラ-断片のささやかな輝きを愛でるもの。
1. カリブ海に面したサリーナ島。
ここにも実は外国人優先・特別待遇=外貨獲得といった貧しさの構造があるのだが、写真には写っていない。同行者はそのことに気づかないのか、意識できないのか。
ともあれ、カリブ海は碧く美しかった。私の髪もまだ黒く、腹もまだまだ美しかった。
2. サンタクララ近郊のパルケニーチョという山の中の渓谷の滝を見に行ったら、先客の現地のファミリーがいて、なぜか一緒に泳ぐことになった。田舎の川を思い出した。
3 セニョリータを中心に、ファミリー、一族全員集合。同行の若者二名と、現地で知り合った若い日本人学生も一緒。
うん?このパンツは私のものではない。誰に借りたんだろう?
4. 南岸の町トリニダーにて。
街角で一服していたら、おばちゃんが寄ってきて、「火を貸して」。私がくわえているのは安い現地の葉巻。高い(上質な)葉巻は輸出用で、現地の人は吸えない。
5. 「どっから来たの?」「日本から」「日本って、中国のどこ?」てな会話を交わしたような。
6 同じくトリニダーの街角で、同行のメンバーが落としたコンタクトレンズを探している。あるある。
7. 「あ~!動かないで~!!」とかやっていると「なんだ、どうした?」と、だんだん人が集まってきた。みんなヒマなもんで。
8. 世界中どこに行っても猫はいる。
(記・FB投稿:2022.8.1)