艸砦庵だより

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「旅のカケラ‐動物篇①/山羊・羊」

 [*2022年12月1日にFBに投稿したものの再録です。]

 

 先日、カモシカと山羊の写真をアップした。山好き旅好きだから、その副産物として、時おり動物を撮るということはある。

 ふと思い立って、過去の山や旅の写真を整理かたがた少し見直して見たら、思っていた以上にいろんな動物を撮影していた。必ずしも野生動物ばかりではないが、動物園のそれや、ペットは撮っていない。野生動物と出会うことはあっても撮影できる確率は低い。

 そもそも、率直に言えば、私は動物好きではないのだ。

 私の実家は代々農家だった。子供の頃は牛と鶏を飼っていた。牛は農耕用兼堆肥を取るため。春の苗代掻きで鍬を引かせ、重石代わりに鍬の上に載せられた記憶を持っている人は、世代的にも多くはいないだろう。昭和30年代半ばまでの話。以後は耕運機。

 ある程度以上大きくなれば、おそらく食肉用として売った。鶏はもちろん卵を取るためで、半分ぐらいは近所の人に売っていたようだ。年とって卵を産む率が悪くなれば、しめて食べていたのだろう。つまり家畜として飼っていたのである。

 イタチは鶏を殺し、モグラは畑を荒らし、水田の畔を壊す。山に近い親戚の田畑は猪や猿に荒らされる。野生動物は基本的には敵であった。

 私と動物との関係は、そこがベースである。子供時代に愛玩用(ペット)の動物を飼ったことはない。人がペットを愛玩することについてとやかく言う気はないが、愛玩用に動物や生き物を飼うという趣味嗜好は、私にはなかった。

 結婚した女房が猫好きで、嫁入り道具に猫を持ってきたばかりに、猫だけは仕方なく(?)好きになった。歳と共に、動物も良いな、可愛いなと思うようにもなったが、基本的なスタンスは変わらない。それを前提としての、人と動物との共生であろうと思う。

 まあ、そんな感じで、旅先で出会った動物たち。当初は国内の野生動物だけと思っていたが、さすがに数が少なくバリエーション不足なので、海外も含め、家畜類まで含む。

 

 

1.  中国青海省で見た放牧されている羊の群。2005年8月。


 青海省は全体が高原状だが、標高の低い所では羊、高い所つまり餌となる草の少ない所では山羊だとのこと。山羊の方が粗食に耐えるのだそうだ。

 

 

2.  2009年9月、トルコの小さな地方都市サフランボルにて。


 この写真を見てもそうだが、山羊と羊の違いというのがよくわからない。どちらも偶蹄目牛科で、調べてみるといくつかの違いがあげられてはいたが、実際には多くの種類がいて、典型的なもの以外は区別がつけにくい。
 羊はキリスト教で神聖視されるが、山羊は悪魔と同一視される。その違いは分かりにくい。
 トルコもイスラム圏なので、基本豚は食べず、牛は高価なので、食肉は鶏か羊。

 

 

3.  同じくトルコのカッパドキアの民家の庭先で飼われていたもの。


 これだと明らかに羊毛用だとわかる。口元だけ黒いのはなぜ

 

 

4.  2018年6月、ウズベキスタンのブハラからヒヴァへの移動中に見たもの。


 ほぼ砂漠地帯の数十頭規模の群。中の黒いのは羊、左は山羊のように思うが、混在させているのだろうか。

 

 

5.  2013年3月、インド、ベナレスにて。


 聖なるガンジス河の畔、聖地ベナレスには膨大な数の巡礼やら聖者やら死者やら観光客やらが集まってくる。神の使いとされる牛は言うに及ばず、犬やら猫やら猿やらこのような山羊?羊?も集まっている。首輪などもつけておらず、野良なのか、飼われているのかわからない。
 犬や猫や牛が路地に捨てられた残飯を食べているのは見かけたが、山羊の食べそうな草などは生えておらず、やはり誰かが餌をやっているのだろうか。
 いずれにしても、誰にも何事にも脅かされることなく、都市の雑踏の中で、聖なるガンジス河を見つめている。なにやら「聖家族」といったおもむきである。

 

 

6.  同上。


 こちらは乳房が垂れ下がっており、少し年とった雌。あるいは晩年に当たっての己の輪廻転生を瞑想しているところなのか。
 ヒンドゥー教徒は、牛も豚も食べないことになっている(実際にはそうでもないらしい)。ミルクや鶏肉、卵は食べるようだが、より戒律の厳しいシーク教徒や、基本的に「生物(いきもの)を食べない・火を使わない」という過激なジャイナ教徒を含めて、ベジタリアンの絶対数が多いのは確かだ。

 

 

7. 子羊?子山羊?ガンジス河岸を歩く。


 子供は何の子供でもやはり可愛い。私も生まれ変わって大金持ちになったら、こんな子山羊を飼ってみたいかもしれない。

 

 

8.  2005年8月、中国甘粛省敦煌から青海省(旧チベット領)まで、蒙古族の留学生二人と息子(当時大学生)との旅。


 青海湖の近くにはヤクや羊を連れたチベット(蔵)族の遊牧民が集まって、点々とテントを建てていた。チベット族は同行の蒙古族の学生にとっても異民族だが、少数民族同士のよしみはあるらしい。そんな話をしていたら「先生、あそこに行ってお茶を飲みましょう」ということになった。
 いきなり上がり込んで(?)お茶を御馳走になる。以前に内蒙古に行った時にもそうだったが、遊牧民には遊牧民同士の仁義(?)があるらしい。
 お茶は一見レンガのように見えるカチカチに固めた「磚茶」。燃料は乾燥させた羊の糞。鞴(ふいご)で風を送る。薪になるような樹木はない草原のこと、場所によっては牛糞だがここではコロコロと丸い羊の糞。圧縮した干し草だ。特に匂いもしない。

 

 

9.  傍らではわれわれの訪れる前からソーセージを作っていた。


 関係ないけど、チベット族のお祖母ちゃんの髪型がナイス!

 

10.  たぶん孫と一緒に羊を解体し、草食動物特有の長い小腸を広げ、細かく刻んだ肉片、血、塩等を詰めていく。


 日本のマタギの作る「ソロソロ?(腸詰)」や『世界屠畜紀行』(内澤旬子 解放出版社 角川文庫)などで、解体・加工のありよう、腸詰の作り方は知識としては知っていたが、見るのは初めて。食べてみたいものだ。

 

 

11.  これは小腸を扱っているのか、腱を扱っているのか、よくわからないが、お祖母ちゃんのドレッド風の髪と、首から下げた数珠(むろんチベット族だからチベット仏教徒)と、編み物か綾取りをしているかのような小腸あるいは腱の三つの要素が奇妙にシンクロしている。


 ちょっと絵にしてみたい。

 

 

12.  2015年、モロッコのフェズで食べた羊頭料理。


 二つ切(逆兜割)にして(たぶん)ローストしてある。写真がピンボケなのが残念。
 羊肉は中国その他で良く食べたが、羊頭料理(?)を食べたのは、2005年の敦煌が始めて。朝飯の屋台で二つ切りの羊頭がゴンと入った丸煮スープ?を丼で食べたが、写真は撮っていない。味は悪くないがけっこうな獣臭で、見た目もあって、完食するのがしんどかったことを覚えている。
 フェズのレストランでこれがメニューにあるのを見て、今度はローストだし、何事も経験だ(?)と思って、注文してみた。

 

 

13.  なんとかほぼ完食したが、はっきり言って臭いし、そう美味しいものではなかった。食べる部分も少ない。


 マグロの兜煮や、魚の頭は煮ても焼いてもだいたい美味しいし、好きだが、抵抗感も含めて、羊の頭はもういいかな。

 

 

14.  これは食用ではなく薬用として売られていたもの。2007年、貴州省


 貴州省は中国内陸部の、少数民族が最も多く住んでいる、確か最も(?)経済的に貧しい省。その分、野性と伝統的な習俗が多く残っていた。
 左の羊?山羊?カモシカ?は角を粉末にして服用するようだ。日本でも鹿の角は心臓病に良いとか言っている。
 その右は熊の手だろうか。これ以外にもありとあらゆる動物・生き物・植物・鉱物まで薬用として売られていた。実は明らかに売買が禁止されている虎?象牙?犀の角?センザンコウ?その他もあったのだが、それは「撮影するな!」と言われた。
 それにしても偉大なる医食同源の中国。

(記・FB投稿:2022.12.1)