艸砦庵だより

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山歩記「奥羽山脈 面白山」(2023.5.26)

 ここニ三年恒例化している東北山形への、山と石仏の旅。

 前日山形入りし、山形駅周辺の石仏を少し見て歩いた。案外面白いものがあり楽しめたが、写真の分類整理はまだまだこれからで、今回は紹介できない。

 5月26日朝、仙山線面白山高原駅で降り、すぐに登り始める。カモシカコースという標高差864mの急登と評判の直登尾根。終始ブナを主体とする樹林帯。ハルゼミと鳥の声その他でやかましいぐらいだ。

 

 ↓ 登り口が少しわかりにくかったが、尾根に登れば後は明瞭で歩きやすい路が上まで続く。ブナを主体とした樹林帯。まだミズナラも多い。見慣れぬ花もそこそこあったが、良い写真は撮れず。

 

 

 ↓ ようやく主稜線が見えた。頂上かどうかはわからないが、もうすぐだ。

 

 

 最近は登山力の低下=老化≒劣化の自覚が著しく、果たして登れるのか自信はあまりなかったが、結果的には3時間ほどで何の問題もなく登ってしまった。おお、俺はまだやれるではないかという自惚れがきざすが、すぐに謙虚に反省する。

 

 ↓ 頂上直下の主稜線に乗る。主稜線からは展望が開け、奥羽山脈を実感できる。鈍重にして重厚。見えているのは大東岳だろう(?)。魅力的だ。



 ↓ 面白山山頂、1264.3m。三角点のかたわらには「面白山大権現」の碑。帰宅後調べてみると、どうやら昭和56年に担ぎ上げられたもののようだ。

 

 今回知った事の一つに、石質のせいか、山形周辺では幕末前後(?)ごろから自然石をこのように平らに磨くという技術があったようで、一見新しいもののように見えても実際には必ずしもそうとは言い切れないものがあるということ。また下山に歩いた紅葉川の支流の権現沢の中流には年代は不明だが、「面白山大権現」や「山寺堰源流」と刻まれた古い石碑群があるそうだ。

 なお写真には写っていないが近くには2体の現代の小さな地蔵があったが、まあなくもがなというのが素直な感想。

 

 

 ↓ 風景ばかりなので、安否確認用の一枚。例によって、への字口。ワークマンのシャツも気に喰わないが、この写真しかないのですみません。本当はもう少し良い男です。

 

 

 分水嶺=脊梁山脈の奥羽山脈に位置する静かな山頂をしばし味わった後、下山は長佐衛門平から紅葉川(?)沿いのブナ林帯を下る。このブナ林帯が、過去体験した中でもベスト3に入ろうかという樹林美。ああ、森は良い。

 

 ↓ 下山は長左衛門平から紅葉川沿いに下る。台地状の素晴らしい樹林帯だった。曇り気味のせいもあったが、例によって私の腕とカメラではその美しさはとても表現しきれない。台地状から沢沿いに、渡渉、危なっかしい吊橋と、変化のある下山路だった。

 

 ↓ 下流にあった吊橋。吊橋ではあるが見れば妙に危なっかしい鉄パイプの橋桁(?)が支えているのか?かえって怖くなりますね。

 

 ↓ 渡り終えて振り返って見ても、全然大丈夫なのだが、やはり少し怖い。

 

 

 辿り降りた面白山高原駅近くでふと目にしたのが、今回のテーマの一つであった姥神。頭部は失われ、風化も激しいが、私にとっては初めて見るもの。一説によれば修験道とこの山のかかわりを示すものであるらしいが、それはそれとして、私は少しばかり感動した。

 

 ↓ 頭部は失われているが、やや左足を立て気味にし、両ひざに手をあて、胸をはだけ萎びた乳房を見せるという、姥神の特徴は見て取ることができる。凝灰岩のため、風化剥落は激しく、年記等は見当たらなかったが、本来の女人禁制の結界を示すというオーラは今も発しているようだ。

 特に山形では修験道の山に姥神はつきものという説もあり、実際のところは私にはまだわからないが、一理あるように思われる。また本来この山域での修験道の中心は最高峰の面白山ではなく、水源ということからも近くの南面白山であったらしく、位置的にこの場所は妥当である。

 今回の旅で姥神(と思われるもの)は4体見たが、それらについても今後考察してみたい。

 

 今回山中で出会ったのは単独行の二人だけ。登山としてはそう面白いルートでもなかったが、何はともあれ、初夏の静かな東北の山を堪能した。

 翌日から、水晶山667.9m、裏山というべき舞鶴山225.9m、同じく楯岡山233mと、上まで車で行った標高差120mのカンニング的観光登山というべき蔵王山1841mと連日登ったが、さてどこまで紹介できるだろうか?

 

(記・FB投稿:2023.6.6)