艸砦庵だより

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「石仏探訪-19 羽村・福生の石仏探訪と水族館劇場」

(* 最近、フェイスブックへの投稿が主となり、ブログへの投稿をサボり勝ちでした。FBをやっていない人もいるので、これではいけないと反省?し、一度FBに投稿したものではありますが、時間のある時に、こちらにもコツコツと(再)投稿しますので、御了解下さい。)

 

 5月8日午後、秋川駅前の歯医者で治療。予想以上に早く終わったので、羽村に石仏探訪に向かう。羽村は近くではあるが、そこに行くことを目的として行ったことはまだない。

 羽村市の石仏に関する資料は持っていなかったが、たまたま「日本の古本屋」で注文した『羽村町の板碑・石仏 羽村町史史料集第1集』(1976年 羽村教育委員会編)が午前中に届いていた。出がけにさっと目を通し、「全く石仏がない」ということはないということだけは確認しておいた。

 行ったのは、羽村市の稲荷神社、禅林寺、聖徳神社、宗禅寺と、福生市の永昌院、神明社、長沢薬師堂と長徳寺墓地。このうち、禅林寺、宗禅寺、永昌院、長徳寺墓地には、それなりに面白いものが結構あり、楽しめた。それらの内のいくつかを紹介する。

 

 禅林寺には境内の石仏群ほか、いくつかの石仏があり、楽しめる。

 

 ↓ 禅林寺境内の石仏群。馬頭観音、地蔵、庚申塔如意輪観音、など。

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 ↓ 庚申塔青面金剛立像、一面四手、三猿。

 剥落して像容は見づらい。資料には邪鬼とあるが? 三猿のポーズが面白い。 

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 ↓ 禅林寺左奥に3基あるうちの一つ。自然石に「金龍王」。水神で良いのだろうが、「金龍王」と彫られているのは初めて見た。

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 ところでこの寺は中里介山ゆかりの寺だということを、現地に来て初めて知った。中里介山の『大菩薩峠』は文庫本で20数冊という長大でしかも未完の大作だが、完読した人はごく少ないらしい。しかし私は完読した。最初の数冊は普通に面白いのだが、それ以降は介山特有の仏教思想と相まって、何が何だかよくわからない世界に入っていき、その辺で挫折するらしい。私は意地と根性で読み通したが、結局よくわからないままである。

 宮沢賢治も連載中の「大菩薩峠」を愛読し、それに題材をとった作品も書いていた。賢治が完読できなかった「大菩薩峠」を私は完読したのだから、まあそれで良しとしようなどと、非合理的な感慨を持ったりする。

 ともあれ、そこの墓地には介山の墓もあるはずだが、墓地が少し離れて分散していたりして、結局見つけられずに諦めた。ここはもう一度来る必要があるか。

 

 次いで訪れたのは宗禅寺。ここにも「心経塔」ほか、いくつかの興味深い石仏がある。

 

 ↓ 宗禅寺境内の石仏群の一つ「心経塔」。

 この文字が刻まれた塔は珍しい。羽村にはもう一つあるそうだ。心経とは般若心経のことで、昭和30年代まで心経講があったとのことである。

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 また、それらとは別に双体道祖神があった。驚いたが、よく見るとそれは今出来のものらしく、土地の信仰民俗とは関係なさそうだ。別に阿弥陀三尊を刻んだものもあるが、表情等見ると同じ作者のもののようだ。可愛いお地蔵さんや、よくわからない新しい像が据え付けられているのもよく目にする。寄進者(?)の意識などはわからぬが、それを受け入れる寺側の見識も問われる。やはりこうしたものは、土地の歴史や宗旨などとの関係あってのものであって欲しいと思うのだが、寺には寺の言い分もあるのだろう。

 

 ↓ 双体道祖神(新しいもの)

 宗禅寺の境内には別にもう一つ似たような双体道祖神阿弥陀三尊像の石仏があるが、いずれも同一作者と思われる新しいもの。女神の髪型を見ても現代的。このような信州系の双体道祖神は多摩地区にはもともと存在しない。寄進者の意識などはわからぬが、それを受け入れる寺側の見識も問われる。やはりこうしたものは、土地の歴史や宗旨などとの関係あってのものであって欲しいと思うのだが、寺には寺の言い分もあるのだろう。

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 なお、石仏とは関係ないのだが、隣接する駐車場に大きな構築物が建てられつつある。少し前に聞いていた「水族館劇場」が舞台を作っているのだ。水族館劇場は40年以上前の伝説の(?)アングラ劇団「曲馬館」から始まり、今なおアングラの王道を走り続けている劇団。曲馬館時代、今も水族館劇場の看板女優たる千代次さんが私の幼なじみと結婚していたことから、18、9歳の頃、よく見に行った。魂が震えるような体験だった。数年前に40年数年振りでその公演を見て、感慨深いものがあった。今回もぜひ見に行こうとは思うが、このコロナ非常事態宣言下で、果たして公演できるのかどうか心配だ。

 

 ↓ 水族館劇場は大規模な仮設野外テント劇場を、一座の役者全員で建てる。劇中で大量の水を使い、火を使い、役者を空中に吊り上げ舞わせる。

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 ↓ 「Naked アントロポセンの空(うつほ)舟」のチラシ。

公演は5月14・15・16・20・21・22・23・25・26・27・28・29・30・31日。当日券のみ。

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 次いで永昌院に行く。真言宗醍醐寺三宝院派というから、修験道系のなにやら怪しげな匂いがプンプンする。倶利伽羅不動尊はや火渡り神事はともかく、昭和9年奥多摩四国八十八ヶ所霊場やら、狸魂地蔵やら、神馬やら、蚕影山(養蚕の神)やら、狛犬ならぬ龍の門(?)やらが、てんこ盛りで、クラクラしそうだ。

 

 ↓ 永昌院の木堂の一つ。左に奥多摩四国八十八ヶ所霊場の2基、右に地蔵丸彫立像、その他奉納物だろうと思われるあれやこれやで、駄菓子屋のような感じ。

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 ↓ 「狸魂地蔵」

 永昌院の木堂の一つ。今のところ正体不明。左には本物の狸の剥製が置かれていた。

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 ↓ 境内には剣を飲み込む倶利伽羅不動尊があり、入口にはこのような、上部で連結された狛犬ならぬ見事な龍の門?鳥居??が左右に建てられている。

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 永昌院を出て少し離れた加美上水公園内には、永昌院の代々の住職のものと思われる墓地があった。一瞥しただけだが、そう変わったものは無さそうだ。そばを流れる玉川上水の流れに、しばし疲れを休める。

 

 ↓ 永昌院を出て少し離れた加美上水公園内には、永昌院の代々の住職のものと思われる墓地があった。これはそこにあった地蔵だが、手前の半ば枯れた供華はともかく、身体にまといつく半ば色褪せたプラスチック製の花束(ブドウもある)が何とも言えない風情を醸し出していた。バロック?ゴシック? 思わず「ゴスバロ地蔵」という言葉が口をついて出てきた。茶化しているのではない。このありようを、どうとらえるかである。

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 ↓ 永昌院の様々な事物に当てられて(?)、クラクラした頭を冷やしてくれた玉川上水の景。このあたり、水流は澄んで、美しい。魂がこのままどこかへ運ばれてしまいそうだ。

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 長徳寺墓地は神明社、薬師堂と隣接している。その入口の左右の石仏群と地蔵堂には、石仏群は、珍しく白い土台に美しく整えられており、アートっぽい雰囲気で、一体ごとに向き合えば、なかなか味わい深いものがある。

 

 

 ↓ 長沢薬師堂そばの長徳寺墓地入口の石仏群。珍しく白い土台に美しく整えられており、アートっぽい。この右には古い六地蔵を彫った六角型の石幢のある地蔵堂もある。

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 ↓ 同石仏群の一つの庚申塔青面金剛立像一面六手。日月天、三猿、舟形。風化が進み刻字は読めないが、良い感じ。

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 ↓ 同じく自然石に彫られた文字塔。よく見ると梵字種子(バ:水天?)の下にうっすらと「水神」と読める。土台の白地、石の大きさと形状と苔の色合い、かすかな刻字とそろって、詫び寂びの極致。

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 あるブログには「羽村には石仏が全くない」と書かれていた。確かに今回歩いた範囲では路傍には見当たらなかったが、寺社をふくめて、ちゃんと見ればまだいくらでもありそうだ。多摩川べりの緑の濃さももう一つの目的として、また訪ねてみよう。 (2021.5.12 9.16投稿)