艸砦庵だより

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小ペン画ギャラリー-22  「デカルコマニー」 (記・FB投稿:2022.2.21)

 「デカルコマニー」とは、ある程度の流動性を持った絵具を二つの支持体の間に挟み、それらをずらしたり、こすり合わせたりするなどした後にはがして、その際に現れる偶然的効果を生かす技法のこと。ロールシャッハテストのあれと言えば、「あれか」とわかる人も多いだろう。

 

1. 参考 1977年頃

 アニメーションフィルムに黒ニス・補充用マジックインキ等

学生の頃、偶然性ということを重視して制作していた頃の試作・実験。乾燥がきわめて早く、究極(?)の流動性と瞬間的作業。こうなると、加納光於の作品を意識せざるをえない。

 

 

2. 「習作」 1977.6

 LKカラー(紙)にポスターカラーあるいはグアッシュ・ペン・インク。

同様の試作・実験。デカルコマニーは、それに加筆して仕上げるのが常道で、ここではペンとインクを使っている。今見れば下手くそだが、こうすればこうなるとわかったような気がして興味を失い、これ1点で終わり。

 

 

 美術史的には、ルネサンス期の『美術家列伝(?)』(ヴァザーリ)あたりにもそれに関わる言及があったように記憶しているが、積極的な絵画技法として公認されたのは、偶然性という価値観を認めた20世紀初頭のシュールレアリズムにおいて。

 原理的には誰にでもできる技法だし、手わざでは難しいある種の精緻なグラデーションも可能なことなどから、専門画家以外の詩人等にも手がける人がいる。評論家の瀧口修造とか、詩人の田中清光、ちょっと違ったタイプだがヴィクトル・ユーゴーなど。

 私もその味わいが好きで、若い時から多少使ってみたりした。だが、その技法を駆使する加納光於という作家がおり、また誰にでもできるという原理性にあきたらず、部分的要素として以上に使うことはなかった。

 数年前にスタシス・エイドリゲヴィチウスの展覧会を見た。私が小ペン画を描くきっかけの一つにもなった展覧会だが、その初期の作品の多くは、テンペラ絵具によるデカルコマニーが使われていた。

 

3. 188 「水の火を見つめるスタシスの二人」(発表済み)

 2020.1.17-18  2.3×9.5㎝ 色紙(黒)に樹脂テンペラ・顔彩・グアッシュ・修正白・ルツーシェ

 以下の4点が、黒い有色紙ないし古アルバムの台紙にテンペラを使用したもの。ボディが強い=絵具層の厚みがあるので、ペンは使いにくい。おのずと面相筆を使うことになる。これは最初の作品で、筆の選択に迷い、結果的にスタシス風の人物になった。と言うよりも、この材料道具の組み合わせでは、自ずとそのような描き味になるのだなと、感得した。

 

 

 テンペラは概念規定にもよるが、基本的には卵をメディウムとする絵具である。しかし、拡大解釈して、卵を含まないグアッシュや泥絵的なものもテンペラ絵具と言う場合もある。数年前にウズベキスタンで見たお土産用の絵を描いていた現地の職人が使っていたのも、チューブ入りロシア製のテンペラ絵具だと言っていた。卵成分を含んでいるかどうかは不明。

 

4. ウズベキスタンタシケント 2018.5.29

 アブドゥール・ハシム・メドレセは元神学校だが、現在は一つ一つの部屋が伝統工芸を主とした工房兼お土産屋となっている。その一つに手描きの小さな絵を制作して売っている店があった。

木の葉に描いている。この時使っているのは右の固形絵具(不透明水彩)だが、その奥のチューブが気になる。

 

 

5. ロシア製テンペラ絵具 ウズベキスタン

 奥のチューブを見せてもらった。テンペラ絵具だと言う。ロシア語は読めないが、下にキリル文字テンペラと書かれているように見える。

 

 

 卵に含まれる油脂分を考え、杓子定規に言えば、紙に直接描くことは避けるべきかとも思うが、プレパレーション(絶縁層)を施せば良いだけの話でもある。紙にテンペラ絵具で描いた例はいくらでもある。

 私の描く小ペン画はペンのタッチが主だから、主張(ボディ)の強いグアッシュやアクリルは、ふつうは補助的にしか使わない。だがタブローを描いたある日、気まぐれに思いついて、余ったテンペラ絵具(樹脂テンペラ=全卵+スタンドリンシード+ダンマル樹脂)を、小ペン画には使いにくい有色紙にデカルコマニーしてみた。滑らかな紙ではないので、絵具は伸びないが、それでも一定のそれらしさは出た。

 

6. 194 「負傷者」(発表済み-個人蔵)

 2020.1.23-24 12.5×8.4㎝ 古アルバム紙(黒)にペン・インク・樹脂テンペラ・顔彩・テンペラワニス

 言うまでもなく、黒い紙の上では透明水彩はほぼ機能しない。テンペラやグアッシュといった不透明絵具を使うことになる。

 

 

7. 189 「小鳥と蝶と子ども」

2020.1.17-18 12×9.5㎝ 古アルバム紙(黒)に樹脂テンペラ・顔彩・グアッシュ・ルツーシェ

 小ペン画と言いながら、これもペンは使っていない。これはこれで良いのだが、私が今やりたいのはこうではないのだろうなと思った。

 

 

8. 195 「目隠しをされて」

 2020.1.23-25 12.3×7.9㎝ 色紙(黒)にペン・インク・樹脂テンペラ・顔彩・テンペラワニス

 紙質のせいか、デカルコマニーとしては失敗だが、それはそれで何とか生かしてみたといったところ。捨てればそれまでのことだが、生かせば予期せぬ、自分では決して発想しえないテイストを獲得することができる。それはいわばシュールレアリスムの極意だ。

 

 

 デカルコマニーはそれ自体では表現・作品とは言い難く、何らかの形や要素を加えて仕上げるのが常道。それを細い筆でやったり、苦労してペン+インクでやってみた作品のいくつか。

 

9. 434 「塔のある処」

 2020.12.23-29 9.3×12㎝ 有色紙(黒)にドーサ、ペン・インク・グアッシュ

 制作時期は前掲の4点よりも少し後のもの。これ以降は、樹脂テンペラは使わずグアッシュを使用。紙質のせいか、やはりデカルコマニーとしては多少それっぽい程度にしか機能していないが、乗り掛かった舟のつもりで、何点か制作。この程度のグアッシュ下彩であれば、ペンとインクも使える。以下、同じ。

 

 

10. 400 「諦念」

 2020.11.14-16 12.9×9㎝ 洋紙にペン・インク・グアッシュ

 もはやデカルコマニーというよりは、単なるステイニング(滲み)。描かれる画像イメージ以前に、それと無関係に画面(紙)に偶然的処置を施しておくというやり方に、移行していった。

 

 

11. 410 「櫓と結晶」

 2020.12.1-2 12×7.4㎝ 雑紙(赤褐色)にペン・インク・グアッシュ・水彩・ガンボージ

 デカルコマニーともステイニングともつかぬやり方だが、要は下仕事の偶然的処置。単純に下彩と言ってもよい。

 

 

12. 444 「燃える日」

 2021.1.4-5 10.4×9㎝ 雑紙(黒)にドーサ、ペン・インク・顔彩・グアッシュ・水彩

 同上。前掲の何点かの作品と同様に、フクシマ原発事故のイメージが自然に出てきた。

 

 その後の展開で、気楽な下彩といったやり方に辿り着き、最近は特にデカルコマニーといった形でははやっていないが、またその内、やるかもしれない。「ありがち」にさえならないように用心すれば、やはりその魅力は捨てがたい。

(記・FB投稿:2022.2.21)