艸砦庵だより

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石仏探訪‐52 「余録‐蕎麦の会と石臼塚」

 12月25日、世間ではクリスマス。私は縁あって、あきる野市養沢の山あいで蕎麦の会。

 さすらいの蕎麦職人Mさん手打ちの蕎麦三昧。蕎麦刺し、産地違いの極細麺三枚、その他、合鴨の治部煮、だし巻き卵、手作り凍みコンニャク、etc、etc、最後に蕎麦ゼリー。う~ん、美味い!!堪能しました。

 思い出したのが、先日訪れた中野区の宝仙寺の「石臼塚」。

 

 石臼とは言うまでもなく、(ふつうは?)上下二つの部分からなる臼。上の穴から大豆などを入れ、差し込んだ木の柄をぐるぐる回しながらすりつぶす。昔は多くの農家に自家用としてあり、豆腐造りやいろいろな用途に用いていた。

かつて私の実家にもあり、祖母が時おり豆腐などを作っていた。ほかには何に使っていたのだろうか。きな粉は作っていたようだが、コンニャクには使っていたのだろうか?ウドンを作る習慣はなかった。いずれにしても、昭和40年代前半までだっただろう。

 そうした使われなくなった石臼を集め、供養し、祀った「石臼塚」をときどき見かける。「包丁塚」や「筆塚」といった、人でも仏でもない、モノを供養し祀るというのは、どういうことなのだろう。アニミズム?日本人固有の心性なのか?他の国や民族ではどうなのだろうか。少なくとも私の狭い知見の範囲では見たことがない。

 ともあれ、これまでに見た石臼塚のそれはそうした一般家庭用の小型の石臼だったが、宝仙寺のそれは、大型の、餅を搗くような形の臼。

 石臼にも用途によっていろいろな形があるようで、乳鉢なんかも石臼に分類されるようだ。知らなかった。まとめれば、「ひき臼(碾き臼・挽き臼)」、と「つき臼(搗き)」と大別するそうだ。なるほど!

 解説を見て腑に落ちた。江戸時代から井の頭池善福寺池等の湧水を水源とする神田上水に設置した水車で蕎麦粉を挽き、当時のファストフードであるソバの一大消費地である江戸に供給していたとのこと。宝仙寺の石臼はそうした業者用の大型石臼が集められていたのだ。

 武蔵野や多摩地区では、昔から水田が少なく、ウドンや蕎麦がつい先ごろまで常食だったという話は、ある程度以上の年齢の方からよく聞く。私は山口県出身で、蕎麦よりもウドン文化圏。それ以上に、戦前戦後の一時期、焼き畑もやっていた父が「焼き畑→蕎麦」嫌いだったおかげで、蕎麦の美味しさを知ったのは高卒後東京に出てきて以来。今は普通にソバもうどんも(ラーメンもスパゲッティも)好き。

 まあそんなわけで、そば打ちをやる気はないが、「石臼→蕎麦打ち→食べる」の歴史的(?)流れを実感することができたような気がした。

 

 

 ↓ 1. こね鉢でこねる。

 

 関係ないけど、粉を混ぜる・こねるという点で、テンペラ画用の石膏下地の作り方などに共通する要素がある。

 

 

 ↓ 2. そういえば私もこね鉢を持っていた。

 

 何用とも知らずに買ったもの。中にブリキ板で割れ目を補修してある。いつ頃のどこのものかわからない。そもそも何のためにこんなものを買ったのだろうか。そば打ち用でないことは確か。花でも生けるつもりだったかもしれない。ほとんど使ったことはないけどね。

 

 ↓ 3. 工程について詳しいことは知りませんが、これは次の蕎麦刺し用の平たい麺を伸ばしているところだと思います。産地の違う三種類の粉で三層にしているようです。

 

 

 ↓ 4. 蕎麦刺し=ソバの刺身。

 

 こういう食べ方もあるんだ。この会で初めて知りました。

 

 

 ↓ 5. 産地の違う極細麺を三種、三枚。贅沢である。薬味は細切りのネギと絡み大根のおろし。



 ↓ 6. その他、持ち寄りも含めて、豪華に色々出てくる。食べきれません。



 ↓ 7. 〆は蕎麦ゼリー。気が利いていて、フルフルしていて、美味しい。



 ↓ 8. 東京都昭島市神明神社にある初めて見た石臼塚。初めは意味がわからなかった。



 ↓ 9. 東京都小金井市の小金井神社にある石臼塚。

 

 塔のように高く立体的に造られている。注連縄が張られているということは神格化されているということか。ここにして石臼も神になった。昭和48年建立。

 

 

 ↓ 10. 東京都中野区、宝仙寺の石臼塚。

 

 餅つきに使われるような大形の臼(搗き臼)が多く、規模が大きい。一番上にあるのは、甘酒を摺った石臼だとか。甘酒を摺る—どんな食感なのかな?

 

 

 ↓ 11. 宝仙寺石臼塚の解説。

 

 男性人口が圧倒的に多かった大量消費地江戸の食を支えたファストフード=蕎麦。そのソバ文化を作った石臼たちも今はここで眠りについているわけだ。

 忘れていましたが、40年ぐらい前に、ここの旧宝仙学園短期大学(現:こども教育宝仙大学)の生活芸術科で3年ほど非常勤講師として金地テンペラ実習などを集中講義などで教えていました。近くに行っても全く記憶が残っていないことにがく然としました…。昼に食べていた、付属小学校の給食などは覚えているのですが。

 

 

 ↓ 12. 使われなくなった石臼を飛び石として使うのは、あちこちの庭園をはじめとして、よくある。わが家の庭にもそのつもりでしつらえたのだが、基本コンセプトに誤解があった。

 

 地表より3㎝ぐらいは高く出さなければならないところを同一面にしてしまい、雨の日の泥除けの機能をはたせない。やり直す根性が出ないまま、十年以上経った。

 

 

 ↓ 13. おまけ。

 

 参加者10余名は全員私より若い。なぜかダンスの元(?)プロがムーンウォークの講習会を始めた。蕎麦との関係は、たぶんないだろう。

 

(記・FB投稿:2022.12.26)