十六羅漢、その3、シリーズ(?)の最後。
テーマ、意図については既述。結果的に9ヵ月にわたって断続的に描いた16点中、オリジナル羅漢が12点。途中での柔軟な方針変更(?)=外部性の導入による「倣貫休」が2点。そして羅漢図ではないが、同じく過去の作品に倣ったものが今回紹介する中に2点ある。
絵と限らずあらゆる表現において、オリジナリティーは重要であるが、オリジナリティーや個性に対する過度の信仰もまた幻想にすぎない。その幻想に賭けることを否定はしない。むろん自覚なき安易な模倣や類似や盗用は論外である。
そうした意味では、適度な割合での自覚的な模倣や意識的な引用・サンプリング、翻案といった方法は、自分の世界を硬直させないための有効な方法ではないかと思う。自画自賛かもしれないが、結果として16点中の12点という割合は、自由なオリジナリティーを保持しつつ、学び‐外部性の導入も担保しうる妥当な割合ではなかろうかと、終わってから思い至った。良い勉強(?)なった。
異質な領域分野からの外部性の導入によって自分自身を更新する可能性を、私は今後も楽しみたい。
いずれにしても私の十六羅漢はこれにて終了。五百羅漢まで手を出すことは、少なくとも五百という数字を意図することは今後ともないだろう。羅漢=修行者の最高位に到達してもはや学ぶものの無くなった「嫌がらせの老人たち」という謎は未解決のままだが…。
↓ 613「(Rakan-11)沈想猿面尊者」
2022.8.15-18 16×11.9㎝ キャンソンラビーテクニックに水彩・ペン・インク
とくにコメントもないのだが、腕に北斗七星を入れたところが、ニュアンスかな?
2022.8.21-25 シナベニヤパネルに和紙二枚重ね、水彩・ペン・インク・修正白 発表済み
昔から何となく気になっていた次の牧谿「老子図」にあえて倣った作品。
これ用にではなく、たまたまだいぶ前に本作とは関係なく着彩していた用紙に描いたもの。背景に何も描かれていない「老子図」を引用するにしては、けっこう難しい条件付けだった。成功しているかどうかは、さて?
本図は足利義満から徳川家康、紀州徳川家に伝来し、第二次世界大戦で消失したとされていたが平成元(1989)年に再出現したもの。
牧谿は中国ではあまり評価されずに忘却され、その優品はほとんど中国・台湾にはないとのこと。だが日本では古くから高く評価され、日本の水墨画の発展に大きな影響を与えた。国宝が3点、重要文化財に指定されているものが9点ある。彼我の文化や美的感性の微妙な違いを考えさせられる話ではないか。
なお牧谿の大徳寺蔵の国宝「観音猿鶴図」三輻は、大学教員時代に古美術研究旅行で学生を引率して、何度か曝涼時に特別拝観させていただいたことがある。得難い体験であった。
それにしても本図は見るほどに奇妙な表情、表現だ。「特徴的な鼻毛の典拠は不明である」とあったが、う~~ん…。ちょっと勝てない。
↓ 624「 (Rakan-13)舞闘尊者(倣Siyah Qalam) 」
2022.11.12-21 16×13.3㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク
私が「Siyāh Qalam(黒いペン)」を知ったのはつい最近のこと。次の「踊る男」をNet上で発見した瞬間に、「あ!これを描きたい」と思って描いたのがこれ。そこまでストレートに影響されて描くということはめったにないことだが、けっこう楽しかった。
舞っているようにも闘っているようにも見えるところから「舞闘尊者」。
↓ 「踊る男」 Siyāh Qalam/黒いペン 14C
前掲の「舞闘尊者」の元がこれ。「Siyāh Qalam」を代表する一点。
「Siyāh Qalam(黒いペン:トルコ語)」とは、14世紀末から15世紀初頭にかけて制作され、80点ほどが残っているイラン‐中央アジアの細密画の中の特殊な一群。「世界で最も謎めいた絵」などとも言われる。民間信仰上の悪魔(ジン)などが描かれている。技法的には中国画の影響を受け、モチーフとしてはイスラム教流入以前の仏教とシャーマニズムの要素がある。
一応「踊る男」という英語のタイトルがついているが、なんせSiyāh Qalamを解説する日本語の文献を見つけられず、詳しいことはわからない。イスラムミニアチュールもインドミニアチュールも好きで、ある程度は見ているのだが、確かに類例の無い表現である。見たことの無い表現と初めて出会うというのは、実に楽しいことである。
↓ 「悪魔と死者のダンス」 Siyāh Qalam/黒いペン
もう一例。たしかに民間信仰上の悪魔(ジン)が描かれているとしか言いようがない。これも好きな絵だ。
↓ 625「(Rakan-14)舞舞踏踊尊者」
2022.11.14-21 21.4×18㎝ 和紙に膠、水彩・ペン・インク
タイトルの読みは「まいまいとうようそんじゃ」。ダンス(dance)を日本語で記せば舞踏と舞踊に書き分けられるが、その両者を合体させたタイトル。
直接「Siyāh Qalam」に直接倣った構図ではないが、雰囲気としてはその影響下で楽しんだ。
↓ 629「(Rakan-15)笛吹尊者」
2022.11.22-24 13.4×18.9㎝ 洋紙に水彩・ペン・インク
アルペンホルンのような長い管楽器が世界中にあるのかどうかは知らないが、たぶんチベットあたりにはそれに近いものがあるようだ。よく覚えていないが、そんな感じのドキュメンタリーを見たことがこの絵のベースにあるようだ。
↓ 636「(Rakan-16)多足走蹴尊者」
2022.12.10-13 17×14.5㎝ 和紙に膠、水彩・ペン・インク
「多足走」の表現は見た通り、漫画の文法、表現法から。その速度を表す手法は、一言で言えば残像という視覚上の現象の定着なのだが、それをそのまま採用したのが未来派の手法である。漫画と未来派の手法の共通性は偶然なのだろうか。
おそらくテレビでサッカーを見ていたときに自然に手が描きとめたイメージなのだが、「蹴」の方は途中で消滅したようだ。走りながら蹴りながら思索瞑想する尊者。
最後に木彫彩色の十六羅漢を一つ。寛政年間(1789-1801年)の作。
私は石仏に比べれば、木彫等については比較的関心が薄い。あらためて見てみると、これはこれでそれなりに興味深い。貫休ほど怪異な表現ではなく、好々爺的というほど緩くもない。つまりインパクトは強くないが、まじめ。そういう意味では、これもまた一つの日本的受容と言えようか。
なお、禅宗の寺では木彫の十六羅漢は仏法護持の観点から、山門の楼上に置かれることが多いとのこと。そうすると見る機会はほとんど無い。これは山門ではなく、敷地内の御堂内に祀られていたので見ることができた。
(記・FB投稿:2023.8.3)