小ペン画とは限らず、作品を「○○シリーズ」と自分で名付けることはしない。ヴァリエーションということはある。あるモチーフやテーマから、結果として、たまたま必然的にいくつかの関連性のある作品が生まれ出たときの話。今回は結果としてだが、途中から例外的にシリーズ(?)となった「十六羅漢」のその1。
ある人から言われた。「誰が見てもわかる美しいものを美しく描け」と。
誰がみてもわかる「美しい」花や、「美しい」コスチュームをまとった「美しい」女など。それらを「アート」の器に盛り込むのは自由だが、美しさの領域はもっと巨きい。美しさには、見慣れたわかりやすい美しさにとどまらぬ、広大な広がりがある。
ことさら醜いものや、気持ちの悪いものを描こうという気はない。だが、醜いものや悲惨さが必ず美しくないとも思わない。「罪や悲しみでさえそこでは聖くきれいに輝いている(宮沢賢治)」こともあるのだ。
人間の愚かさや醜さを描いたボッシュやブリューゲル、ゴヤ、ゲオルグ・グロッス、丸木位里・俊夫妻、さらには地獄絵や九相図、等々、枚挙にいとまがない。絶望と責任感と異議申し立てとに裏打ちされた醜い怪異な美しさもある。「美しい」花や、「美しい」コスチュームをまとった「美しい」女だけが美しいのではない。
石仏を見て歩いていて、時おり十六羅漢を目にすることがある。
十六羅漢とは、仏陀の死後、長くこの世にとどまり正法を守り衆生を導けという命を受けた賓度羅跋囉惰闍(びんどらばらだじゃ 別名:賓頭盧/びんずる)以下十六人の人物(阿羅漢=羅漢:「阿」は無し、「羅漢」はまなぶの意=修行者の最高位に到達してもはや学ぶものの無くなった人)を言う。玄奘訳の『法住記』にその名が列記され、主に禅宗で尊ばれ、中国や日本で盛んに描かれるようになった。本来儀軌に存在しない十六羅漢が画像として一般化したのは、唐末の画僧、禅月貫休以来とのこと。日本にも「伝貫休」としていくつも収蔵されているが、真作かどうかはわからない。
十六羅漢には奇怪な風貌の「禅月様」と写実的な「龍眠様」の二系統ある。日本に伝えられた初期は、禅月様の怪異な形相が主流だった。江戸中期以降には、温和な容貌の「好々爺形の和様」が主流となったということだが、まだ感心する石仏の十六羅漢像を見たことがない。何か勘違いしたような、といった印象が正直なところ。羅漢という概念の根本的解釈にかかわる見解の相違なのだろうか。だが今回は石仏の話ではない。
「禅月様」の画像キャラクターとしては、シニカルで怪異な「嫌がらせの老人像(井口正夫)」とでも言えようか。竹林の七賢図や禅画、文人画等に通底する美意識でもある。
もともと「十六羅漢」を描く気などなかった。全く無関係で自己流の「羅漢」像を創案して描き出したのだが、途中でいくつかの図容は「(伝)貫休」画やその他の非羅漢画からとった。それらが絵として実に魅力的だったから、リスペクトしつつ引用、模倣、翻案したのである。(以下、続く‐次回はもっと短い予定。)
制作年は不明だが、そう古いものではないだろう。悪くはないのだが、表情を作り過ぎというか、概念的。
制作年は不明。江戸後期か。わりとしっかりした彫りで、やや硬いが、表情等も悪くない。廃仏毀釈時のものか、多くは首が折られたのち継いである。
↓ 当然本家の中国にもあるはずだが、私が実際に見たのは貴州省の鎮遠から凱里のどこか(場所失念)これだけ。
陶磁器製で、釉がかかっており、より人間くさいというか、生々しい印象。手前には「○○○○尊者」と記された札が置かれていた。
文革期にはこうした宗教施設の多くが破壊されたが、ここは破壊を免れたのか、あるいは文革期以降に作られたものか、詳細不明。
↓ 572 「(Rakan-1)分度器尊者」 2022.3.18-22
13.9×11.6㎝ 洋紙(キャンソンラビーテクニック)に水彩・ペン・インク
「(Rakan-1)」としてあるが、これは3点描いたところで改めて遡ってこの通し番号を付けようと思ったのである。
「尊者」としているが、「迦諾迦伐蹉(かなかばっさ/かだくかばさ)」とか「迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ/かだくかばりだじゃ)」、「蘇頻陀(そびんた)」などといった2500年前のインド人の名前を1400年前に音訳した中国語を今日本語で読み、その簡単な紹介を読んでみても、全く興味の持ちようがない。つまりは上述したように『法住記』記載の十六羅漢とは無関係な私の創案である。
↓ 573 「(Rakan-2)結晶尊者」 2022.3.18-27
21.2×14.9㎝ 水彩紙に水彩・ペン・インク
同前。
↓ 574 「(Rakan-3)小翼尊者」 2022.3.19-22
16.7×12.1㎝ 水彩紙に水彩・ペン・インク
少し「羅漢」「尊者」である必然性が薄れかけて、飽きてきた。そこで「十六羅漢」という外枠をつけることによって、羅漢=尊者の意味をあらためて自分の作品のうちに取り込もうと思ったのである。
↓ 575 「(Rakan-4)星菫尊者(倣倣貫休)」 2022.3.20-23
16.7×12㎝ 水彩紙に水彩・ペン・インク
前作で「羅漢」である必然性が薄れかけてきた多少の危機感(?)から、外部性「倣貫休(貫休の画に倣う)」とされた画に倣い、取り入れてみることにした。別の言い方をすれば、マニエリスム的翻案とも言えるかと気づく。
そして「貫休」の作とされる絵をNET上で探して見るも、中国語のサイトに行ったり、「名前をつけて画像を保存」ができない設定になっているものが多く、資料としてあまり有効な画像を得られず、全体像は把握できていない。
↓ 貫休 十六羅漢‐8 伐闍羅弗多羅(ばざらほったら/ばしゃらふったら)尊者
前掲の「星菫尊者」の元になった絵が貫休のこれ。肩から腕にかけての二重の輪郭線(?)を不思議に思っていたが、次の石刻拓本と比較してほしい。
↓ 貫休 十六羅漢‐8 伐闍羅弗多羅‐石刻拓本
こちらは貫休の別号である関秀名での、現在は杭州孔子廟に保存されているという石刻の拓本。形や線が単純化されていてわかりやすい。肩から腕にかけての二重の輪郭線が、異様に濃い体毛の表現かあるいは毛皮をまとっているらしいことがわかる。2点の制作年の前後関係がわからないが、例えば前掲の着彩画はこの石刻拓本に倣いながら、濃い体毛表現であるとわからずに、あのような不思議な二重輪郭にしたのだろうか。私個人としては実に面白い表現だと思っているのだが。倣うことで変化するということ。引用‐サンプリング‐模倣といったことの面白い問題だとは思う。
↓ 瑞穂町殿ヶ谷 福正寺-17 十六羅漢‐7 迦哩迦尊者
昭和58/1983年 『禅月大師 羅漢図讃集』により、岡崎市の石工石田榮一が彫刻したとのこと。禅月大師は貫休。福正寺には尊者名と寄進者の氏名を台座に記した全16体が並べられており、わかりやすい。和様の好々爺の典型。
ともあれ、今回は拙作を含めた3点の伐闍羅弗多羅とと1点の迦哩迦尊者。引用‐翻案ということの面白さ。
(記・FB投稿:2023.7.24)