艸砦庵だより

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旅のカケラ あるいは探訪余録 「風化・剥落・褪色の美」

 旅先で、あるいは近所の散歩であっても、いろいろなものを見る。その気になればいろんなものが目に入ってくる。だが毎日通りかかって目にしているはずなのに、ある時まで全く気付かないものもある。人は自分が見たいと思うものしか見えないというのは本当だ。

 

 今回取り上げる気になったのは、先日の山形で目にしたものがきっかけ。似たようなものはこれまでの人生で数多く視野に入っているのだろうが、たとえ一瞬その美しさに気がついたとしても撮影することもなく、翌日には忘れてしまう程度の認識というか、縁。それでもいくつかの画像が残っていた。トリミングする、上下反転させてみる。そうすると単なる参考資料としての域から脱して、アートな世界観を発揮し始める。

 

 アートとはラテン語のars/アルスに由来する語で「わざ、、技、」を意味する。つまり人の手の介在が前提である。つまりアートとは、程度の差はあれ、加工されたものである。したがって自然それ自体の美しさは「アート≒芸術」とは言えない。最近の言葉の使われ方としては、そのあたりまで拡張されている感はあるが。

 

 ここに取り上げたのは、すべてあらかじめ人の作ったもの。それらが屋外で風雨にさらされ、風化し、剥落し、褪色したものである。つまり、人の手(アルス/ars)が加わったのは最初だけ、それも今見えている在りようとはほとんど無縁な座標においてである。もの派の「ものや事に最小限の手を加える」という文脈作法とは似て非なる在りようだ。

 美術史においてそうした偶然性・外部性は、意識的にはシュールレアリズムにおいて関心を持たれ、以後、表現の常数の一つとして機能し、さらには今日ではモダンテクニックなどといった怪しげな文脈で消費されている。

 ともあれ、こうした「風化・剥落・褪色の美」にどのような関心を持ち、自身の感性や表現の基層に取り込むかは、人それぞれ。簡単に「侘び寂び」の薄暮の地平に溶解させなければ、各人の表現の土壌を豊かにしてくれるかもしれない。

 

 

1. 山形県天童市愛宕神社の境内にあった小さな御堂の外壁であったか。

 風化剥落しつつある赤(ベンガラ)が杉板(?)の木目と節と相まって、まるで不動明王の火炎光背のようだ。あるいは地獄絵。愛宕神社=火伏の神の境内にあったのは偶然か、奇縁か。

 

2. 同上。

 横構図に部分拡大したもの。見ているうちに、つい「赤不動」などとタイトルを付けてみたくなる。

 

3. 同上。

とすると、こちらは「白不動」か。

 

 

4. 山形県東根市猪野沢の路傍の、物置か何かの外壁。

 本来の存在理由は何だったとか、そういうことには関心がない。

 材については、あまり自信はないが、ベニヤ板の一種だとおもうのだが?違うかもしれない。ベニヤ板=合板と言っても種類はいろいろあり、詳しくは知らないが、木目がでているので、ラワンベニヤではない。

 下に草が写っており、上部に暗い部分があるので、空間のフレーム性が強く現れており、自然の景としてしか見えない。つまり、「図」ではなく、「事物」。

 

 

5. 東京都青梅市の路傍の物置の外壁に打ち付けられていた元掲示板。

 まわりを額縁状に括ってあった(下の一辺のそれは脱落していて無い)。風化し痩せて木目が浮かび上がりつつある杉材と剥落しつつある塗料のマッチング。縁取り=フレームがあることによって、妙に完成度(?)が高い。

 

 

6. わが家のすぐ近所で。杉板に塗られたオイルステーン(?)が半ば以上消滅し、痩せた木目が浮かび上がりつつある。

 一見しただけで、板塀・板壁とわかる。ちょっとした田舎ではごく普通に見られるテクスチャーだが、つい「日本的」と言いたくなる。

 

7. 東京都あきる野市菅生、宝蔵寺尾崎観音にて。

 同じく板塀・板壁の一種だが、縦格子が付属している。黒い塗料が剥げ始めており、琳派の水流紋のような、あるいは浮世絵的な雰囲気。絵としては、縦格子がない方が良いようにも思うが、いやあった方が文様がかえって引き立つか。いまさらながら、少々構図が良くなかった。

 

8. 埼玉県飯能市八幡町、八幡神社裏。

 場所の関係で斜めの角度でしか撮れなかった。写真としてもあまり良くないが、手前に神社の玉垣があり、対比性が生じ、インスタレーション的風情がある。

 

9. 同上。部分を少しトリミングしてみる。少し異世界が立ち現れる。

 

10. 同上。別の部分をトリミング、拡大し、天地を逆転させてみる。



11. 同上。

 全景はこれ。小さな物置だか収納小屋(?)。部分拡大しなくとも、これはこれで風情があるかもしれない。

12. 同上。

 さらに部分を拡大して見ると、オディロン・ルドンやイブ・タンギーのような世界、シュールレアリスム的世界が現れる(と思うのは私だけか?)。

 

13. 同上。

 天地を逆にして見ると、今度は水墨画的世界(と思うのは私だけか?)。「雲龍圖」。

 

14. 同上。

 色補正とか、いろいろ加工し始めてみると、それはそれで面白くはあるが、何だかAI的世界の感覚に近づきそうなので、シラけてやめておく。そういうのがデジタルアートとやらなんだろうか。面白くない。

 

15. とくにオチはないのだが、最後も山形県村山市楯岡楯で撮影したもの。

 だが、何だったのかは記憶にない。縦の方が良いか、横の方が面白いか。

 

15. 同上。

 

 拡大。緑色の塗料の剥落具合がまあ、良いかな。でも構成不足。などと鑑賞上で遊んでみる。

 

(記・FB投稿:2023.6.16)