艸砦庵だより

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「擬死再生=生まれかわり」の山歩き‐月山と月読命(2023.6.21)

 縁あって、五月に引き続き今年二度目の山形の旅、六日間。

 今回は修験道に縁と関心のある奈良県在住の若い作家A君と、そのパートナーのやはり作家兼援農旅人のTさんに誘われて、出羽三山めぐりが軸。修験道を補助線とする「擬死再生=生まれかわりの旅」(そんなこと、行く前は知りませんでしたけどね)だった。

 月山、湯殿山羽黒山を登り、歩いた。修験道ゆかりの大日坊、塩田行屋を訪れ、みちのくのゲニウス・ロキgenius loci=地霊)と出会い、異界の入口を覗き見た。出羽三山歴史博物館といでは文化会館を見た。その他、行き当たりばったりに寺社や路傍の石仏群を見、温泉に入り、それぞれの山形在住の友人と会い、酒を飲み、山菜と精進料理と酒田の美味いイカを堪能した。何ともてんこ盛りの日々。若い人(二人とも私より30歳ぐらい若い)の行動力は素晴らしい。充実しすぎで、毎日へとへとになりました。

 この出羽三山めぐりは実は10年以上前に、珍しく女房とあるツアーに参加して行ったことはあるのだが(月山には登っていない)、その頃は修験道も石仏にも興味がなく、したがって印象も記憶も実にあわあわとしたものにすぎない。やはり味わう意識と情熱がない限り、そこから見出せるものはその時の当人の力量に見合ったものでしかない。その意味でも若い二人には感謝しかない。

 とりあえず今回は月山に登ったという投稿。百名山趣味は最初からほとんど持ち合わせていないが、一応記しておけば、これが51座目。50年以上、細々と登り続けて51座だから、おのずと私の志向と力量も知れようというもの。ともあれ、久しぶりに残雪の山と高山植物の美しさを堪能した。

 

 

 ↓ 二泊した大井沢の民宿の前から月山を望む。左から湯殿山、姥ヶ岳、月山。天気はまあ良さそうだ。

 ちなみにこの場所は、1992年の4月中旬に石見堂山から赤見堂山~大桧原山をへて障子ヶ岳を目指したものの、その手前で悪天により中退下山し、夕方里に下りたところ。その奇縁にも少々感慨深い。

 

 

 ↓ 姥沢から月山リフトに乗り、降りたところから山登りが始まる。

 Tさんの力量がわからず、一応アイゼン(私も一応軽アイゼンを)つけてもらい、見守りながら登る。標高差は485mだから、まあゆっくり登りましょう。

 

 

 ↓ 南に朝日連峰を望む。

 あそこも昔登った。さらにその左奥には飯豊連峰がある。

 

 

 ↓ 最盛期はこれからなのだろうが、けっこう多くの高山植物が咲いていた。これはシラネアオイ



 

 ↓ お花畑もあちこちにある。

 手前からチングルマ、右ウスユキソウ、ピンクはイワカガミ。目を楽しませてくれる。

 

 

 ↓ 正面左奥が月山山頂



 ↓ 牛首を過ぎて。

 単純な登りになると、体力の無さが出る。

 

 

 ↓ 右が頂上の月山神社

 三角点はその先。正面遠くに鳥海山。ちなみに森敦の『月山・鳥海山』(小説)は絶品です。

 

 

 ↓ 月山神社には意外にも石仏は少なかった。神社を囲む石垣の中に見出したのがこれ。

 上に円相(日天?)、下に蓮華と文字があるが、中央は風化剥落(?)のせいか、図様は見えない。あったとすれば線刻の月読命か。右には奉納された、三日月をアレンジした剣。ほかにもたくさんあった。

 

 

 ↓ 数少ない石仏の一つがこれ。

 おそらく祭神である月読命本地仏阿弥陀如来)であろうと思われるが、他の例をまだ見たことがないので今のところ何とも言えない。祭神が月読命とされる以前から、当然先行して祖霊信仰や水神信仰があった。いずれにしてもこれ自体は、そう古いものではなさそうだ。

 

 

 ↓ 月山神社の先、少し低い地点に三角点がある。

 元気で自由な援農旅人作家Tさんと一緒に。

 それにしてもいい加減この山ズボンと山シャツは買い換えないとマズい。ダサい。でも使いやすいのです。

 

 

 ↓ これは登りの時だったか。

 とにかく、下りの方が雪の斜面は怖いからと、いろいろ指導やら山の説明をしているらしい。

 

 ↓ で、もう大丈夫と思ったら、尻セードで一人さっさと滑り降りる。下に見えているのが月山リフト。



 ↓ 二泊した大井沢の橋本荘の夕食の山菜料理。

 左上の鍋の中は豚肉。どれも美味しかったです。

 

(記・FB投稿:2023.6.28)